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それぞれの帰路(Dark voyage)


【ハワイ北方200海里】


 現時時間 1941年12月7日 昼


 戦闘終了から数時間後、戸張はまだ北太平洋上空にいた。母艦だった<赤城>が大破炎上した末、自沈処分が決まったためだ。


 幸い海上へ着水とはならないようだ。<飛龍>ほか2空母のどれかに着艦命令が下される予定だった。ただし母艦を喪ったのは戸張だけではない。第一次攻撃隊の半数が該当していた。


 <蒼龍>や<翔鶴>を母艦としていた機体も、戸張と同様に他の艦へ収容を余儀なくされていた。両艦とも沈没は免れたものの、大破し、とてもではないが母艦機能の回復を望めそうに無かった。今頃、生き残った空母の航空参謀が頭を抱えているだろう。


「はは、せいぜい頑張ってくれや」


 不意におかしくなり、乾いた笑いが漏れた。ともかく戸張が腰を落ち着けるのは、まだ先になりそうだった。制空隊は一番最後に収容されるはずだ。機体が軽い上、燃料に余裕がある。艦攻や艦爆など攻撃隊の方がよほど切羽詰まっているだろう。


――どのみちハワイがあのザマじゃ、アメ公もオレ達に構う余裕なんてねえだろうさ。


 しばしの間、戸張は遊覧飛行と洒落込むことにした。海面に目を向ければ、化け物どもの水漬く屍がそこら中にあった。


 軽く舌打ちをする。彼は第一次攻撃隊が化け物へ報復を行う間、ずっと蚊帳の外へ置かれいていた。理由は単純で、機関砲弾を撃ち尽くしていたからだ。弾切れの零戦など邪魔でしかない。


――こんなことになるとわかっていたら、多少なりとも弾を残しておいたのものを。


 その昔、訓練生時代に教官から無駄撃ちが多いと注意されたのを思い出した。確かに、その通りだった。


 再び舌打ちとともに、まあいいさと気分を切り替える。引き替えにガキひとり救えたのなら、それでいいじゃないかと。良くも悪くも戸張は過去に引きずられぬ性質たちだった。


 さらに高度を下げた戸張の目に、味方の短艇カッターが映った。化け物の死骸を縫うように周辺の海域を捜索している。どうやら溺者を救助中らしい。


「あの野郎、生き残りやがったかな?」


 たしか戸張の幼馴染で、同期の士官が<比叡>に配属されていたはずだった。再会したら自慢してやろうと思っている。少なくとも化け物一匹は確実に彼だけの手で血祭りに上げたのだ。こいつを越える戦果など、そうありはしないだろう。


「はっ、あの黒い玉を落としたって言うのなら話は別だがな」


 意地の悪い笑みを浮かべる。まさか、自分と同じ少尉にそんなことできるはずがないと思っていた。戸張は再び高度を上げた。あまり高度を下げすぎると、味方の救助活動の邪魔になる恐れがあった。プロペラの駆動音が助けを求める声をかき消してしまうかもしれない。


 そろそろ母艦の集結海域へ向かった方が良さそうだ。あらかた攻撃隊の収容がひと段落して、制空隊の番が回ってくる頃だろう。大きく機体を旋回させる途中で、きらりと海上から鋭い反射光が放たれた。


「なんだぁ?」


 明らかに金属片による反射光だった。上空の戸張の目に映るくらいだから、それなりの大きさだろう。


 ふと戸張は気づいた。


 たしか、あの辺りは黒い月が四散した海域では無かったか。


 戸張と行き違うように、一隻の短艇が反射光の海域へ向かっていた。



 儀堂は短艇の指揮を執っていた。この数時間で儀堂ほど目まぐるしい配置転換を経験したものはいないだろう。見張り所の分隊長ごときが、代理とは言え砲術長から艦長まで一気に渡り歩く羽目になったのだ。そして今は再びただの分隊長に戻り、救助活動を行っている。


 戦闘終了後、ようやく<比叡>と連絡を回復した<霧島>の司令部はどよめくこととなった。あの激戦の指揮を引き継いだのが、ただの一少尉だったのだから当然だろう。


 信じられないのも無理はないだろうと儀堂は思った。儀堂自身ですら、たちの悪い夢ではないかと思っている。とにかく異常な配置を行った主計大尉は謹慎処分を受け―誠に胸のすく思いだった―臨時の処置として<霧島>の副長が艦長代理を務めることとなったのだ。


 その後、被害の少なかった<霧島>から士官の補充を受け、儀堂は新たな上官の下で救助任務にとりかかっていた。正直休ませて欲しいと思わなくは無かったが、休んだら休んだで悶々と何かを考えてしまいそうな気がした。


 上官の気遣いか不明だが、儀堂が割り当てられた海域は被害を受けた艦から遠いところだった。つまり溺者がいる可能性が少なかった。


「少尉、もうそろそろよろしいのでは?」


 新たな隊の兵曹長が労うように言ってきた。聞けば軍歴20年以上の大ベテランらしい。一兵卒にとっては神様に等しい存在だろう。その神様が、少尉とは言え新兵同等の儀堂に対して敬意を払っていた。


 儀堂は覚えていなかったが、この兵曹長は儀堂があの黒い月を落としたとき司令塔内にいたのである。ベテランの兵曹長は、年齢にかかわらず尊ぶべき者がいると知っていた。少なくとも、この若者は困難に対して背を向けることは無かった。


 兵曹長と同様の意見を大半の兵卒が持つようになっていた。それは<比叡>に限らず、後に儀堂が任官する艦でも引き継がれることになる。


 それだけ儀堂が成したことは意義があったのだが、この時点で本人に自覚は全くなかった。今だって、なぜ自分がここにいるのかわからなくなりつつある。一つだけわかりそうなことは、あのとき自分を殴った父のことだった。ふと儀堂は郷愁に駆られた。


 そうだ。帰ろう。今なら、あの父のことが理解できそうな気がする。何よりも家族の顔を見たかった。


「戻ろう。流石にこれ以上探しても意味は――」


 そう言いかけて儀堂は海上の反射光を認めた。


「兵曹長、あそこで何か光っている。念のため確かめておきたい」


「光るもの? ありゃあ、本当だ。行きましょう!」


 兵曹長のかけ声の下、兵員はオールを漕ぎ降ろし、短艇は波を切り裂いて進んだ。十数分後、目標の海域まで辿り着いた儀堂は目を見張った。


 あきらかに人工的な金属製とおぼしき物体が浮いていた。物体は円筒状で、ちょうど人の身の丈ほどの大きさだった。一瞬味方の魚雷かと思ったが、それにしては小さすぎる。さらに近づいて引き寄せてみる。


 やはり魚雷ではなさそうだ。その円筒形の物体には覗き窓らしいものが備えられていた。魚雷にガラスの窓など不要だろう。短艇から窓を覗き込んだ兵曹長が唖然とした後、怪訝な顔になった。当惑しているようだ。それに少し恐怖も感じられる。


「どうした?」


「いや、それが……」


 儀堂は兵曹長と入れ替わり、短艇を覗き込んだ。なるほど彼の反応も無理は無いと思った。


「少尉、こいつはいったい……」


「なるほど、こいつは魂消たまげたね」


 のぞき窓から人間と推測される顔が見えた。少女だった。眠り姫のごとく目を閉じ、意識を失っているようだ。


 少女の顔立ちは欧風で目鼻立ちはくっきりとしている。ただ髪の色が銀髪だった。アルビノかと儀堂は思ったが、ふとあることに気がついた。人と違い、頭部に見慣れぬ部位が左右対称に二つ付いていた。


――どうやら俺はまだ悪夢の中らしい。


 鬼畜米英とは誰が言い出したのかと思った。


 何人なにじんか知らんが、本当に角の生えた人が居てたまるか。


 しかも女子だと。


 畜生、俺は伝奇小説が大嫌いなんだ。



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