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それぞれの旅立ち(He should die):2

【浦賀水道沖】


 昭和201945年 2月28日 昼


『大きいのう!』


 耳当てレシーバーからネシスの声が聞こえた。無邪気な少女の歓声だった。徹夜明けの儀堂の頭にはいたく響く声だった。


「そうだな」


 確かにデカい艦だと思った。<宵月>の右舷1万メートル先を並行しているのは、航空母艦<大鳳>だった。全長は270メートルに達し、排水量は4万トンを優に越え、飛行甲板には装甲が施してある。


 帝国海軍の保有する最大の空母で、今年1月に配備された新鋭艦だ。本来ならば昨年の2月に就役するはずだっただが、戦局の変化に伴い、設計が大幅に変更され11ヶ月遅れて正式配備となった。


『なんじゃ、お主、元気がないのう』


「気のせいだ」


 察しろと思いつつ、ぶっきらぼうに返事する。まったく尋常ならざることだと思う。よもやあれだけの損傷を受けながら、2ヶ月も経たずして再び<宵月>で海へ出ることになるとは思いもよらなかった。


 横須賀空襲の後、<宵月>は直ちに船渠ドック入りとなった。儀堂は修理に4ヶ月はかかると思っていたが、帝国海軍はそんな悠長なことは考えていなかった。


 海軍の有する全資源と人員を投入し、文字通り突貫で修復工事を始めた。それだけではなかった。横須賀空襲での戦闘詳報を儀堂に提出させ、それを元に<宵月>の改修へ可能な限り反映させようとしていた。


 結果、<宵月>は一から艤装をやり直すことになり、さながら最新装備の見本市のような有様となった。それ自体は大変有り難いのだが、問題はその艤装の指揮を儀堂が執らなければならないことだった。彼には艤装指揮をとった経験は無かった。おまけに時間も無かった。


 結果、彼は慣れない艤装指揮のために関係各所を走り回り、睡眠時間を生命の危機を迎える寸前まで切り詰める羽目になった。こんな命令を下したヤツ六反田は死ねば良いと思った。魔獣との戦いで死ぬならまだしも、過労で死ぬなど御免被る。


『おい、ギドー、ギドー、聞こえておるのか』


「聞こえている」


 今現在、脳みそを揺さぶる装置も改修によって追加された装備だった。正直なところ、この装備を付けない方が良かったのではないかと思っている。提案したのは他ならぬ自分儀堂自身なのだが。


 儀堂はネシスが居る魔導機関室と艦橋に専用の電話回線を追加させた。受話器はドイツより導入した最新の有線方式のものだった。右耳用の耳当てレシーバー喉頭部のどに装着するマイクロフォンで構成されている。


 前回の横須賀空襲の際、ギドーは高声電話を握りしめたまま戦闘の指揮を執っていた。そのため、他の部署との連絡に支障を来すことになってしまった。


 当時はネシスと直接連絡を取る唯一の手段だっためやむを得なかったが、言い換えれば儀堂が電話を独占したことで艦橋の要員が電話を使えなかったことになる。


 第一、電話を握りしめながら指揮をするのは大変面倒だった。行動半径が制限されるうえに、片手が塞がった状態で戦うのは精神的にも宜しくない。


 魔導機関の効果が実証された以上、今後の戦闘ではネシスの力を借りる場面は出てくるだろう。誓約通り、ネシスには役に立ってもらうつもりだった。ならば、いつでも連絡をとれるのが望ましいと考え、儀堂は<宵月>にネシス専用回線の追加を施させたのである。


 今となっては、もう少し慎重に考えるべきだったと思っている。


『ギドー、ギドー、あれはなんだ? ひこうきとやらか?』


『ギドー、ギドー、すごいぞ! あのひこうき、船の上に乗っかりおった!』


『ギドー、ギドー、ひこうきとやらが消えたぞ! 船の中へ沈みおった!』


 ネシスは好奇心の塊だった。彼女はあの魔導とやら、直接目で見なくとも外界の様子を視認できるらしい。おかげで艦橋へ詰めてから、儀堂は質問攻めに遭っている。初めはまともに返していたギドーだが、さすがに5時間ぶっ続けともなると辟易してくる。


――次回改修時には、音量調整機能をつけてもらおう。


 右耳からネシスの感想を垂れ流しつつ、儀堂は固く決意した。


「艦長……」


 興津が申しわけなさげに、儀堂へ話しかけてくる。


「なんだい?」


「リッテルハイム女史が艦長をお呼びです」


 嫌な予感がする。


「なんだって?」


「その……部屋が狭いから変えろと」


 天を仰いだ。灰色の天井が見える。


「独和辞典を渡して、駆逐艦の項目を引いてもらってくれ。そこに客船と書かれていたら、再考しよう」


「そいつは……」


 興津中尉は半笑いを浮かべた。次回改修に客室の追加を入れるべきか脳内で検討したが、即時却下した。


 本当に、あのドイツ人を乗船許可を出したヤツは呪われるべきだと思った。



【上大崎 海軍大学校】


 昭和201945年 2月28日 昼


 六反田は大きなくしゃみを二回すると、身体を震わせた。震動でデスク上の書類の束が崩れ、床にこぼれ落ちる。


「何をやっているんですか?」


 呆れながら、谷澤少佐は床に散らばった書類を拾い上げた。


「風邪でも引いたのでは?」


「莫迦を言え。きっと誰かが俺の悪態を吐いているのさ」


「なるほど、確かに……」


 思わず同意した谷澤を六反田は睨みつけた。理不尽さを感じつつも、谷澤はさっと目をそらし、自分の執務机へ戻った。


井上閣下海軍大臣でしょうかね」


「わからんぞ。自分で言うのも何だがな。俺を嫌っているヤツなんて、星の数ほどおるからな」


「はあ、左様で」


 その論理で行くと、六反田は四六時中くしゃみをすることになるのではないかと思ったが黙ることにした。


「まあ、気にもならんがね。俺もそいつらのこと嫌っている。お互いに見解が一致して誠によろしい。それに俺にとって重要なのは好き嫌いじゃない。莫迦かそうじゃないかだ。まあ、大概の莫迦は好き嫌いで物事の優劣を判断したがるから、俺を無能と思う奴は高確率で莫迦だな」


 傲岸の極致にあるような態度で六反田は断言した。


「そいつはまた大した自信ですね」


 呆れるような口調に対し、ニヤリと嗤う。


「谷澤君、君は私を無能と思うか?」


「そんな、まさか!」


「だろう? だが、初対面で俺に対する印象は好まざるものだったはずだ」


「それは、まあ、否定はしませんが――」


 谷澤が初めて六反田に会ったのは、4年前の地中海のアレキサンドリアだった。彼は六反田が指揮する水雷戦隊の参謀職を任じられた。初対面の六反田は目の下にくまをつくり、防暑服はよれよれで数週間洗濯されていなかった。数週間後に自分も似たような風体になるだろうと思い、過酷な任務を覚悟した。


「だが、君はそのとき私の能力まで判定しなかっただろう? そこが違う。莫迦はすぐに判断を下し、途中で自分の評価が誤っていると振り返ることすらない。『自分が誤った、あるいは誤っているかもしれない』、その前提が抜け落ちた奴はどうしようもない。ずっと誤り続け、事実が自分の認識とずれると今度は他人のせいにし始める。この手の莫迦が兵を死なせる様を俺は嫌と言うほど見てきた」


 六反田は胸ポケットから煙草を取り出した。菊印恩賜の煙草は切れたらしく、今日は草色に梱包された安煙草だった。


「そういう莫迦は善悪を越えた有害物だと俺は思っている。是非ともとっとと死んでいただきたいね」


 マッチを擦り、紫煙を焚きつけると肺に補充する。


「北米に、その手の莫迦が少ないことを祈るばかりだ」


 六反田は机の抽斗ひきだしから書類の束を取り出した。谷澤は身を乗り出し、書類の束を受け取った。表紙には朱色のインクで『confidential機密』の印鑑スタンプが押されている。


「例の反攻作戦ですか?」


 それは米英連合軍が計画中の、反攻作戦に関する書類だった。遣米軍経由で六反田は入手していた。


「ああ、決まったよ。有り難いことに後ろ倒しになったらしい。4月末に開始予定だそうだ。私が思うに恐らく戦線が泥沼化して、戦力の再編が上手くいっていないのだろう。合衆国中央部は広大な平野が続いているからな。まともな防衛線を敷くのは不可能だ。五大湖以東から侵出してきた魔獣を順繰りに叩くだけで精一杯さ」


「それなのに反攻作戦を行うのですか?」


 谷澤は作戦計画書にざっと目を通した。陸軍12個師団、航空機は4千機、後方要員も合わせて20万人を越える動員が計画されている。大した兵力だが、作戦主目標である五大湖周辺の制圧には少なすぎる。


「たったの20万で五大湖まで戦線を押し上げるのですか? とても現実的では……」


「そこが不思議なところだ。俺が知る限り、合衆国軍は莫迦じゃない。5年前の我らが大本営でもあるまいし、いくら世論に押されたからと言って、こんな画餅を描くほどめでたい輩じゃない」


「確かに、彼らは実利主義プラグマティズムの権化ですから。まさか――」


 谷澤はある可能性に気がついた。彼は自分の前提に疑いをかけた。


「この計画書……本物ですか?」


 六反田は満足げに肯いた。


「イイ質問だな。俺も同じことを考えた。そこで色々と探りを入れてみた。それこそ官民、鉄鋼から乾物屋まであらゆる業態、業種の伝手を使ってな。それで物騒な噂を耳にした」


「噂?」


「連中、新型の爆弾を開発しているらしい。そいつは一発で戦局を変えるような代物だ。街一つを吹き飛ばすほどの威力で、反応弾リアクションボムと呼ばれている」


「そんなものが――」


 いや、だとしたら筋が通る話だと谷澤は思った。今まで攻略に多大な犠牲を払ってきたBMに対しても有効だろう。上手くいけば、一撃で四散させることも夢ではない。


「もし、その噂が本当ならば世界は一変します。魔獣ヤツラに奪われた土地を一気に取り返せますよ」


 興奮気味の谷澤に対して、六反田は冷ややかだった。


「その通り。だが谷澤君、ひとつ忘れちゃいないか?」


 虚を突かれたような表情に谷澤はなった。


「何をです?」


魔獣連中が素直に俺達の攻撃を受けてくれるのかね? なあネシスの嬢ちゃんのような知性をもった存在が敵側にいたとして……なすがままになると思うか?」


「それは……」


「いいか。この計画は敵側が今まで通り知性がない莫迦である前提で組まれている。たしかにこの5年間の戦いで、魔獣は戦略らしいものをもたず無作為に攻撃を仕掛けてきた。おかげでやりやすくはあった。考えなしに突っ込んでくる獣を狩るだけの作業だったからな。だが、ネシスのように知性を持った奴が、意図的に魔獣や魔導を操りだしたらどうする?」


 谷澤はようやく彼の上官が、あの<宵月>を突貫で修復させた理由に思い至った。


「つまり閣下は、その可能性を米英に突きつけるために……」


「まあな。論より証拠ともいうだろう。既に遣米軍司令部には伝えてある。連中に前提を見直させるため、あの嬢ちゃんには北米へ行ってもらう。まあ、俺の杞憂かもしれんがな。その反応弾で戦局を打開できるならば言うことはない」


 六反田は大きく背伸びをすると、椅子を回転させ、窓の外へ視線を向けた。浦賀水道に集結した艦隊、さらに先にある北米の原野を見据えている。


 実のところ、六反田が反応弾を存在を知ったのは米英の反攻作戦が計画される遙か前のことだった。そのとき六反田は魔獣に対するものとは別の懸念を抱いた。


 米英が反応弾を所持したのならば、この戦争における日本の立場はひどく不利になる。均衡を保つにはどうすれば良いか、簡単な話だった。


「谷澤君、井上さんに電話を頼む。例の初号計画ついて話をしたいと伝えてくれ」



【浦賀水道沖】


 昭和201945年 2月28日 午後


 この日、大日本帝国は87回目の北米支援船団YS87を送り出した。


 通例と異なり、この船団の陣容は異様なほど頼もしいものとなった。


 EF所属の補助艦艇ではなく、GF直属となる新設された第三航空艦隊が護衛戦力の中核を受け持つことになっていた。新鋭空母<大鳳>を旗艦とする強力な機動部隊だった。


 小山のような艦船に囲まれ、一隻の駆逐艦が船団中央へ颯爽と駆けていく。


 <宵月>だった。艦隊司令部からの命令で船団中央へ陣取ることになっている。


 艦橋で、ようやく儀堂は艦長職に集中できるようになった。ネシスの質問攻めは今のところ止んでいる。見るに見かねた御調少尉が引き取ってくれたからだ。彼女が乗船してくれたおかげで多少なりとも負担は減りそうだった。


 改めて儀堂は妙な配置だなと思った。


――船団を守るべき駆逐艦が、中央に配置されるなんて。


 これではまるで、<宵月>が守られているようだ。


「全く……相変わらず、うちの軍はようわからんことをする」



 その日は世界にとり、新たな転換点。その始まりとなった。


 しかし当事者を含め、この世界の住民がそれを自覚するのは少し先になる。



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