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太平洋の嵐(Pacific storm):2

【北太平洋上 第三航空艦隊】


1945年3月17日 午後4時


 オアフBM接近の報せを受けて、三航艦司令部は大慌てで航空隊を呼び戻した。加来司令を始め幕僚達は、自分たちに残された選択肢が限られていることを自覚していた。


 このまま推移すれば、YS87船団は確実にオアフBMへ捕捉される。ならば、やるべきことは一つだった。彼らは海軍軍人であり、果たすべき義務がある。


 加来は航空隊の換装と再出撃を命じた。今ならば夕刻にはBMを強襲できるだろう。次いで隷下の艦艇の大半をBMへ対して振り向けた。撃破は困難だろうが、時間稼ぎにはなる。その間に船団を北西へ退避させるつもりだった。


 ワイバーンの迎撃戦闘終結から3時間後、再び制空隊の烈風が大鳳の甲板を飛び立っていった。



 出撃前、戸張は僚機の飛行曹長二人へ賭け金を渡した。その結果、彼の懐は氷河期へ突入していた。


「ド畜生の唐変木めが! オレは二度と賭けなんてしねえぞ!」


 烈風の操縦席で戸張は毒づいた。今日という日は彼にとっては厄日に違いなかった。確かに大空に敵を求めていたが、いくらなんでも極端すぎるだろうが。よりにもよって、BMを寄越してくるなんて、この世の神全てを呪いたくなってくる。


 是非とも、このまま済ますわけにいかない。オレの懐を氷河期に変えやがった魔獣どもに一泡吹かせなければ、腹の虫が治まらないではないか。


 要するに八つ当たりをしたいわけである。


 無線越しに上官の罵倒を聞いていた僚機二人は、そのような結論を下していた。



 <宵月>の艦橋で、儀堂大尉は黙り込んでいた。彼は三航艦の要請に従い、オアフBMへ向けて艦を最大戦速で航行させていた。彼女宵月の周囲には三航艦の艦艇が併走している。


 三航艦の加来中将は、わざわざ無線で儀堂に礼を言ってきた。直接会ったことは無いが、人格者なのだろうと思った。三航艦は<宵月>に命じる立場に無いから、断っても問題ないはずだった。


 しかし、儀堂に断る意思は全く無かった。むしろ彼は要請が無くとも自ら迎撃に赴くつもりだった。


 今彼の胸中で渦巻いているのは自身に対する純粋な怒りだった。


――オレは莫迦野郎だ


 気づかなければいけなかったのだ。


 なぜ、ワイバーンどもが、こんな寒空の北太平洋になんぞ現われたのか。


 いや、それも違う。


 現われることが・・・・・・・可能だったのか・・・・・・・、考えを巡らせるべきだった。


 本来ならばワイバーンの体力で長距離を渡洋してくるなど不可能だ。ならばどうやって奴らは渡ってきたのか?


 簡単な話だ。すぐそこにBMがあったからだ。


 思い返せば、ここ数日の出来事も全てそれで説明が付いた。魔獣の襲撃が激化したことも、ネシスが連日見た悪夢も何らかの繋がりがあったのだろう。


――クソッタレが、今になって納得してどうするのだ


 舌打ちをしたいところ、ようやく堪える。彼は努めて感情を表に出さぬようにしていたが、それでも苛立ちを隠しきれずにいた。その点において儀堂は未だに26歳の青年であった。


 無線越しでも儀堂の揺らぎは伝わっていたらしく、ネシスが恐る恐る語りかけてきた。


『ギドー……』


「なんだ?」


『すまぬ。妾の落ち度である』


「……」


『あの悪夢を見たとき、こうなることはわかっておったはずなのじゃ。あれの呼び声が強くなる自覚があったのに、妾は――』


「道理ではないな」


『?』


オレ達・・・の落ち度だ。オレとお前以外に、恐らく今回の事態を予測し得たものはいない。ならば、この始末はオレ達でつけねばならないだろう」


『……そうじゃな』


「ネシス……オレの役に立ってくれ」


『……フフ、何を今更。もとよりそのつもりじゃ』


 <宵月>がオアフBMと接触したのは、一時間後のことだった。


 その頃には既に航空隊による攻撃が開始されていた。



【北太平洋上 オアフBM周辺】


 戸張の烈風小隊がオアフBMを目視で捕らえたのは、発艦から30分後のことだった。ワイバーン迎撃戦と異なり、今度は一番乗りというわけにはならなかった。


 彼等に限らず、三航艦の航空隊全機が先を越されていた。


 彼等が目にしたのは、直径30キロはあると思われる巨大な黒い球体、それを悠然と取り巻く数百機の艦載機だった。複数の機種で構成さていたが、どれもが白星ホワイトスター紋章エンブレムを背負っていた。


 合衆国海軍の攻撃部隊だった。


 数十機単位の編隊を組み、オアフBMへ波状攻撃を仕掛けていた。


 圧巻と言うほか無かった。


 一種の憧憬すら戸張は覚えた。


【北太平洋上 USS合衆国海軍第5艦隊 戦艦<ニュージャージー>】


 このときオアフBMへ強襲をかけたのは、ウィリアム・ハルゼー中将麾下の第5艦隊より発艦した300機の攻撃隊だった。内訳は艦上戦闘機f6fヘルキャット120機に、艦上攻撃機tbfアヴェンジャー80機、艦上爆撃機sb2cヘルダイヴァー100機だった。第5艦隊が保有する航空戦力の全力が投入されていた。


 艦隊司令部に攻撃隊第一波の攻撃開始の報告が入ったのは、戸張が到着する10分ほど前のことだった。まさに間一髪の差だった。


「ジャップに先を越されずに済んだか」


 戦艦ニュージャージーのCIC戦闘指揮所でハルゼ―は満足げな笑みを浮かべた。


「提督、彼等は同盟国です。それに、その呼び名ジャップは止めるようにニミッツ長官から……」


 参謀の一人が恐る恐る、彼に諌言する。ハルゼ―の顔から笑みが消え、眉間に深い皺が刻まれた。まさに猛牛のあだ名に相応しい、鬼気迫る面相だった。


「ジャップはジャップだ。知っているだろう。奴らが真珠湾に何を仕掛けようとしていたのか」


「それは――」


 5年前、真珠湾攻撃が未遂に終わった後で、日本は大規模な演習を北太平洋で行ったと発表した。もちろん、それは真実ではなかった。日本と合衆国は対魔獣同盟締結のために、日米開戦の事実を歴史の闇へ葬り去ることにしたのだった。


 一部の高官は、日本が何を企んでいたのか真実を知っていた。ハルゼ―はその中の一人だった。


 彼は、真珠湾の日1941年12月7日以来、日本に対してぬぐえぬ疑念を抱いたまま艦隊の指揮を執っていた。今だって、いつ裏切って攻撃してくるかわからないと本気で思っている。


 オアフBMが日本の艦隊へ向っていると聞いたとき、彼は放っておけとすら言っていた。いっそのこと好都合だった。どうせ魔獣との戦争が終われば、次は奴らとの戦いになるのだ。BMによって沈められるか、オレ達の手で沈めてやるか二択でしか無い。


 彼が自分の意思を変えたのは、良心によるものではなかった。彼の性格を知り尽くしていた太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツが一本の電文を送りつけたからだ。


"汝は合衆国の仇を日本にとらせるや?"


 『お前は、日本に功を譲る気なのか』と問うたのである。ハルゼ―は遠回しに臆病者と言われているように受け取った。まさにニミッツの思惑通りだった。


 電文は抜群の効果を発揮し、猛牛ブルハルゼ―の闘志に火を点けた。いささか効果を発揮しすぎたきらいがあった。彼は航空攻撃のみならず、戦艦による砲撃でBMを仕留めようとしていた。母艦戦力を少数の護衛と共に切り離し、最新鋭の戦艦アイオワ級二隻を率いてオアフBMの元へ急行していた。


 待機命令が編隊長より、戸張の小隊へ発せられた。どうやら合衆国軍の攻撃が終わるまで、待ちぼうけを食わされるらしい。


「ったく、早くしてくれよ。日が暮れちまう」


 ぼやきながら、遠巻きにオアフBMを伺う。


 正直なところ、戸張達の出番があるのかすら怪しいと思い始めていた。


 合衆国軍の攻撃隊は、もちうる全ての手段をもって、徹底した攻撃をオアフBMへ加えていた。


 機銃掃射、急降下爆撃、水平爆撃、ロケット弾による制圧射撃。


 あらゆる火器によって、黒い月は毒々しいオレンジ色の火炎に包まれていた。オアフBMのあちこちで小規模な爆発が生じていた。


――派手にやりやがる。


 そう思いながら、しっくりと来ないものがあった。腑に落ちないというべきだろう。


 オアフBMは合衆国軍機の攻撃をただひたすら受け続けていた。全く効果が無いようには思えない。事実、BMの進行は止まっている。だからこそ、戸張は違和感を覚えた。


――なんで、アイツBMやられっぱなしなんだ?


 彼の経験上、そろそろ反撃が来てもおかしくはない。ヤツから一定の距離を取るべきだろう。


 そう思ったときだった。


 オアフBMが鈍い光を放ち始めた。


 全機散開の命令が日米双方の編隊長から発せられた。


 戸張が知る限り、BMは二つの攻撃手段を要していた。


 一つは方陣から大量の魔獣を投入し、それらの群体の物量で押し切るやり方だ。もう一つはより直接的な手段だった。戸張たちが遭遇したのは、後者の方だった。


 オアフBMから紫色の光弾が、全方位へ向けて発射された。ランダムに放たれた無数の光弾は、周囲を飛行中の合衆国軍機へ命中した。数十機が火を噴きながら墜落、もしくは爆散した。


 BMの防衛兵器として全周囲攻撃可能な光学兵器を搭載していた。それらは断続的に放たれ、発射前の予兆として紫色に輝くことがわかっている。光弾一発の威力については正確に測れていないが、ハワイ沖海戦や東京湾決戦時の記録から、重巡に搭載された15~20センチ砲と同程度ではないかと推定されていた。航空機が食らった場合、まず撃墜は免れない。運が良ければ脱出できるだろうが、最悪は跡形も無く空中分解する。


 戸張は咄嗟に操縦桿を引き起こし、左右のフラップペダルを操ると、機体を捻って海面に対して翼が真横を向くようにした。敵の攻撃方向に対して、機体が晒す面積を最小限にとどめるためである。


――畜生、こいつだけどうにもならん……!


 操縦席内の光の変化から、光弾がすぐ頭上を通り過ぎたのがわかった。額に冷や汗が伝っていくのがわかる。彼は一度だけ、それを拭うと僚機に話しかけた。


「キヨセ1より各機へ、無事か?」


『こちらキヨセ2、異常なし』


『同じくキヨセ3、無事です』


 僚機の安否に胸をなで下ろすと、彼はオアフBMの空域へ目をやった。合衆国軍機が火だるまになって落ちていくのが見て取れた。


――ありゃ無理だ。助からん。


 戸張は確信した。機体がきりもみ状態で落ちていく。あれでは天蓋キャノピーを開いて脱出する余裕はないだろう。他国民とはいえ、同情を禁じ得なかった。同時に抗しがたい怒りに駆られる。


――アメさんの指揮官は何を考えてやがる。


 BM周辺、その狭い空域に数百機を殺到させれば退避行動に制限がかかるだろうに、そんなことがわからなかったのか。


 戸張たち三航艦の航空隊は距離をとっていたため、被害は免れた。しかし合衆国軍はすぐ周辺にいたため、大きな損失を出している。いくら大戦力を集中させても、敵は要塞に匹敵する防御力と火力を備えたBMなのだ。それこそ戦艦でも持ってこない限り、有効打は与えられないだろう。


『キヨセ2より隊長、あれまずくないですか?』


 合衆国側の攻撃隊の統制が乱れているようだった。攻撃再開のため、編隊を再編するも時間が掛かるだろう。その間に敵弾の第二波が襲来したら、恐らく目も当てられないことになる。


「ああ、きっと酷いことになるぜ。オレが、あそこの指揮官なら母艦に退避する。ってか、早く戻りやがれ。いい加減、こっちにバトンを渡せってんだ」


 戸張の願いが叶えるように星の紋章を描いた機体が次々と空域から去って行った。ようやくかよと戸張は思ったが、こちらの編隊長は一向に攻撃開始命令を出さなかった。決して燃料に余裕が無いのにも関わらず何を考えているのかさっぱりだった。


――無駄に焦らしやがる。あの黒玉が二発目ぶっ放す前にこっちが仕掛けねえと意味がねえだろ。


 発艦前の攻撃計画では、各隊が一撃離脱して波状攻撃を行う予定だった。しかし、このままでは引き返せざるをえなくなる。燃料がもたないのだ。せめて機銃の一発くらい食らわしてやりたかった。


 戸張が編隊長へ向けて、無線を発信することにした。彼の網膜に橙色の光が映し出されたのそのときだ。


 BMの表面にオレンジ色の煌めきが連続的に巻き起こった。それらは噴火した火山のごとく、炎を巻き上げた。



【北太平洋上 USS合衆国海軍第5艦隊 戦艦<ニュージャージー>】


 初弾命中の報告に戦艦<ニュージャージー>のCICは沸き立った。すぐにハルゼーが一喝をいれる。


「バカめが! あんなデカい的外す方がどうかしているだろうが!」


 実際のところ、ハルゼーの言うとおりだった。相手は直径30キロはある球体なのだ。誇張的な表現ではなく、目を瞑っていてもあたるほどの大きさだった。


「すぐに攻撃隊を母艦へ収容させろ。あいつは本艦と<アイオワ>でたたく」


 アイオワ級戦艦<ニュージャージー>とネームシップ<アイオワ>より放たれた16インチ410ミリの徹甲弾はBMへ突き刺さっていた。それらは初弾で命中打となった。しかしながら、BMは小揺るぎもしなかった。


畜生めがガッデム戦艦バトルワゴンをかき集めろ。あんなもんに太平洋をうろつかれてはかなわん」


 ハルゼーはうなるように幕僚へ命じた。彼はアイオワ級二隻のほかに、巡洋艦を多数引き連れていたが、それでもあの黒い月の足止めに不十分に見えた。


 幕僚の一人はすぐに付近を航行中のトーマス・キンケイド中将率いる第7艦隊に支援要請を出していた。彼は数少ないパールハーバーの生き残りだった。


「サー。第7艦隊がこちらに向かっています。彼らの到着まで、日本海軍IJNと協同で時間を稼ぎましょう」


 ハルゼーは幕僚の一人の顔を見た。なかなか堂の入った面構えだった。確か、こいつは最近赴任してきたーー。


「ハインライン大佐だったな」


「サー、幸い、日本の航空戦力は無傷のようです。今すぐIJNの第三艦隊へ攻撃要請を出しましょう。彼らもそれを待ち望んでいるはずです」


 ハルゼーは第三航空艦隊に対して、攻撃待機要請を出していた。戦場の混乱を避けるためという名目だったが、本音は日本人ごときに横槍を入れて欲しくなかったからだ。しかし、BMの質量と脅威が明らかな今となっては、話は別だろう。


「イエローどもの手を借りるのは、癪だ」


「サー、しかしーー」


「わかっている。大佐、すぐに奴らの指揮官へ伝えてくれ。お前らの番だ。逃げずにやれよと」


 ハインラインはハルゼーの言ったことを、彼なりに翻訳マイルドにして日本の艦隊へ伝えた。


【北太平洋上 BM周辺空域】


 合衆国の第5艦隊から、支援要請が発信されて10分後、日本側の攻撃が本格的に始まった。まず先に流星がBMに対して、突貫を開始した。機数にして52機ほどだった。浦賀水道を出たときは100機あまりあったが、ワイバーンとの戦闘により、半数近く損耗していた。


 烈風も少しはマシな程度の残存数で、60機程度しか残っていない。現状、三航艦が出せる全力は100機あまりだった。次回出撃にはさらに減じて、攻撃隊として体をなさなくなる恐れがある。航空機に限らず、兵器は運用するたびに、どこかしら壊れていくものだった。三航艦が極端に落ちているのは、撃墜によるものではなく、無理な戦闘による機体損傷によるものだった。


 流星隊は統制の取れた隊形を維持しながら、BMへ突入し、50番500キロ爆弾を見舞わせた。黒い球体の一部で、噴火のような爆発が断続的に巻き上がった。流星の爆撃は時間にして20分ほどで完了した。機体が著しくかるくなった流星隊が母艦へ向けて、帰投していく中、入れ替わるように烈風が突入を開始した。


 同時にBMが再び怪しく輝き始めた。


「まずい! 全機散開! 全周囲攻撃だ!」


 戸張は罵倒するように命じると、操縦桿を引き起こした。


――ええい、クソ! ボヤボヤしているからこんなことになりやがる!


 彼の機体が急旋回を終える前に、自身の判断が誤りだと知った。BMが実行したのは全周囲攻撃ではなかった。それは戸張の機体が進行する向きへ、網を張るように展開された。嫌な悪寒が戸張の背中を駆け巡った。蜘蛛の巣へ飛び込む蜻蛉のような気分だ。


 BMの攻撃手段は二通りだ。全周囲に対する光弾攻撃、そしてーー。


「ああ、クソ! そっちか!!」


 彼の視界いっぱいに数十キロの方陣が展開された。戸張は、その方陣のど真ん中へ突っ込んで行った。


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