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緩衝地帯(Buffer zone):3

 今井大尉から簡易な報告を受けた後、本郷は中隊本部へ戻った。


「引き返しますか?」


 中村少尉の問いに、首を横に振る。


「いいや、まだ時間はある。念のため、この周辺を洗っておこう」


「了解です。どうにもきな臭いですからね」


「君もそう思うか?」


「ええ……あの数は尋常じゃない」


 少尉は丘を指した。死体の山が築かれている。


「ここが東側ならわかりますよ。あそこら辺はレッドゾーンだ。あんな大群は日常茶飯事でしょう」


 彼の言う東側とは緩衝地帯における最東端を指している。具体的にはノースダコダとミネソタの州境付近に当たる。そこでは連合軍と魔獣の遭遇戦が多発し、兵士の犠牲と引き替えに魔獣の死体が量産されている。


「ああ。聞けば、この区域は今日を越えればイエローからグリーンへ切り替わるところだったらしい」


 緩衝地帯は区域ごとに、脅威度が5段階に設定され、それらは魔獣との会敵頻度と周期によって分かれていた。それぞれ識別色によって地図上で色分けされている。


 一番重度なのは戦闘区域レッドと呼ばれ、地図上では赤色が割り当てられてる。魔獣の侵入と戦闘が日常的に頻発しているエリアだった。


 二番目は接触区域オレンジと呼ばれ、地図上では橙色で現わされていた。魔獣との戦闘が不定期に発生するエリアだ。頻度としては週に3~4回ほどを目安としている。


 三番目は警戒区域イエローと呼ばれ、地図上では黄色で塗り分けられていた。魔獣との戦闘が週に1回起きるかどうかという頻度だった。この警戒区域に入ってから連続して180日間、魔獣との戦闘が行われなくなると次のレベルへ移行する。


 四番目は巡回区域グリーンだった。地図の色が緑色に変わり、クリーンな状態と認識されるようになる。ただし民間人の立ち入りが許されるわけではなく、哨戒部隊の巡回ローテーションも引き続き継続される。グリーンに指定されてから、さらに180日経つと緑から無色になり、最後のレベルへ移行する。


 すなわち解除区域ノーカラーだった。この段階でようやく哨戒部隊の巡回から外れる。ここで、初めて人の立ち入りと居住が許された区域となる。


 1944年に緩衝地帯戦略が導入されてから、連合軍は地図を赤から緑、そして無色へ脱色する努力を重ねてきた。今日は、その努力が報われる一歩手前の日だった。しかし、残念ながらその努力は泡沫へ消えた。今日の大規模な戦闘により、恐らくこの地域はイエローのままだろう。それどころか、戦闘規模から一気にレッドへ警戒レベルを引き上げるかもしれない。。


「そりゃあ……お気の毒に」


 中村は自分の中隊へ戻る大尉の背中へ同情的な視線を送った。今井大尉に全く非はないが、賽の河原で石を崩された気分であろう。誰であれ、味方が築いてきた努力が無に帰する瞬間には立ち会いたくないものだ。


「少尉、明日は我が身だよ」


 たしなめるように本郷は言い、中村は少し狼狽しつつ「そうですね」と肯いた。


「もう一つ気になる報告を受けている」


 本郷には今回の戦闘における竜種の動きが戦術めいたものに見えてしかたがなかった。初めに囮のワームを中隊後方に出現させ、そこで混乱したところを正面から一気に詰めていく。今回は今井大尉の対応が早かったのと、本郷の救援があったため、敵獣の行動は失敗に終わった。


 しかし、もしどちらかが遅ければ、本郷の任務は救援から死体回収に変わっていただろう。


「まさか、獣に知恵が……?」


 懐疑的な中村に対して、本郷はひと月前の戦闘を引き合いに出した。


「あのトロールだって、これまで投擲攻撃なんてしてこなかっただろう。あれは明らかに射程間合いの不利を補おうとする動きだった」


「やつらも学んでいるってことですか?」


 中村は表情をこわばらせた。もし本当に魔獣が知恵をつけつつあるのならば、戦い方が根本的に変わってくる。魔獣が物量頼みの莫迦だからこそ、人類は不利ながらも気楽に戦えたのだ。


 本郷は目の間に深い溝をつくり、首をひねった。


「わからない。あるいは――」


 もう一つの可能性を彼は思い描いていた。


――あるいは何者かが魔獣奴らを指揮している……?


 いずれにしろ判断材料が少なすぎる。それに一介の軍人の手には余るようにも思える。今の彼に出来るのは、今回の戦闘に関して少しでも多くの情報を収集することだった。


「少尉、あの竜どもが出てきた洞穴へ向おう。すぐに準備してくれ」


 30分後、本郷の戦車中隊は北米の原生林の奥深くへ向けて出発した。



【ノースダコダ州北部 ダンシーズ近郊の山岳】


 1945年2月16日 午後


 第八混成戦車中隊が洞穴に付近に着いた頃には、周囲は徐々に暗くなりつつあった。春先で日が落ちるのはまだ先だが、森に囲まれているため平地よりも暗く、見通しも悪かった。


 本郷はM4戦車の小隊を先行させていた。M4は小回りが利く上に、信頼性の高い故障の少ない戦車だった。砲威力についても申し分はなかった。


 本郷の中隊に配備されたM4はA2型で75ミリ砲を装備していた。最新型ではないが、チヌと同じ砲口径のため乗員にとっても扱いやすかった。中隊にはM4が6両、それにチヌが6両配備され、装甲戦力の中核となっていた。


 先行したM4小隊から無線が入る。


『イワキより、アズマへ。もうすぐ目標です』


 中村少尉だった。再編された小隊の指揮を取っている。


「アズマ、了解。そこから何か見えるか?」


『いいえ、何も……敵獣の姿はありません。念のため、降車して確かめますか?』


「いいや、現位置で待機してくれ。僕が直接出向こう」


 本郷はM4小隊へ追いつくと降車した。同じく降車した中村が待機していた。


「何も少佐自ら行かなくても……」


 中村少尉が顔を曇らせた。


「そうかもしれない。だけど、嫌な予感がするんだ。直接見ておきたい」


 洞穴へ戦車で乗り込むのは不可能だった。本郷は自ら兵を率いて確かめることにした。


「君は留守を頼む」


 付いてこようとする中村に命じた。


「しかし……」


「杞憂だよ。何かあったとき、応援に来てもらうためだ」


 本郷は中村を残すと、一〇〇式機関短銃を手に、降車した機動歩兵たちと洞穴を目指した。ほどなく洞穴まで何の問題なく辿り着く。穴の入口を見つけるのは容易だった。なにせ数十頭の魔獣の足跡がそこかしこに続いていたのだから、見失う方が難しい。


 本郷は穴の入り口の前で立ち止まり、その大きさにうなった。高さは20メートルほどあり、入り口の周辺には掻き出された土によって、ちょっとした丘が出来上がっていた。


「念のためだ。君ら、探り撃ちを頼む」


 まだ竜が潜んでいるかも知れない。配下の兵に命じ、数発の弾丸を穴の暗闇に向けて送り込んだ。乾いた銃声が木霊する。しばらく待ってみたが、特に変化はなかった。


「……行こう」


 内部へ足を踏み入れる。不自然な窪みが至る所にあったため、途中で数名の兵士が転倒しかけた。懐中電灯で暗闇を照らしながら、本郷はあるものを探していた。やがて生臭い臭いを感じ、兵士たちは銃を構えた。本郷は警戒しつつも、ある確信を深めていた。


「やはり……」


 懐中電灯の奥を照らし出す。誰かが「あっ」という声を上げた。


 そこには無数の白い破片が散らばっていた。破片のサイズと厚みはどれもが瓦ほどだ。手に取ってみると重さも同じくらいだった。


「隊長、これは……」


 兵士の一人が恐る恐る尋ねた。本郷は静かに肯いた。


「ああ。あの竜たちの卵、その残骸だよ」


 おかしいと思っていたのだ。180日間も魔獣が観測されなかった区域、そのど真ん中に竜の大群が現われるなど、状況的に不自然だった。あれだけの群体が長期間にわたり哨戒部隊の目を逃れていたなど、確率的に不可能だ。ワームだけならば地中へ潜むことも可能だが、バジリスクのような歩行個体には無理な話だ。


 ならば可能性は一つしかなかった。何ものかが、密かにここまでやってきて卵を置いていったのだ。


「問題は……」


 こいつらの母体はどこへ行ったのだ? だいたい、こんな巨大な卵を大量に抱えてくるヤツとはいったいどんな魔獣なのだ。


 本郷がその事実に思い至り、背筋に悪寒を走らせたときだった。背後で小さな悲鳴が響いた。


「どうした!?」


「も、申しわけありません。こ、転んだだけです」


 彼の車両の砲手だった。どうやら窪みに足を取られたらしい。本郷は苦笑しつつ、手を伸ばそうとした。しかし、途中でぴくりと手を止めてしまった。全身の筋肉が硬直する。


 懐中電灯が砲手を捕らえた窪みの正体を明かしていた。


 それは一メートル近い、何ものかの足跡だった。


「た、隊長……!?」


 他の兵士も窪みの正体に気がついたらしい。恐怖に顔が引きつっている。


「すぐにここを出よう。早く大隊本部へ知らせなければ……」


 少なくともここに来るまで巨大魔獣の目撃報告は受けていない。まだ誰も気がついていないのだ。もしこの足跡の持ち主が西進していた場合、そこには無防備な原野が晒されている。


 急がなければ、きっと酷いことになる。


 穴の入り口から複数名が駆けてくる音が聞こえたのは、そのときだった。嫌な予感を覚える。数秒後、中村少尉が姿を現わした。


 少尉は息を切らせながら、本郷へ告げた。


「大隊本部より命令です。至急、戻れと! 巨大なドラゴンが北に――」


 本郷は聞き終わる前に駆けだしていた。

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