……きしり。
ベッドのスプリングが鳴いて、天井を見上げたわたしへ、ノアが覆いかぶさってくる。
「リオ……きれいだ」
ほぅ……と、感嘆の吐息がほほにふれる。
陽が落ちた薄暗い部屋。わたしはよく見えないけど、夜目がきくノアは、一糸まとわぬすがたになったわたしがよく見えていることだろう。
男性経験なんてない。医療従事者だった前世の経験から知識だけは無駄にある、耳年増だ。
ほんとは恥ずかしくて、どうにかなりそう。でも、それじゃ意味がないから。
「……やさしく、してね?」
シーツをにぎりしめて見上げたら、ふふっと、笑い声がきこえた。
「うん、だいじにする」
寝間着をベッドの外に脱ぎ捨てたノアが、そっと唇をかさねてきたのが、合図だった。
こうして特別授業、『やさしい性教育~女の子のからだ編~』がはじまったわけなんだけど。
実技開始から数分、わたしは早くもベッド上で翻弄されていた。
「リオって、着痩せするんだね……やわらかい、俺の手からこぼれちゃう」
「言わな、あっ」
「あぁもう、恥ずかしがってるリオ、可愛すぎる……っ」
「んんっ……!」
性の知識に疎くて、基本的にわたし以外のひとを寄せつけないノアだ、だれかに吹き込まれたわけじゃない。わたしの反応を見て、無意識にやってのけているんだ。
女の子のからだの仕組みとか、『気持ちいいところ』を口頭で説明はしたけど……これがインキュバスの本能だとするなら、なんて末恐ろしい。
「んっ……リオ、きもちい?」
「はぁっ、おんなじとこばっか、やだぁ……!」
「そっか、ごめんね。ほかのところもさわってあげるね」
くすぐったさと恥ずかしさと。真っ赤になって身をよじるわたしの頭をなでたノアが、ふいに顔を近づけてくる。
ちゅ、ちゅ、とおでこやほほ、唇にキスを落としたら、今度は鎖骨や胸もと、おへそと、だんだん下半身へ移動していく。
「リオの、甘い香りがする……もっと見たい、さわりたい」
はぁっ、とため息をついたノアの瞳が、じりじりと燻る炎を灯したように、熱っぽい。
わたしに欲情しているまなざしだった。
劣情を宿したサファイアの視線をまともに見てしまったわたしは、ずくりと、下腹部が疼く感覚に見舞われる。
「リオのぜんぶ、もっとよく見せて?」
「あっ……!」
呆けているあいだに、ひざを左右に割りひらかれてしまった。
あられもない場所をさらけ出している状態。それだけでも顔が燃えるくらい恥ずかしいのに、容赦ない追い討ちがかけられる。
「リオの言ったとおりだ、俺とからだのつくりが全然ちがう……」
「ひゃんっ!?」
良くも悪くも、ノアは好奇心旺盛で、勤勉すぎた。
「ここが、赤ちゃんが生まれてくるときに通る場所。この上のあたりも、さわったら気持ちいいところのひとつなんだよね」
「ふ……ふぇぇ!」
「あれっ、違った?」
「違わないけど! 実況するなぁ!」
教えられたことを吸収しようとするノアの姿勢は素晴らしいけど、わたしにとっちゃ羞恥プレイです。
「つい夢中になっちゃった。おしゃべりしすぎたかも。ちゃんとリオによろこんでもらえるようにがんばるから、許して?」
焦らされたから、わたしが怒ったとでも思ったんだろうか。そうじゃない、そうじゃないのよ、ノアくん。
だけど悲しいかな。わたしが口をひらくより先に、特別授業が再開されてしまう。
「ここが、女の子のきもちいいところ……」
「待って、ノア、まっ…………ンッ……!」
なんとか、声は押し殺せたけど……
「はは、きもちよかった? あ、足閉じちゃだぁめ」
敏感に反応してしまったところを、目ざといノアは見逃してくれなかった。
「もぉやだぁ……ノアのいじわる……!」
恥ずかしいところをさわられて、恥ずかしくないわけがない。いっそ、さっさとトドメを刺してほしい。
なんてぐすぐす泣きべそをかいていたら、荒い呼吸がきこえた気がした。
つい頭上を見上げた瞬間、ひゅっと涙が引っ込む。
「リオ、かわいい……はぁっ……」
ノアが眉をひそめ、ひどく苦しげだった。
それもそのはず。とてつもない熱を、持て余していたんだから。
「ごめん、いまはリオをきもちよくしてるときなのに……」
ノアがそう言って、じぶんでなんとかしようとするものだから、思わず押しとどめた。
「待って!」
「……リオ?」
ノアは、わたしが制止した理由がわからないみたいだった。
あぁ、もしかして。男の子と女の子のからだについて別々に講義したからか、ノアは仕組みを理解したけど、まだそれぞれがうまく結びついていないのかもしれない。
つまり……男女で性交をするという概念と、その意味が。
「……インキュバスは、なにをして力をつけるんだって、わたし言った?」
「女のひとと、気持ちいいところをこすり合って……えっと、性交……?」
「そう。性交をするのには、だいじな意味があるの」
この際だ、羞恥心なんてくそくらえ。
きょとんとしたノアに近寄り、その耳もとで、内緒話をするみたいにささやいた。
「────っていうふうに、男のひとと女のひとで性交をしたら、赤ちゃんができるの」
「……赤ちゃん」
サファイアの瞳が見ひらかれたと思った瞬間、ぐるんと視界が回った。
一瞬でベッドへ沈められたわたしの上に、ノアがのしかかってくる。
「あぁ、そうか……だから、リオにふれたくてたまらなくなるんだ。わかったよ、ぜんぶ」
低くうなるノアの視線は、ギラついている。
獲物を捕捉した、捕食者の目。やだ……そんな目で見られたら、わたし。
「ごめん、ちょっと乱暴にするかもしれないけど」
ノアがわたしに体重をかけながら、言葉少なに断って。
「俺のぜんぶ、受け止めて」
稲妻のような衝撃が、わたしをつらぬいた。
* * *
ひとことで表すなら、それは、夢のような時間だった。
「リオ……リオ……っ」
何度もわたしを呼ぶ、切なげな声。
──わたし、ノアの腕のなかにいる。
そう理解したら、言い表せないような熱情がこみ上げてきて、全身がふるえた。
痛かったのは最初だけ。ノアにゆさぶられるたび、わたしは猫が甘えるような悲鳴を抑えることができない。
軋むベッドのスプリング。わたしもノアも、時間を忘れて抱き合っていた。
「ノア、やだぁ……こわい……」
まただ。またからだが宙に投げ出されそうな恐怖が、背すじをせり上がってくる。
「大丈夫……俺がいるよ、リオ……」
「ノア、ノア……んんっ」
キスをされたら、『こわい』でいっぱいだったのが、『きもちいい』に塗り替えられた。
わたしもノアの背に腕を回して、その唇の甘さに酔いしれる。
「あぁ、リオ……俺だけのリオだ……可愛い、かわいい」
ノアの声も、瞳も、うっとりと蕩けていた。
かわいい、かわいいとしきりにくり返しながら、わたしの耳やほほや唇に、ちゅ、ちゅ、とキスの雨をふらせる。
「リオはもう、俺のもの。──だれにもわたさない」
ぼんやりとした意識のなか、漆黒の翼としっぽをゆらめかせた彼が、鋭い牙をのぞかせて、笑っていた。
美しい悪魔の腕に抱かれたわたしは、もう、逃げられない。
* * *
よく言われてるよね。糖分はだいじだけど、摂取過多は要注意だって。
「はぁ……あっま。改良の余地あり」
ベッドに腰かけたわたしは、口に放り込んだキャンディを舌先で転がして、その甘さにため息をついた。
なにを隠そうこのキャンディこそ、娼館街でも売れ行き好調だったわたし特製の
まさか、これをセルフで緊急処方することになるとは。
いや、まったく予想してなかったわけでもないんだけど……ねぇ?
「……これ、だめだよね。女の子は、妊娠しちゃうかもしれないんだよね? そうしたら、リオのからだに大変な負担がかかるのに、俺、がまんできなくて、勝手に……ごめんね」
「うん……うん、そうだね。ちょっとやりすぎたかもね。初心者向けではなかった」
「ごめんなさい……」
ベッドに座ったわたしの目の前には、私服のシャツに着替えたノアが、申し訳なさそうに床で正座をして、しゅんとうなだれている。たしかに、やりすぎではあったけど。
「でも、今回はこれが『正解』だったんだよ」
壮絶なモンスターとの闘いで衰弱したノアを回復させるには、肉体接触による人間の精気の摂取、つまり性交が必要不可欠だった。
ノアが、だれかと肌をかさねなければならない。
わたしはそのだれかが、わたし以外のだれかである未来を思い描けなかった。
(だってノアは、まだ女の子が苦手だもん)
だからわたしがやるしかないって、使命感に駆られて。
……ううん、ちょっと違うかも。
わたしがやるしかない、じゃなくて、わたしが助けたかった、だ。
ノアのためなら、なんだってできると思った。それが、この身のすべてを捧げることだとしても。
だってわたしね、ノアに抱かれて、うれしかったんだ。ノアの腕のなかで、きもちいいなぁって、ずっとこうしていたいなぁって思った。
ノアに愛されてるってことが、すごく……すごくつたわってきたんだ。
ノアもいっぱい発散してすっきりしたのか、腰が砕けてしまったわたしのからだをきれいにして、着替えを手伝ってくれるころには、正気にもどっていた。
で、暴走しちゃったことを猛省して、わたしにめちゃくちゃ謝っている。いまここ。
「ねぇノア、体調はどう?」
このままだとノアが床に頭をめり込ませそうなので、先手を取ることにした。
やわらげた声音で問いかけると、はっと顔をあげたノアが、おひさまみたいなまぶしさで破顔する。
「絶好調だよ。リオのおかげでよくなった。だからなんでも言ってね! 俺のこと、こき使っていいから!」
「あははっ!」
どうやら、ノアなりに気を遣ってくれてるらしい。
「……元気になって、よかった」
「リオ……」
思わずこぼれちゃった言葉に、ノアがなにか言いかけたけど、だめ。
その先は言わせない。言わせたらきっと、泣いちゃうだろうから。
だから、ちょっとくらい、照れ隠ししてもいいよね。
「はい、やらかしたノアくんに、罰ゲームがあります!」
「罰ゲーム?」
「そう。わたしに、やさしくキスをすること」
サファイアの瞳でぱちりとまばたきをしたノアが、「ははっ!」と笑い声をもらして、腰を浮かせる。
「それは罰ゲームっていうより、ごほうび。ほんと、リオは俺に甘いんだから」
そうしてほほに手を添えられたかと思えば、唇がかさねられる。
「ん……ふぁっ」
わたしの唇をやわやわと甘噛みしていたノアが、舌先でそっと唇を割りひらく。
ふわりと心地いい香りがして、脱力したからだは、自然とノアを受け入れる。
「やっぱりリオは、甘いね」
ちゅっとリップ音を立てて唇をはなしたノアが、まぶしそうにサファイアの瞳を細め、指先でわたしのほほをくすぐる。
そういうノアのほうこそ、ささやく声が、わたしを見つめるまなざしが、甘い。甘すぎて、とっくの昔に摂取過多だ。
また照れ隠しに「なにをいうか、この子は」って、ノアのおでこを小突く。
甘いものばっかだとおなかいっぱいになるから、こんどキャンディを作るときは、ミントフレーバーにしようかなぁ、なんてしょうもないことを考えた。
「ねぇリオ」
「んー?」
「だいすきだよ」
……そしてよくもまぁ、ひとが油断してるときに爆弾発言を。
「俺はリオからはなれる気はないから、覚悟してね」
「はぁ……」
「えっ、なんでため息? 俺なんか変なこと言った!?」
「いまさらだなぁと思って」
「なにが!?」
だってさ、ノアはずっと、じぶんの気持ちをつたえようとしてくれてたじゃん。
なのに『恋に恋するお年頃』とか、『近所のお姉さんに憧れる感覚なのかも』とか、勝手な解釈をしていたおばかさんが、ここにおりましてね。
そう……いまさら、気づいたの。
「ノアだけじゃないよ。わたしもノアといたいから、覚悟してね」
やっと気づけたこの気持ちは、もうごまかせない。
「ノア、好きだよ。わたしも、大好き」
もう観念しよう。
わたしは、恋をしています。
「って……待って待って、泣いてる? ノア泣いてるの!?」
信じられないことに、ノアくんが呆けたようにわたしを見つめていたかと思えば、ボロ泣きするじゃありませんか。
「ごめん……でも、うれしくて。リオが痛いのがまんして、俺のこと受け入れてくれて……俺がほしかった言葉を、くれたんだもん。夢みたい」
そうだ、忘れちゃいけないのが、ノアは純情美男子だということだ。根が素直で、天使みたいに無垢な子なんだ。悪魔だけど。
「ね、リオ。しあわせになるのが、俺に酷いことしてきたやつらへの仕返しだって、言ってたよね」
「うん」
「俺、しあわせだよ。リオが、しあわせにしてくれた」
わたしの手を取り、潤んだ瞳を細めたノアの表情は、清々しい。
「ありがとう、リオ。これからも、ずっといっしょにいよう」
「ノア……」
まっすぐに見つめられて、ふいにはにかまれたら、もうだめだった。
たまらなくなって、ノアに抱きつく。そんなわたしを、ノアは力強くもやさしく抱きしめ返してくれた。
あぁ、わたし……じぶんが思ってた以上に、ノアのことが好きみたい。
すごく恥ずかしくて、ノアみたいにうまくつたえられないかもしれないけど……
わたしの気持ち、ちょっとずつでも、かたちにしていけたらいいな。