翌朝。わたしは旧ブルーム最上階にある、とある部屋の前にやってきた。
「だめ! って俺が止めても、リオは行くんだよね」
「うん。お父さんと話をさせてほしいの」
行き先を告げたら、ノアが反対することはわかりきっていた。
だけど、わたしも引き下がるわけにはいかない。
──ふたりで話す機会をくれないかい?
お父さんがなにを語ろうとしているのか、わたしはたしかめなくちゃいけない。
「だから、おねがい」
「……わかった。その代わり、俺は部屋の前にいるから。なにか変なことされそうになったら、叫ぶんだよ」
「ユウヒも! あるじさまのごようじが終わるまで、おるすばんできます!」
「ノア、ユウヒ……ありがとう」
わたしは独りぼっちじゃない。
心強いふたりの存在に背中を押され、正面へ向き直る。そして。
「リオです。失礼します」
ドアをノックすること3回。ひと声かけたわたしは、前もってヴァンさんから預かっていた鍵を鍵穴に差し込む。
この部屋は、外からしか解錠できない造りになっているためだ。
……カチャリ。
鍵があいた。意を決し、ドアノブを回す。
キィ……と軋む音とともにわたしを迎え入れたのは、部屋の奥、窓辺にたたずむ男性だ。
「おはよう。もうそろそろ、来るだろうと思っていたよ」
純白の神官服を身にまとった彼は、ほほ笑みながらわたしに手まねきをした。
「おいで、リオ。お茶を淹れてあげよう」
* * *
ずいぶん昔に使われなくなった書斎部屋。その空きスペースに簡易ベッドを運び込んだこの場所こそ、ヴァンさん命名『スウィートルーム』──お父さんの利用している客室だ。
「とても快適に過ごさせてもらっているよ。ヴァネッサのおかげでね」
テーブルを挟んで向かいのソファに腰を下ろしたお父さんが、ティーカップに口をつける。
お父さんがブルームへやってきた日、「あのクソ野郎は、地下の倉庫にでもぶち込んどけばいいのよ!」と興奮したヴァンさんを、エルがなだめたらしい。
仮にも神殿の高い位につく大神官さまを、粗末にはあつかえないでしょう──と。
とはいえ、モンスターの襲撃のために出入りが制限されているなか、単身でこの街にやってきたんだ。
「『病室』以外で、ほかに空き部屋がございませんので、ご了承ください」
エルの説明に、お父さんも特に反論はしなかったらしい。
コカトリスに旧ブルーム城が襲撃された日、ヴァンさんの処置につきっきりなわたしにかわってほかの傷病者の治療に当たってくれた以降、お父さんはこの部屋から一歩も出ていない。
事件後、ようやくひと息つけたいまなら、お父さんに対するたくさんの『なぜ』を問いかけることができる。
「ルウェリンのダメージコントロールをしていただき、ありがとうございました。毒のめぐりを止めていなければ、わたしでも……」
「リオ、他人行儀はやめてくれないか。私たちは家族なのだから」
そりゃあ、まぁね。
お父さんのワインレッドの瞳と、わたしのストロベリーピンクの瞳。色の深みこそちがうけど、赤い色素の瞳はおなじカーリッド侯爵家の血を引くあかしだった。
……血のつながりだけで言えば、たしかにわたしたちは家族だ。
「正直のところ……家族だと言われても、戸惑いしかない」
わたしの記憶には、クマのぬいぐるみをプレゼントしてくれたやさしいお父さんとの思い出は、ほんのすこし。あとの大半は、孤独で埋め尽くされている。
「ねぇ……どうして、わたしを捨てたの? 『悪魔』に取り憑かれてるなんて思ってたなら、どうしていまごろ……っ!」
声がふるえる。泣きそうになるのを必死にこらえていると、手のひらに爪が食い込んで痛んだ。
しばらくわたしを見つめていたお父さんが、ワインレッドの瞳を伏せ、静かにつぶやく。
「捨てたんじゃない。手放したんだ。おまえを守るためには、あのまま私のそばに置いておくわけにはいかなかった」
「どういう、こと……?」
「リオ、おまえは誤解をしている。恨まれるような真似をしたのは、私に違いないのだけれど……どうか私の話を聞いてほしい」
沈黙が流れる。ティーカップのなかの紅茶が、音もなくゆらめいていた。
「おまえが生まれて間もなかったころだ、神殿による『悪魔狩り』がはじまった」
「『悪魔狩り』……?」
「古くから、神殿は魔族と敵対していたからな。しかし実際は、魔族だろうが、エルフだろうが、赤ん坊だろうが、なにかしら高い魔力を示した者は、みな神の名のもとに火刑に処された」
「そんな……!」
「いまでこそ、ばかげた話だ。しかし当時は神殿の影響力が大きく、王家でさえ歯止めをかけることは容易ではなかった。神殿を取りしきる当時の大神官たちのほとんどが、魔族に強い偏見をいだいていたんだ」
それは権力の暴走だったと、お父さんは語る。
「神官たちの乱心ぶりは、私も目を背けたくなるものだった。だが当時の私は末端の
──馬に乗って狩りもできないような男だからね。
──争いが嫌いなのよ、あいつ、テオは。
ふと、ヴァンさんが話していたことを思い出した。
たしかに、わたしの記憶のなかでも、お父さんが声を荒らげたことなんてない。
「だが……おまえがみっつのとき、状況が変わった」
「それって、わたしがボロクソにわめいた……」
「あぁ。私の不注意で、お前の両肩に怪我をさせてしまったときのことだ」
「うん……?」
「幼かったおまえは覚えていないかもしれないが、あのときおまえは、一瞬でじぶんの肩を治療したんだ」
「え……あっ」
そういえば。脱臼の激痛と、突然前世のことを思い出したショックで、そのあとの記憶が曖昧だ。
でもよくよく思い返してみれば、あのあとお医者さんに行った覚えもないし、脱臼癖がついてしまったりとかもなかった。
「おまえが治癒魔法を使ったのだと、すぐにわかった。まだ物心もつかないおまえが、だ。この子は天才だと、私は確信した」
魔法書を読めば初級の魔法なら使えてしまう火や水、風などの通常魔法とは違い、治癒魔法は高度なコントロール技術が必要だ。
それを3歳のこどもが突然使ったなら、おどろくのも無理はない。
「だが
「……それで?」
「気づけば『悪魔憑き』を見つけたと、そう叫んでいた。私は結婚したことも子が生まれたことも届け出ていなかったから、私たちが
「それじゃあお父さんは、神官からわたしをかばって……?」
「……そうだ。その場はなんとか取りつくろい、私は神徒としておのれの判断で『悪魔』を処罰したのだと、のちに報告した」
そこまで話し、言葉を切ったお父さんの表情には、暗い影が落ちている。
「私には力がなかった。おまえを手放すしかなかった。年のわりにしっかりとした物言いをする賢い子だから、きっと大丈夫だと、じぶんに言い聞かせるしか、なかった……」
そうしてわたしを、ひとけのない森の奥深くにつれて行ったのだと、お父さんは声を絞り出した。
なんて言葉を返したらいいんだろう。
頭のなかがぐちゃぐちゃで、なにがなんだか。
長い長い沈黙をやぶったのは、お父さんだ。
「だが、15年だ。15年かけて、やっと私はこの地位までのぼりつめた。『悪魔狩り』を主導していた神官たちを追い出し、神殿内で意識改革もおこなった。すべては、またおまえと暮らすためなんだよ、リオ」
「お父さん……」
「おまえを脅かすものはなにもない。だからまた、私といっしょに暮らそう。さびしい思いをさせてきた埋め合わせをさせてくれ。私がいる限り、だれにも文句は言わせないと約束する」
「それは……わたしに、神殿へ来いということ?」
「そうだ。おまえの魔力は命の泉のごとく澄んでいて、なおかつ純度が高い。癒やしの効果に突出した魔力だ」
傷ついたひとびとを癒やす役目は、神殿でも果たせる。
それなら家族はいっしょにいるべきだろうという理由で、お父さんはわたしを神殿へ誘っている。
大神官ともなれば、貴族でいう侯爵位相当の地位をもつ。そんなお父さんに、正式に娘として迎えられるんだ。
その日暮らしをしていた平民からして見れば、魅力的な提案だろう。
「……ごめんなさい」
だけど、差しのべられたお父さんの手を取ることはできなかった。
「……なぜだ?」
「わたしには、ノアやユウヒ、エル、ヴァンさん……だいじなひとたちがたくさんいます。神殿に入ったら、いまみたいにみんなと会えなくなる」
「行動範囲に制約はあるが、一生会えなくなるわけではない」
「わたしは、いまのままがいい。みんなといろんなところに行って、冒険するいまが好きなの。だから、お父さんといっしょには行けません。ごめんなさい」
お父さんはわたしのためを想ってわたしを遠ざけて、そのせいでわたしは孤独な思いをした。
そしてわたしはお父さんの気持ちも知らず、なんならクソ呼ばわりもしたかもしれない。
もう、おあいこにしようよ。
「わたしのこと、守ってくれてありがとう。そのことが知れただけで、充分です」
わたしが苦しんだことにも意味があったなら、それでいい。
おもむろに、お父さんが立ち上がる。無言で、なにを考えているかはわからない。
怒らせたかな。また突き放すようなことを言って、酷い娘だよね。幻滅されてもしかたない。
「……リオ……」
でも、次にわたしを呼んだお父さんの声は、ふるえていた。
ソファに座るわたしのそばにひざをついて、すがるように見つめてくる。
わたしを胸もとに引き寄せ、きつく抱きすくめるお父さんの腕を、拒むことができなかった。
「気持ちは、変わらないのか」
「わたしは『薬術師』としてはまだまだひよっこだし、知らないこともいっぱいある。だから、世界中を見てまわりたいの。冒険が、わたし自身の成長につながるって信じてるから」
何年かかるかわからない。それでも。
「わたしが一人前の『薬術師』になったら……お父さんのところに、行ってもいい?」
そっと、お父さんの背に腕を回す。すると、わたしを抱く腕に力がこもった。
「アリア……やはりこの子の性格は、君譲りだな」
「え……?」
アリア。お母さんの名前だ。
顔は覚えてない。わたしを生んですぐに、家を出て行っちゃったはずだけど……
「これも、神の思し召しなのか……私はただ、もう家族と離ればなれになりたくないだけなのに」
……あれ?
そういえば、わたし、どうしてお父さんとお母さんが離婚したんだって思ってたんだろう。
仲違いしたなんて、お父さんの口から、一度も聞いたことはないはずなのに。
──おかあたん、どこ?
──リオのママはね、遠いところに行ってしまったよ。
あぁそうだ、お父さんはむかし、言っていたじゃない。
──でも大丈夫だ、ママは、いつかきっともどってくるから。
そうだ……思い出した。それじゃあ。
「お母さんは……いま、どこにいるの?」
うわごとのように問いかける。すぐに答えはない。
わたしと目線を合わせたお父さんは、薄く笑みを浮かべて、
「それが知りたければ、神殿へおいで」
とだけ告げた。……ずるい答えだ。
どうあがいたって、わたしが神殿へ行かなければならない理由ができてしまったから。
「さて。今回この街で起きたモンスター襲撃事件について、神殿へ情報を持ち帰らなければいけない。私もそろそろもどらねば。名残惜しいが……そう遠くないうちに、また顔を合わせることになるだろう」
「え? それってどういう……」
「ヴァネッサ、それからエリオルに、あいさつをしなくてはいけないな。短いあいだだが、娘を頼むとね」
お父さんの言葉は、絶妙に核心をつかない。それについて、言及もさせてくれない。
「そうだ、リオ。ノアくんと言ったか。彼とはうまくやっているのかい?」
そして脈絡のない話題に、わたしは終始ふり回されるばかりだ。
「ノア? もちろん。ノアは頭もいいし器用だから、お仕事も手伝ってもらってるよ。ノアがどうかしたの……?」
「見覚えがある気がして。私の気のせいかもしれないがね」
「見覚え……」
ノアとお父さんは、この街で会ったのが初対面のはずだけど。
そっくりさんを見かけたとか? でもノアほどの美男子が、そうホイホイ出歩いてるはずもないし。だとしたら……
「ノアくんにも、よろしく伝えておいてくれ」
なにを思って、お父さんはそう言ったんだろう。
結局聞き出せないまま、ささやかなティータイムは終わりを告げる。
「最後にひとつだけ。私はいつでも、おまえのことを想っている。愛してるよ、リオ」
どこか釈然としないわたしとは裏腹に、わたしを抱きしめて、おでこにキスをしたお父さんは、満足げだった。