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南雲機動部隊(Nagumo task force):1

【ハワイ北方200海里】


 現時時間1941年12月7日 早朝


 油断しきっていたハワイの太平洋艦隊と違い、南雲機動部隊は警戒を強化していた。ただし、それはハワイを襲撃した化け物どものためではない。今の彼らは敵地のすぐ近くへ突っ込んでいる。合衆国軍の反撃に遭う可能性は十分すぎるほどあった。


 そのため将兵は戦闘配置についていた。しかし実際に彼らへもたらされた脅威は、全く予想外で異質なものだった。


 旗艦の空母<赤城>の艦橋で、司令官の南雲なぐも中将は衝撃の報せを受けた。


「帝都が襲撃された? まさか合衆国も奇襲を仕掛けてきたというのか?」


 航空参謀の源田げんだ中佐は首を振った。


「いいえ、聞けば正体不明の化け物とのことです」


「莫迦な。化け物? 誤報だろう。どこの誰か知らんが、頓狂な電文だ」


 主席参謀の草鹿くさか少将は一切の疑問も無く切り捨てた。その横で首席参謀の大石中佐も眉をひそめている。


 源田は意に介さず続けた。


「誤報の可能性は低いと判断します」


「私も航空参謀と同じ意見です」


 源田の横へ並び立ったのは、通信参謀の小野おの少佐だった。彼が司令部へ電文を届けたのだ。伝令の兵士が青い顔をして差し出してきた電文は一つでは無かった。


くだんの電文は複数受信されました。発信源は柱島、呉、舞鶴、そして横鎮横須賀鎮守府。平文と暗号文両方で打ち出され、それぞれ内容は近似しております。状況を鑑みるに誤報とは思えません。恐らく本土で何かが起きたのです」


 南雲中将は眉間に深い皺をよせた。どうすべきか決めあぐねているようだった。源田は待つつもりがなかった。


「司令、電文は連合艦隊GFの全部隊に対して救援を呼びかけています。ただちに第二次攻撃隊の発艦準備を取り止め、内地本州へ帰還すべきです」


航空参謀コサ、我々が何のためにここへ来たと思っているのだ? 真珠湾の太平洋艦隊を撃滅せず、帰れというのか?」


 草鹿が源田へ厳しい目を向けた。源田はそれを正面から見据えた。


「真珠湾の太平洋艦隊も化け物とやらの攻撃を受けていると報告が入っています」


 草鹿は今度は小野へ視線を向けた。いぶかしんでいるようだった。


「はい、事実です。攻撃隊の淵田中佐より報告を受けました。合衆国軍の複数の基地局からも救難信号が発信されています」


「ここにいてはむしろ危険です。敵の警戒が厳しくなり、やがてハワイ周辺の敵部隊が救援に駆けつけてくるでしょう。接触の可能性が高くなります」


 源田は畳みかけるように南雲へ迫った。南雲は源田の存在を無視するように黙想すると、やがて決断した。


「予定通り、第二次攻撃隊を発艦。ハワイ攻撃を完遂する」


「司令、なぜですか?」


 源田は怒りすら顔に浮かべていた。南雲は嫌悪を露わに、さらに眉間をよせた。


「GFは作戦中止を命じておらん。もし我々にも救援を求めているのならば、我々宛に電文を出すはずだろう」


「電文は全部隊宛に発信されております。全部隊には、当然我が第一航空艦隊も含まれていると小官は考えます」


 さらに詰め寄ろうとする源田の前に、大石が割って入った。


「源田中佐、下がるんだ。無礼が過ぎる。司令は決断されている」


「しかし――」


「くどいぞ!」


 草鹿の一喝で艦橋内が静まりかえった。源田はしぶしぶ引き下がった。


「わかりました。それでは予定通りに第二次攻撃隊の発艦準備を進めます」


 源田は艦橋を去り、作戦室へ降りていった。小野少佐や他の参謀も続く。作戦室へ向かいながら、源田はいかに第二次攻撃隊の発艦を首尾良く終わらせるか考えていた。ついでに対空警戒を強化すべきだとも思った。こうなっては最早一刻も早く攻撃を完遂させ、内地へ帰還するほか無かった。


――第三次攻撃はあるまい。畜生め、オレは最悪の状況で虎の子の航空隊を送り出すわけか。


 半ば以上に確信している。何があったのか知らんが、どのみち合衆国の警戒が激しい中で攻撃隊を発艦させるのだ。我が方の損害も甚大なものになるだろう。


 帰還率はいくらだ? 5割あれば良い方だろうか。


 とてもではないが、第三次攻撃の戦力など抽出できるはずがない。


 源田の予想通り、確かに第三次攻撃は行われることはなかった。付け加えるのならば、第二次攻撃も行われなかった。



 儀堂ぎどう少尉が戦艦<比叡>―南雲機動部隊隷下―に着任したのは、彼自身にとって想定外の出来事だった。本来ここにいるべき士官は儀堂では無かった。しかし、その士官が盲腸炎にかかってしまい、やむなく代わりに儀堂へ辞令が下ったのである。


──なぜ、俺なんだ?


 辞令を受け取ったとき、儀堂は内心で小首をかしげた。正直なところ、なぜ自分が<比叡>に配属されたのか全く理解できなかった。


 儀堂は江田島海軍兵学校を出て1年も経たぬ新米だった。成績も平均的で、卒業の席次ハンモックナンバーで飛び抜けていたわけではない。それがとてつもなく重要な任務に参加している。


 何かの間違いではないかと思った。もっと彼よりも経験豊富で適切な人材がいるように思えてならなかった。特に彼の専門となる砲術科は、戦艦の中では花形配置のはずだ。


 砲術は文字通り砲の射撃管制を行う配置だった。中でも戦艦の主砲は前部艦橋の最上部、射撃指揮所と呼ばれる区画で行われる。そこはまさに砲術のエリートにのみ許された聖域だった。さすがに新任の儀堂に任されていない。


 今、彼がいるのは後部艦橋、その上部にある見張所だった。


 彼の役職は、ここの分隊長だった。


「全くわからんことだらけだ」


 兵学校へ入校以来、海軍に抱き続けていた儀堂の印象だった。別段不満ではないが、納得しているわけでも無かった。わからんと言えば、もう一つわからんことがあった。


 指揮官の南雲中将のことだった。儀堂の知る限り、南雲は水雷が専門で航空は埒外のはずだった。それが航空艦隊の指揮をとっている。これもよくわからなかった。


 指揮官が全てに通じる必要は無い。それは儀堂にもわかっている。そんなことを言い始めたら参謀の意義がなくなってしまう。ただ、それにしても航空機を全く知らない人間に、果たして航空戦の指揮が務まるのかはなはだ疑問ではあった。


「全く……わからないことだらけだ」


 呟きながら苦笑を漏らしてしまった。


「少尉、どうかしましたか?」


 背後にいたのは、当直の田上たがみ兵曹だった。儀堂が指揮する班の先任下士官だ。


「ああ、田上兵曹。なに大したことではない。どうも軍隊という奴は、つくづく不可思議だと思った。ただ、それだけさ」


 儀堂は自分の疑問をかいつまんで説明した。ただ南雲中将に対する見解は省いた。


「少尉もまた妙なことを言いますね」


 苦笑交じりに、田上は自分の息子ほど歳の離れた若い上官へ答えた。その口調には親しみがあった。人によっては敬意を欠いた印象を抱くかもしれない。


「そうかな?」


「そうですよ。だって世の中テメエのわからねえもんばかりでさあ。特に軍隊は不条理と理不尽の掃きだめみたいなもんですぜ。いちいち気にしていたら日が暮れちまいます。だいたいわからねえことで言ったら、少尉だってなかなかなものですよ」


「え? 何がだい?」


「親父さん、陸軍の大佐でしょう? なんでまた陸士陸軍士官学校ではなく海兵海軍兵学校へ? よく許してくれましたね?」


「まあ、色々とあったのさ……」


 許されたわけでは無かった。儀堂が海兵へ行くと告げた夜、彼ら父子は人生初の喧嘩を行った。そして大口論の末、儀堂の父は彼を殴りつけた。生まれて初めてのことだった。以来、彼は実家へ戻っていない。


 儀堂は父のことを恨んではいない。むしろ感謝すらしている。儀堂家の長男として十分すぎる教育の機会を与えてくれたからこそ、儀堂は海兵の門戸をくぐることが出来たのだ。彼が帰省を拒むのは、ただただ彼の父のことが理解できなくなったからだ。


――なぜだ。


 儀堂の父は陸軍将校としては開明的で、進歩的ですらあった。彼の父は息子の将来を限定せず、陸士においては推奨すらしなかった。いや、遠ざけていた節すらあった。だからこそ、儀堂は理解できなかった。あの柔和な父があれほどまで怒り、彼を殴りつけるに及んだのはなぜか。


――親父……元気だろうか。


 彼の父も否応なくこの戦争で義務を果たさねばならないだろう。可能ならば前線では無く、後方にいて欲しかった。風の噂では満州にいるそうだが、彼の父に何かあれば母と姉妹は苦労することになる。儀堂自身、このいくさにおける命の保証は無いのだ。


 儀堂の表情から、自分が土足で心に踏み込んだのがわかったらしい。田上は恐縮に満ちた面持ちで頭を下げた。


「すみません。どうもあっしのおしゃべりが過ぎたようで……」


「別に気にすることはない。さあ、無駄話はここまでだ」


 愛想笑いを浮かべながら、儀堂は双眼鏡を手にした。彼のいる見張所の任務は、文字通り空を見張ることだった。もちろん、それだけではない。敵航空隊の攻撃に際して、艦橋の防空指揮所へ敵機の侵入路を伝える役目もあった。


 しかし、今のところ見張りにのみ専念すれば良さそうだった。敵影は見えず、艦隊は第二次攻撃隊の発艦に取りかかりつつあった。


 儀堂は規定通り、周辺の空域を双眼鏡で捜索すると、そのまま<赤城>の飛行甲板へ目を向けた。南雲中将の居る<赤城>は<比叡>の1万メートル後方にあった。つい先ほど艦内放送で儀堂は第二次攻撃隊の発艦が始まったことを知った。双眼鏡には、飛行甲板で発艦準備中の機体の列が見えた。灰色の機体、零戦二一型だった。


「おかしいな。予定よりも発艦が早くないかい?」


「さっき言ったじゃないですか。わからないことだらけだって」


「いや、それにしてもおかしい。第一次攻撃隊の戦果報告がまだなのに……」


 本来なら第一次攻撃の戦果報告を待ち、ハワイの戦況を確認してから第二次攻撃が開始されるはずだった。この作戦で確実な戦果を望むためならば、そうすべきだった。


 儀堂は嫌な予感を覚え、流れるように双眼鏡を<赤城>の艦橋上部へ向けた。その途中で思わず、あっと声を上げた。


「どうしたんです?」


 半ば呆れ気味に儀堂を見た田上だったが、彼も同様の声を漏らした。


「なんだぁ、ありゃあ?」


 <赤城>の上空に突如黒い球体が出現した。それは<赤城>を影で覆い尽くすほど巨大で、艦橋より数十メートル上空で静止している。儀堂のみならず、南雲機動部隊の将兵全員が呆気にとられていた。あまりにその球体は場違いで、突拍子も無く唐突なものだった。


 球体は怪しい紫色の光を放ち、それは真昼の太陽を打ち消すような輝きだった。


 ふと儀堂は思った。


 まるで黒い月だ。


 黒い月はふわりと蛇行するように動き始め、<赤城>の上空を通り過ぎるとちょうど艦隊中央で再び静止した。


「あんなの見たことねえ。少尉、あれはアメさんの兵器ですか? あたしは白昼夢でも見ているようですぜ」


 田上はうわずった声だった。一方、隣の少尉は対照的にずいぶんと落ち着きを払っている。


「合衆国があんなものを作ったとは聞いていない。それよりも艦橋へ報告だ」


「そ、そうでした。あたししたことが……!」


 田上は押っ取り刀で後部艦橋内へ状況を伝えると、すぐに戻ってきた。


「敵ですかねえ?」


「間もなくわかるんじゃないかな」


 我ながら間の抜けた返答だった。艦内が慌ただしくなるのを背後で感じた。恐らく通信班が全周波数を使い、あの球体とコンタクトを取ろうとしているのだろう。


 そのうち水兵の1人が手旗を持ってきた。直感的に儀堂はあの球体が、自分の居る世界と根本的に異質なものだと感じていた。果たしてこちらの意思疎通の手段が通じるのだろうか。


「田上兵曹、ここを頼む。あれの動向を注視しておいてくれ」


「少尉はどちらへ?」


「|後部射撃指揮所の様子を見てくる。すぐ戻るよ。もし異変があれば……」


 まさに異変が起きたのはそのときだった。黒い球体から無数の光弾が無秩序に放たれ、周辺海域の艦船へ着弾、各所で小規模な爆発が起きた。<比叡>も例外では無かった。船体各所で断続的な爆発音が響く。その中には儀堂がいる後部艦橋も例外では無かった。儀堂は真上からの爆風を受け、昏倒した。


衛士えいし、起きなさい』


『衛士さん、起きて』


『兄さま!』


 不意に誰かに名前を呼ばれ、意識が浮上していく。


――母さん? いや姉さん? それに真琴まこと


 母と姉妹の声を認識し、すぐに幻聴と気が付いた。


 彼の意識を急浮上させたのは、裏返った怒鳴り声だ。両頬が強烈な痛みを感じている。どうやらビンタをされていたらしい。目の前には険しい顔をした士官が居た。たしか主計科の大尉だったはずだ。


「おお貴様、目が覚めたか」


 大尉は続けて怪我はないかと尋ねた。儀堂は特に問題ないと答えた。強いて言うならビンタのおかげで口内が切れたくらいだが、黙っていた。


「ここは……」


 どうやら後部射撃指揮所のようだ。しかし、以前見たときよりも随分と風通しがよくなっていた。あの光弾の直撃を受けたらしく壁に大きな破孔が生じていた。衝撃的な光景だったが、儀堂は落ち着いていた。彼に胆力があったわけではない。覚醒したばかりで、現実をよく把握し切れていなかったからだ。


「よし貴様、立てるな。ではここの指揮は任せたぞ」


 大尉は何の説明も無く告げた。ささやかな苛立ちを感じる。


 この人は何を言っている? ここの指揮を任せた? 莫迦なのか?


「申し訳ありませんが、自分は混乱しています。何が起きたのでしょうか?」


「ああ、すまん。敵の直撃を受けてな。後部射撃指揮所は全滅だ。幸い機器はまだ生きておるみたいだがな」


 光弾の直撃で後部艦橋の一部が損傷、その破片により多くの兵員、士官が殺傷されたらしい。


「ここを任せられる適当な鉄砲屋砲術士官は、貴様しかおらんのだ。何せ、前檣楼ぜんしょうろう(前部艦橋)も手ひどくやられた」


 どうやら前部艦橋の射撃指揮所も深刻な被害を受けていた。事態をあらかた飲み込んだ儀堂はあることに気がついた。そうだ。他に生き残りは? 田上兵曹はどうした?


「見張り員はどうなりましたか? 自分以外にも……」


「死んだ。生き残りは貴様だけだ」


 大尉はそれだけ告げると、自分の持ち場へ戻っていった。彼には死傷者の算出という重要な任務が残っていた。



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