【上大崎 海軍大学校】
復旧のため、警察、消防の緊急車両や陸軍の歩兵連隊、海軍の陸戦隊が根こそぎ借り出され、市街各所で救助活動を行っている。
朝一の列車の窓から、その光景を臨みながら、一種の後ろめたさを谷澤は抱いた。彼に直接できることは無いが、公僕の身としてやりきれ無い気持ちがあった。
東京駅に着いた谷澤はキオスクで朝刊を手に入れた。その一面は言うまでも無く横須賀空襲で埋め尽くされている。新聞各社は似たような見出しで紙面を飾り立てていた。
『横須賀に幽霊戦艦現る』
『炎上、横須賀。死傷者千名以上』
『帝国海軍、敵艦を撃沈す』
『山本軍令部総長、近海の警戒強化を命ず』
一通り目を通し、谷澤は情報統制が上手くいっていることを確認した。どこの新聞も＜宵月＞について触れていなかった。紙面で語られているのは、あくまでも＜アリゾナ＞と横須賀の被害状況のみで、その＜アリゾナ＞を沈めた存在については一切書かれていない。
谷澤は
後で聞いたところ横須賀空襲が始まったとき、彼の上官は山口ＧＦ長官と
――あの二人のことだ。そう遠くない日に再戦となるだろう。
谷澤は頭を振りながら、海大の門をくぐり、勤務先へ向かった。講義室を改造した
――まさか、山口長官か？
いや、そんなはずはない。あの長官がこんな流暢な罵倒を披露するわけがない。そんなことをするくらいなら、とっくに拳で訴えているだろう。だいたい声の主が明らかに女のそれだった。
まさかとは思うが、痴情のもつれではあるまいなと思う。
ドアの前まで来てようやく谷澤は罵声の主に当たりをつけた。出来れば顔を合わせたくない相手だったので、回れ右の誘惑にかられる。どの道、自分が踏み込んだところで状況は変わらぬだろう。それどこから悪化しかねないと思った。
好んで修羅場に突入するような質ではない。谷澤が静かに立ち去ろうとしたときだった。罵倒の音源が急速に近づき、ドアが開け放たれた。思わず相手と目が合ってしまう。
短く整えられた金髪はカールがかかり、その身を紺の下地に白の
美しさと知性を両立させた顔立ちだった。その顔は怒りによるもので上気しており、柳眉は逆立っていた。
彼女は谷澤が逃亡を謀ろうとしていたことに気づいたらしい。これ以上ないほどに鮮烈な笑みを浮かべた。
「これはこれは谷澤中佐、ごきげんよう」
「どうもフロイライン・リッテルハイム」
キールケ・リッテルハイムは豹のような視線を浴びせてきた。不用意なことを言いようものなら精神をずたずたに引き裂かれそうだ。谷澤は相手の反応を待つことにした。
「あなたの上官は軍人では無く商人になるべきだわ。こんな世界で、この国が潤っている理由も納得よ」
「はあ、それは……」
谷澤は敢えて言葉を濁した。どうやら彼の選択は誤りでは無かったらしい。
「
そっけなく言い放つと、そのドイツ人は出て行った。
◇
遠ざかるヒールの足音を背後に聞きながら、谷澤は額の汗を拭った。
「ただいま戻りました」
「ご苦労」
室内の書類の山奥から六反田の声が聞こえる。昨日よりも一層散らかっているのは、山口と交わした
「君はいつも一足遅いな。もう少し早く来たら、面白いものが見られたぞ」
「何があったのです？ あの
「ずいぶんと殺伐とした評価だな。君は誤解しているぞ。我々は極めて有意義な取引を行ったのだからな」
六反田はわざとらしく鷹揚に肯いて見せた。恐らくあの女史にとって碌でもない取引だったのだろうと確信する。
「取引？ なんです？」
「まあ、そいつについては後回しだ」
六反田は煙草に火をつけた。「まあ、座れ」と谷澤に椅子を勧める。パイプ椅子を占拠している書類の束をデスクに積み、谷澤は腰を落ち着けた。
「＜宵月＞は想定以上に活躍したそうじゃないか」
「想定外にもほどがあるってもんですよ」
改めて見ると、六反田は左目付近に青あざをつくっていた。恐らく山口との物理的な激論によるものだろう。
「閣下も奇襲を受けられたようで」
「莫迦を言え。オレの場合は想定内だよ」
六反田は、椅子の上でふんぞり返り、ふてぶてしい嗤いを木霊させた。二重あごが揺れる。
「あれが無事に稼働してくれたのは喜ぶべきことだ。それもこれ以上にないほど
「まあ、
谷澤は複雑な心境で同意した。確かに＜宵月＞の上げた戦果は、軍内での
谷澤の心境を察したのか、六反田は表情を切り替え、笑みを消した。
「谷澤君、我々には時間が無い。君はわかっているだろう？ この戦争に銃後なんてないんだ。ＢＭはどこにでも現われる。そして現出すればそこは地獄と化す。５年前の東京湾決戦を忘れたか？」
「忘れるはずがないでしょう。なんのために我々が必死になって、あの装置を開発したと思っているのです」
谷澤は語気を荒げた。彼の身内も少なからず魔獣の犠牲に遭っている。姪っ子は片腕を持って行かれた。
「そうだ。オレ達が相手にしているのは魔の軍勢だ。そして残念ながら、我々の世界に英雄はいない。黙示録のごとく神の使徒が降臨してくるわけでもない。ヤツラの始末は
◇
あるものは呪術と呼び、別の国では
いずこにしろ、いつであれ、この世ではまやかしの類いとされ、多くの
よもや２０世紀に入って、そのまやかしに頼らざるをえなくなるとは誰も思わなかっただろう。しかし真珠湾に黒い月が現われてから、あらゆる常識と理論がリセットされてしまった。
六反田は煙草の火を灰皿でもみ消すと、立ち上がり背後の窓の外へ目を向けた。透き通るような青空が広がっている。
「御調少尉から報告があったよ。儀堂大尉へ
「当然でしょう。隠しきれるものではありませんから。それで彼はどんな反応を？」
「納得したそうだ」
「納得？ それだけですか？」
怪訝そうに谷澤は聞き返した。自分が初めて魔導機関を見たとき、ひどく動揺した。大変の人間が似たような反応になるだろう。しかし、あの大尉はあっさりと受け入れたらしい。
「ああ、さして驚きもせず、疑問も挟まずに彼は事実を受け止めた。俺は意外に思わんよ。何せ彼はあの装置を用いて、横須賀を救ったのだから」
「その通りではありますが――」
「谷澤君、君を含め多くの人間は自身が思っている以上に素直なものだ。事実を突きつけられたとき、それが自分にとって不都合な内容で無ければ、すんなりと受け入れてしまう」
谷澤は六反田に魔導の存在と月読機関の目的を知らされたときのことを思い出した。彼は上官の話を聞いたとき、ついに気がおかしくなったと確信した。実際、腕の立つ精神科医を紹介したほどだった。だが、すぐに谷澤は認識を改めさせられることになった。
六反田は谷澤を宮内省に連れて行き、そこで魔導に関して極秘に研究が続けられていることを明かした。そして実際に、魔導師と呼ばれる存在が超常の術を行使する瞬間を目の当たりにしていた。
「かく言うオレとて、五年前ハワイに黒い月が現われるまで、そんな外法の存在なんぞ知りもしなかったさ。ＢＭの報告書を目にしたとき、俺は正直なところ羨ましいと思ったよ」
「羨ましい？」
谷澤は目を剥いた。
「考えてもみろ。高度な防護機能と機動力を有し、ただ空中に方陣を描くだけで
六反田に宮内省直属の魔導師を紹介したのは、彼を月読機関に推挙した宮家の大将だった。その大将は六反田に、魔導の存在を明かし、軍事転用を進めるよう彼に命じた。
結果、開発されたのが魔導機関だった。魔力を増幅し、通常では行使できない
「……
＜宵月＞に搭載された秘匿兵器を口にし、改めて業の深さを感じ入る。魔獣に対抗するためならば、外法の力を利用し、それに何ら痛痒すら感じない。人類とはかくも生存に貪欲な生き物だった。
――深淵をのぞかば……か。
ふと谷澤は誰かの視線を感じ、周囲を見渡した。
谷澤君と呼ばれ、彼は上官の方へ向き直った。
その面持ちに恐怖に近い感情と抱く。
「ヤツラが化け物なら、
