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遣米支援軍(Imperial Army):2

「第一、第二小隊は徹甲弾を装填。目標トロール」


 本郷は車両ごとに目標を指示すると、残る第三小隊にはグールの処分を任せることにした。


「第三小隊は榴弾装填。目標グール群の中央部。射撃開始」


 第一小隊所属の2両と、第二小隊所属の3両より鉄の楔がトロールへ打ち込まれた。


 命中3発。


 内2発は最前列のトロールへ損害を与えた。左肩を吹き飛ばし、腹に大穴を空ける。残りは1発は、その後方にいるトロールの片足を吹き飛ばし、歩行不能にさせた。並みの生き物ならば、致命傷と言ってよい。しかし、奴らは魔獣だった。トロールは魔獣の中でも耐久力に優れた種族だった。その身体は鉱物によって組成されており、誠に厄介なことに痛覚がないものと推定されていた。2体のトロールは咆哮した。どうやら戦意に不足はないらしい。壊れたネジ巻人形のごとく、奇怪な動きを行いながら前進を試みている。


 本郷は眉一つ動かさず、小隊の三号車を呼びだし、腹に穴を空けたトロールへ射撃を継続させた。片足を喪った個体は戦闘不能と判定して良い。残りの車両は撃ち漏らしたトロールへ砲口向けさせる。有り難いことにトロールは飛び道具を用いない。近接戦闘にならない限り、格好の射撃目標だった。


 本郷が脅威と判定していたのはグールの方だった。的が小さい人型サイズうえに、機銃掃射をものとせずに突っ込んでくる。当たり前だが、死体なので彼等にも痛覚は無かった。


 本郷は自車の砲手に射撃の自由を与えると、キューポラから半身を乗り出した。おもむろに双眼鏡を構える。グールの群れが一心不乱に向ってきている。彼等の歩行速度はまちまちだった。腐敗の進んでいない者は駆けてくるが、骨と化した者は早歩き程度だ。先頭集団はすでに1000メートルを切っている。突如、その一角で派手な爆発が生じる。榴弾の直撃を受け、五体が千切れ飛ぶのが見えた。10体以上は処分できただろうが、本郷は土煙の向こうに新たなグールの集団を確認していた。思わず奥歯に力が入る。多すぎる。200どころの話ではない。恐らく倍以上は街に隠れ潜んでいたのだろう。


『アズマ1へ、こちらアズマ2』


 二号車の中村少尉だった。恐らく本郷と同じ懸念を抱いているのだろう。


「こちらアズマ1、送れ」


『少佐、数が多すぎます。このままでは取りつかれます』


「君の見解は正しいと思う」


『では、そろそろ?』


「いや、まだだ。早すぎる。準備が整うまで現位置を固守する」


『いっそ、突っ込んで地ならし轢き殺ししますか?』


「中村少尉、君の提案は魅力的だがトロールを排除し切れていない。今、我々が突っ込んだら、あの石の巨人と四つに組むことになる。僕としては御免被る」


 ちょうどそのときだった。本郷車へ機動歩兵の小隊長から準備が出来たと、無線が入る。本郷は機動歩兵が装甲兵車に乗車したことを確かめると、全車に後退を命じた。


「アズマ1より、全車へ。射撃停止、後退せよ。中隊全ての火器の使用を禁ず」


 三式中戦車のギアボックスで変化が生じ、歯車が駆動し始める。20トンの鉄塊が後退を開始した。本郷は機銃掃射を命じた。すでにグールの集団は双眼鏡を要さぬほど至近に迫っている。本郷はわずかに眉間に皺を寄せた。グールの中に少年の姿があった。いや少年だったものの姿だった。自分の息子次男と変わらぬ年頃に見える。本郷は、その物体に対する解釈をそこで止めた。


 グールの集団はすがるように本郷の中隊を追いかけてきた。三式中戦車は200メートルほど後退すると、全車停止した。彼我の距離が400を切ったときだった。本郷中隊は全火力を吐き出した。


「全車、射撃開始。全武器の使用を自由とする」


 三式中戦車だけではなく、機動歩兵の一式半装軌装甲兵車に装備された機銃も含め、全車両が一斉に火線を展開する。それらはある一点へ向けて集約され、次の瞬間、大爆発炎上を引き起こした。爆発は連鎖的に巻き起こり、本郷中隊の前方300メートルに炎の防壁カーテンを展開した。


『アズマ1より全車へ作戦成功。各車、掃討を開始せよ』


 炎の壁をくぐりぬけたグールは火だるまとなっていた。燃焼によって脆くなった肉体へ鉛の嵐が見舞われれ、四散する。



 本郷はオベロンに着いた直後に機動歩兵へ命じて、ドラム缶に積んだガソリンを後方へばら撒いていた。それらは本郷中隊のために用意された予備の燃料だった。本郷は惜しみなく、それらを使い、野外火葬場を作り上げ、タイミングを計って全車へ後退を命じたのである。


 いかなグールが不死身で、痛覚を感じぬ存在であっても、所詮は肉の塊だった。炎の前には無防備だった。300体以上いたグールの大半が業火に巻かれ、機銃掃射の餌食となった。


 本郷の懸念は炎によって焼き払われた。しかし、全てが終わったわけでは無かった。


「全車へ。そろそろ本命が来るぞ。さあ鬼ごっこの準備だ」


 消し炭と化したグールの山を越えて、トロールの巨体が炎の揺らめきの中から現われた。


 残るトロールは6体だった。彼我の距離は300メートルを切っている。本郷は機動歩兵小隊を退避させた。仕上げにかかるためだった。


「集中射用意。目標、先頭トロール。射撃開始」


 直後八発の75ミリ徹甲弾APが巨獣へ突き刺さる。いかに相手が岩の巨人でも8発の砲弾は全身を砕くのに必要十分な量だった。続けて、本郷は二体目への集中射撃を命じる。3発はずれるも、5発をもって左半身を粉砕し、岩の塊に返る。続けて二体を屠ったところで、彼我の距離は150メートルを切っていた。


「散開せよ! さあ鬼さんこちら!」


 本郷は部隊を二手に分けた。直率する第一小隊3両が右翼へ、残る第二、第三小隊の5両は左翼へ全速で移動させる。トロールは一瞬戸惑ったような動きを見せると、第一小隊へ進路を変え、数が少ない方を選んだ。脳みそはないくせに、頭は回るらしい。


 三式中戦車は整備された状態で最高時速38キロを発揮できる。それに対し、トロールはせいぜい15~20キロほどだった。本郷は彼我の距離を開いたところで停止し、再び集中射撃を浴びせるつもりだった。


 彼はこれまでの戦闘経験から走行間射撃走り撃ちの命中率が絶望的であることを知っていた。これは彼の中隊の技量が劣っているからではない。よほどの至近距離であれば話は別だが、500メートル以上離れた状態で走りながら命中弾を出すのは困難を極めた。


 スタビライザーと射撃装置の電子的な改良が施されるまで、走行間射撃はエース級の戦車兵のみ許された神業だった。聞けばドイツ軍には、やすやすとそれを行う神様が何人もいるらしい。しかし残念ながら本郷の中隊には、彼自身も含めて、神はいなかった。


 本郷は左翼へ移動中の第二、第三小隊を無線で呼び戻すことにした。万が一、本郷達が仕留め損ねたときに始末してもらうためだった。彼が無線機を手にしたときだった。緊迫した声が耳当てレシーバーに木霊した。


『こちらアズマ2! 機関停止エンジントラブル!』


 飛び跳ねるように本郷は展望塔キューポラから身を乗り出した。中村少尉の車両から白い煙が上がり、停止していた。同時に2体のトロールの関心が二号車へ向けられたのがわかった。


 本郷の決心は早かった。


「アズマ2、脱出しろ。アズマ3は現位置にて、我を援護せよ」


 本郷はトロールへ向けて、全速で旋回を命じた。履帯が泥を跳ね上げ、三式中戦車の砲より75ミリの鉄針が発射される。命中はしなかったが、トロールに本郷の存在を知らせるには十分だった。


『アズマ3、了解。現位置にて射撃開始』


 本郷の左方向より援護射撃が展開される。アズマ3の射撃は本郷に迫るトロールの肩へ命中した。しかし、その前進を止めることはできなかった。本郷は走行間射撃を続けさせた。彼我の距離は50メートルを切っている。神で無くとも、命中を許される距離だった。


ェ!」


 本郷の戦車が放った砲弾はトロールの右大腿部を吹き飛ばした。咆哮と共に崩れ落ちるトロールの背後から、もう一体現われる。そいつは右手に持った石鎚をゆっくりと振り上げた。距離は20メートルほど、例え振り下ろしたところ届くはずはなかった。しかし、本郷の予想は易々と裏切られた。


「全速前進! 突撃!」


 トロールは腕を振り下ろす刹那、手から石鎚を離した。それは石弾となり、展望塔キューポラへ直撃した。正面から思い切り頭部をぶん殴られたような衝撃が襲ってくる。


 あまりの衝撃に本郷は僅かの間だが放心してしまった。徐々に精神の平衡を取り戻すにつれ、鋭い痛みが頭部に生じる。額を何かが伝う感覚が生じる。まずは車内を見渡し、本郷は乗員の無事を確認した。そのうち一人、砲手が恐る恐る額を指さした。


 そこでようやく自身の頭部から大量の血液が漏れていると気がついた。彼は傷口を押さえながら、正面へ目を向けた。やけに見渡しがよくなっていた。展望塔キューポラの一部が破損し、外の景色を覗けるようになっていた。本郷は衝撃で歪んだ天蓋をこじ開け、外を確認した。


 目前に転がる物体を凝視する。下半身を三式中戦車で砕かれたトロールだった。本郷の戦車はトロールへ見事な突貫万歳を行っていた。


 トロールは壊れた人形のようにあがき、奇妙な咆哮を上げながら本郷をにらみつけていた。彼は一切目をそらすこと無く、砲手へ自分の意思を伝えた。


「撃て」 


 石の塊が生成された。


――今回の戦闘記録を大隊本部へ提出すべきだな


 少なくともトロールが投擲攻撃を行った事例はこれまでなかったはずだ。今後はもっと注意して戦わなければ……。


 額から尋常ならざる出血を流しながら、本郷はそんなことを考えていた。遠くでエンジン音が木霊している。第二と第三と小隊が救援に駆けつけつつあった。


 耳当てレシーバーから何事か叫ぶ声が聞こえるが、徐々によく聞き取れなくなり、代わりにじりじりと耳鳴りが酷くなっていく。視界が赤くぼやけつつあった。彼はほとんど無意識のうちに、中隊に帰還を命じると、車長席から崩れ落ちた。



【アメリカ合衆国 ノースダコダ州 ハービー】


 1945年1月15日 深夜


 本郷が意識を回復したとき、視界に入ったのは真っ白な天井だった。混乱と不安が心中を巡り、反射的に起き上がろうとする。上半身を浮き上がらせたところで、制止の声が小さくかかった。


大丈夫ですイッツオーケー


 本郷の肩にそっとたおやかな手が置かれる。米国人の女性看護師だった。


 年の頃は20そこそこに見えた。赤毛で、美人と言うよりも可愛らしさの要素が強い顔立ちだった。頬のそばかすによるものだろうが、実年齢よりも幼い印象を受けそうだった。本郷は、米国のとある児童小説のヒロインを思い返した。


「ここはどこですか?」


 日本人的なカタカナ英語の発音で、本郷は問うた。


「ハービーの仮設病院です」


「ハービー?」


 本郷はぼやけた頭に地図を広げた。オベロンの西方80キロに該当する地名があったような気がする。そんなところまで後退したのか? いや、それよりも確かめるべきことがある。


「僕の部隊は? 他の兵は?」


「安心してください。皆さん、すぐ外の駐車場であなたの回復を祈っています。ここまで兵隊さんが、あなたを運んできたんです」


 赤毛の看護師は落ち着かせるように言い聞かせた。


「そうですか……」


 本郷は半ば浮き上がらせた上半身を、再びベッドへ委ねた。


「ご気分はどうですか? 痛いところは?」


「痛みは大したことはありません。ただ、少し頭がぼやけています」


「失血性のものでしょう。あなたは慕われているのですね。輸血を募ったら、兵士のみなさんが我先にと手を上げましたよ」


「それは……有り難いことです」


 本郷は恥じ入るように看護師から目をそらした。それが照れだと看護師は気がついた。


「暫く安静にしてください。傷口が開いてしまいますから。また何かあったら、呼び鈴を鳴らしてくださいね。ミスタータイチョウたいちょうさん


「ミスタータイチョウ?」


 耳慣れぬ呼称に首をかしげる。


「あなたのお名前ではありませんの? 兵士の皆さんがしきりにあなたのことをタイチョー、タイチョーと呼んでいたので――」


 本郷は思わず失笑した。あいつら、ここに来て一年も経つのに碌な英語を話せぬとはどういうことなのだ。これは教育が必要だな。


「いいえ、違います。タイチョーは役職コマンダーの呼称です。本郷が僕の名です」


あら、ごめんなさいエクスキューズミー。日本語はよくわからなくて、私ったら恥ずかしいわ」


「無理もないでしょう。僕だって、一昔前までロサンゼルスがどこかなんて知りませんでしたから」


「ふふ、それではおあいこですね」


 赤毛の看護師は顔を綻ばした。あどけなさが故郷に残した17の長女を思い出させた。


「そのようですね。ミス?」


「アンナ。アンナ・フィールズです。アナで良いですわ」


 アナは本郷を寝かしつけると、病床から去っていた。改めて首を回し、周囲を確かめる。本郷の他にも数名の合衆国軍の将兵が、その身を横たえている。時折うめきとも悲鳴とも着かぬ声が木霊する。本郷は急にある疑念に囚われた。


 実は夢を見ているのではないかと思った。あるいはすでに自分は死んでいて、北米の原野、鉄の棺桶戦車でその身を腐らせているのではないか――。


 ひそかに本郷は額の包帯に手を当てた。鈍い痛みをわずかに感じ、ほっと安堵した。



 翌日、本郷は退院し、原隊へ復帰した。


 それから約1か月後、新たな任地へ向かう途中、彼は再び病院へ立ち寄った。世話になった礼として彼はアナヘチョコレイト菓子を手渡した。アナは少し驚いた様子で、頬を染めながら受け取った。


 チョコレイトは貴重品だが、高級品というわけではない。本郷が所持していたものは、ロサンゼルスの食品店ストアでも入手可能なものだった。にも関わらず、なぜかえらくアナは喜んだようだった。


 彼が2月14日に殉教した聖人セント・ウァレンティヌスについて思い出すのは、しばらく後のことだった。

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