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太平洋の嵐(Pacific storm):4

【オアフBM内部 駆逐艦<宵月>】


 視界が開けたのは唐突だった。すぐに各部署から報告が上がってくる。


 その中の一つに儀堂は目を剥いた。彼にしては珍しいことだった。


 儀堂を驚かせたのは、対空電探からの報告だった。


「反応が二つ、しかもそのうち一つは友軍機? 確かなのかい?」


 副長の興津も戸惑っているようだった。


「はい、見張り員の報告では――」


 すぐに、儀堂は喉頭式マイクに手を当てた。


「ネシス、そこから見えるか?」


『何がだ?』


「近くに飛行体の反応が二つあるはずだ。そいつらの正体を知りたい」


『ああ……見えるぞ。片方は確かにお主らの戦闘機とかいうものらしいな。もう一つは――』


 しばらく沈黙があった。


『いいや、なんでもない。黒い竜じゃ……』


「その戦闘機と竜は何をしている?」


『うーん、何と言うべきかのう。じゃれあっとる?』


「――なんだって?」


 少なくともネシスの目にはそう・・見えていた。


【オアフBM内部 内壁近く】


 二つの翼が互いを求め合うように旋回していた。それぞれの背後を取った刹那、片方は鉛の塊を、もう片方は炎の球を撃ち込む。しかし、お互いに決定打を与えられないまま、数十分たとうとしていた。


 もう何度目か途中で数えるのを放棄していた。


 戸張の烈風が黒竜の背後へ回り込み、光像式OPL照準器一杯に捉える。発射杷トリガーを握り、九九式20mm二号機銃を唸らせた。発射弾数は5発ほどだ。黒竜は急降下すると、それらを全て避けきった。


 戸張は操縦桿を操り、機体を捻るように左へ急降下させた。BMの内壁を沿うように飛行し、同時に視線を巡らす。すぐに敵の姿を捉えられた。


 はたして、思った通りだった。急降下したヤツはBMの底部すれすれで素早く態勢を立て直し、機体下部へ目がけて急上昇してきていた。黒竜の牙を剥き、のど元が怪しく橙色に輝く。次の瞬間、火球が放たれる。戸張は両脇のペダルを操ると、空戦フラップを下げさせた。機体の速度が低下し、三半規管が浮き上がったような感覚を伝えてくる。瞬く間に、赤い球が目前を通り過ぎた。


 球はBMの内壁へ命中し、爆散するや、水分を含んだ煙をまき散らした。視界が一瞬だけ不良になる。危うく内壁へぶつかりそうになりながらも、スロットルを全開にして煙の中を突っ切っていく。


「やるじゃねえか!」


 今までのヤツとは違う。素晴らしく忌々しいことに、敵は莫迦では無かった。


「はは、埒があかねえな!」


 罵倒しつつも、口元は笑っている。まったく大したヤツだ。あんなデカい図体で、この機体最新鋭機と張り合うなんて、人間サマには出来ないだろう。戦闘機乗りにとって、まさに願ってもない好敵手だ。


 叶うことなら、ずっとこの格闘戦ダンスを続けていたかった。しかしながら、それは無理な話だ。あの竜はどうか知らないが、彼の機体には時間制限燃料計があるのだ。


――少し遊びすぎた


 長時間にわたる空戦によって、燃料消費が想定以上のものとなっていた。小さく舌打ちする。どこかで、この素晴らしき逢瀬を終わりにしなければならない。


 戸張はBM中心部へ機体を向けた。あの太い、全く男根のような柱まで機体を持って行くつもりだった。


 これまでの戦いから、戸張は彼我の戦力差を割り出していた。敵は旋回性能で烈風よりも優れているのに対して、烈風は飛行速度で優越している。ならば烈風の速度を活かして、格闘戦ができる広い空間で勝負した方が良い。BM内部では、中心部の柱付近がもっとも広い空間だった。


 そこならマシな戦いが出来るかもしれない。


 ただ、下手をしたら柱を中心に堂々巡りになり、そのまま燃料切れになるかも知れないが。


「仕切り直しと行こうか」


 濃緑色の侵入者が柱に向ったと知り、黒竜は雄叫びを上げた。血走った目から溢れるほどの殺意が伝わってくる。黒竜は追いすがりながらも、火球を次々と発射した。それらは、これまでと違い、全くでたらめな方向へ放たれた。


「なんだ?」


 戸張は戸惑いを覚えた。あいつ何か様子がおかしい。なぜだ?


 すぐに気がついた。


「あの柱――あれを守っているのか?」


 だとしたら、合点がいく。これまでBMの内壁付近、柱から遠く離れた空域で戦っていたのは、あの柱を守るためだったのだ。


「そうかい。ここがお前の母艦ってわけか?」


 戸張は確かめるように、柱の中心へ向けて機銃弾を放った。直後、黒竜は文字通り目の色を真っ赤に変えて、向ってきた。なりふり構わずだが、火球を放つ様子は無かった。


「やはりな。お前は優しい奴だ」


 ここで火球を放ったら、あの柱を直撃するだろう。それは、黒竜にとって不都合なことらしかった。戸張にとっては、全く別な話だが。


「悪いが、こっちも時間がねえんだ」


 発射杷を握り、さらに銃弾を叩き込む。直径数百メートルはありそうな目標だ。外すはずも無く、全てが吸い込まれ、コバルトグリーンの液体が噴き出した。


 黒竜は聞くもの全てを震わせるような雄叫びをあげて、戸張の機体へ突っ込んできた。戸張は再び空戦フラップを操り、機体速度を落とすとわざと距離を縮めさせた。操縦席から振り向くや、背後から火球が放たれる。


「そう来ると思ったよ……」


 烈風の機体が赤い瞳から消えた。ほどなく火球は柱へ命中し、黒竜は柱へ突っ込みかけた。しかし直前で急制動をかけ、停止飛行ホバリングに切り替えることに成功した。黒竜は頭を振り、憎むべき侵入者の後を追った。すぐに視界に捉えた。そいつは真っ直ぐ、下から突き上げるように向ってきていた。


 お互いに目が合うのを感じる。


「――そこで止まっちゃ駄目だろ」


 烈風の翼下から、火を噴く矢が放たれた。それらは真っ直ぐ、黒竜へ向い、胴体から左翼へかけて着弾した。


 戸張の切り札、空対空噴進ロケット弾だ。


 メタルジェットの洗礼を受け、黒竜は黒い血を噴き出しながら、墜落していった。


 烈風の主は敬礼で、その姿を見送った。


「まあ、おあいこってところか?」


 満足げに嗤いながら、彼は燃料計を確かめた。限りなくゼロに近い目盛を針が指している。やがて、プロペラが息絶えるように回転を止め、機体は高度を下げていった。


「しまったなあ。三途の川の渡し賃は全部すっちまったからなあ。どうしようもねえな」


 ぼやく戸張の鼓膜が雑音にかき乱される。思わず顔をしかめた後で、聞き慣れた声が伝わってきた。


『飛行中の烈風へ。こちらは駆逐艦<宵月>。聞こえたら、直ちに応答されたし』


「その声……衛士か!?」



【オアフBM内部 駆逐艦<宵月>】


『その声……衛士か!?』


「まさか……寛か?」


『なんで、ここにいる?』


「それは、こっちの台詞だね。まあ、いい。君なら話は早い。君から見て8時方向に、<宵月>は航行している」


『航行中? そりゃどういう意味だよ。こんなところに海はねえぞ』


「ああ、うん。その話は後にしてくれ。もう燃料が無いんだろう? どこかへ不時着しろ。こちらから拾いに行く」


『何だか知らんが、わかっ――』


『ギドー! あやつ、まだ生きておるぞ!』


 ネシスに会話を遮られた直後、烈風へ向って赤い球が放たれるのが艦橋から見えた。


「寛、避けろ!!」



『寛、避けろ!!』


 反射的に、戸張は操縦桿を押し込んだが、やや遅かった。火球は烈風の尾翼の一部を掠め、尾翼の一部を焼失させた。


 機関が止まり、失速しかけていた烈風にとって十分すぎる致命打になった。


 戸張は全神経を稼働させ、機体を操ったが、安定性の維持は困難を極めた。


 やがて帝国海軍の最新鋭機は錐揉み状態になりながら、BM中心部の柱、その根元へ墜落・・した。



 目前で親友の機体が柱に突っ込むのを儀堂はただ見届けるしか無かった。


 艦橋内が、いたたまれない沈黙へ包まれる中、冷え切った声が響き渡った。


「全砲門、開け。目標、敵獣。完全に沈黙させろ」


 何事も無かったように、儀堂は命じた。間もなく<宵月>の全力射撃によって、要望通りの沈黙が訪れた。


「ネシス、あの柱へ艦を向けてくれ」


『よかろう。近くへ寄れば良いのだな』


「そうだ。頼む」


『わかった。しばし、待つがよい』


 <宵月>はBM中心部の柱へ飛行を開始した。怪訝な顔の副長へ、儀堂は向き直った。


「どうされるのですか?」


「決まっているよ。遭難者の救助だ」


「救助? その、言いにくいのですが――」


 控えめに考えても、あの搭乗員戸張の生死は絶望的に思えた。


「すぐに陸戦隊を組織してくれ。あと、すまないが、君に頼み・・がある」


「頼み……ですか?」


「ああ、しばらく<宵月>の指揮を君に委任する」


「委任? 艦長はどうされるのですか?」


 儀堂は不可思議なものを見るように言った。


「友人を迎えに行く。少なくとも、私にはその義務がある。例え彼がどういう状態でも・・・・・・・・・、こんなところに置いていくわけにはいかないんだ」


 結果がどうあれ、儀堂にはその事実を伝える相手がいた。あの搭乗員には、兄を慕う妹がいるのだ。



 <宵月>は、高度を下げ柱の根元に船体を着底させた。<宵月>を中心に赤い方陣が描かれ、艦が傾斜しないよう水平に保たれている。


『ギドー、一つ頼みがあるのじゃ』


「なんだい?」


『妾も、あの柱へ連れて行ってくれぬか?』


「……説明してくれるな」


『もちろんじゃ。妾はあそこへ行かねばならぬ。道すがら、お主に話そう』


「わかった。一応聞くが、君がここを離れても、この艦にかけた魔導は維持できるのか?」


 ネシスが展開している方陣が解かれた場合、<宵月>は横倒しになってしまうだろう。それだけ避ける必要があった。横倒しになった軍艦など、まな板の上の鯉に等しい。


『案ずるな。妾が離れても術は解かれぬ。それに万が一があっても、大丈夫だろう』


「それは、どういう意味だ?」


『そのうちわかろう。とにかく妾も行くぞ』


 数十分後、甲板に十名あまりの武装した兵員が集合した。


 舷から縄梯子が降ろされ、彼等と共に儀堂とネシスは月面・・へ降り立った。


 彼等は人類初の一歩を歩み出した。


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