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老人と戦車(Old man and Panzer):2

「三国同盟は破棄され、我が国は世界から取り残された存在になった。総統フューラーは心労により亡くなったと聞いているが、恐らくそれは違う。彼は現実に耐えられなくなったのだ」


 老人は顔を背けた。日独伊の三国同盟から最初に離脱を表明したのは、他ならぬ日本だった。ヒトラーは日本を卑劣な下等人種ウンターメンシェと罵しり、その半年後に亡くなった。心臓発作と国営放送は伝えていたが、自決したのではないかと囁かれていた。


 本郷は複雑な思いを抱いた。彼は祖国の選択が誤りだったとは思わない。結果論だが、米英との協調路線は混乱期における日本の生命維持に役立った。あのまま枢軸国へ居続けたら、日本は存在していたかどうかすら怪しいものだった。


「気を悪くしないでくれ。君らを責めるつもりはない。どの道、私の祖国はどうしようもならなかったのだ」


 老人は深いため息が漏らした。


「とにかく我が国は選択を迫られた。このまま孤高に滅ぶか、あるいは屈辱を承知で助けを求めるかだ。そのとき我が国へ接近してきたのが合衆国だった。彼等は我々の技術成果に多大な関心を寄せていた」


 同時期に英国イギリスからも要請があったらしい。しかし、これは両国共に政治状況が許さなかった。英国はドイツ占領下にあるフランスの解放を条件にしていた。そしてドイツはフランスの工業生産力と人的資源を手放すことができなかった。なによりもドイツはフランスの復讐を恐れていた。


 後世、歴史家から莫迦げた妄想として切り捨てられるが、当時のドイツは、独立を回復したフランスと魔獣に東西から挟撃される事態を真面目に危惧していた。


「私とマウスは祖国から連合国へ捧げられた生け贄なのだ。彼らは技術資産と引き替えにドイツへ援助を提供している。私だけではない。フォン・ブラウンや他の科学者も差し出され、北米で怪しげな研究の手伝いをさせられているのだ。君らの国にも何名か出稼ぎ・・・に行ったと聞いているよ」


「……そうなのですか」


 本郷はドイツの窮状を推し量り、絶句した。かつての裏切り者日本にすら、助けを求めるほど追い詰められているとは。


「だからこそ、私は知ってしまったのだ」


 老人は眉間の皺を深めた。


「知ってしまった?」


「彼等が恐ろしい爆弾を開発していると、同胞の研究者から聞いた。その爆弾はBMをも一撃で消失させる威力を持っているのだ。完成したら躊躇無く彼等は使う。私はそれが許せない」


「なぜです? 我々にとって喜ぶべきことでしょう」


「違う。私にとっては違うのだ。恐ろしいことに、彼等はその実験対象として、この子マウスを使う腹積りらしい。私は確かに悪魔と手を結んだ技術者ファウストかもしれないが、悪魔メフィストではない。私は人として、この子の産みの親として、彼等に渡すことができない。頼む。どうか、この子を君の国で保護してくれ」


 本郷は途中から、老人の話を理解できなくなっていた。この子とはマウスのことだろう。こんな強力な戦車を爆弾の実験台に使うなど、現実離れした話だった。そんなことをするくらいなら実戦で使った方がよほど効果的に思える。だいたいBM用に造られた新型爆弾を戦車に使うなど、非効率も甚だしい。生きた鼠を相手にダイナマイトを使うようなものだ。


 自分の疑問を本郷は率直にぶつけた。老人はもっともなことだと言い、彼にマウスの操縦席を見るように促した。訝しがりながら、本郷は操縦席のハッチを開けた。そこにあるものを目にして、ようやく彼は老人の言うことを理解したのだった。


 本郷はマウスの車体から老人を見下ろした。その瞳には困惑と怒りを宿していた。


「なぜ、僕なんですか?」


「誤解しないでほしい。より正確には君にでは無く、君の祖国日本へ託したいのだ。かつての友邦だからではない。君の国が、連合国の中で一番危うい立場にあるからだ。だからこそ、君らはこの子を大切に扱うだろう」


「僕らが、いつ米英から切り捨てられてもおかしくはないから?」


「その通り」


 出来の良い生徒を見る目つきだった。


「今の君らは、かつてのスイス傭兵あるいは用心棒ランツクネヒトのようなものだ。米英の民を守るために差し出された肉の盾だ。我が国が技術を生け贄したように、君らはまさに本来的な意味で生け贄兵力を北米に差し出している。しかし、それとていつまでも続くわけではない。犠牲の多さに、君らが音を上げるかも知れない。あるいは新型爆弾の完成で、合衆国が君らをお払い箱にするかも知れない。いずれにしろ終わりはいつか来る」


「そうなったとき、僕らは新たな価値を連合国へ提供しなければならないと?」


「あるいは脅迫材料と言うべきだろう。そのため君らはこの子を大事にせざるを得ない」


「しかし、合衆国が許すとは思えません。本来は彼等が使うはずだったのものだ。力尽くで奪いに来たとき、僕に抗う術はない。何しろ、ここは彼等の本土ホームですから」


「もちろんだとも。だからこそ、君にはもう一働きしてほしいのだ」


 老人は格納庫へ案内した。そこには組み立て途中のマウス2号車の車体が放置されていた。本郷は未完成の2号車を牽引し、ボッティンオーの街中へ据えた。後は簡単だった。内部に爆薬を仕掛け、爆破と同時に鋼鉄の墓標が完成した。


 再び格納庫へ戻ったとき、老人は荷造りを終えていた。


「ユナモの存在は、合衆国でもごく一部のみにしか知られていない」


 小型BMの名前を口にしながら、分厚い封筒を差し出してくる。


「彼等が私を尋問し、あの子が逃げたと気づくまで時間があるはずだ。ここにあの子について、私が知る限りのことを書いた。君らの国で、この内容がわかりそうな人物、機関へ手渡してくれ」


 封筒を手に取ると、かなりの厚みがあった。書類の束を無理矢理ねじ込んだのだろう。封筒を受け取ると、本郷は内ポケットはしまいこんだ。


「あなたにとって、あの球体は何なのですか? まるで自分の子どものようだ」


 人類に災厄をもたらした球を戦車に組み込むなど、本郷には一生掛かっても理解しがたい行いだった。


「わかっているじゃないか。その通りだ。技術者にとって、製品プルドゥクトは全て我が子だ。例えそれが悪魔の産物であっても。我々は我が子が世界を良くするように使われることを、常に望んでいる。科学者はどうか知らん。だが技術者は、破滅を導く発明など望んでいない」


 返すべき言葉を本郷は持たなかった。老人も期待しているようには見えなかった。


 最後に老人は「ありがとうダンケ」と言い残し、自ら合衆国軍へ出頭して行った。


 本郷はその姿を見送った後で、ギガワームが造った洞穴へマウスを隠蔽し、今日に至った。



 老人と別れてから洞穴へ戻るまで、本郷は手渡された封筒の書類に一通り目を通した。大半は専門用語でわからなかったが、その一部、マウスに装備されたBMについて重大な事実を知ることができた。


 彼が洞穴の奥へ来たのは、その事実を確かめるためだった。


「ユナモ。ひとつお願いがあるんだ」


 操縦席に鎮座する黒い球体へ話しかける。


「ナニ?」


 球体はぼんやりと紫色の光を発した。


「そこから出てきてくれないか?」


「ナンデ?」


「君に悪いことをしようとする人たちが来るからだよ。一緒に来て欲しいんだ」


「悪イコトッテ、ナニ?」


「そうだね。君を傷つけたり、怖い思いをさせたりすることだ」


「……理解シタ。オジイサンハ一緒ナノ?」


「いいや……離れてしまった。でも、君のおじいさんは安全だよ。怖い思いはしていない」


 嘘は言っていない。恐らく合衆国軍にとって、あの老人はこれからも必要な存在だろう。合衆国は必要と認める限り、丁重に扱うはずだった。


「君のおじいさんに頼まれたんだよ。おじさんと一緒にここを出よう」


 妙な気分になった。まるで人さらいのようではないか。


「ソレナラ、私ハコノマウスト一緒ニ行ク」


「うーん、ちょっと、それは困るんだ。その箱はとても目立つからね。悪い人たち合衆国軍に見つかっちゃうと思うんだ。だから君だけまず安全なところへ連れて行きたいんだよ」


「ソレナラ、私ハ動カナイ。私ハ強イシ、怖クナイ」


「まあ、ぞれは否定できないな」


 今のユナモに傷つけられるものなどいないだろう。化け物みたいな戦車マウスに乗っているのならば、なおさらだ。困ったことになった。


 その後、本郷は手を尽くしてみたがユナモは頑としてマウスから出てこなかった。


――弱ったな。こりゃ、まるで駄々っ子だ


 ふと本郷は遠い記憶を呼び起こした。彼の娘がまだ幼かったときのことだ。何かの拍子で臍を曲げて、押し入れから出てこなくなったときがあった。妻から相談を受けた本郷は一計を案じた。それは神代より有効性を証明された策だった。


 そのとき本郷が使ったのは、氷菓アイスクリンだった。


 本郷はおもむろにポケットから板状の包みを取り出した。チョコレイトだ。


「ユナモ、オナカは減っていないか?」


「オナカ?」


 本郷は板を包んだ銀紙を剥がした。ミルク風味の甘い匂いがほのかに漂う。球体が紫色の光を増す。ひとかけら割ると、口の中に放り込む。さも美味そうに食べてみせた。実際、彼は空腹だったため迫真のある演技となった。


 なにやら生唾を飲み込んだような音が聞こえた気がした。


「試しにどうだい?」


「………」


「ああ、でも、その球体に入ったままだと食べられないな。うん、残念だ。美味いのになあ」


 本郷は再びチョコレイトを割ると、口に放り込んだ。


「……」


「あのおじいさんも、美味いと言っていたんだけど、君は食べられないのか。実に残念だ……」


「…」


 さらにチョコレイトを半分に割ると、本郷は球体に差し出した。


「試してみるかい?」



【ノースダコダ州北部 ダンシーズ】


 1945年2月19日 昼


 数時間後、本郷はダンシーズにある第二十戦車大隊本部を訪れていた。大隊長の東島大佐に戦果を報告するためだった。


 大隊本部は現地の高校を接収して、設営されている。東島は校長室にいた。


「それで、出てきたのがその子だというわけかね?」


 東島は本郷の背後に隠れた小さな影へ目を向けた。手にはチョコレイトが握られ、口元に茶色の化粧がほどこされている。


 年端もいかない少女だった。年の頃はせいぜい10というところだろう。国防軍ヴェアマハトの戦車兵の服に身を包み、頭には大きなベレー帽をかぶっている。顔つきは一昔前のドイツ風で言うのならば、実にアーリア的な風貌だった。目鼻立ちがくっきりとした美形である。


 東島は身をかがめると、にっこりと「こんにちは」と言った。子ども向けの笑顔だ。


 本郷は内心でぎょっとしていた。それは普段の東島から想像も付かないような親密さを醸し出していた。兵が見たら、変貌ぶりギャップに腰を抜かすかも知れない。


 しかし、ユナモにはあまり受けなかったようだ。顔をしかめた。


「オマエ、クサイ」


 唇をかみ、本郷は笑いを堪えた。彼の上官は無類の重篤喫煙者ヘビースモーカーだった。


 東島は苦笑すると「すまないね」と謝り、部下へ向き直った。いつもの無機質な相貌に戻っていた。


「本郷少佐、そのお嬢さんを別室へ案内してくれ。チョコレイトが不足なら、私の従兵を使ってかまわん。ありったけ持ってこさせろ。それが済んだら、ここに戻ってきたまえ」


「了解です」


 本郷はユナモの手を引くと別室まで連れて行った。そこで待つように言うと、案の定駄々をこねたので大量のチョコレイトを持ってこさせた。再び大隊長室に戻ったのは30分後だ。


 彼は中隊の状況と、戦闘の経過およびマウスとユナモについて簡潔に報告を行った。東島は一通り聞き終えた後で、老人について尋ねた。


「結局、その老人は最後まで名乗らなかったのか?」


「はい」


 本郷は何の迷いもなく答えた。その態度から東島は得心した。


「なるほど……君は相手が誰か知っていたのだな」


「はい、聞くまでもありませんでした」


 本郷は、かつてドイツへ留学した経験があった。ヒトラーお気に入りの要人が、時折、顔写真付で新聞に取り上げられていたのを見たことがある。その中に一名、該当者がいた。国民車の概念を創出した技術者だった。


「フェルディナント。フェルディナント・ポルシェです」



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