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死闘(Death match):2

【ノースダコダ州北部 ボッテインオー近郊】


 1945年3月17日 早朝


――しくじった……!


 本郷は中隊の全戦力を最大速度で走らせていた。その顔には苦渋の色を浮かんでいた。


――あのとき引き返すべきでは無かった。


 そうだ。やはり無駄だとわかっていても、可能な限りドラゴンの捜索を続けるべきだったのだ。


『イワキより、アズマへ。街が見えてきました』


『アズマ、了解。そのまま道沿いにボッテインオーへ入る』


 本郷は展望塔キューポラの天蓋を開き、身を乗り出した。外気が責め立てるように彼の半身を叩いた。3月とは言え、北米の空気は冬の名残を残していた。彼の視界にはボッテインオーの街が入っていた。双眼鏡に手にかけるまでもなく、その様子が理解できた。


 手遅れだった。


 街のあちこちから煙があがっている。周辺になぎ倒された合衆国の戦闘車両が散見された。


 しばらくその光景を凝視した後、無言で本郷はチヌの天板に拳を振り下ろした。鈍い音が車内に反響する。乗員は誰も振り返ることは無かった。誰しもが常に人格的に満たされているわけではないのだ。



 昨夜、合衆国軍の装甲中隊(ネスビットの部隊)の最期を見届けた後で、本郷は北部の湖畔地帯からダンシーズの街へ引き返していた。それは大隊本部を飛び越し、さらに上級の遣米軍司令部からの命令だった。彼等は本郷が所属する第九戦車師団、第二十増強戦車大隊全ての部隊にダンシーズ防衛を命じていた。


 敵巨竜の予測進路からダンシーズが襲撃される可能性が高かった。任務の主目的は他の部隊が所定の地点まで撤退するまで、敵巨竜の侵攻を食い止めることだった。


 大隊本部の一室で説明を受けた本郷は、自分の理解を述べた。


「遅滞戦闘ということですか?」


「そう、つまりは時間稼ぎだよ」


 本郷の上官、東島信司ひがしじましんじ大佐は端的に言い切った。長身で本郷と同じく陸軍ではまだ少数派マイノリティの長髪だった。東島の場合は年相応に薄くなった髪をオールバックで固めている。


「遣米軍司令部は、戦闘可能な限りここを守れと仰せだ。合衆国軍に恩を売るつもりだろう。全く面白からぬ話だが、そういうわけだ。済まないが、最悪の場合は私と共に君の部隊は死ぬことになる」


「なるほど」


 上官の率直さに良くも悪くも感心させられる。本郷は肩をすくめた。本来ならあるまじき態度だが、彼の人となりと覚悟から許された。


「仕方ありませんね。それが我々軍人ですから」


「よろしい。では、戻りたまえ。君の部下には私の言葉をそのまま伝えてくれ」


 つまり東島に泥を被せろとのことだった。


「了解です」


 本郷はその必要を感じなかった。少なくとも彼の中隊は義務の意味を正確に理解している。また固守命令に関して、部下を無駄に死なせるつもりは無かった。


 かくして第八混成中隊は夜通しダンシーズ近郊の警戒に当たっていた。しかし、肝心のドラゴンの姿は一向に見えなかった。合衆国軍、装甲中隊との戦闘の後で、ドラゴンは忽然と湖畔地帯の暗闇に姿を隠してしまった。


 合衆国軍は夜間哨戒機を飛ばしたが、深い森の影まで捜索するのは不可能だった。結局のところ行方がわからぬまま、本郷達は翌朝の日の出を迎えた。誰もがドラゴンは湖畔地帯へ潜んだまま出てこないのではないかと思っていた。本郷自身も例外ではなく、彼は眠気を覚ますために部下に珈琲を淹れさせた。


 連合国軍の全周波数帯に向けてSOSが発信されたのは、そのときだった。


『メーデー、メーデー、メーデー、こちらボッテインオー陸軍航空基地。敵獣の襲撃を受けている。敵はドラゴン。いま滑走路に侵入した。誰でもいい。早く来てくれ!』



 SOS発信から10分後、ダンシーズ西方25キロの街、ボッテインオーに向けて本郷は出発した。


 彼が現地に到着したのは、さらにそれから50分後のことだった。彼自身は知らなかったが、ボッテインオーに駆けつけた最も有力で最速の部隊だった。逆説的に言えば、頼れる戦力は今や本郷だけだった。


「アズマより全車へ。これから街の中に入る。速度を落とせ」


 合衆国軍の車両、その残骸の群れを避けながら彼らは街の中へ入った。


 あちこちに抵抗の跡が見られた。M1バズーカを握りしめたまま、半身を焼かれた合衆国兵士が倒れている。痛みによるショック死だろう。その顔は苦悶に歪んでいた。似たような死相を浮かべたものたちがそこかしこに横たわっていた。


 街中から悲鳴と怒号が聞こえ、死の香りに満ちあふれている。ボッテインオーは混乱の極致にあった。


 まもなく大気を震わせるような咆哮と地響きが本郷の車両を揺らした。


「アズマより、カグラへ。君らは降車して散開しろ。生存者を捜索、救出するんだ。ホハ車は後退。遮蔽物へ車体を隠せ。いいか、会敵しても絶対に手を出すな。これは命令だ」


 本郷は機動歩兵を降車させると、街の中へ散開させた。どのみち、歩兵でドラゴンを倒すことは不可能だ。彼の中隊には、聖ジョージも聖マルタもいない。戦ったところで、苦悶した死体が量産されるだけだった。


「アズマより、イワキ、ウラベへ。これより敵竜を捕捉――可能な限り、戦闘を継続する」


 もっとも戦車で立ち向かったところで、状況が改善されるか怪しいところではあった。



 ボッテインオーは緩衝地帯近くの拠点として、重要策源地の一つとなっていた。そこには来たるべき反攻作戦に向けて物資が集積され、有力な合衆国軍の部隊が駐留していた。臨戦態勢が整っていたのならば、充分じゅうぶん以上に魔獣へ抵抗できたはずだった。


 しかし敵ドラゴンは近郊の森林地帯から突然姿を現わし、迎撃態勢を整える間もなく蹂躙を開始した。完全な奇襲だった。敵は合衆国軍の予想を裏切り、ダンシーズへ南下せず、西進していたのだ。結果的に、合衆国軍の後退計画の裏をかかれていた。


 合衆国軍にとって不運は陸軍航空基地近くにドラゴンが姿を現わしたことだった。そこには燃料タンクとともに弾薬庫が隣接されていた。本来ならばありえない管理の仕方だったが、物資が集積され過ぎた結果、一時的に非常識な配置をせざるをえなかったのだ。


 敵ドラゴンの火炎攻撃によって燃料タンクが引火し、そこから一気に破局へ繋がった。


 さらなる不幸はボッテインオーが後退計画において中継点に指定されていたことだった。そのため道路は渋滞、敵ドラゴン出現で混乱に拍車をかけることになった。合衆国軍の部隊は抵抗と後退の板挟みに合い、どちらも選べずに踏みつぶされていった。



 土埃を上げながら、12両の戦車がボッテインオーの街を這うように縦断していく。街の道路は舗装されていなかったが、幸い十分乾いていたため、走行に支障はなかった。


「アズマより全車へ。残骸に気をつけろ。それから各車、車間は可能な限り広く取れ。いざとなったときは各自の判断で後退しろ」


 砲塔が転がり落ちたM4シャーマンを横目に、本郷たちは街の中心部へ進行した。地響きと咆哮が近くなっていく。交差点にさしかかったときだった。右方向の建物から人影が飛び出した。


 合衆国の兵士だ。


 何かを叫びながら、彼はバズーカを構えていた。よく聞き取れなかったが、ひどく混乱しているのはわかった。本郷はバズーカが向けられた先の存在を予測し、思わず叫んだ。


逃げろラン!!」


 バズーカが発射され、次の瞬間、兵士は真っ赤な炎の波に包まれた。奇怪な叫び声をあげながら、人型の火だるまが出来上がり、倒れ伏した。


 小さく罵声を上げ、本郷は車内へ入った。展望塔の天蓋を閉じ、無線の受話器を口元へ当てる。


「アズマより全車へ。今のを見たな。絶対に車外へ顔を出すな。あとヤツとの距離は最低でも100はとれ。戦車でもあの火炎をまともに食らったら危ない」


 正面ならば、なんとか耐えられる。しかし、機関部まで炎に包まれたらただではすまないだろう。下手をしたら、燃料タンクに引火して吹っ飛ぶかもしれない。


 地響きが大きくなっていく。ついにヤツが交差点へ姿を現わした。白日に現われた巨体は真っ黒な四足歩行型のドラゴンだった。全長40メートルはあるだろう。どこかで見た形状、何かに似ていると本郷は思った。


 すぐに思い出した。そうだ。進化論だ。イグアナに似ている。確かイグアナドンとかいう恐竜がいたか。いや、あれはこいつと似ても似つかな……莫迦野郎。今はどうでも良い。言うべきことがあるだろう。


「射撃開始」


 戦車中隊より、12発の75ミリ徹甲弾が放たれた。そのうち数発は曳光弾だった。橙色の火の弾が一直線に伸びていき、黒い巨体へ命中……そして弾かれた。


「次発装填。続けて撃て!」


 股間が縮み上がる思いで、本郷は命じた。


 こんなことはわかりきっていた。昨夜M4の残骸見たときから予測した結果だった。悲観しつつも、絶望に陥らなかったのは、彼の任務が敵の撃破では無く足止めだったからだ。


 今日は晴れている。ならば航空機の出撃が可能だ。爆撃機の500キロ爆弾なら、ヤツを始末できるだろう。


 問題は一番近くの飛行場になるはずだった、ボッティンオーここが使用不能になったことだ。ここ以外で最も近い航空隊の基地から爆装して飛んでくるまで、最短でも2時間はかかる。


 全く、北米は呆れるほどに広すぎた。


「全車、散開しろ。イワキは右の路地へ。ウラベは左の路地を抜けて回り込め。アズマ各車は我とともに後退。ヤツとの相対距離を維持しろ。さあ、いつも通り……竜さん、こちらといこう!」

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