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終点(Seattle):2

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 そのとき、彼女は高台に備えられた方陣の中にいた。ちょうど儀式の最中だった。


 奉り事を執り行い、地の竜と天の精霊を仲介しなければならなかった。


 彼女の故郷くには、山奥にあり、生家は代々その地を統べる一族だった。


 そのとき彼女は一族の命運を、小さな背中に負っていた。


 儀式が成功しなければ、彼等は滅びの道を辿るほか無かった。


 一族は周辺の種族との戦いで追い詰められていた。


 彼女らは個体としては、他の種族よりも優越していたが、絶望的に数が足りなかった。


 一族は数の差を埋めるために、魔導を操り、他の種族を圧倒した。それ故にいっそう、彼女の一族は恐れられていった。


 戦いが起きた理由は今となっては思い出すことが出来ない。ただ、彼女らが他の一族と明確に異なる部位を持っていたが故に忌避されていたのは確かだった。


 長きにわたる戦いで、どちらが先に仕掛けたのかすら、誰も覚えていなかった。気づいたら、いつの間にか彼女の故郷を取り囲むのは敵ばかりだった。遠からずして、彼女の故郷は消失しようとしていた。


 彼女は儀式の装束に身を包むと、舞った。


 ただひたすらに戦いを終わらせる願いを込めて舞い、そして彼女の一族を滅びの道から救うために舞い続けた。


 救いの舞いは三日三晩続いた。


 その間、その身に宿した力の全てを使い切り、意識が混濁していく中でも舞い続けた。


 やがて彼女の願いは地の竜へ通じ、山嶺から天へ一条の光を放った。


 ぼやけていく視界が天を貫く光の筋を認めたとき、彼女は誰よりも安堵した。


 天へ願い届いた。これで我が一族は救われると思った。


 変化は直ぐに訪れた。


 初めは帚星の類いかと思った。しかし、おかしなことにすぐ気がついた。星の尾が急に形をかえると、光の塊となってどんどん近づいてきたのだ。


 巨大な光だった。


 太陽が落ちてきたとすら、思った。


 その光の塊は、彼女らが住まう山嶺を削り取り、大海原に落ちた。


 大波が巻き起こり、彼女の山嶺周辺にいた多くの種族が命を落とした。


 一族は歓喜した。天の神が我らが願いを届けたのだと信じた。


 全く、今にして思えばおめでたい話だった。


 確かに、彼女の一族は滅びの道を脱することが出来た。


 その代わり、救いのない無間の地獄を彷徨うことになったのだ。


 海に浮かんだ光から、現われたものたちは彼女ら一族に新たな力を与えた。彼女らは一人ずつ光の塊に招かれ、肉体を根本から変容させられた。光の塊から還ってきたモノは、老いと死の恐怖から解き放たれていた。如何なる傷もたちまち治癒し、比類無き膂力を持つ神の身体を手に入れた。


 一族は光を崇めた。そして光に命じられるがままに、世界を蹂躙することにした。それは一族が望んだことでもあった。彼等は世界に恐怖し、憎悪していた。光が与えた力は彼等の恐怖と憎悪を膨張させ、比例して彼等は無制限の暴力を振りまくことになった。


 一族は無数の魔獣を従え、彼等を取り囲む種族や国家を征服していった。


 その中には、かつて友好的な関係を結んでいた集団もいたが、力に溺れた彼等に区別はつかなくなっていった。


 やがて、一族は世界を敵に回す存在となった。


 世界は団結し、彼女ら一族を共通の敵として、反攻を開始した。


 いかに不滅の存在といえども、たかだか百数鬼でこの世全てを統べれるはずもなく、一鬼また一鬼と倒され、再び一族は追い詰められていった。


 そうだ。


 同じではないか。


 妾が命を賭した舞ったあの日と全く同じになってしまった。


 いつの間にか、妾たちの周りは敵だらけになってしまった。


 こんなものを望んだ覚えはない。


 妾は、ただ一族の平穏を願っただけなのだ。


 誰にも脅かされず、明日に怯えること無く今日を過ごせる世界を妾は願い、全身全霊を捧げた。


 それなのに、妾たちの心は暗く閉ざされたままだった。


 ああ、だから妾は気づいたのだ。


 あやつらはまやかし・・・・なのだと。 


 あな口惜しや。


 あやつらは妾の願いに寄生しおったのだ。


 元凶を絶たない限り、一族は再び滅びの道を辿っていくだろう。


 ネシスが反乱を起こしたのは必然だった。


 彼女の使命は一族の救済だった。


 そのために彼女は自身を奉じたのだ。



【北アメリカ西海岸沖 駆逐艦<宵月>】

 1945年3月23日 深夜


 目を覚ましたとき、ネシスは憎悪に身を焼かれそうになっていた。


 しかし、すぐに無機質な感触が彼女の熱を冷ました。


 傍らにいる、今はもう過去の存在と化した妹の遺骸だった。


 憎悪から一転して、ネシスは悔恨の渦へ飲まれていった。


「すまぬ……」


 ただ一言絞り出し、冷たくなった骸を抱き寄せた。


 瞳から憎悪の残滓が流れ出ていった。



【北アメリカ西海岸 シアトル港】

 1945年3月25日 昼


 シアトルが世界史上で記録されたのは、18世紀のことだった。英国海軍HMSのジョージ・クーバ―艦長が、同市周辺の海域を調査したのが始まりだった。彼は自分の部下の名前にちなんで、その海域にピュージットの名を冠した。ピュージット湾の由来である。ちなみに同様の経緯を辿り、19世紀に同海域南部はエリオット湾と名付けられた。


 北米おける植民地の反乱が独立戦争へ拡大し、西部開拓を乗り越えた頃には林業がシアトルの主要産業となっていた。やがて、南北戦争から本格的な産業革命を迎え、20世紀に入ったとき転機が訪れた。


 合衆国の主幹産業となる航空会社が設立されたのだ。後のボーイングである。同社は最初の世界大戦における航空機の需要増加により、急成長し、シアトルの雇用と税収の拡大に貢献した。その後、ボーイングは戦間期において合衆国陸海軍御用達の軍事企業へと変貌していく。


 20世紀中盤におけるシアトルは神の祝福に満ちた都市となっていた。


 それは1941年において、ある種の絶頂を迎えたとも言える。北米のみならず、世界中の主要都市が黒き月と魔獣の災厄に見舞われる中で、シアトルは奇跡的に無傷で済んでいた。同市周辺に現われたBMは皆無だったのである。合衆国の各都市で地獄絵図が展開される中、シアトルは戦禍から忘れ去られていた。


 あくまでも相対的な評価だが、それでも幸運であったことに違いない。


 人類にとって、全く有り難いことに、かの市の幸運は未だに継続していた。


 同市の工業生産能力は健在で、また地勢的にもシアトルは防衛に適していた。具体的には、内陸へ入り組んで大陸氷河で形成された海峡に囲まれ、大火力を有する海軍艦艇が活躍できる環境である。万が一BMが現われたとしても、戦艦の主砲で歓迎ウェルカムすることが可能であった。


 第二次世界大戦において、シアトルは連合国にとって反攻拠点のひとつに位置づけられた。連合国はシアトルの港湾部を拡大し、日本や豪州から送られてくる兵站物資の備蓄基地として活用していた。


 各国の兵員と魔獣の戦禍から逃れた東部の難民を吸収し、同市の人口は今や百万を越えていた。



 シアトルの軍港部は各国によって管轄区が分かれている。その一角には旭日旗ライジングサンがはためいていた。


 大日本帝国海軍が管轄する区画内、その検問所で三人が待ちぼうけを食らっていた。うち二人は陸軍士官だった。ともに目新しい肩章と襟章をつけていた。帝国陸軍の規定では、片方が中佐もう片方が中尉相当が付けるものとされている。


 彼等は検問所を出入りする水兵や海軍士官の視線を引きつけていた。確かに海軍の縄張りテリトリーにおいて、陸軍士官の存在は異質だったが、もの珍しいわけではない。海兵たちの視線を釘付けにしていたのは、彼等三人の中でも最後の一人だった。


 中佐の陸軍士官に抱きかかえられた幼女である。欧風の顔立ちで、大きめのベレー帽から銀色の髪がはみ出ていた。出入りする将兵にとって、あまりにも現実戦争からかけ離れた家庭的な光景だった。


「慣れてますねえ。完全に熟睡してますよ」


 中村中尉・・がいかにも感心したように言った。寝息をたてるユナモを抱きかかえながら、本郷中佐・・は苦笑した。


 本郷も中村も、ボッティンオーでの戦いが評価され、野戦昇進していた。正直なところ、本郷は素直に喜ぶことができなかった。例え戦果をあげようと、彼の部隊が壊滅した事実は変わらないからだ。


「まあ、僕は一人目の娘のときに練習したからねえ。夜泣きが酷かったんだ。妻も参るほどにね」


「なるほど」


「君も所帯を持てば、必然的に上手くなるよ」


 中村は肩をすくませた。「そうしたいのは、やまやまなんですがね」と返す。つい先日、故郷の許嫁から「いつ帰るのか」と便りが来たところだった。中村は話題を変えることにした。


「それにしても、海軍さんってのはうち陸軍よりも時間に厳正って聞いたんですがねえ」


 先ほどから奇異な視線を向けてくる海兵をにらみ返す。わずかに眉をひそめながら、誰もが足早に立ち去っていく。


 定刻に来たのにも関わらず、もう30分近く検問所で待たされていた。


「まあ、何事にも例外があるということだよ。我ら陸軍とて、かつて反乱を企てた輩がいただろう?」


 本郷はのんびりとした口調で諫めた。


「ええ、それは――」


 中村はバツの悪い顔で肯いた。本郷のことは、上官としても、人間としても尊敬している。唯一、この手の諧謔ユーモアだけが苦手だった。あるいは、生粋の陸軍士官と予備士官上がりとの乖離とも言うべきかもしれない。中村にとって、陸軍は自身を形成する自我の一部となっていたため、批判的な思考を持つことができなかった。


 中村がさらに話題を変えようと苦心する時間は長く続かなかった。基地内から一台のセダンが向ってくるのが見えた。やがて、セダンは検問所の近くで止まり、助手席から一人の海軍士官が降りてきた。士官は、そのまま小走りで駆けてきた。


 第一種軍装クロフクに身を包んだ中年士官は、長身痩躯で目の下に不健康なくまをつくっていた。士官は海軍式の敬礼を行った。中村は陸軍式で答え、本郷はユナモと抱きかかえていたので軽く一礼した。


「本郷中佐と中村中尉ですね。自分は矢澤と申します。お待たせしてしまい、誠に申しわけございません」


 深々と矢澤幸一中佐は頭を垂れた。


「どうぞ、お気になさらず。こちらこそわざわざ迎えに来ていただき、有り難く思っております」


「そう言っていただけると助かります。さあ、どうぞこちらへ」


 矢澤はセダンへ二人を案内しながら、時差ボケで緩んだ意識に鞭を入れていた。内心では上官に対する罵倒を量産している。致し方がないことだった。


 彼はつい24時間ほど前まで、日本の築地にいたのだ。それがどいういうわけか、今や北米のシアトルにいる。全ては彼の上官に起因していた。30時間ほど前に、急な北米出張を告げてきたのだ。


『ちょっとシアトルへ行くことにした。矢澤君、君も付いてこい』


 まるで散歩へ繰り出すような口調だったが、聞かされた方はたまったものではなかった。寝耳に水どころではない。熱湯を流された気分だった。おかげで矢澤は押っ取り刀で出張の準備を行う羽目になった。呪詛の念を込めて、矢澤は上官の名を口にした。


「六反田少将のところまで、案内致します」



【ピュージット湾 駆逐艦<宵月>】

 1945年3月25日 朝


 矢澤少佐が時差ボケの悪夢と奮闘する数時間前のことだった。


 <宵月>とYS87船団、そして第三航空艦隊は、ついにピュージット湾へ到達した。目的地のシアトルまで、もう間無くだった。


 西海岸の空は覚めるような青色だった。


――これが北米の空か。


 艦橋最上部の対空指揮所から空を見上げながら、儀堂は感慨深く思いをはせた。2月の末、浦賀水道を出たときは、全く予想だにしなかった出来事が立て続けに起きた。


 ワイバーンの大編隊と死闘、オアフBMの迎撃戦からの突入戦。そしてBM内部の惨状。


「すべてが夢のようだ」


 ネシスが現われてから目まぐるしく世界が変わっていく感覚があった。


「ギドー」


 反射的に耳当てレシーバーへ手をやるも、すぐに儀堂は背後から発せられた声だと気がついた。


 ネシスが立っていた。


「綺麗な空だ。」


「ネシス……お前、部屋にいたのでは無いのか」


 意外な思いを覚えつつ、儀堂は問うた。


「大丈夫なのか?」


 ネシスはくすりと笑いを漏らした。


「お主に心配されるとはな」


「オレには経験があるのだ」


「そうだったな。すまぬ。許すが良い。大丈夫じゃ。なぁに、泣くことに飽いてのう。気まぐれに外へ出るのも良いと思ったのだ。魔導機関あの部屋は、全てがよく見えすぎる。今の妾は自分のまなこだけで、外界を見たいのじゃ」


 ネシスは愉しげに言った。その口調に演技めいたものを感じた。ネシスは、すぐ真横に並び立った。その横顔から、全てを伺うことはできない。


「案ずるな。いつまでも童子のように哭することはできぬ。我らにとって終わりと別れは同義ではないのだ。それに、妾は大きな借りをシルクにつくってしまった。妾は返さねばならぬ。我が妹との記憶、そして、あの忌まわしい月で失われた日々を……」


「そうか」


「ギドー、シルクは我に仇の名を告げた」


「なに……」


「ラクサリアン、それが奴らの名じゃ。お主等の言葉にすれば、"光の民"あるいは"星の使徒"となろう」


 ネシスはただ前だけを見据えていった。


「光、星だと?」


「ああ、ギドーよ。妾はその言葉を紡ぐ度に憎悪に身を焦がしそうになる。妾は思い出したのじゃ。妾の記憶を奪い、故郷を奪った者たちの名じゃ」


「…………」


「彼奴らが妾と同胞を黒き月へ幽閉し。この世界に流したのじゃ。ラクサリアンは天より舞い降りて、妾の世界を蹂躙せしめた」


 ネシスは空を見上げた。つられて儀堂もその先へ視線を移す。


 蒼天を照らす太陽に星々は隠されていた。



「やれやれ、ようやく娑婆に出られるぜ」


 甲板に出た戸張は外の光に耐えられず、手をかざした。4日前、義堂の部屋で小火騒ぎを起こした飛行士官の謹慎は、本日をもって解かれたのである。


 しきりに両目をしばたきながら、あの野郎と思った。


――よりにもよって無二の親友にして、オアフBM撃滅の功労者を缶詰にしやがった。


 戸張の個人的な見解では、全く度しがたい行いだった。


 内地に帰ったら、小春に言いつけてやろう。いや、待て。そいつは不味い。きっとやぶへびだ。小春のことだから、オレがまた何かやらかしたと思うに違いない。全く、なべてこの世は不条理につきる。「なあ、おい。そう思うだろう」


 脇に抱えた彼の戦利品・・・へ語りかける。彼の相棒は小さな声で鳴いた。


 飛竜の幼体は、しばらく戸張が預かることになった。本来ならば檻にでも閉じ込めておくべき所だったが、<宵月>にそんなものはなかった。その上、幼体は戸張になついており、他の兵員の言うことを受け付けなかったのだ。


 やむなく儀堂は幼竜の世話を戸張に任せることにした。すでに彼の上官六反田と三航艦司令部には報告済みだった。どのみちシアトルに着いたら強制的に引き離されることになるだろう。


 そんなことはつゆ知らず、戸張は幼い竜の頭をなでた。幼竜は甲板の撫でる風を気持ちよさげにうけていると、じたばたとしはじめた。


「おいおい、暴れんな。危ねえだろ」


 戸張はなだめるように、抱きかかえた。幼竜は鳴き声を上げながら、大空の一点へ向けて首を伸ばしていた。戸張は竜の指し示す先へ視線を移した。その先には巨大な機影が見えた。彼はそのシルエットに見覚えがあった。


「ありゃあ、大艇タイテイか?」


 帝国海軍の飛行艇、二式飛行艇だった。鯨を想起させる全長28メートルの機体に、38メートルに及ぶ主翼を備え、4発の三菱火星発動機を唸らせながら、大空を遊弋している。まさに空飛ぶ戦艦だった。


――内地から来たのか?


 二式大艇は主に中部太平洋と内地に配備されていた。大型機ゆえの長大な航続距離を活かし、広い大洋を哨戒するのに用いられていた。何しろ横須賀からシアトルまで給油なしで、渡洋可能なのだから、その破格ぶりがうかがえる。


「まあ、焦るな。お前さんも、そのうちあれよりもデカく飛べるようになるさ」


 空への欲求を訴える幼竜を撫でながら、戸張は言い聞かせた。それは己自身へ向けられた言葉でもあった。


【ピュージット湾上空 二式大艇】


「YS87船団は無事に辿り着いたようじゃないか」


 六反田は、二式大艇の窓から眼下の艦艇群を満足げに眺めていた。


「無事なのでしょうか」


 矢澤は同意しかねる声で答えた。六反田は言外の意をくみ取った。


「ああ、無事さ。例え、数十機が空に散り、数万トンが海に没し、幾百の命が喪われたとしても、相対的には無事と言わねばならない。考えてもみろ。あのオアフBMに遭遇していながら、その程度で済んだのだ」


「それは――」


「矢澤君、我々は多くの過誤を犯す生き物なのだ。眼下の三航艦、そして我らの<宵月>と儀堂君も何かしらの過ちを犯しただろう。もちろん、俺や君もな」


 六反田は穏やかな口調だったが、矢澤は自身が叱責されているのだと感じていた。


「俺たちはいつだって何かを間違えながら生きている。とくに戦争という時代では、その比率は跳ね上がる。ならば出来ることはせいぜい過誤を極限に抑え、成すべきことを成すしかない。見たまえ。彼等は北米が欲する必要十分な物資をシアトルへ届けるぞ。素晴らしいことじゃないか」



 YS87船団と第三航空艦隊は1945年3月25日、シアトル港へ入港した。


 船団の損失は1割に留まった。



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