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太平洋の嵐(Pacific storm):3

【北太平洋上 駆逐艦<宵月>】


「敵BM、四方へ複数の方陣を展開!」


 艦橋上部の対空指揮所から、見張員が怒鳴るように報告してくる。


 儀堂は喉頭式マイクに手を当てた。


「ネシス、あれは例の方陣か?」


『左様じゃ。来るぞ、ギドー。覚悟したほうが良い。あの大きさ、大群じゃぞ』


 直後、彼女の推測は肯定された。四方の方陣から、大量の魔獣が解き放たれた。ワイバーンからクラァケン、そしてサーペント。それらが大量に方陣から北太平洋へ投入された。


『ヤツめ。溜め込んでおったのを一気に吐き出しておる……』


 ネシスは怒りとも悲しみともつかない声音でつぶやいた。


『ギドーよ、どうする? あれを全て殺するのは困難に思うぞ』


「奇遇だね。実は、オレもそう思っていたところだ」


 おそらく第三航空艦隊の戦力を総がかりにしても無理だろう。合衆国軍がどれほどの戦力を引き連れてきているかは不明だが、仮に一個艦隊規模(かの国で言うところの任務群)を想定しても、良くて相打ちだ。いや、彼らは多分に合理的だから、そうなる前に引き上げるかもしれない。


「弾の数が足らない。艦の数もだ。何一つとして勝てる要素がない」


『道理じゃな。で、どうする、儀堂?』


 彼女の相棒は答えなかった。沈黙が続く。艦橋で一人、右耳へ耳当てをつけた男はじっと空を睨んでいる。<宵月>は針路をBMへ維持したままだ。このまま推移すれば、あと数十分で砲火を交えることになるだろう。数秒の沈黙が無限とも思える時間を作り出していた。


 傍らにいる副長の興津がついに耐え切れず何かを言おうとしたときだった。


 不意に儀堂は吹っ切れたような顔になった。


「ネシス」


『なんじゃ』


「――先に謝っておく。すまない」


『なぜ? お主まさか――』


 ネシスの中である疑いが生じたが、すぐに打ち消されることになった。それは彼女の予想を超えて衝撃的なものだった。


「頼みがある。オレをあの牢獄へ連れて行ってくれ」


【北太平洋上 第5艦隊 戦艦<ニュージャージー>】


 <ニュージャージー>の艦橋からハインラインは、BMが魔獣を生み出す光景を見ていた。レーダー室から多数の飛行体、ソナー室から複数の推進音が報告される。


 彼はハルゼーに振り向いていった。


「サー、どうやら我々は煉獄の只中にいるようです」


「第二の真珠湾か?」


 憮然とハルゼーは言った。


「あのときよりは幾分かマシでしょう。我々は既に戦闘状態オン・デッキです。寝起きを叩かれたのと訳が違います」


「参謀として、貴官の意見は?」


「我々の任務に対する解釈次第です」


「遠まわしな言い方はやめろ」


「失礼しました。我々の任務は日本海軍の支援です。BMの脅威が我々の手に余りつつある現状、とるべき行動は2択となります。退くか、或いはこのまま日本海軍との協同セッションを続けるかです」


「不愉快だが、的確だ」


「どうなさいますか?」


「決まっている。合衆国海軍は任務に忠実であることだ」


「では、継続ということで――」


 合衆国太平洋艦隊司令部より、新たな命令が届いたのは、そのときだった。BMの脅威度を正しく認識した司令部は、作戦方針の変更を決めていた。


 ニミッツはハルゼーに対して、第7艦隊との合流を命じていた。彼は第5艦隊と第7艦隊がBMに各個撃破されるのを恐れていた。


「ジャップよりも先にこの海域を離脱するのはごめんだ」


 本心から不服そうに、ハルゼーは呟いた。彼は戦意において、合衆国海軍随一の猛将だった。


「お察しします」


 ハインラインはうなずきつつ、内心では安堵していた。


 あと数時間もすれば日が没し、戦闘不可能となってしまう。暗闇の中で、あの黒い月と対峙するのはどう足掻いても暗い未来しか見えなかった。


ー日本軍は、黒い月と一夜を共にするのだろうか。彼らも任務に対する忠実性において、我々と引けをとらないが・・・・・・。


 ハインラインは半ば確信に近いものを思った。恐らく、どの道であれ彼ら日本我々合衆国よりも先に退くことなどありはしない。


 日本の艦隊は、撤退という点において特殊な解釈と判断を行うことを彼は知っていた。彼らは決して低くない確率で、撤退先に「ヤスクニ」を選ぶのだ。


 第5艦隊の主力部隊が一斉に回頭し、戦闘海域から退避をはじめていた。


 ハインラインは遠ざかる黒い月に目を向けると、ささやかな抵抗を行う日本の艦隊へ敬礼した。


 その背後で、小さなざわめきが起きていた。ざわめきの一つは奇妙なことを言っていた。


「ジャップの駆逐艦デストロイヤーが飛行しているだと!?」



【北太平洋上】


 三航艦の将兵の中でも、異変に気づいたのは一部だった。具体的には駆逐艦と呼ぶには少しばかり船体が大きすぎる船、その周辺にいた艦艇に乗り込んでいるものたちだ。異変は彼らに強烈な記憶を植えつけることになった。


「こりゃあ、まあ、ぶったまげた・・・・・・」


 重巡洋艦<青葉>の艦長、古村啓蔵こむらけいぞう大佐は、目前で展開される光景を唖然としながら見守っていた。


 彼の乗る艦、その前方10キロほどを遷移していた艦が突如鮮やかな赤い光に包まれたかと思えば、ゆっくりと海面・・を離れていったのだ。


 噂には聞いていた。EF所属の同期から、夢のある莫迦げた話だった。


「世の中、何があるかわからんな。まさか、わが国に航空空飛ぶ艦があるとは……」


 この手のは、独逸辺りが持っていそうなものだった。


 それにしても不思議だった。


 あの艦のどこにも翼が見えない。


 どうやって飛んでいるのだ?


【北太平洋上空・・ 駆逐艦<宵月>】


「艦長、<宵月>、ただいま高度1000メートルです」


 副長の興津の報告に儀堂は満足した。やはり艦橋に高度計をつけておいて正解だった。


「わかった」


 儀堂はうなづくと喉頭式マイクを艦内の高声令達器スピーカーにつないだ。


「艦長より総員へ。これより本艦は敵BMへ突貫する。誤解するな。我々は散華しにいくわけではない。あと、くれぐれも甲板に出るなよ。海上勤務で墜落死など、洒落にならないからね。応急班は別命あるまで待機だ」


 続いて、マイクのスイッチを切り替えた。


「ネシス、やってくれ」


『良いのだな』


「かまわない。オレたちに退く道はない」


 YS87船団が安全圏まで退避するまで、しばらく時間がかかりそうだった。三航艦が全戦力を引き換えにしても、その時間を稼ぐことはできないだろう。


「ならば進むしかないだろう」


『道理じゃな』


「そう、道理だ」


 <宵月>は高度を維持しながら、オアフBMへ向けて水平飛行していく。赤い方陣に包まれて、風を切り、雲間を切り裂きながら、向かう先はただ一つだった。その様は、怪しくも禍々しい彗星のようだった。


 <宵月>は全火砲を開き、応戦を開始した。それらは方陣から這い出てきた魔獣の塊に向けられていた。闇夜を切り裂く光となり、<宵月>の長10センチ高角砲があらゆる方向へ向けて砲弾をばら撒く。その隙間を縫うように鋼鉄の船体は方陣の中心部へ突貫した。


 魔獣の嵐が<宵月>を阻止しようとする中、5000トンを越える鋼鉄の凶器は全身から鉛と硝煙の塊を吹き出しながら、方陣に向かっていった。彼女宵月に降りかかる魔獣の牙は、金属と化学合成物の煙によってはじかれていく。


「急げ、あの方陣が消え去る前に飛び込むんだ!」


 方陣の輪郭が薄くぼやけていく。


『ギドー、行くぞ。良いな!』


「かまわん! やってくれ!!」


 <宵月>の艦首が方陣の中心部へ触れた。次の瞬間、横須賀造船所で建造された138番目の艦は、吸い込まれて行くように消えていった。


【??? 駆逐艦<宵月>】


 方陣に突入した<宵月>、その鋼鉄の船体を小刻みの振動が覆いつくした。周辺が暗闇に包まれる。


「全周囲警戒!」


 副長の興津が、すぐに電測に連絡を入れた。事前の打ち合わせどおりだった。すぐに反応なしの報告が返ってくる。より正確には観測不能というべき事態が起きていた。艦内のあらゆる計器が、でたらめな観測結果を返してきていた。


「上手くいったと言うべきなのでしょうか」


 興津が額の冷や汗をぬぐいながら、儀堂のほうを見ていた。当の本人は小首を傾げただけだ。楽しんでいるようにすら見えた。


「不味いことになっていない、というべきだね。そう、少なくとも我々は死んでいない」


「それではーー」


「ああ、六反田閣下の推測は部分的、5割がたは正しかったわけさ」


 儀堂は、喉頭式マイクに手を当てた。


「BMが展開する方陣はどこかへ通じる門であるという仮説はねーー」


「しばらく、学会は荒れるでしょうね」


「知ったことではないな。オレからすれば博打みたいなものだ」


 5年前にBMが現れて以来、神秘学から化学まであらゆる分野でBMの能力や存在意義に対して仮説が立てられてきた。ネシスの覚醒に対して、それらの仮説に対してある程度の確度が期待できるようになったが、それでも仮説の検証に実験が必要なのは変わりはなかった。そして、今、儀堂たちは初めて、その検証に自ら望もうとしている。


 具体的には方陣の機能についてだった。学者たちはBMが展開する方陣、特に魔獣を生み出すものについて諸説を仮定してきた。それらは大きく二つに分かれていた。


 ある一派は方陣は一種の生産機能を持つものだと主張していた。すなわち、方陣によって魔獣が生産され、解き放たれるのだ。方陣はこちら側で言うところの、工業施設のようなもので、魔獣は製品であると。


 別の一派は転送装置だと主張していた。魔獣はあくまでも別の過程で生成されているものであって、方陣はそれらを転送しているにすぎないと。


 たった今、<宵月>はその論争に終止符を打とうとしていた。


「あの方陣をくぐった先に何が待ち受けているか、誰もわからなかった」


「しかし、我々はそれを眼にすることになる……かもしれない」


「そうさ。しかし、それも生還しなければなかったことと一緒さ」


 儀堂は定例業務ルーチンワークをこなす口調で言った。片方の手の平を興津に向ける。どうやら彼の相棒ネシスがなにやら言い立てているらしい。


『ギドー、もうすぐ出るぞ』


「わかった。何か思い出したか?」


『…………』


「ネシス?」


『ああ。だが説明はせぬ。恐らく、その目で見たほうがわかりやすかろう。なんといったか百聞はなんとか言うだろう』


 ネシスは自嘲を含んだ言い草だった。その先を問いただそうとする前に、唐突に儀堂の視界が開けた。<宵月>が、方陣の回廊を突破したのだ。



【オアフBM内部】


「……ここはなんだ?」


 戸張は視界を確保するため、烈風の天蓋キャノピーを開いた。生臭い香りが鼻腔に侵入してきた。似たような香りを嗅いだことがある。野戦病院、それも重傷者が治療されている区画だ。野ざらしの血と臓物が放つ臭いだった。


 戸張は眉をひそめると、機関の回転数を僅かに落とした。視界が不良なうえ、周囲には烈風を駆るには手狭な空が広がっていた。


「おい、まさか……BMの内部か?」


 誰に話しかけるわけでも無く、戸張は呟いた。


 内部の構造を見るに、その可能性が高かった。壁面が湾曲し、巨大な球状の空間にいるようだった。


 戸張は無線機で僚機と連絡を取ってみたが、雑音が返ってくるだけだった、


――無線も通じねえと来てやがる。勘弁してくれよ。


 どこかに脱出路がないかと周囲を改めて見渡してみる。


 BM内部は薄暗くぼんやりとしていた。BM内部は全体的に薄い緑色で照らされていた。


 まったく不愉快な光景だった。戸張は緑色烈風の塗装色が好きだが、BM内部の緑は彼の好みから外れていた。毒々しい、コバルトグリーンだった。加えて内装も彼の好みから外れていた。いや、これを好みに思うものは人類全体でも少数派だろう。


 壁面は、いくつもの巨大なこぶの塊に覆われ、それが粒状に全体に広がっていた。それらを縫うように血管のような管が通っている。


 中心部を貫くように、大木のような巨大な柱がそびええている。その大木もいくつものこぶに覆われていた。性差や年齢を問わず、生理的な嫌悪感を思わせる風景だった。


――畜生、閉めときゃ良かった。


 戸張は後悔と共に、天蓋を閉じた。遺憾ながら、不快な空気が操縦席内に補充されてしまった。


「さあて、どうするか――」


 それは直感だった。飛行士パイロットの感というものか、あるいは生存本能の所作か由来は不明だ。明確な殺意を戸張は感じた。直後、戸張はスロットルを全開にし、操縦桿を倒した。鋼鉄の翼が右へ急旋回し、巨大な火球が機体下部を通り抜けていく。あのとき判断が遅れていたら、彼は空中で火葬されていただろう。


「トカゲ野郎!! 不意討ちなんざ、10年早いぜ!!」


 攻撃手段から、瞬時に敵の正体をワイバーントカゲ野郎と予測し、火球が放たれた方向を視認する。残念ながら、彼の予測は的中しなかった。確かに、相手はワイバーンタイプだった。2つの点で、彼の予想は裏切られた。1つ目は色だった。通常のワイバーンは濃紺だったが、そいつは黒だ。二つ目は大きさだった。そいつは通常よりも遙かに大きな個体だった。大きすぎた。控えめに見積もっても、2~3倍はある。合衆国が配備しているB-29と同程度に思える。


――黒い飛竜だと!!


 黒竜ブラックワイバーンは急旋回すると、戸張の機体を指向した。旋回半径が恐ろしく狭いうえに、戦闘機と劣らぬ速度だった。それでいて、大きさは戦略爆撃機と変わらぬほどの化け物だ。


「反則じゃねえか!!」


 思わず戸張は叫んだ。そう思わせるほどの飛行性能だった。


 黒竜は、戸張の機体を目指して真っ直ぐ飛んできた。その冷たい眼光は深緑の侵入者烈風を捉えている。


 頬を伝う冷や汗を感じながら、戸張は口元を歪ませた。気に入った。


「いいねえ!! こういうのを待ってたんだよ!!」


 脱出路は不明。


 それに、どのみち、こいつを倒さない限り捜索もできないだろう。


 ならば、どうする?


 愉しむしかないだろう。


「さあ、格闘戦ドッグファイトだ!!」


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