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*46* 甘いキャンディは恋の味

 ……きしり。


 ベッドのスプリングが鳴いて、天井を見上げたわたしへ、ノアが覆いかぶさってくる。


「リオ……きれいだ」


 ほぅ……と、感嘆の吐息がほほにふれる。


 陽が落ちた薄暗い部屋。わたしはよく見えないけど、夜目がきくノアは、一糸まとわぬすがたになったわたしがよく見えていることだろう。


 男性経験なんてない。医療従事者だった前世の経験から知識だけは無駄にある、耳年増だ。


 ほんとは恥ずかしくて、どうにかなりそう。でも、それじゃ意味がないから。


「……やさしく、してね?」


 シーツをにぎりしめて見上げたら、ふふっと、笑い声がきこえた。


「うん、だいじにする」


 寝間着をベッドの外に脱ぎ捨てたノアが、そっと唇をかさねてきたのが、合図だった。


 こうして特別授業、『やさしい性教育~女の子のからだ編~』がはじまったわけなんだけど。


 実技開始から数分、わたしは早くもベッド上で翻弄されていた。


「リオって、着痩せするんだね……やわらかい、俺の手からこぼれちゃう」

「言わな、あっ」

「あぁもう、恥ずかしがってるリオ、可愛すぎる……っ」

「んんっ……!」


 性の知識に疎くて、基本的にわたし以外のひとを寄せつけないノアだ、だれかに吹き込まれたわけじゃない。わたしの反応を見て、無意識にやってのけているんだ。


 女の子のからだの仕組みとか、『気持ちいいところ』を口頭で説明はしたけど……これがインキュバスの本能だとするなら、なんて末恐ろしい。


「んっ……リオ、きもちい?」

「はぁっ、おんなじとこばっか、やだぁ……!」

「そっか、ごめんね。ほかのところもさわってあげるね」


 くすぐったさと恥ずかしさと。真っ赤になって身をよじるわたしの頭をなでたノアが、ふいに顔を近づけてくる。


 ちゅ、ちゅ、とおでこやほほ、唇にキスを落としたら、今度は鎖骨や胸もと、おへそと、だんだん下半身へ移動していく。


「リオの、甘い香りがする……もっと見たい、さわりたい」


 はぁっ、とため息をついたノアの瞳が、じりじりと燻る炎を灯したように、熱っぽい。


 わたしに欲情しているまなざしだった。


 劣情を宿したサファイアの視線をまともに見てしまったわたしは、ずくりと、下腹部が疼く感覚に見舞われる。


「リオのぜんぶ、もっとよく見せて?」

「あっ……!」


 呆けているあいだに、ひざを左右に割りひらかれてしまった。


 あられもない場所をさらけ出している状態。それだけでも顔が燃えるくらい恥ずかしいのに、容赦ない追い討ちがかけられる。


「リオの言ったとおりだ、俺とからだのつくりが全然ちがう……」

「ひゃんっ!?」


 良くも悪くも、ノアは好奇心旺盛で、勤勉すぎた。


「ここが、赤ちゃんが生まれてくるときに通る場所。この上のあたりも、さわったら気持ちいいところのひとつなんだよね」

「ふ……ふぇぇ!」

「あれっ、違った?」

「違わないけど! 実況するなぁ!」


 教えられたことを吸収しようとするノアの姿勢は素晴らしいけど、わたしにとっちゃ羞恥プレイです。


「つい夢中になっちゃった。おしゃべりしすぎたかも。ちゃんとリオによろこんでもらえるようにがんばるから、許して?」


 焦らされたから、わたしが怒ったとでも思ったんだろうか。そうじゃない、そうじゃないのよ、ノアくん。


 だけど悲しいかな。わたしが口をひらくより先に、特別授業が再開されてしまう。


「ここが、女の子のきもちいいところ……」

「待って、ノア、まっ…………ンッ……!」


 なんとか、声は押し殺せたけど……


「はは、きもちよかった? あ、足閉じちゃだぁめ」


 敏感に反応してしまったところを、目ざといノアは見逃してくれなかった。


「もぉやだぁ……ノアのいじわる……!」


 恥ずかしいところをさわられて、恥ずかしくないわけがない。いっそ、さっさとトドメを刺してほしい。


 なんてぐすぐす泣きべそをかいていたら、荒い呼吸がきこえた気がした。


 つい頭上を見上げた瞬間、ひゅっと涙が引っ込む。


「リオ、かわいい……はぁっ……」


 ノアが眉をひそめ、ひどく苦しげだった。


 それもそのはず。とてつもない熱を、持て余していたんだから。


「ごめん、いまはリオをきもちよくしてるときなのに……」


 ノアがそう言って、じぶんでなんとかしようとするものだから、思わず押しとどめた。


「待って!」

「……リオ?」


 ノアは、わたしが制止した理由がわからないみたいだった。


 あぁ、もしかして。男の子と女の子のからだについて別々に講義したからか、ノアは仕組みを理解したけど、まだそれぞれがうまく結びついていないのかもしれない。


 つまり……男女で性交をするという概念と、その意味が。


「……インキュバスは、なにをして力をつけるんだって、わたし言った?」

「女のひとと、気持ちいいところをこすり合って……えっと、性交……?」

「そう。性交をするのには、だいじな意味があるの」


 この際だ、羞恥心なんてくそくらえ。


 きょとんとしたノアに近寄り、その耳もとで、内緒話をするみたいにささやいた。


「────っていうふうに、男のひとと女のひとで性交をしたら、赤ちゃんができるの」

「……赤ちゃん」


 サファイアの瞳が見ひらかれたと思った瞬間、ぐるんと視界が回った。


 一瞬でベッドへ沈められたわたしの上に、ノアがのしかかってくる。


「あぁ、そうか……だから、リオにふれたくてたまらなくなるんだ。わかったよ、ぜんぶ」


 低くうなるノアの視線は、ギラついている。


 獲物を捕捉した、捕食者の目。やだ……そんな目で見られたら、わたし。


「ごめん、ちょっと乱暴にするかもしれないけど」


 ノアがわたしに体重をかけながら、言葉少なに断って。


「俺のぜんぶ、受け止めて」


 稲妻のような衝撃が、わたしをつらぬいた。



  *  *  *



 ひとことで表すなら、それは、夢のような時間だった。


「リオ……リオ……っ」


 何度もわたしを呼ぶ、切なげな声。


 ──わたし、ノアの腕のなかにいる。


 そう理解したら、言い表せないような熱情がこみ上げてきて、全身がふるえた。


 痛かったのは最初だけ。ノアにゆさぶられるたび、わたしは猫が甘えるような悲鳴を抑えることができない。


 軋むベッドのスプリング。わたしもノアも、時間を忘れて抱き合っていた。


「ノア、やだぁ……こわい……」


 まただ。またからだが宙に投げ出されそうな恐怖が、背すじをせり上がってくる。


「大丈夫……俺がいるよ、リオ……」

「ノア、ノア……んんっ」


 キスをされたら、『こわい』でいっぱいだったのが、『きもちいい』に塗り替えられた。


 わたしもノアの背に腕を回して、その唇の甘さに酔いしれる。


「あぁ、リオ……俺だけのリオだ……可愛い、かわいい」


 ノアの声も、瞳も、うっとりと蕩けていた。


 かわいい、かわいいとしきりにくり返しながら、わたしの耳やほほや唇に、ちゅ、ちゅ、とキスの雨をふらせる。


「リオはもう、俺のもの。──だれにもわたさない」


 ぼんやりとした意識のなか、漆黒の翼としっぽをゆらめかせた彼が、鋭い牙をのぞかせて、笑っていた。


 美しい悪魔の腕に抱かれたわたしは、もう、逃げられない。



  *  *  *



 よく言われてるよね。糖分はだいじだけど、摂取過多は要注意だって。


「はぁ……あっま。改良の余地あり」


 ベッドに腰かけたわたしは、口に放り込んだキャンディを舌先で転がして、その甘さにため息をついた。


 なにを隠そうこのキャンディこそ、娼館街でも売れ行き好調だったわたし特製の避妊薬ピル


 まさか、これをセルフで緊急処方することになるとは。


 いや、まったく予想してなかったわけでもないんだけど……ねぇ?


「……これ、だめだよね。女の子は、妊娠しちゃうかもしれないんだよね? そうしたら、リオのからだに大変な負担がかかるのに、俺、がまんできなくて、勝手に……ごめんね」

「うん……うん、そうだね。ちょっとやりすぎたかもね。初心者向けではなかった」

「ごめんなさい……」


 ベッドに座ったわたしの目の前には、私服のシャツに着替えたノアが、申し訳なさそうに床で正座をして、しゅんとうなだれている。たしかに、やりすぎではあったけど。


「でも、今回はこれが『正解』だったんだよ」


 壮絶なモンスターとの闘いで衰弱したノアを回復させるには、肉体接触による人間の精気の摂取、つまり性交が必要不可欠だった。


 ノアが、だれかと肌をかさねなければならない。


 わたしはそのだれかが、わたし以外のだれかである未来を思い描けなかった。


(だってノアは、まだ女の子が苦手だもん)


 だからわたしがやるしかないって、使命感に駆られて。


 ……ううん、ちょっと違うかも。


 わたしがやるしかない、じゃなくて、わたしが助けたかった、だ。


 ノアのためなら、なんだってできると思った。それが、この身のすべてを捧げることだとしても。


 だってわたしね、ノアに抱かれて、うれしかったんだ。ノアの腕のなかで、きもちいいなぁって、ずっとこうしていたいなぁって思った。


 ノアに愛されてるってことが、すごく……すごくつたわってきたんだ。


 ノアもいっぱい発散してすっきりしたのか、腰が砕けてしまったわたしのからだをきれいにして、着替えを手伝ってくれるころには、正気にもどっていた。


 で、暴走しちゃったことを猛省して、わたしにめちゃくちゃ謝っている。いまここ。


「ねぇノア、体調はどう?」


 このままだとノアが床に頭をめり込ませそうなので、先手を取ることにした。


 やわらげた声音で問いかけると、はっと顔をあげたノアが、おひさまみたいなまぶしさで破顔する。


「絶好調だよ。リオのおかげでよくなった。だからなんでも言ってね! 俺のこと、こき使っていいから!」

「あははっ!」


 どうやら、ノアなりに気を遣ってくれてるらしい。


「……元気になって、よかった」

「リオ……」


 思わずこぼれちゃった言葉に、ノアがなにか言いかけたけど、だめ。


 その先は言わせない。言わせたらきっと、泣いちゃうだろうから。


 だから、ちょっとくらい、照れ隠ししてもいいよね。


「はい、やらかしたノアくんに、罰ゲームがあります!」

「罰ゲーム?」

「そう。わたしに、やさしくキスをすること」


 サファイアの瞳でぱちりとまばたきをしたノアが、「ははっ!」と笑い声をもらして、腰を浮かせる。


「それは罰ゲームっていうより、ごほうび。ほんと、リオは俺に甘いんだから」


 そうしてほほに手を添えられたかと思えば、唇がかさねられる。


「ん……ふぁっ」


 わたしの唇をやわやわと甘噛みしていたノアが、舌先でそっと唇を割りひらく。


 ふわりと心地いい香りがして、脱力したからだは、自然とノアを受け入れる。


「やっぱりリオは、甘いね」


 ちゅっとリップ音を立てて唇をはなしたノアが、まぶしそうにサファイアの瞳を細め、指先でわたしのほほをくすぐる。


 そういうノアのほうこそ、ささやく声が、わたしを見つめるまなざしが、甘い。甘すぎて、とっくの昔に摂取過多だ。


 また照れ隠しに「なにをいうか、この子は」って、ノアのおでこを小突く。


 甘いものばっかだとおなかいっぱいになるから、こんどキャンディを作るときは、ミントフレーバーにしようかなぁ、なんてしょうもないことを考えた。


「ねぇリオ」

「んー?」

「だいすきだよ」


 ……そしてよくもまぁ、ひとが油断してるときに爆弾発言を。


「俺はリオからはなれる気はないから、覚悟してね」

「はぁ……」

「えっ、なんでため息? 俺なんか変なこと言った!?」

「いまさらだなぁと思って」

「なにが!?」


 だってさ、ノアはずっと、じぶんの気持ちをつたえようとしてくれてたじゃん。


 なのに『恋に恋するお年頃』とか、『近所のお姉さんに憧れる感覚なのかも』とか、勝手な解釈をしていたおばかさんが、ここにおりましてね。


 そう……いまさら、気づいたの。


「ノアだけじゃないよ。わたしもノアといたいから、覚悟してね」


 やっと気づけたこの気持ちは、もうごまかせない。


「ノア、好きだよ。わたしも、大好き」


 もう観念しよう。


 わたしは、恋をしています。


「って……待って待って、泣いてる? ノア泣いてるの!?」


 信じられないことに、ノアくんが呆けたようにわたしを見つめていたかと思えば、ボロ泣きするじゃありませんか。


「ごめん……でも、うれしくて。リオが痛いのがまんして、俺のこと受け入れてくれて……俺がほしかった言葉を、くれたんだもん。夢みたい」


 そうだ、忘れちゃいけないのが、ノアは純情美男子だということだ。根が素直で、天使みたいに無垢な子なんだ。悪魔だけど。


「ね、リオ。しあわせになるのが、俺に酷いことしてきたやつらへの仕返しだって、言ってたよね」

「うん」

「俺、しあわせだよ。リオが、しあわせにしてくれた」


 わたしの手を取り、潤んだ瞳を細めたノアの表情は、清々しい。


「ありがとう、リオ。これからも、ずっといっしょにいよう」

「ノア……」


 まっすぐに見つめられて、ふいにはにかまれたら、もうだめだった。


 たまらなくなって、ノアに抱きつく。そんなわたしを、ノアは力強くもやさしく抱きしめ返してくれた。


 あぁ、わたし……じぶんが思ってた以上に、ノアのことが好きみたい。


 すごく恥ずかしくて、ノアみたいにうまくつたえられないかもしれないけど……


 わたしの気持ち、ちょっとずつでも、かたちにしていけたらいいな。

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