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北太平洋(North pacific)

【北太平洋上 駆逐艦<宵月>】


 1945年3月16日 昼


 まただ。


 また、あれが来たと思った。


 ああ、またあれを聞かされるのか……。



 誰かが呼ぶ声が聞こえた。声の主に覚えはあるが、思い出せない。もやが掛かっているように、相手の顔を思い浮かべることができなかった。だけど、自分は答えなければいけないという感覚、焦燥があった。


 その子は自分に助けを求めているのだから。


 自分は、その子にとってかけがえのない……いったい何だろうか?


 なによりも彼女は叫んでいた。悲鳴を、嗚咽、そして怨嗟を上げていた。


 それは自分を苛むようにすすり泣いていた。


 なんだ、一体何なのだ?


 お主はいったい……。


「ネシ…………ン」


 水底から響くように名を呼ばれ、身を焦がすような思いに囚われる。


  そこで彼女は覚醒した。



 YS87船団が浦賀水道を出て、18日目を迎えていた。


 この船団は例外的な措置で送り出されていた。それは未だに一部のものにしか明かされていない北米での反攻作戦へ備えるために編成されたものだった。定期輸送分に、反攻作戦に必要な兵站物資も加えられた結果、かつてない規模の船団が生まれてしまった。


 戦闘艦艇を除いても155隻となる大船団だった。それらには北米戦線を支えるための武器、弾薬、糧食、生活物資が大量に積み込まれている。通例、横須賀―シアトルYS航路の船団規模は、30から50隻程度がであるから、今回がいかに異例であることは明らかだった。


 当初は護衛総隊EFの保有する戦闘艦艇のみで、護衛任務を行う予定だった。しかし、横須賀空襲が状況を一変させた。亡霊戦艦<アリゾナ>(海軍が後に呼称した)の砲撃により、EFがYS87船団のために配備していた護衛艦艇の大半が行動不能に陥った。


 EF長官の伊藤整一大将は躊躇無く、GF長官の山口多聞大将へ支援要請を行った。山口は快諾し、新設された第三航空艦隊を瀬戸内海から回航させた。


 結果的にYS87船団は、数値上は順調な航海を歩んでいたと言っても良い。今のところ喪失した船は皆無だった。海軍省の戦争指導部は、今頃胸をなで下ろしているだろう。あと7日もすれば目的地であるシアトルへ到着する。護衛総隊へ虎の子の第三航空艦隊を供出した連合艦隊GF司令部も同様の心境であるに違いなかった。


 しかしながら、全く危機がなかったと言えば嘘になろう。


 ここに至るまでYS87船団は魔獣の襲撃を複数回にわたり受けていた。


 特にここ三日間にわたり、襲撃の回数が増大している。


 たった今も5度目の襲撃、その対処に追われている最中だった。


「対獣戦闘、用意」


 魔導メイガス艦<宵月>の艦橋で、儀堂大尉は命じた。


「目標、潜行型魔獣クラァケン。面舵一杯。取りつかれる前に始末する」


「対獣戦闘、宜候。おもぉかぁじいっぱい!」


 副長の興津中尉が復唱し、<宵月>は回頭を開始した。船団中央から外周へ向けて、波濤を切り進んでいく。


 第三艦隊の哨戒艦ピケットから、報告が来たのは30分ほど前のことだった。クラァケンの大群を聴音探知したとのことだった。


 すぐに儀堂は思った。


 きっと厄介なことになる。


 クラァケンは他の魔獣と違い、群れで行動する特性があった。探知した推進音は合計30体だった。クラァケンはサーペントのように轟雷のような能力は持っていない。基本的には近接戦闘を主軸としており、万全を期しているのならば迎撃はたやすい。


 しかし、それはあくまでも戦闘艦艇であればの話だった。何の武装も持たない。油槽船タンカーや貨物船の場合、まったく事情が異なってくる。いくらそれらの船が鋼鉄で出来た船であろうとも、全長40メートル近い巨獣にとりつかれて無傷で済むのは難しい。


 それに、何よりもクラァケンの攻撃特性が全く厄介だった。奴らは確かに近接戦闘しか行わない。ただし、その近接の仕方が特殊すぎた。


 突如、<宵月>の左前方の油槽船に異変が起きた。鈍く重い金属の衝撃音が響き渡り、船体が一瞬浮き上がったと思った直後、航行不能に陥った。


 間もなく油槽船から悲鳴のような救難要請が発信される。クラァケンが船底直下に体当たりしてきたのだ。これこそがクラァケンの攻撃特性だった。


 奴らは海面直下から、自身の浮力を利用して、一気に船底へ向けて突っ込んでくる。そして船底を突き破った後に、船内を触手で破壊しつくすのだった。


「畜生……」


 どうにもできなかった。うかつに攻撃すれば、油槽船のオイルに引火する恐れがある。


 儀堂は決断した。喉頭式マイクのスイッチを入れる。


「ネシス、起きているか?」


 儀堂の呼びかけに、ネシスはしばらく答えなかった。やはり、またぞろ居眠りかと思う。


「おい、ネシ……」


『起きておる』


 気のせいだろうか。鼻の詰まったような声だった。


「……風邪でも引いたのかい? 声が変だぞ」


『引いておらん。それより何の用じゃ?』


 不機嫌そうだったが、無用な追求は避けることにした。何よりも今は時間が無い。


「魔獣だ。タイプはクラァケン。味方の船に張り付かれた。引きはがせるか?」


『たやすいぞ。妾の歌を届かせる準備をするがよい』


「わかった」


 儀堂は通話先を水測室へ切り替えた。


「水測長、周辺に敵獣の反応はあるか?」


『味方に張り付いた一体のみです。それ以外は認められません』


「宜しい。水中拡声機を用意」


『宜候。子守歌ローレライですね』


 水測長の兵曹が揶揄するように応えた。


「そうだよ。暫く耳当てレシーバーを取り外すよう、他の兵員にも徹底させてくれ。何しろ、これから本番なのだ。君らまで、睡魔に囚われては困る」


『承知しました。おい、お姫様の子守歌だ。すぐに放送の用意にかかれ』


 <宵月>の船底で変化が生じた。船体中央部、喫水線下に隠された堰水扉シャッターが解放される。それは左右対称になるよう二カ所に取り付けられていた。先月の改装時に<宵月>へ追加された装備だった。それはネシスのある能力を増大させる効果があった。


 儀堂はさらに<宵月>を増速させると、クラァケンに取りつかれた油槽船の真横につけ、同航状態に持ち込んだ。喫水線上にクラァケンの触手がはみ出ている。極めて遺憾に思う。一刻も早く処分せねばと思う。


「副長、付近の艦艇に通達しろ。これよりローレライを行う」


「承知しました」


 <宵月>の通達を受け、半径10キロ圏内の艦艇、その水測員が一斉に耳当てを外した。巻き添えを食らわないためだった。


「左舷、水中拡声機作動。ネシス、頼む」


『よかろう……』


 耳当てレシーバー越しに「スゥ」と息を飲む音が聞こえた。儀堂も耳当てレシーバーを右耳から外した。直後、水面を揺らす歌声が<宵月>の左舷より放たれる。水中を伝い、音波の網が張り巡らされる。それは油槽船を捕らえたクラァケンの身を包み込み、本能を狂わせた。クラァケンの全身が弛緩していく。数秒経たずして文字通り骨抜きにされた状態になってしまった。


 水面から這い出ていた触手が急速に力を失っていくのが見えた。油槽船を羽交い締めにしていた触手どもは、糸が切れたように次々と水中へ姿を消していった。


 やがて、油槽船からクラァケンが船体より離れたと通信が入った。どうやら依然としてクラァケンに体当たりされた破孔より、浸水しているが航行可能なようだった。


「すぐに、この海域から離れてください。またすぐにヤツは襲ってきます」


 儀堂は油槽船へ無線で命じた。相手は彼より遙か年上の船長だった。


『わかっとる。ただ、今動くとかえって浸水が広がるんだ。少し待ってくれ』


 相手はどうやら元軍人のようだった。声の態度、冷静さと状況判断の的確さから判断した。確かに、まともに応急措置を行わずに航行した場合、返って浸水の被害を酷くすることになる。


「申し訳ないのですが、時間がありません。ほんの200メートルばかり進んでいただけませんか。さもなければ、ヤツを取り逃してしまう。あなた以外の船が被害に遭うかもしれない」


 儀堂は既に散布爆雷の照準を油槽船が漂う海域へ合わせていた。


『……ああ、認めよう。軍人さん、あんたの言うとこは正しいよ。ただ、もしものときはケツをもってくれ』


「ええ、もちろんです。我々はそのためにいるのです」


 油槽船はよろよろと退避を始めた。完全に攻撃圏外から外れたのを認めたところで、儀堂は散布爆雷の投射を命じた。24個の小型爆雷がクラァケンの潜伏海域へばらまかれた。


 数十秒後に水柱が数本立ち上がり、バラバラになった肉片が浮き上がってきた。歓声を上げる間もなく、再び儀堂は喉頭式マイクのスイッチを入れた。


「ネシス、もういいぞ。ヤツは眠った」


 念のため数秒の間をおいてから、右耳に耳当てを装着する。以前うっかり彼女が歌い終える前に装着してしまい、その場で昏倒したことがあったのだ。


 ネシスの使った魔導は、睡眠効果ヒュプノスを及ぼすものだった。まさに神話に伝わるローレライに似たようなもので、聞いたものの意識を奪い、昏倒させてしまう。それは有機生命体ならば、人魔問わず効果のある業だった。水中拡声器で増幅させることで、大型の魔獣すら昏倒させることが可能となる。敵味方無差別に影響を及ぼしてしまうのが唯一の弱点だった。


「ネシス、どうかしたか?」


『別に……どうもせん』


 やはり、声にいつもの覇気が感じられなかった。儀堂はあえて問いただすべきか考えたが、敵獣は彼に迷う隙すら与えてくれなかった。


「外周哨戒艦より警報。敵獣3体が警戒線を突破。こちらへ向ってきます」


 興津が高声電話を握りしめて言った。


「水測室へ、聴音を再開させろ。一匹残らず、例外なく駆除する」


 <宵月>が駆除を完了させたのは、それから3時間後のことだった。彼女宵月と第三航空艦隊は30体分の肉片を太平洋の海洋生物へ提供した。



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