【ノースダコダ州北部 ボッテインオー近郊】
1945年2月17日 午後4時
合衆国陸軍のジュリアン・ラスカー大佐が、第十一機械化歩兵大隊を率いて駆けつけたのは、今より二時間ほど前のことだった。
ラスカーは彼以外の部隊からも幾分か戦力を抽出してきていた。工兵と衛生兵が大半を占めていた。それだけ考えても、彼は有能だと判断できた。事前に司令部で
ドーザー付のM4シャーマン戦車が、巨大な肉塊を細切れにしつつ、空き地へかき集めていく。小山のように降り積もった死肉へ兵士達はガソリンをばらまき、炎を放った。たちまち黒煙とともに耐えがたい異臭が周辺を包み込む。吐瀉するものはいなかった。兵士達はM4の乗員を含め、全員がガスマスクを着用していた。
「それでホンゴー少佐、君がこの車両でドラゴンを倒したと?」
「ええ、その通りです。ラスカー大佐」
本郷とラスカーは、その光景を遠巻きにしながら会話していた。彼らのすぐそば、10メートルほど離れた場所に黒く焼けこげたマウスが煙を燻らせていた。12.8センチ砲はうなだれたように、俯角をとり、片方の履帯は外れている。
まさに鋼鉄の墓標だった。
「この車両……マウスと言ったか? なぜこんなことになった? ドラゴンとギガワームを倒したのだろう? ならば、その時点でこの街から脅威は去っていたはずだ。どうして、こんな
ラスカーは本郷を正面から見据えて、問いただした。口調こそ丁寧だが、実質的な尋問だった。本郷は眉一つ動かさずに応じた。
「大佐、その答えは簡単です」
「なんだ?」
「激戦だったのです。我々は貴軍の最新鋭戦車1両と引き替えに魔獣を2体屠った。ただ、それだけのことなのです」
本郷はさらに続けた。マウスはドラゴンとギガワームの息の根を止めた。
ただし、その直後、戦闘による負荷に
「なるほど、激戦だったのだね、ホンゴー少佐」
ラスカーは浅黒い顔の日本人に念を押した。黄色人種らしからぬ顔つきだが、日本人特有の性質を備えている。何を考えているのか読めない面構えだった。
「ええ、
「そうだな。しかし致し方ない。それが戦争だからな」
「はい、それが戦争です」
日本人の顔に僅かに表情が現われた。それは怒りと自己嫌悪だった。ラスカーはどこかでほっとする思いを抱いた。ようやく彼は本郷が同じ人間であると自覚できたのだった。
マウスに目をやった。司令部で聞いた話では、
彼の祖父はユダヤ人だった。半世紀ほど前に新大陸へ渡り、サンフランシスコで古美術商を営み、一代で財をなした。その後に父が後を継いだが、残念ながら魔獣の出現と共に彼の実家兼店舗は喪失した。
なるほど5年前に亡くしたものは東海岸だけではないらしい。よりにもよって、ナチの生き残りと手を結ぶとは。
ラスカーはヘルメットを脱いだ。冷たい風が頭部の汗を気化させ、熱を奪っていく。しばらくして、再びヘルメットをかぶり直す。彼は合衆国軍人へ戻った。
「ホンゴー少佐、君に言っておくべきことがある。非常時とは言え、我が軍の、それも試験車両を無断で使用したのは看過しがたい」
「はい……」
ホンゴーは覚悟を決めた顔で肯いた。ラスカーの表情は対照的なものとなった。微笑みすら浮かべている。
「ただ、遺憾ながら私は軍人だ。
本郷は目を見張ると、次の瞬間ラスカーと同じ面持ちで肯いた。
彼等は自分の隊へ戻ると、ボッティンオーの混乱の収束へ全力を注いだ。
◇
【ノースダコダ州北部 ボッテインオー】
1945年2月19日
ボッティンオーがようやく秩序を回復したのは、魔獣の襲撃から2日後のことだった。
本郷は遣米軍司令部から派遣された味方部隊と合流し、任務の引き継ぎを行った。
彼の部隊はあまりにも損耗しすぎていたからだった。そう遠くない未来に本郷の中隊は再編成のため、遙か後方へ回されるだろう。久しぶりにロッキー山脈を越えることになりそうだ。輜重科の将校から聞いた話だと、先月横須賀を発った支援船団がシアトルに着くらしい。
新たな戦いに備えて、大量の物資と装備が届けられる。その中の幾分かは本郷の中隊に割り当てられることになるかもしれない。
◇
その日の午後、本郷は大隊本部から新たな命令を正式に受けた。予想通りだった。彼の中隊は、戦力を充足させるために、一週間後にシアトルへ移送されることになった。
ならば、彼は急がなければならなかった。
翌朝、日もまだ姿を見せぬ頃合に本郷はボッティンオー近郊の森へ足を踏み入れた。そこはドラゴンが出現した付近に当たる。中村少尉を含む数名の将兵を伴い、慎重に歩を進めていく。
この地区の哨戒担当は
やがて、本郷は目的地に辿り着いた。見張りに付けていた兵士へ、差し入れのチョコレイトと煙草を手渡す。
そこは原生林の間に出来た巨大な洞穴で、本郷が倒したギガワームによって築かれたものだ。
懐中電灯で足下を照らしながら、奥深くへ突き進んでいく。
その一方で、本郷は全く別の理由から気を揉んでいた。
――あれから2日もたってしまった。果たして飲まず食わずで本当に大丈夫なのか?
やがて、彼は洞窟の最奥部まで辿り着いた。懐中電灯を前にかざす、映し出されたのは鋼鉄のモノリスだった。数日前にボッティンオーの街で巨獣2体を圧倒し、平らげた
本郷は兵士を待機させると、巨大な車体脇へ歩む寄った。そこに備えられた梯子をのぼり、車体前部にある操縦手用のハッチをノックする。しばらくして返事があった。小さな子どもの声だった。
「誰ダ?」
ほっと胸をなで下ろす。
「僕だ。本郷だよ。ここを空けて良いかな?」
「……カマワナイ」
「失礼、
丸い天蓋を開き、車内を懐中電灯で照らし出した。全く現実離れした情景が浮かび上がる。
操縦席に
――確かに……
人類にとって悪夢の象徴に他ならない存在だった。5年前に世界各地に忽然と現われ、厄災をまき散らした球体だ。
それこそが声の主であり、マウスの操縦手だった。
――よりにもよって……とんでもないものを貸し出してくれたものだ。
黒光りする球体に、自身の顔が映し出されれた。酷く歪んで、まるで困っているようだった。
2日前の記憶が彼の脳内で再生された。
◇
ドラゴンとの戦闘を終えて、本郷はマウスと共に格納庫へ帰還した。降車後、ドイツの老人へ礼を告げるため本郷は歩み寄った。老人は彼が礼を言う前に会話を始めた。焦っているようだった。
「君らに、これを預けたい」
マウスを指しながら、彼は言った。
本郷は素直に面喰らい、思わず日本語で「待ってくれ」と言い、ドイツ語で急いで言い直した。
「待ってください。説明をしてください。突然すぎる」
老人は僅かに反省の色をみせたが、その意思に変わりは無いようだった。
彼は本郷の求めに応じて、説明を始めた。
「元々、これはある方の遺志で開発したものだ」
独り言のような語り口だった。
◇
その指導者は絶望から現われ、祖国を希望の光で照らし、そして再び絶望へ導いた。
私は、
1941年、国防軍の主力は
魔獣は独ソ両国から東部戦線という概念を奪い取った。彼等に戦線はない。敵は己以外の全てだ。国防軍は各地で分断され、かつて凱歌を上げて突き進んだ道のりを嗚咽と血にまみれながら引き返すことになった。君も知っての通り、我が軍が秩序を回復したのはつい先年のことだ。その頃には世界は一変していた。