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暗夜航路(Dark waters)

【北太平洋上 駆逐艦<宵月>よいづき


 1945年3月16日 夜


 儀堂が艦橋を降りたのは、20時を回った頃だった。これで丸一日艦橋へ詰めていたことになる。本来なら正午で副長の興津中尉と交代するはずだったが、魔獣の襲撃によって機会を逸した。


 よくある事態だから、別段気にもとめていない。


 世の中が自分の都合で回っているわけではないのだ。その思考が許されるのは乳飲み子までだと儀堂は考えていた。


 僅かに疲労を感じながら、儀堂は艦内中央の区画へ出向いた。本来ならば、そのまま艦長室へ戻るつもりだったのだが、昼間のネシスとのやりとりがどうも喉奥に刺さった小骨のように心の奥で疼いていた。


 分厚い水密扉を3回、強くノックした。一見すると殴打しているように見えるが、仕様が無いことだった。厚さ15センチ近くある扉ならば、生半可な力で叩いても反対側まで音が響かない。彼は、士官オフィサーとしてあるべき振る舞いを士官学校時代に叩き込まれていた。彼が強引なノックを行使したのも、婦人レディの部屋へ入る際の儀礼マナーをある意味愚直なほど忠実に守ろうと努力した結果だった。


 もっとも、今回に限りその努力は意味をなさなかった。


「失礼……」


 水密扉を開いた先は、<宵月>の心臓部、魔導機関メイガス室だ。すでに戦闘配置は解除されていたため、室内灯の白熱球で照らされていた。室内には二人の女性がいた。


 御調少尉とリッテルハイム女史だった。銀色の筒、ネシスが収まっている魔導接続機を挟んで両側に立っていた。


 御調少尉が敬礼をした。儀堂は軽く手を上げて応えた。リッテルハイムは儀堂の存在など意に介さず、魔導接続機の近くにある演算機を何やら弄っていた。


 御調少尉は手を下ろした。


「艦長いかがなさいました?」


「いや、ネシスはまだそこにいるのかな?」


「いいえ、彼女はつい先ほど出て行きました。恐らく自室へ戻ったのでは?」


「そうか……」


「その、何か、ご用でしたか?」


「いや、大したことじゃない。ありがとう」


 その場を立ち去ろうとした儀堂に背後から声がかけられた。


「ちょっと艦長カピティン、よろしくて?」


 リッテルハイムだった。儀堂は不穏な気配を感じながら、振り向いた。どうも、この独逸人とはそりの合わないところがあった。


「私、甲板デッキへ出てもいいかしら? 外の空気を吸いたいの」


「ええ、かまいませんよ。すぐに誰か呼びましょう」


 リッテルハイムは部外者だったため、自室と魔導機関室以外の立ち入りを原則として禁じられていた。その他の区画へ出入りする際は必ず護衛見張りの兵を付けられることになっている。


「いいえ、それには及ばないわ。あなたにエスコートをお願いしたいの」


 リッテルハイムは口元は笑っていたが、豹のように挑むような目つきだった。儀堂は少し考えた後に、承諾した。要するに話があるのだろう。ここで断ったところで、この独逸人は何かにかこつけて彼へ接近してくるのではないかと思った。そうなると余計な面倒を誘発することになりかねない。下手をして、勝手に艦内を歩き回られてはたまったものではなかった。


 第一、兵の士気へ悪影響を及ぼす。


 長期航海に加え、度重なる戦闘で兵士の神経にかかる負担は相当なものだ。ただでさえ緊張が高ぶっている艦内を、見目も麗しい西洋人が跋扈するなど考えたくもない絵面だった。


 儀堂は爽快ともとれる笑みで返した。


「光栄ですね、フロイライン・リッテルハイム。それでは外套をお持ちになった方が良いですよ。外は目の覚めるような寒さだ」


 二人は連れだって、魔導機関室を出た。



 後部甲板に出た途端、北太平洋の冷たい風が二人を包み込んだ。今日の海は比較的穏やかな方だったが、北洋の海では珍しいことだった。まるで嵐の前の静けさだ。


「え、こんなに冷えるの……?」


 リッテルハイムは目を丸くして、身体を縮込ませた。先ほどの威勢もどこかへ吹き飛んでいる。どうやら寒いのは苦手なようだ。なんでまた、甲板なぞに出ようと思ったのかと思う。


「冷えると言ったでしょう。北太平洋は初めてですか? だいたいが、こんなものです。むしろ今日は暖かい方だ」


 儀堂は苦笑を堪えながら、言った。


「そ、そうよ……。ああもう、だいたい誰かさんのご命令で、まともに出歩けなかったんだから、仕方ないじゃない」


 言葉こそキツいものだったが、格好が全く伴わなかった。歯の根を鳴らしながら身体を丸めており、まるで借りてきた猫のようである。ある種の可愛げを醸し出していた。


 リッテルハイムは懐から煙草を取り出した。灯火管制下なら止めていたが、今は違う。彼女は自前のライターで火を点けようとしたが、手が震えて難儀なことになっていた。


 儀堂は彼女へ手を差し出した。


「よろしければ――」


「ええ、お願い」


 儀堂はライターを受け取ると、彼女の口元へ持って行った。


ありがとうダンケ


「いいえ――」


「ところで、少し聞きたいことがあるの」


 来たなと思った。直裁的な彼女の性格に感謝した。どうでも良い前置き世間話をする輩を儀堂は好まなかった。


「あの鬼だけど――」


「ネシスですね」


 儀堂が言い直したことに、リッテルハイムは少し驚いたようだった。


「そう、あのネシスについてよ。あなたが知っている限りのことを聞かせて」


「漠然としていますね。彼女の能力についてなら、御調少尉の方・・・・・・がよく知っていると思いますよ」


 御調は宮内省から派遣された特務士官だった。その手の魔導について専門家らしく、魔導機関やネシスの管理も彼女が行っている。


「御調少尉ね」


 ふんと鼻を鳴らした。どうも苦手らしい。


「あの子はとても教育が行き届いているみたい。特に上官からの教えに忠実なのね。私の知りたいことには何一つ応えてくれない」


 上官とは六反田のことだろう。


「それなら私はあなたの期待に応えられないでしょう」


「どうして? あなたも教えに忠実だから?」


「それもありますが、御調少尉は私にも詳細を明かしていません」


 嘘は言っていない。より正確には儀堂が御調へ、その手の質問をしたことがないだけだが。


 YS87船団に合流するまで、儀堂は<宵月>の艤装指揮に追われていた。合流後に今度は対獣戦闘の指揮が待っていた。結果的に、儀堂は自分の艦の秘匿装置について、まともな講習レクチャーを受けぬまま航海に乗り出していたのである。


 もちろん出航前にその点に関して六反田に抗議した。 


「なあに、大丈夫だ。俺も魔導について詳細は理解しているわけではないが、何とか連中宮内省と渡り合っている。貴官の能力ならば、まあ何とかなるだろう」


 いったい何がどうなんとかなるのか、全く意味不明だった。思い出しても腹が立ってくる。


 儀堂の顔が険しいものなっていた。リッテルハイムは、彼が容易ならざる立場にあると悟ったらしい。


「あなたも、苦労しているのね」


「ええ、その点は否定できません。そういうわけで、あなたが欲するものを渡すことは不可能です」


 リッテルハイムは大きく紫煙を吐き出した。ため息をついたのだ。


「もう! すっかり、あの小男六反田にだまされたわ。この艦に乗れば、何かが掴めると思ったのに――」


「フロイライン――」


「その言い方は止めて。子ども扱いされているみたいなの」


「……失礼。しかし、それではなんと?」


「キルケでいいわ」


「ではキルケ、あなたはどうしてそこまでネシスのことを知りたがるのですか? 実のところ、私はあなたについてよく聞かされていないのです。私が知っているのは、あなたが独逸人で、演算機の研究者であること。その二点だけです」


 キルケはひとときだけ黙ると、自嘲的な笑みを浮かべた。


「そうでしょうね。あの少将らしいわ。きっと何もかもお見通しなんでしょうけど、敢えてあなたに何も言っていないのね」


 キルケは二本目の煙草に火を点けた。


「アーネンエルベ、それが私の所属する機関の名前よ」



 『アーネンエルベ』は、独逸の秘跡調査機関だった。平たく言ってしまえば、日本の月読つくよみ機関と同じ性質の組織だった。かつて人類がまやかしと断じた業、魔導の痕跡を蒐集し、当世で復活させるために彼等は活動していた。


 始まりは1929年、独逸がナチス政権下まで遡る。ナチスは独逸国民に、ゲルマン民族の優秀性はアーリア人に由来するものだと喧伝していた。彼等の言う・・・・・アーリア人とは、古代より印度から欧羅巴ヨーロッパまで広範囲に文明を築いた民族集団を指している。ナチスはゲルマン民族こそが純潔のアーリア人であると定義し、文明を築いた優等人種であると定義した。


 当時、親衛隊の指導者であったハインリヒ・ヒムラーは、彼等の仮説ファンタジーを証明するためアーネンエルベ機関を設立した。そして世界中に点在する古代アーリア文明の痕跡を蒐集するために、調査隊を送り込んだ。アーネンエルベ機関はヒムラーの要望通り、各地でアーリア人の痕跡を発見クリエイトした。


 彼等の活動は、独逸の民俗学を著しく歪んだ方向へ発展させたが、それなりの成果ももたらした。北欧に派遣された一隊がルーン文字によって、描かれた不可解な方陣の遺跡を発見したのである。アーネンエルベ機関の研究者は、これを古代北欧神話に登場するルーン魔導の痕跡であると断定した。


 この報告に無類のオカルト信奉者マニアのヒムラーが飛びつかないはずはなかった。彼は奇跡の再現のため、あらゆる資源の投入を手配した。ナチス党内ではヒムラーの行き過ぎたオカルト傾倒主義は白い目で見られたが、当の本人は全く意に介さなかった。彼はこの世ならざる力、魔導マギを再現し、ナチス党内での自身の権威を高めることに執心した。


 その結果、アーネンエルベには物理、化学から医学、怪しげな霊媒師まであらゆる分野での専門家が集められることになった。まことに独逸人らしく、彼等は官庁のごとく高度に組織化されたセクションに分かれて独自の研究を行った。


 しかしながら、一向に彼等は奇跡の証明に至ることは出来なかった。


 初めはオカルト熱に浮かれたヒムラーもすぐに失望し、党内の権力闘争に関心が遷った。アーネンエルベは組織として存在意義を失いかけていた。


 そして運命の1941年を独逸は迎えることになった。皮肉なことにヒムラーが求めた奇跡は異界より来た侵略者、BMと魔獣によって証明されてしまった。



「科学において独逸私たちは優越している。それは、あなたも実感しているでしょう?」


「ええ、それはもう……」


 実際、<宵月>に装備された無線機器や聴音装置、そして魔導機関の演算機などは独逸製で、いずれも高性能だった。ただし儀堂個人としては、手放しで歓迎する気に慣れなかった。


 彼ら日本海軍は自国製か米英から供給された機器に習熟していたためだった。それに如何に独逸といえども、全ての分野に優越しているわけではない。


 電子装置においては英国の方が優越しており、冶金技術においては今は無きソヴィエトロシアが優越していた。そして生産能力と品質管理において、合衆国が優越している。


 ここまで考えたときに、儀堂はあることに気がついた。


――日本俺たちは、いずれにおいても後塵を拝している……。


 唯一誇れるとしたら、艦船の建造能力くらいだろうか。ああそうだ。もう一つあった。大和魂というヤツだ。莫迦野郎。精神論だけで勝てるのならば、こんなクソ寒い北太平洋なんぞにいるものか。


 儀堂の感想をよそに、キルケは続けた。それは儀堂の考証を一部否定するものだった。


「唯一、我々があなた達に遅れて・・・いるのは魔導と呼ばれる分野よ。こればかりは系譜の無い我が国ではどうしようもならない。私の任務・・は、あなた達が扱う魔導という技術テクノロギーを持ち帰ることなの」


 六反田がリッテルハイムと交わした取引によるものだった。


 彼女の所属する秘跡調査機関『アーネンエルベ』は日本帝国の最重要機密、魔導機関へアクセスする代わりに、独逸の最新演算機の提供することになった。


 儀堂は唖然とした。この人は自分が何を言っているのかわかっているのだろうか。あろうことか、自分が他国の技術を盗みに来たと告白しているのだ。


「わからないな。なぜ、俺にそこまで話すのですか?」


「だって、あなたはこの国を守るためじゃなくて、魔獣を殺すために戦っているでしょう?」


「……何を言っている?」


「もし、この国が魔獣との戦いを止めると言い出したら?」


「そんなことはあり得ない」


「そうかしら? この国だけじゃない。人類そのものが魔獣との戦いを放棄するかもしれない」


「何を根拠に……」


「あの子よ。あのネシスが何よりも根拠になるでしょう」


「それは……」


 どういう意味か尋ねるまでも無かった。


「そう、これまで私たちは獣との戦いだからこそ、必死になって来れた。だって話が通じない相手ですもの。戦うしか無いわ。でも、あの子の存在がこの戦争の前提そのものを覆すことになる。ねえ、もしあの子を送り込んだ奴らが講和を申し込んできたとき、果たして私たちはそのテーブルへ蹴ることができるのかしら?」


「俺達は負けていない」


 詭弁だと自分でも気づいていた。


「ええ、でも勝ってもいない。いつ勝てるかもわからない。そうでしょう? この世界が奴らとの戦いを放棄したとき、果たしてあなたに居場所はあるのかしら?」


「君は何が言いたいのだ?」


 醒めた顔で儀堂は問いかけた。キルケは対照的に悪童のような笑みを浮かべた。


「誤解しないで、ギドー大尉。私は、あの獣どもを一匹残らず、この世から消し去りたいの。そのためなら何だってするつもり。私の頭脳、私の身体、私の血筋、全てを使い切るわ」


 キルケは儀堂へ歩み寄り、耳元に顔をよせた。


「あなたと私は同じなの。それだけは覚えておいて」


 独逸の令嬢は、それだけ囁くと<宵月>の艦内に消えていった。



 ようやく儀堂は艦長室へ戻ったとき、時計の針は22時を指していた。


「なっ!?」


 ドアを開けた直後、彼は思わず声を上げた。彼のベッドを不当に占拠されていた。


 儀堂の声に侵入者は目を覚ました。


「なんだ、遅いではないか」


 すねた声でネシスは言った。


「……何をやっている?」


「見てわからぬのか。お主を待ちくたびれて、寝ていたのだ。それにしても、この寝床は固すぎるのではないか。お主にとって、睡眠とは苦行なのか?」


 儀堂は額に手を当てた。頭痛の気配がしてきた。


「そういうことじゃないと、わかるだろう。なんでここにいる? ここは俺の部屋だ。お前の部屋にはもっと良いベッドがあるだろう。眠たいなら、そこで寝ろ」 


 儀堂は自分の後方にある扉の方を指さした。確かに、今日の戦闘で様子がおかしかったので、ネシスのことが気にはなっていた。だが、正直なところ、今は勘弁して欲しかった。丸一日艦橋で指揮を執った上に、あの独逸令嬢と極寒の甲板で暗澹たる会話を繰り広げた後なのだ。脳みそが休養を欲していた。


 ネシスはそっぽ向くと、黙りこくってしまった。拗ねたようだ。こいつと出会って2ヶ月以上経とうとしているが、相変わらず何を考えているのかわからなかった。妙齢の女性のように、こちらを手玉に取ってくるかと思えば、今日のようにまるで幼子のような態度をとることもある。


 儀堂は取りあえず、ベッドの端に腰掛けた。


「何か、俺に用なのかい?」


「………」


「言っておくが、答えなければ俺はこのまま床で眠るぞ」


「最近、よく夢を見るのじゃ」


 ぽつりと呟くようにネシスは言った。顔は向こうを向いたままで、表情はうかがえない。


「夢?」


「ここ二、三日、頻繁に現われおる。今日の戦いの前もそうじゃった。妾は夢を見ておった」


「なるほど」


 相づちを打ちながら、儀堂はあることに気がついた。やはり、こいつ戦闘前に寝てやがったな。


「それで、怖い夢でも見たのかい?」


「……そういうわけではない」


 そういうわけなのだろうと思った。


「妾が、そんな夢ごときで、このような真似に及ぶと思うのか」


「ああ」


「否定せよ!」


 ネシスは怒った顔で起き上がった。怒り顔を初めて見たような気がする。


「無礼にもほどがあろう!」


「すまない。で、どんな夢を見たのだ?」


「夢の中で、誰かが妾の名前を呼んでおった……」


「名前を? つまり、君を知っているものの夢だな。まさか――」


 儀堂は思わず、ネシスのすぐ側まで身を乗り出した。知人が出てくると言うことは、あることを示唆していた。


「記憶が戻ったのか?」


「違う。あ、いいや、わからぬ。誰の声かも、妾には思い出せぬ。ただ、あれは泣いておった。聞くに堪えられないほどの叫びじゃ。心を削り取られるような慟哭であった。妾には聞き覚えがある。何しろ、ほんの少し前に、妾も同様の叫びを上げておったのだ。あの忌々しい、黒い牢獄BMの中で……!」


 ネシスの瞳に光るものを認められた。


「相手の姿は見えたのか? それとも声だけか?」


「声だけじゃ。ギドーよ。あれは妾に助けを求めておった。きっと妾に近しいものに違いない。ああ、あの慟哭、妾の耳にこびりついて離れぬ。妾はどうすれば良いのだ……」


「それは――」


 儀堂はネシスから目を逸らした。誤魔化すつもりは無かった。彼にも似たような経験があるのだ。今でも思い起こさせる。家族の遺体を引き取った日のことを。数秒の間をおいて、再び儀堂はネシスと向き合った。


「二つだけ確かなことがある」


「……なんじゃ?」


「まず忘れないことだ。君に助けを求めるものがいることを、あるいはいたかもしれないことを。君はその人物が誰か思い出す義務がある。これは私からすれば自明だ。なぜならば、君が思い出さねば、恐らくその者は報われる機会を永久に逸するからだ」


「………」


「次に、君がここにいるということだ。ここは帝国海軍所属の<宵月>であって、あの黒い月ではない。君を束縛するもの、できるものは皆無だろう。帝国海軍はおろか、人類の中で君を制約できるものはいない。ああ、そうだ。俺は例外だからな。君をこき使う心づもりだ」


 ネシスは吹き出すように笑った。


「お主とはそういう約束じゃからな」


「そうだ。存分に働いてもらう。ただ、そのためには君が万全でなければ困る。というわけで、もう寝ろ」


「ギドー、一つ頼みがある」


「なんだ?」


「この寝床を妾に預けよ」


「……そこで寝るのは苦行と口走らなかったか?」


「そんなこと言ったかのう」


 ギドーは首を振った。ここで自室へ戻して、悪夢とやらに精神を乱されても困る。


「勝手にしろ」


「無論、そうさせてもらう」


 ネシスはそういうと再び寝転がった。


「ああ、そうじゃ。妾と同衾するのを許すぞ」


「断る」


「なんじゃ、つれないのう」


「俺にはやることがあるのだ」


「艦長とやらの仕事か?」


「そうだ。だから、早く寝ろ」


 ギドーはベッドから立ち上がると、備え付けの簡易机の方へ向った。実際、彼には仕事が残っていた。今日の航海日誌を書かねばならない。ネシスは、机で何やら書き留める儀堂の姿をしばらく見ていたが、やがてネジが切れたように寝息を立て始めた。


――ようやく眠ったか。


 机から振り向き、寝顔を確認すると、儀堂は航海日誌の続きを書いた。全く今日は書くネタだけは困らなそうだった。もっとも全てを書くことはできないだろう。特にあの独逸令嬢との会話は。


「夢か……」


 あのネシスが、ああも怯えるとは相当な悪夢だったのだろう。ここ二、三日前から続いていると言っていたが、今後も続くようならば軍医に診せる必要が出てきそうだ。医者に診せて何とかなる類いのものならばいいのだが、望み薄だった。


「よりにもよって、魔獣の襲撃が活発化してきているというのに――」


 日誌のページをめくり、過去を振り返る。ちょうど三日前から魔獣の襲撃頻度が活発化してきていた。しかも日を追うごとに、襲撃の規模が大きくなっている。


 儀堂は、妙な因果を感じてしまった。


――ただの偶然だろうか?


 それにしては不穏な一致だった。


 しばらく考えた後、儀堂は備え付けられた高声電話は手に取った。小声で呼び出し先に話しかける。


「儀堂だ。副長、ひとつ頼みがある。三航艦第三航空艦隊の司令部へ意見具申をする。陣形の再編だ。<宵月>を警戒ピケット担当に当ててもらう。位置は――」



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