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緩衝地帯(Buffer zone):2

 迫撃砲から発射された砲弾は二次関数図のような放物線を描き、着弾した。手足や身体の一部を吹き飛ばされても鱗の流れを食い止めることはできなかった。敵獣はさらに接近し、今井は機関銃小隊に射撃命令を下した。


「撃ち方始め!」


 橙色の火線が鱗の波を切り裂いていく。耳障りな奇声が木霊し、血しぶきの雨が北米の地を汚していく。機関銃小隊に続き、急造した陣地より兵士達が射撃を開始した。小銃弾では一撃で仕留めることはできない。しかし足止めくらいにはなった。


 竜種はトロールやグールと異なり、全く幸いなことに痛覚の存在が認められた。銃撃の雨に打たれ、僅かに前進速度が落ちる。彼我の距離は200メートルを切りつつあった。残り頭数は40頭まで減じている。


 群れの先頭集団が道路を離れ、今井達が立てこもる鉄塔の丘へ前足を踏み出し始めていた。


 今井は歯がみした。


――丘に地雷を敷設しておくべきだった。


 埋没は無理でも、ばらまくぐらいの余裕はあったろう。畜生、他のヤツラもきっとそう思っている。誰もが何かを必ず忘れているのだ。


 忸怩たる思いを押し殺し、今井は虎の子の準備を行うことにした。先任の少尉を呼びつける。


「三式ロタを準備しろ」


 三式ロタ砲バズーカは合衆国の技術供与を受けて開発された携行型噴進ロケット砲だった。『ロ』はロケット、『タ』は対戦車用成形炸薬弾の略だった。その名の通り、元は対戦車用に開発された兵器だったが今では対獣兵器となっている。


 正式名称を三式6センチ噴進砲という。1943年、合衆国との同盟が締結された後、技術供与により開発された。そのため外見はM1バズーカに酷似しており、ほとんど模造品と呼んで良い出来だった。


 事実、M1バズーカの弾頭は三式ロタに転用可能であり、その逆用も可能だった。これは意図的になされたものであり、日米間で弾薬に互換性をもたせるための措置だった。


 今井の中隊には、三式ロタを装備した分隊が4つあった。それぞれ2名で構成されており、砲手と予備弾の運搬役に分かれている。


「ヤツラとの距離が150メートルを切ったら――」


 突然、大地が揺れたのはそのときだった。地震かと思った刹那、背後から悲鳴が聞こえた。ぎょっとして振り向けば兵が蛇竜ワームに飲み込まれようとしていた。ワームは強力な顎で腰から上を食いちぎり、腹に収めた。腰から下が無残に放置される。


「莫迦な。どこから――」


 呆然と今井は呟いた。


「大尉、地中です! ヤツは地中を掘り進んで出てきたんです……!」


 少尉が指さす方向には、盛り上がった土があった。そこから這い出てきたらしい。突然、背後を脅かされ、中隊は混乱に陥った。それまで保たれた士気が瓦解しはじめ、一部の兵士は悲鳴を上げながら配置から離れようとし、先任ベテランが必死に押さえつけた。このままでは崩壊は時間の問題だろう。


「機銃はそのまま丘を登ってくるヤツラを押さえろ! 少尉、ここを頼む!」


「大尉!?」


「俺はロタで奴を仕留める! 1分隊借りるぞ。他はここの支援に回せ! 距離150を切ったら撃たせろ!」


 今井は駆け足でロタ砲の分隊の一つに駆けつけた。


「貴様ら出番だ。用意は出来ているな」


「いつでもいけます」


 分隊の兵士2名は緊張を顔に貼り付けさせていた。若い。二人とも二十歳そこそこに見て取れた。今井は二人の肩を軽く叩いた。


「いいぞ。これから俺と狩りに出よう」


「はっ!」


 兵士達を引き連れ、今井は暴れ回るワームの側へ駆けつけた。他に数名行き場を無くした兵士を拾っていく。


「いいか、俺がヤツワームを引きつける。貴様等はその間に仕留めろ。出来るな」


「やります……!」


 若い兵士は2名とも戦意にあふれていた。今井は片方の口角を上げた。


「よし、任せた」


 そう言い残すと、今井は拳銃を手に他の兵士と共に蛇竜へ近づいた。


「撃て!」


 鉄塔の残骸に身を隠しながら、今井達は射撃を開始した。兵士相手に暴れ回っていたワームは小癪な攻撃に怒りを覚えたらしい。すぐ今井へ目を向けてきた。お互いに視線が交差する。一瞬、甲殻虫くわがたのような目だと思う。真っ黒だ。何を映しているのかわからない目だった。


「射撃を続けろ!」


 今井は兵士を鼓舞した。敢えて彼等より前に出る。内心は恐怖で張り裂けそうだったが、指揮官の個人的な武勇が及ぼす影響について彼は充分に理解していた。実際、効果はすぐに現われた。背を向けようとした兵士数名が足を止め、ためらいがちに攻撃に加わった。


 四方から銃撃を浴び、蛇竜は咆哮あげながら支離滅裂な行動を取り始めた。ついに埒があかないと思ったのか、牙を剥き出しにしながら今井に突っ込む体勢をとった。


「散れ!」


 今井は振り向き、背後の兵士に叫んだ。刹那、ロタ砲が火を噴いた。今井の背後で強烈な爆音が轟き、周囲に肉片と体液がまき散らされる。酷い臭いだった。数名の兵士がショックで吐瀉した。今井も胃液がこみ上げるのを耐えながら、「しっかりしろ」と兵士を叱咤する。


「よくやってくれた」


「はっ……」


 ロタ砲を構えた兵士は放心しているようだった。ずいぶんと戦い慣れない印象を受ける。ひょっとしたら、これが初陣だったのかも知れない。名前は何だったろうかと思ったときだった。別の方向から悲鳴が聞こえた。先任の少尉に任せた方向だった。


 何事かと目を向けた彼の目には、頭部を無くした先任少尉の姿が見えた。彼の理解を越えた現象だった。今井は思った。それを無くしちゃだめだろうに。



 単純なことだった。地中にいたワームは一体では無かったのだ。


 今井が後方の蛇竜を倒す間、そいつらは銃撃を逃れるため、中隊の陣地手前から地中へ潜り進んできた。盛り上がった土の波が四方から迫る中、中隊の兵士は必死にロタ砲を浴びせた。噴進弾が土のシールドを破り、数体を土葬したが、数が多すぎた。


 ついに複数のワームが地中から現われ、中隊の陣地へ突入してしまった。機銃座は壊滅し、ロタ砲が十分な威力を発揮する前に兵士は竜の腹に収まった。


 丘下へ向けられる火線が途絶えたのは明らかだった。間もなくワームに続き、バジリスクの波が押し寄せてくるだろう。


 絶望を認識しながら、今井は再び指揮官を演じる決意を固めた。


──死ぬまでに何分かは稼げるだろう。ヤツラのクソになるのだけは嫌だったんだが……。


 そう思ったときだった。どこからか大気が弾ける音がした。砲声だが、重砲のそれよりも小さく身近に聞こえるものだった。


 間もなく、丘を登る竜の群れ、その複数の箇所で肉片ミンチの渦が巻き起こった。竜の群れは突然降って湧いた砲弾の嵐に混乱した。今井は咄嗟のことに戸惑ったが、すぐに生き残った兵士をまとめ、陣地へ突っ込んだ蛇竜に逆襲をかけた。


「大尉……!」


 通信兵が息を切らせながら、駆けてきた。受話器を差し出され。無言で受け取る。


『トキワへ、こちらアズマ。遅れて済まない』


 アズマ……そうだ、戦車中隊の符牒だ。


「トキワより、アズマへ。助かる。おかげでここはアラモにならずに済みそうだ」


『よかった。サンタ・アナと同じく、魔獣奴らに降伏の概念はないからね』


「確かに。まあ俺達もデヴィ・クロケットと同じく白旗を持ってなかったからな」


『はは……しばらく君らは丘上そのまま固めてくれ。後は任せたまえ』


 アズマの指揮官は丘を取り囲む竜種へ榴弾の嵐を叩き込むと、全車で蹂躙を開始した。彼の中隊は先日補充を受けたばかりであり、装備、士気ともに良好だった。


 半時間もせずに戦闘は終息し、丘の周辺は魔獣の肉片と体液で埋め尽くされていた。そのうちの幾分かは今井の部下が混じっているはずだった。


 今井は各小隊の指揮官に負傷者の手当てを命じ、同時に戦死者を可能な限り収容させた。例え、それが身体の一部であっても、火葬し家族のもとへと届ける必要がある。彼等の終わりを遺族へ伝えることこそ、生存者の義務だった。少なくとも今井は、固くそう信じている。


 戦闘後、今井は第八混成戦車中隊の集結地点に赴いた。三式中戦車チヌが4両、合衆国のM4シャーマン戦車が数両見えた。どうやら現地生産したものを供与されたらしい。戦車中隊の指揮官は、浅黒く日本人離れした彫りの深い顔立ちだった。


「助かりました。感謝します」


 襟章から自分よりも上級と知り、彼は口調を改めた。中隊長の本郷少佐は気にするようなそぶりは見せなかった。


「いいや、こちらこそ遅れてすまない。えらいものを引き当てたようだね」


「全くです。まさか、こんな近くに魔獣の大群が控えていたとは……」


「こう言っては何だが……お手柄だよ」


「ええ……」


 数十名の喪失を手柄と称して良いのか、今井は疑問に思った。もちろん本郷に他意はないことはわかっている。今井の心情を察したのか、本郷は続けて彼に言った。


「君のおかげで、この区域は守られた。もし君らがいなかったら、あの魔獣どもは非戦闘地域にあふれ出していただろう」


 本郷は懐から煙草を取り出すと今井に差し出した。合衆国の銘柄だった。幸運の名を冠した煙草だった。一本だけ受け取ろうとした今井に、本郷は箱ごと全て渡した。


「いいんですか?」


「僕は煙草を吸わないんだよ。ここに来る途中立ち寄った牧場で、気さくな親父さんからもらったのさ。息子さんと一緒に牧場へ向う途中らしく、中隊で護衛したんだ」


「へえ……」


 ふと今井はあることを思い返した。


「その親父さん、かなりのすきっ歯じゃありませんでした?」


 本郷は少し間をおいて、肯いた。


「ああ、そう言えば……知っているのかな?」


「まあ、ちょっと縁がありまして」


 今井の表情に明らかに安堵が浮かび上がっていた。錯覚に近い感情だが、自分の行為が報われたように思えた。


「ならば、今度にでも会いに行くと良い」


「……ええ、可能ならばそうします」


 今井は肯きつつも、その機会は無いように考えていた。彼の中隊は損害を出しすぎた。恐らく再編のため後方へ移送されるだろう。そして次の戦場が同じ場所とは限らない。北米中央部、その緩衝地帯は全般的に血に飢えていた。



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