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それぞれの旅立ち(He should die):1

【ノースダコダ州北部 ボッテインオー郊外】


 昭和201945年 2月28日 午後


 ボッティンオーの激戦から約十日後、本郷中隊は後方に移送されることになった。


 今、中隊は郊外の農場、その一角を接収して納屋を本部代わりにしている。


「シアトルですか? そんなところまで下がるってのはえらく珍しいですね」


 中村少尉が目をか輝かせていた。久しぶりに都市部を拝めるのが嬉しいのだ。


「ああ、東島大佐なりの気遣いと思いたいが……」


 言い淀む本郷、その視線の先にはユナモが足をぶらぶらとさせて椅子に座っていた。物珍しそうに、あちこち見ている。


「ところで、あの子、どうするんですか?」


 中村が小声で耳打ちしてくる。


「なんとかするよ」


 当てがないわけではない。それに中隊のシアトル行はどうやらユナモに関係していそうだった。本郷は大隊司令部で下令された日を思い返した。



 激戦から約十日後、再び本郷は大隊本部の司令室に呼び出されていた。本部内は慌ただしい空気に包まれていた。もうしばらくしたら、ここを引き払って次の戦地へ向かわなければいけないらしい。


「シアトル、そこまで下がらねばならないのですか」


 思わず聞き返す。本郷は大幅な部隊再編は免れないだろうと覚悟していた。なにしろ稼働戦力が少なすぎる。本郷中隊でまともに動ける戦車は二両しかなかった。補足だが、この二両に例の重戦車は含まれていない。


 現状において戦車中隊として戦術行動は不可能に近かった。よって充足させるために下がらなければいけないと思っていた。ただ移送先が彼の予想を裏切り、ずいぶんと遠かった。シアトルは州を二つまたいで、西へ一千キロ以上離れた場所にある。


「遠いですね」


 ふと無意識に感想が漏れ出て、本郷は驚いた。彼は戦場を離れがたく思っていたのだ。戦いを好んでいるからではない。罪悪感からだ。


 見透かすしたように東島が肯いた。


「そうだ。遠い。私としても君らにすぐに戻ってもらいたい。だが、今回は上からの命令だ」


「師団司令部ですか」


 本郷の問いかけに、東島すぐには答えなかった。


「いいや、さらに上だ。発令したのは遣米司令部だ。特例と考えてよい。基本的に司令部は現場の意思を尊重する。だが、今回は違った。私はより近いビズマークあたりでの再編を望んでいた。しかし却下された。どうやら上層部は、ボッティンオーでの出来事について、貴官から直接話を聞きたいらしい。特にあの少女に出会うまでの経緯を」


「なるほど理解しました。ではユナモは僕が責任をもって預かります」


「頼む。悪いが、しばらく子守をしてもらうぞ」


「かまいません。慣れていますから」


 内地に残してきた、子供たちの顔が浮かんだ。


「ならば良い。私個人としても、彼女の面倒は君が見た方がよいと思っている。さて、ほかに質問がなければ退室したまえ」



「とにかく、なんとかする。だから君は心配はしなくて良い」


 内心では胸をなでおろしていた。ユナモの処遇を危ぶんでいたのだ。さすがに捨てて来いとは言われないだろうが、軍でまともな扱いうけられると限らない。


 何しろ彼女はただの少女ではなく、怪しげな術を使う。異世界の鬼なのだ。


 常人ならば忌避し、恐怖を覚える存在だろう。しかし本郷は違った。彼は人の子の親であり、ユナモをその延長で捉えている。


「中村少尉、撤収の準備をぼちぼちはじめておいてくれ。いつでも出ていけるように。シアトルまでの道は長いからね」


「了解」


 中村は納屋の外へ出て行った。本郷はおもむろに立ち上がると、足をぶらつかせた子どもへ歩み寄った。


「ユナモ、少し遠くへお出かけするよ」


 ユナモはこくりとして、首を傾げた。


「ドコ? ドレクライ、遠イ?」


「シアトルというとても大きい街だ。ここから移動に一週間かそれ以上かかるかもしれない。でも色んな大きな建物があって、珍しいお菓子もいっぱいある」


 お菓子と聞き、小さな瞼が少し見開かれた。


「ベルリンヨリモ、イッパイ?」


 無邪気な問いかけに本郷は苦笑した。


「それはちょっとわからないかな。とにかく準備ができたら出発だよ。いいね?」


「ウン、ワカッタ。ワスレモノナイヨウニシテオク」


「そうだね。そうしておくといい」


 本郷はそっとユナモの頭を撫でた。小さな角に手のひらを刺されたが、痛くはなかった。



【浦賀水道上空】


 昭和201945年 2月28日 昼


 浦賀水道上空、高度5000メートルを3機の戦闘機隊が南進していた。昨年正式採用され、今年に入ってから徐々に配備が進んでいる烈風一一型だった。海軍の最新鋭機で、ハ43発動機によって最高速度337ノット(624.1km/h)に達する。


 編隊長の戸張寛とばりひろし中尉はスロットルを全開にした。集結予定海域ランデヴーポイントまで、もうすぐだった。


 本日は晴天につき、視界は良好。


 絶好の空戦日和だが、全く面白くないことに敵の姿は認められなかった。


 面白くないと言えば、もう一つある。


 戸張中尉は僚機へ無線で呼びかけた。


「キヨセ1より、各機へ。全く冗談じゃねえよ」


『キヨセ2より、隊長。私語は厳禁ですよ』


「だって、そうだろ? 誰だよ、こんな阿呆みてえな、配置転換をしやがったのは」


『キヨセ3より、隊長。さすがに、それは言い過ぎです』


 続いて『頼むから、困らせんでください』と懇願してきた。戸張は大きく息を吐くと「わかっているよ」と返した。


 不満だらけだった。機体に対してではない。烈風は素晴らしい機体だった。彼が愛してやまなかった零戦五四型よりも、速度は優越し、立ち上がり上昇性能も悪くない。不満は全く認められない。


 海軍の航空隊、少なくとも彼が率いる隊ならば存分に使いこなし、戦果を上げることができるだろう。ただ一つの問題がなければ……。


――短か過ぎんだよ!!


 慣熟飛行の時間が全く足りていなかった。戸張の不満はそこだけだった。


 彼の隊がこの機体を受領したのは先月の初めだった。年始の訓示を飛行基地の司令より賜り、屠蘇で乾杯、続いて機体のお披露目となった。


 事前に聞かされていたとはいえ、戸張たち戦闘機乗りの誰もが童心に帰った気分で機体を受領した。そう言えば歳魂としだまをもらったとき、こんな気持ちだった。全く今になって思い返せば、あのときは莫迦みたいに呑気でいられものだ。


 それから3週間も経たずして、彼は基地司令室へ呼び出された。入室するや、新たな配属先が決まったと言い渡された。こいつはいったい何を言っているのだろうかと思った。俺達はまだ訓練期間中のはずじゃないか。


「ちょっと待ってください。<烈風>に乗り換えてから飛行時間は10時間そこそこですよ。全然足らんじゃないですか」


 基地司令は苦虫を潰したように肯いた。そんなことは言われずともわかっていた。


「わかっている。だが、GFからの命令なんだ。貴様の隊には、可能な限り燃料を融通してやるから何とか扱えるようにしてくれ」


「……了解です」


 戸張は眉間に皺を寄せたまま、司令室を出て行った。


 それから4週間、戸張の所属する隊は慣熟訓練を行い、機種転換から約70時間の飛行時間に確保することができた。4週間で70時間というのは短く感じるかも知れないが、それは操縦時の体力消耗を考慮に入れない換算だった。


 まず軍用機という代物は操縦者に体力的にも精神的にも過剰な負荷をかける代物だと理解しなければならない。これは機体の種類に限らず、一様に当てはまる原則だった。戦場において、お手本のような軌道で機体を運用できる状況はまずない。


 いつ何時なんどき、敵の奇襲を受けるかわからない。対空砲火の雨に突っ込むともわからない。最悪の場合は炎上する機体から脱出を迫られることになる。とにかく想定外の連続だ。そして不測の事態には、常に過剰な加速がつきまとう。


 慣熟飛行の訓練には、その種の状況を想定して模擬戦闘も当然のことながら含まれている。いくら模擬とはいえ、物理法則が手加減を加えてくれるわけではない。飛行中にかかり続けるGは、否応なく操縦者の体力を奪い取っていく。


 加えて彼等が習得すべきは飛行機の扱いだけではない。機体性能を理解するための座学の時間もある。新たな機体の計器の見方を覚える必要もある。


 そして機体整備の時間も忘れてはならない。そもそも飛ばす機体が万全でなければ訓練など始めようがない。


 ともかく時間があるからと言って、飛べるというわけではないのだ。無理をすれば、事故を引き起こす要因ともなる。実際のところ死傷者こそでなかったが、2月に入ってから訓練中の事故が続出した。明らかに操縦士へ負荷が掛かりすぎていた証拠である。


 戦場で死ぬならまだしも、訓練で部下を喪うのは全く御免被る話だった。


『隊長、母艦でも飛行訓練はできますよ』


『そうですよ。聞けば母艦も新鋭艦らしいですよ』


 僚機の操縦士が気遣うように、声をかけてくる。階級はともに飛行曹長で戸張よりも下だが、操縦経験と年齢では彼等の方が上だった。


 彼等は海軍の少年飛行士として志願し、十代の半ばから飛行機に乗っている。それに対して戸張が初めて操縦桿を握ったのは、海軍兵学校に入学してからだった。


 二人とも大ベテランにも関わらず、戸張が指揮をとっているのは彼等の階級が低いからだ。海軍が抱える制度上の欠陥だった。編隊長職は尉官以上が任ぜられることになっていた。結果的に実力に見合わぬ者が、ベテランを指揮することになってしまう。


 戸張は自分の腕を信じているが、他人の技量を見誤るほど愚かでは無かった。彼は自分よりも僚機の実力が上であることを認め、彼なりの敬意を払って接していた。


 彼等のことだから間をおかずして烈風に習熟してくれるだろう。その点に対して疑いはない。疑いはないが、気に入らなかった。誰だか知らないが、こんな命令を下したヤツはいっぺん地獄へ落ちれば良いと思った。


「ああ、そうだな……!」


 確かに母艦でも訓練はできるだろう。だが母艦で事故が起きた場合、飛行場とは比にならないほどの惨事になる。


 戸張は操縦桿を倒すと、機首を大きく下げさせ、そのまま機体をねじるように降下させた。


 僚機の操縦士はお互いに顔を合わせると、やれやれという具合に後を追った。


 急降下のGに耐えながら、戸張はもう一つ面白くないことを思いだした。最近、小春の機嫌がやたらと悪かった。どうやら原因は彼の友人儀堂にあるらしかったが、そいつを問い詰める間もなく今日を迎えてしまったことだ。



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