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対獣戦闘(Anti-beast warfare):1

【北太平洋上 駆逐艦<宵月>よいづき


 1945年3月17日 朝


 翌朝、儀堂は身体の節々をさすりながら艦橋に上がった。


 まさに昨夜の睡眠は苦行だった。


 航海日誌を付けた後、床に寝転んだものの、寒すぎてとても眠れたものでは無かった。鋼鉄の床は容赦なく儀堂の体温を奪い、凍死するかと思うほどだった。暦上は3月だが、北太平洋の気候は真冬に等しかった。


 結局儀堂は、簡易机に突っ伏して仮眠をとることしかできなかった。室内の電気ストーブヒーターがまともに機能してくれたことだけが救いだった。二度と、あいつネシスに寝床を貸してやるものかと固く決意した。当の本人は昨夜は安眠だったらしく、ご丁寧にも当直時刻よりも遙か前に起こしてくれた。


「艦長、おはようござ……大丈夫ですか? 顔色が優れませんが?」


 副長の興津中尉が怪訝な顔を向けていた。儀堂は軽く手を振った。


「問題ないよ。それよりも例の意見具申はどうなったのかな?」


「先ほど、(第三航空艦隊)司令部より、許可をいただきました」


「それは何よりだ。これより<宵月>は外周警戒ピケットの任務に就く。機関最大戦速、面舵一杯」


 <宵月>は大きく艦首を回頭させると、船団の外側へ向けて航行を開始した。太平洋の波濤を切り裂いて、進み、彼女が目指したのは船団外周部の海域だった。船団中心部から見て、真南に当たる。


 儀堂が知る限り、ここ連日の襲撃は南方から行われていた。単独個体の襲撃は除くにしろ、大規模な魔獣群は船団を南から押し上げるように、襲来してきている。彼等YS船団から見て、南方にはハワイ諸島があった。今や魔獣の巣窟となって久しい南国の魔境である。


 もし、ネシスの夢が一連の襲撃と関係があるのならば、再度南方から来るであろうと、儀堂は予測した。これは儀堂に限らず第三航空艦隊(以下、三航艦)の司令部の見解とも一致していた。彼等は船団外周の中でも、南へ戦力を集中させるつもりだった。


 本来、儀堂の<宵月>は月読機関所属の艦であり、連合艦隊隷下である三航艦から命令を下すことは出来なかった。あくまでも、三航艦司令部は<宵月>へ要請・・を出すのみで、強制権はない。儀堂の申し出は渡りに船だったのである。


 一時間もしないうちに、<宵月>は指定のあった位置についた。


 <宵月>は電探、聴音、そして肉眼による観測、あらゆる手段を投じて全方位へ警戒を開始した。


 儀堂は対空指揮所へ登り、左舷へ双眼鏡を構えた。波間に漂う無数の船の姿がよく見渡せた。まるで木の葉のように揺らされている。<宵月>とて例外では無かった。彼の視界はピッチング上下動により、万華鏡のごとく目まぐるしく展開している。誰かが吐瀉する音が後背より聞こえた。どうやら船酔いに慣れない見張員がいるらしい。


 この日の北太平洋の気象状況を語るならば、次の通りである。


 天気晴朗なれども波高し。



【北太平洋上 航空母艦<大鳳>飛行甲板】


 1945年3月17日 朝


 空母<大鳳たいほう>、他2隻の空母は船団後方20キロの位置で遷移していた。周辺には護衛として、数隻の護衛艦艇が取り囲んでいる。


 たった今、彼女大鳳は母艦としての本分を果たそうとしている。


『キヨセ1より指揮室、発艦準備良し』


『こちら指揮室。キヨセ1、発艦位置に着け』


 飛行甲板前部の遮風柵が倒れるのを認め、戸張寛とばりひろし中尉は艦上戦闘機、烈風を移動させた。後続には僚機が2機控えている。


 甲板上部より蒸気がすっと流れるようにまっすぐと伸びている。風向を確かめるために意図的に漏らされた蒸気だった。<大鳳>は最新鋭艦だけに、腕の良い操舵員を配置しているらしい。風上を向いた、理想的な針路だ。


 戸張はスロットルを徐々に開き、誘導員の指示の元で位置に着くと、スロットルを全開にした。


『キヨセ1、発艦する』


 機体が急加速し、操縦席に身体が押しつけられ、一気に飛行甲板から飛び出す。ふいに三半規管が落下の感覚を発信するや、戸張は操縦桿とラダーペダルへ自分の意思を伝えた。機体は頼もしいレシプロエンジンの咆哮を響かせ、上昇へ転じる。


 戸張に続き、僚機2機も無事に発艦を終えた。


 3機は他の編隊と共に直掩任務に就くところだった。


『キヨセ1より、お前等どっちに賭けたんだ?』


『こちらキヨセ2、自分はタコです』


『キヨセ3、私はヘビに賭けました』


『ああ、そう。俺はテングに賭けたぞ』


『またですか?』


『隊長、いい加減にしないと破産しますよ』


 ちょっとした賭け事の話だ。彼等は発艦前に次に現われる魔獣のタイプを予想し、それぞれ持ち金を賭けている。戸張は常にテング(人型の飛行魔獣、米英はデーモンと呼んでいる)に賭けていた。結果は今まで全敗である。


『ほっとけ』


 戸張はぼやくように言った。正直なところ、彼は自分の願望を賭けていた。全く不謹慎なことに、彼は戦闘に飢えていたのである。


 今日に至るまで彼ら戦闘機隊は、まともな活躍の場を得ることが無かった。


 せいぜい上空から海上を監視し、接近する魔獣を発見、船団へ通報するくらいだった。それ自体はかなりの成果であるが、戦闘機の本分とかけ離れているように戸張は感じていた。


 彼は制空戦を望んでいた。機体を縦横無尽に操り、機銃をうならせる戦いだ。


 しかし、太平洋のど真ん中で、そのような自体は滅多に起こりえなかった。いや皆無だった。飛行型の魔獣は体力に劣り、大洋を渡って侵攻することが不可能だった。


――畜生。俺が横須賀にいれば……!


 つくづく今年初めの横須賀空襲のとき、出遅れたのが悔やまれる。彼の編隊は、その当時訓練中で搭載していたのは模擬弾だった。基地に大慌てで帰還し、爆装して横須賀に駆けつけた頃には全てが終わっていた。


 あれから3ヶ月、彼の編隊もようやく烈風に習熟したところだ。そろそろ、そいつを試す機会が訪れてもいいのではなかろうか?



【北太平洋上 航空母艦<大鳳>】


 1945年3月17日 朝


 加来止男かくとめお中将は<大鳳>の艦橋アイランド内の作戦室から、飛び立っていく烈風の姿を見送っていた。


 背後より通信参謀が声をかける。


「司令、<宵月>より入電です。予定海域に到達したと」


 加来は振り向くと、軽く肯いた。


「そうか。よろしく頼むと言っておいてくれ」


「承知しました」


 通信参謀は敬礼と共に下がった。そのまま高声電話を使わず、直接通信室へ向っていった。訳あって禁煙中の彼にとって、作戦室に充満するニコチンの煙は耐えがたいものだった。


 加来の後方では参謀達が会議卓に広げられた海図上を睨み合い、議論していた。殺伐とまではいかないが、剣呑な雰囲気であることは否めない。


 全ては昨日の襲撃が引き金だった。それまでYS87船団は損害らしいものを出さずに航海を続けてきた。150隻あまりの船団にして、喪失船舶数はゼロである。新設された第三航空艦隊、その初陣としては誇るべき実績が築かれる手前だった。


 北太平洋は比較的魔獣との遭遇率の低い海域であったが、それでも無傷で横須賀―シアトル間を航行できた例は少ない。ましてや今回のように通常の3倍の船団規模ならば、襲撃時の護衛任務の難易度は跳ね上がる。乱暴な計算だが、艦艇一隻あたりの護衛対象数が、通常の2~3倍になるためである。よほど上手く、運用体制と陣形フォーメーションを組まなければ、たちまち魔獣の餌食になってしまうだろう。


 しかしながら、これまで三航艦の兵員は奇跡的とも言える練度を発揮し、魔獣の牙から船団を守り抜いていた。このまま行けば、シアトルへ全船無事に入港も夢ではない。新設された艦隊としては願ってもない戦果である。そう思い始めていた矢先のことである。


 昨日の大規模な魔獣の襲撃により、ついに船団実績に傷がついてしまった。大量のクラァケンが防衛網を突破し、2隻の貨物船と1隻の油槽船に被害を及ぼした。被害規模としては少ない方だったが、船団全体へ深刻な被害をもたらしていた。すなわち速度の低下である。襲撃時の浸水により、それら3隻の速度が半減していた。結果的にYS87船団は、最も遅い船に引きずられて速力を半分にしなければならなくなった。


「やはり、被害のあった船舶のみ切り離しておくべきだ」


 航空参謀が唱えた。戦務参謀が緩慢な様子で首を振った。一見すると呑気に見えるが、目元は三白眼になっている。


「だめだ。君は裸で彼等を放り出せというのか?」


「そんな莫迦な。護衛艦艇はもちろんつける。そうだな。陽炎型で適当な――」


 対潜参謀が横やりを入れた。


「とんでもない。それで本隊が魔獣の襲撃を受けたら、いかがするのですか? 三航艦はただでさえ補助艦艇の不足に悩まされているのに……」


 機関参謀がやり返す。


航空参謀こさが言うことにも一理あります。この速力で進んだら、予定日を大幅に遅延してシアトルに入港することになる。ただでさえ物資不足に悩まされている我が軍にとって、好ましい事態とは思えません。それに――」


「だから、何だというのだ」


 割り込んだのは、砲術参謀ほさだった。参謀の中では中堅にあたるが、誰よりも尊大だった。


「確かに航海の時間が延びると言うことは、敵に襲撃の機会を余計に与えることになる。だが、そもそも我々は魔獣と戦うためにここにいるのだ。船団をエサ・・にして、奴らを叩けるのならば本分だろうに」


 あまりに無遠慮な発言に、何名かは露骨に嫌悪の表情に出した。砲術参謀は気にもとめていないようだった。彼は自分の任務を著しく誤解しているうえに、戦意に溢れ過ぎていた。始末に負えない部類だ。


 頃合だろうと、加来は思い、参謀達に向き直った。加来の挙動に気づいた彼等は一斉に注視した。


「速力の半減は無視しがたいものだ」


 その一言に、航空参謀と対潜参謀は大きく肯いた。加来は続けた。


「その一方で我々は軍人で、船団彼等に乗り組んでいるのは軍属とは言え民間人だ。守らねばならん務めがある」


 航空参謀の顔が赤くなるのが見て取れた。恥じ入っているのだ。


「しかし、そのために他の船に被害が出ては――」


 ここで黙らないのが、この参謀の人間的な限界を示していた。


「そうならないために、君らがいるのではないか?」


 加来は穏やかに、だが有無を言わせぬ口調で明言した。航空参謀はそれ以上何も言わなかった。


――やれやれ、俺が若い頃ならビンタされていたな。


 本来ならば彼等はもう少し優秀なはずだった。だが、初陣で喪失ゼロという夢のような現実が彼等を狂わせていた。彼等は夢から覚めるのを恐れていた。


 逆説的に言えば、それだけの快挙を三航艦は成し遂げつつあったということだ。


 加来は参謀達の顔ぶれを見渡して思った。若すぎる。どれもが30そこそこだった。日本海軍の慢性的な人手不足は上級士官にまで及んでいた。


――醒めない夢など、この世にはないのだが……。


 彼は5年前、ハワイ沖でその教訓を自身に刻み込んだ。あのとき空母<飛龍>に、彼は艦長として乗り込んでいた。



【北太平洋上 駆逐艦<宵月>よいづき


 1945年3月17日 昼


 久方ぶりに、気分の良い寝覚めに、ネシスは上機嫌だった。何よりも今日という日を絶好調ベストコンディションで迎えられたことに喜びを感じている。


 彼女は今、魔導機関の室内、その中央部に据えられた銀色の筒(マギアコア)内部にいた。マギアコアはカプセルの容器で、台の上に横たわるように据えられていた。


「まだかのう?」


 好奇心旺盛の彼女はのぞき窓から、忙しなく外をきょろきょろと見渡した。


「もう少し待って。さっきから言っているでしょう」


 あのドイツじんのキルケとか言うのが、少しいらついた声で返してくる。そんなに怒らなくてもよかろうにと思う。


「退屈なのじゃ」


「あと少しですよ、ネシスさん」


 みつぎとかいう少尉が、優しく諭すように言ってきた。どうも気に入らない。初めて会った頃から、この女には嫌悪感というか、嘘くさいものをネシスは感じていた。


「わかっとる」


 ぶっきらぼうに言い放つとネシスは、そっと目を閉じた。


 昨夜の儀堂との会話を思い返す。


『君がここにいるということだ』


 そう、妾はここにいる。もうあの牢獄に囚われることはない。それだけは確かなことだ。その事実が彼女の精神に安らぎをもたらしていた。今ならば、あの男ギドーのために存分に自らを役立てることができそうだった。


 ガチリと硬質な歯車が回るような音がマギアコアの下部から伝わってきた。


「準備は出来たわよ。お姫様」


 リッテルハイムが揶揄するように言った。


「その言い方は止めよ」


 ネシスは口を尖らせ、文句を言うと、そっと目を閉じた。



 儀堂はちょうど対空指揮所から艦橋へ降りてきたところだった。警戒任務を開始してから数時間、今のところ、電探と水測から異常は報告されていない。俺の杞憂ならば良いが、そう思い始めたときだった。耳当てレシーバーから中性的ハスキーな声が発せられた。


『艦長、魔導機関へ同調接続が完了致しました』


 御調少尉だった。儀堂は喉頭式マイクを押さえた。


「わかった。始めてくれ。異常があれば直ちに中止だ。その場合は通常通り、電探と水測に切り替える」


『承知しました。それでは始めます』


 電子演算機の真空管が忙しなく点滅する。演算機は<宵月>の対空、対水上電探および水中聴音機へ接続されていた。電波の揺らぎが視覚情報に変換され、音紋の旋律が聴覚情報に変換される。それらは演算機によって特殊なフィルタリングされて、マギアコアへ送信された。


 電探が捕らえる反射波、聴音機が捕らえる音紋が、ネシスの神経パルスへ正しく変換されていく。彼女は自身の感覚が広がり、<宵月>と同調していくのがわかった。


「良いな。そう、これは良い」


 ネシスは低く呟いた。


 今やネシスの目から、<宵月>彼女の取り巻く全てが遙か遠くまで見えており、そして感じることが出来た。


 大空を駆ける渡り鳥の群れ、その上空を大きく旋回する烈風の編隊、海面下で求愛行動を繰り広げるイルカのつがい、さらに深い海の底をゆらりと航行するマッコウクジラの巨体。


 それらの挙動をつぶさに彼女は見て、聞き、感じることができた。


 これまでも彼女は<宵月>の周辺の状況を感じ取ることができたが、それはあくまでも気配を探る程度に過ぎなかった。おおざっぱに定義するならば何となくに過ぎなかったのだ。それが今では明確な形状フォルムを持って認識できるようになった。彼女は<宵月>が発しているもの、そして受けているもの全てを感じとることができた。


 今のネシスは<宵月>そのものだった。


「良いぞ、誠に良いぞ。お主ら、褒めてつかわそう。大義であった」


 ネシスは、新しい玩具を手に入れた子どものように喜んでいた。御調は苦笑し、キルケは肩をすくめた。


「まったく、あなたのところの艦長は無謀にもほどがあるわ」


 煙草を取り出したキルケを御調は制止した。


「女史、ここは禁煙です」


 独逸令嬢はため息をつくと、「ごめんなさい」と言った。


「よりにもよって、接続試験の日に危険な警戒任務を買って出るなんて! もし、何かあったらどうするの?」


「そう言われましても……あなたの方こそ、なぜ中止されなかったんですか?」


「中止? 冗談じゃ無いわ。やっと準備が整ったのよ。私一人がかりでここまでようやくこれたっていうのに、こんなところで止めてなるものですか」


 キルケの予定では、彼女の他に何名か助手を乗船させるつもりだった。しかし、六反田の許可が下りなかったのだ。そのため、彼女は本来ならば5人がかりでやらねばならない調整作業を自分だけでやる羽目になった。船酔いに苦しみながら、17日間かけて彼女は演算機と魔導機関の同調回路の接続を完了させていた。本国に戻ったら、あのデブ六反田に必ず復讐すると彼女は誓った。


「私に与えられた時間は少ないの。このフネに乗っている間に、試験を行わなければ祖国に申しわけがたたないわ」


 彼女はマギアコアと演算機の接続を手伝う代わりに、日本が開発した魔導機関の内部構造について知る機会を得ていた。独逸のアーネンエルベ機関は彼女の成果に期待をかけている。もちろん、それに応えられなかったとき、彼女の立場は危うくなるであろう。<宵月>がシアトルに入港すれば、彼女は艦を降りなければならなかった。それまでに彼女は独逸本国の期待に適った手土産を用意しなければならない。


「この世界は、広いのだな……」


 マギアコアからネシスの声が漏れ聞こえた。どうやら儀堂に話しかけているらしい。



『この世界は、広いのだな……』


 耳当てから吐息のような声が響いた。なんだ、いったい何があったと儀堂は思った。落ち込んでいるように彼の耳には聞こえていた。


「どうした? 気分でも悪いのか?」


『フフ、否じゃ。ただ、そう……妾は感じ入っている』


「そうか」


『妾があの黒い月に囚われていたときも、外の世界を見ることができた。だが、かように広いとは全く思えなかった。ああ、思い出したぞ。幻か悪夢を見せられているように妾は感じていた。いかに広かろうとも妾の手に届かぬものだった』


「今は違うのだな」


『是じゃ。今は違う。妾はどこまで行けるようだ』


「そうか。まあ、それならいい。ただ、勝手にどこかへ行かれては俺が困る」


『フフ、道理じゃな。……ギドーよ』


 ネシスはためらいがちに名前を呼んだ。


「なんだ?」


『昨夜の話だが――』


「ああ」


『もし、妾に助けを求めるものが現われたとき、できることなら力を貸してほしいのだ』


 儀堂はしばらく考えた。時間にして、それは数秒。されどもネシスには永遠に感じられた。


「相手によるな。もし、その存在が敵として現われたのならば――」


『構わぬ』


 ネシスは明確な意思で遮った。怒りすら含まれていた。


『お主は妾を見くびっておる。妾は力を貸せと言ったのだ。助けよとは言っておらぬ。当然、妾たちにとって敵ならば約束通り、ただ鏖殺するのみじゃ』


「そうかい……それでいいのだな」


『構わぬよ。恐らく、何よりもそやつにとってそれが――』


 突然、ネシスの言葉が途絶えた。


「ネシス?」


『ギドー、来るぞ! 奴らじゃ!』


 入れ替わるように電測室より報告が上がってくる。


「艦橋へ、対空・・電探に反射波あり。大規模な不明飛行群の接近を認む。真方位150、距離167海里約300km



【北太平洋上空】


 1945年3月17日 昼


 戸張少尉は操縦桿を一気に引き起こした。艦上戦闘機、烈風は雄々しくエンジン音を響かせ、空へ駆け上がっていく。高度7000に入ったところで、水平飛行に戻す。もう間もなく彼の編隊は、不明飛行群を視界に捕らえるだろう。


「キヨセ1より、ほら、見ろ! 俺が言ったとおりだろ!」


 烈風の操縦席で、戸張は歓喜の声を上げていた。無理もないだろう。17日目にして、ようやく彼は待望の敵にありついたのだ。


 <宵月>から不明飛行群の接近の報告を受け、第三航空艦隊司令部は、ただちに付近の直掩機を接触へ向わせた。その中には戸張の飛行小隊も含まれていた。


「貴様等、ちゃんと生きて戻れよ。これまでの賭けた金を回収させてもらうからな」


 嬉々として僚機に話しかける彼に対し、二人の曹長はため息とも同意ともつかぬ返事をした。


『こちらキヨセ2。隊長、増援を待った方がいいんとちゃいますか?』


 二番機の滝崎飛行曹長が、呆れた様子で言った。彼の隊長殿はただいまスロットルを全開にして、不明機の大群へ向っている。もう片方の高田飛行曹長も同じ意見だった。


『同じくキヨセ3。それに三航艦司令部の命令は、あくまでも偵察ですぜ』


 三航艦司令部は同時に迎撃機の出撃も進めている。旗艦の空母<大鳳>のみならず、同じく空母<雲龍>と<天城>からも烈風が飛び立っていた。まもなく戸張に追いつくだろう。


「わかってるよ! なんだ、貴様等ノリが悪いな。その言い草じゃ、まるで俺が戦闘莫迦みてえじゃねえか」


『…………』


『…………』


「おい、黙るなよ!! 何とか言え!!!」


【北太平洋上 <宵月>よいづき


 同じ頃<宵月>の艦内でも戦闘配置が下命され、兵員が慌ただしく艦内を動き回っていた。


 儀堂は電測員からの報告を受けながら、迎撃のため最適な位置へ艦を移動させようとしていた。なるべく舷側(船の側面)を向けて、艦載火器の射界に捕らえるつもりだった。船団に到達する前に、一匹でも多く叩き殺しておきたかった。


『ギドー、奴ら真っ直ぐこちらに向っておる』


 ネシスが殺気だった声で、知らせてきた。


「敵獣のタイプはわかるか?」


『少し待つが良い……』


 魔導機関室、そのマギアコアの中でネシスは神経を集中させた。電探から流れ込んでくる反射波の影を自身の視界に投影させる。うっすらと灰色ががかったもやが徐々に凝集され、一つの影を結んだ。


『わかった。あやつは――』


【北太平洋上空】


『キヨセ2よりキヨセ1へ。隊長、こいつは不味いですよ』


『キヨセ3より、すぐに司令部へ報告を――』


「わかってる! ド畜生が! 反則だろう!!」


 眼下に敵集団が見えている。彼等三人の網膜に映し出されていたのは、編隊を組む無数の巨大なワイバーン飛竜の群れだ。一個体で全長10~15メートル近い魔獣だった。ざっと300は越しているだろう。濃紺の翼の群れが一塊になって、大空を突き進んでいる。まさに魔の騎行シュヴォシェであった。


「キヨセ1より、オオトリ艦隊司令部へ。敵獣を目視す。タイプはワイバーン。大編隊だ。少なくとも300はいる。これよりキヨセは制空戦闘へ移行。終わり」


 すぐに僚機へ回線を切り替える。


「キヨセ1より、各機へ。これより敵獣編隊へ強襲をかける」


 僚機からそれぞれ了解の応答。


「ああ、それから……賭けは俺の負けだ」


――畜生。誰がどう見ても、あれはテングじゃねえ。空飛ぶ大トカゲだぜ。


「掛け金は払ってやる。ただし死人には払えん。三途の川の渡し賃を出すつもりはないからな。だから生きて返れよ」


 戸張は機体を大きく左旋回しつつ急降下させた。僚機の二人は咳き込むように笑いながら、後に続いた。


 三機の編隊はワイバーンの群体上後方、ちょうど死角になっているところから突っ込むかたちになった。光像式OPL照準器に翼を広げたトカゲの影が一杯に広がったところで、発射把柄トリガーを握った。


 赤い火線が伸びていき、胴体に銃弾の穴が穿たれる。たちまち紫色の血を噴き出し、3匹が散り散りになって落ちていった。


 撃墜3体、残敵は無数なり。



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