目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

パンツァー VS ドラゴン(Panzer vs Dragon):2

『サッキノ危ナイ。距離ガ大事』


 たどたどしい日本語が車内無線より発せられる。臨時で彼の隊へ入った操縦手からだった。本郷は喉頭式マイクを押さえた。


「すまない。次から気をつけよう」


 本郷は遠く離れた数メートル先の車内前方席へ向けて、心より謝罪すると、改めて前を見据えた。


 ドラゴンが後ずさりしつつある。どうやらこちらも化け物だと気づいたらしい。ここで逃がすわけにはいかない。何よりも彼の部下に申し訳が立たない。それに、あの魔獣ヤツり過ぎた。人間を嘗めるとどうなるか、教育する必要がある。


 本郷は大蜥蜴ドラゴンを躾けることにした。受講料は、その血であがなってもらう。


「戦車、前へ」


『……?』


 しまったと思い、わかるように操縦手の母国ドイツ語で言い直す。


Pazer vorパンツァー・フォー!」


Jawohlヤヴォール


 小さくはねるような返答とともに、全く対称的な行動が開始される。


 重量187トンのモノリスが動き出したのだ。それは妥協を一切許さぬ平面によって構成された鋼鉄の使徒だった。


 全長は10メートル、幅は3.6メートル、砲塔を含む車高は同じく3.6メートルある。正面装甲は200ミリを越え、搭載された砲は二門、12.8センチと7.5センチ砲だった。何もかもが過剰で規格外だが、それは紛れもなく戦車だった。


 ボッティンオー空港の格納庫で、この鉄塊を目にしたとき本郷は混乱した。彼が知る戦車とあまりにもかけ離れた存在だった。戦車に似た何か別のものだと彼は思いかけたが、格納庫で会った老人によって否定された。


 老人から戦車Panzerであると言い切られ、本郷は自身の常識を書き換えた。


 実際に乗ってみて、あらためて実感する。なるほど、これは戦車であった。ただ、ひとつだけどうしても納得できないことがあった。


――なんでまた、マウスネズミなどという名前にしたんだ?


 マウス、この超重戦車の名前だった。


 母国ドイツにおける正式名称は8号戦車 マウスPanzerkampfwagen ⅤIII Maus。187トンの鉄塊に、ネズミと名付けるドイツ人の感性は理解しがたかった。むしろ、巨象マンムートもしくは巨人ゴリアテと呼ぶべきでは無いのか?


「次弾装填完了」


 すぐ前ににいる装填手が息を切らせながら報告してきた。車体と同様に砲弾も規格外だった。12.8センチ砲弾は30キロ近く、一人で装填するのはそうとう難儀する。


 労いの言葉をかけると、彼は砲手へ命じた。


「目標、敵ドラゴン胸部」


 砲塔が旋回し、蠢く鱗の山を指向する。やがて、その照準器いっぱいにドラゴンの胸部が収められた。本郷は、これ以上戦いを長引かせるつもりは無かった。


 ボッティンオーは十分すぎるほど人類は血を流していた。にもかかわらず魔獣は未だに健在だ。これでは帳尻が合わない。彼は不公平を嫌う男だった。


ェ!」


 砲身に収められた12.8センチの砲弾の雷管が作動、炸薬が瞬時に爆散し、その威力は弾頭下部へ集約される。砲身内で運動エネルギーの奔流が凝集し、徹甲弾を秒速920mで弾きだした。それは巨大な鋼鉄の杭となり、ドラゴンの胸部、その一部を深々と穿った。


 絶叫。


 身も震えるような叫びがボッティンオーの街へ響き渡り、大地が赤黒く染まった。彼の躾は一定の効果が見られた。ドラゴンは巨体を身もだえさせると、さらに後退した。マウスが竜を確実に追い込んでいく。


 そのままドラゴンを押しつぶすかに思えた瞬間、車体が僅かに揺らぐ。直後、行く先の大地が大きく割れた。


 つがいの窮地を救おうと、ギガワームが地中を掘り進んできたのだった。



 ギガワームは地中を掘り進むと、まずマウスの車体直下から押し上げようとした。しかし、その意図は直前でくじかれてしまった。


 ギガワームは混乱した。


 地中から頭を出せなかった。まるで巨大な蓋で押さえつけられているかのように、一ミリも進むことができない。


 これまで多数の獲物戦車を突き上げて仕留めてきたはずなのに、それができない。


 ギガワームの混乱は恐怖と怒りに変わった。彼(彼女?)は相手を威嚇するために、前面の地表から巨体を露出させた。


 結果、ドラゴンをかばうようにギガワームが立ちふさがった。


 その漆黒の瞳には映ったのは、自身の4分の1にも見たない鋼鉄の鼠だった。ギガワームは咆哮し、自身の身体を打ち付けた。20トンの衝撃が鋼鉄の鼠に襲いかかる。



「耐衝撃! 何かにつかまれ!」


 本郷は叫ぶと自身も近くの手近な砲手の席に掴まって耐えた。他の乗員も同様に手近なところに掴まり身を固定する。しかし彼等の努力は全くの杞憂で終わった。


 マウスはその名のごとく、そしてその巨体に反して、全く機敏な速度で後退してみせた。ギガワームは、何もない地面にその巨体を打ち付ける形になった。


『ダカラ距離ガ大事トイッタノニ』


 呆れた声が耳当てレシーバーから聞こえた。


「あ、ああ、そうだな」


 本郷は自分が狼狽していることに気づいた。


――なんだ、今の動きは?


 まるで宙を平衡移動したかのように滑らかな後退機動だった。ほとんど震動すらも感じなかった。これがドイツの科学力なのか? まるで魔法ではないか。


『ホンゴー、アレヲドウスル?』


 耳当てレシーバーからたどたどしい日本語が聞こえてくる。あれとは、目前のギガワームのことだろう。体当たりを避けられたギガワームは再度屹立した。今度こそ、押しつぶしに来るつもりだろう。


 本郷は鉄の洗礼を与えることにした。すでに12.8センチ砲の準備は整っている。


「撃て」


 至近距離からの発砲だった。砲身から橙色で暴力的な炎が吹き出される。12.8センチの長槍は鱗の障壁を穿ち、その巨体を完全に貫いていた。


 身体の前後に大穴を空けられ、そこから耐えがたい異臭と共に血液が噴き出した。ギガワームは途切れるような絶叫を上げ、倒れ伏した。そのまま小刻み痙攣している。おそらく二度と立ち上がることはあるまい。


 相棒ギガワームの最後を見せつけられ、ドラゴンは激昂したようだった。急速に戦意を回復し、向ってきた。


 どうやら躾が足りていないらしい。


 本郷はさらなる教育の必要性を認めた。やはり言葉の通じぬ獣ならば、身体に言って聞かせるしか無かろう。


 再び操縦手へ前進を命じる。


Panzer Marschパンツァー マァルシュ


Jawohlヤヴォール


 マウスは目前の肉塊ギガワームを蹂躙し、身体の一部をミンチに変えながら突き進んだ。


――次発装填の遅さが課題だな。


 車内前方の2つの席を見て思う。四苦八苦する装填手の姿と、装填完了を今かと待ちわびる砲手の姿があった。ちなみに本郷の席はなかった。マウスの車体は広く、日本人としては長身の本郷ですら立ったまま指揮を執ることが可能なほどだ。


 やはり12.8センチ砲の装填は手間のかかるものだった。発射後、毎度大騒ぎになる。


 砲座ごと砲身が後退し、開いた尾栓から薬莢と燃焼ガスが吐き出される。複座駐退機により後退した砲身が下に戻る。装填手が砲身内部を確認し、ここでようやく次弾装填に移ることができた。砲弾と薬莢をそれぞれ殴りつけるように押し込み、躾の準備が整う。


 ドラゴンは炎をまき散らしながら突貫してきた。


 次弾装填中に一気に距離をつめられ、マウスはドラゴンと正面から組み合うかたちになった。ドラゴンは自らの巨体をマウスにぶち当てると、無事な片方の前足で殴りつけた。しかし、鋼鉄の鼠は地表に吸い付いたように小揺るぎもしなかった。


 その様子に蜥蜴の獣はたじろいだ。


 どうやら魔獣にとっても、マウスは規格外の存在らしい。


『ホンゴー、ハヤク』


 操縦手はご機嫌な斜め様子だった。思わず本郷は苦笑を漏らした。


――万歳は僕ら帝国陸軍の十八番なんだがな……。


 砲塔旋回を命じながら、本郷は思った。


 本郷の躾は3発の砲声をもって終えた。後に残されたのは鱗に包まれた大量の血と肉の結合物だった。



 戦闘後、本郷は降車し、中村少尉に合流した。


「中村君、無事か?」


「え、ええ、かろうじて五体無事で済みました」


 どうやらやせ我慢というわけではなさそうだった。顔に擦り傷をおっているが、姿勢はしっかりとしていた。


 中村は本郷の背後にあるものへ唖然とした視線を送っていた。


「少佐、こいつは、その……戦車でしょうね?」


 苦笑しつつ、首を小さく縦に振る。


「ああ、そうだよ。これは戦車だ」


「アメさんの戦車ですか?」


 本郷は首を横に振った。「では、どこの――」と言いかける中村に対して、本郷はマウスの砲塔側面を指さした。ドラゴンの血しぶきで汚れているが、その漆黒の紋章は、とある列強陸軍の象徴アイコンとして知れ渡っているものだった。


国防軍ヴェアマハト


 中村は、呟くように言った。ドイツ軍の鉄十字アイアンクロスだった。


「なんで、独軍がこんなところに……」


「もっともな疑問だが、僕も理由は知らないんだ。それに――今はやるべきことがある」


「ええ、確かに……」


 二人は周辺を見渡した。倒壊した家屋の山、燻った戦車の残骸、そして獣の死肉が耐えがたい異臭を放っている。本郷は惨状になれた自身に気づき、少し嫌悪感を覚えた。


 すぐに本郷は中村へ生存者の救助と隊の再編を命じた。彼の隊はかつてないほどの甚大な損害を負っていた。ボッティンオーに着いたとき、中隊の装甲車両は15両はあった。それが今では5両に減じている。


 ちなみに、その5両の勘定カウントにマウスは入っていない。


 本郷の認識では、あくまでもマウスは借用したものだった。いずれは持ち主に戦車これを返さねばならないだろう。


 戦死者については、生存者から逆算した方がより正確な数字が出せそうだった。彼等の大半は戦車兵であり、二体の巨竜との戦闘で鉄の棺桶ごと火葬されていた。遺体の回収は容易ならざるものだろう。概算だが今日の戦闘で彼の装甲戦力は7割近い損失を被っていた。


 つまり、中隊は今日をもって壊滅したのだ。


 彼が北米の地で味わった現実の中でも、最も過酷なものだった。


 もっとも、それは現時点での話である。この先、さらに最悪な事態が待ち受けているかもしれない。


 表面上、本郷は決然とした指揮官を演じきった。彼の内面で僅かな恐怖が生じていた。今回の戦闘で生じた被害、そこで負うべき責任に対してではない。彼はこの戦争という演目において、指揮官という役に染色されつつあった。


今でも、戦死者の報告を眉一つ動かさずに聞き届けている。その事実に何の疑問も感じていない。かつて生家で本の虫として過ごした日々が遙か遠くの、別人のことのように感じはじめていた。もう心が戦争に飲み込まれつつあった。


――本分をまっとうする人間は最後には報われるものでございます。


 「嵐が丘」だったか。猛烈に書物を欲したくなってきた。何でもいい。そう、せっかく北米にいるんだ。「グレートギャッツビー」がいいだろうか。ああ、しまった。この前、シアトルの書店で見かけたときに買っておけば良かった。


 中隊の残余を再編し、本郷は合衆国の将兵や非戦闘員の救出を中村少尉に命じた。続いて本郷は、生き残った合衆国将兵から医官と救護兵を見つけ出し、臨時の野戦病院を仮設させた。


 彼が戦闘から退避していた一式半装軌装甲兵車の無線機を用いて、大隊本部へ連絡取ったのは昼頃だった。本郷の報告を受け、大隊長の東島は伝えるべき事実を簡潔に述べた。合衆国軍がまもなく救援に駆けつけるらしい。


 本郷は、そこでやるべきことを思い出した。


 借りたものは返さねばならない。


 彼はマウスに乗車すると、ボッティンオー空港へ向った。


 ドイツの老人は、格納庫の前に佇んでいた。どうやら彼等の帰りを待っていたようだ。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?