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終点(Seattle):1

【北太平洋 駆逐艦<宵月>】

 1945年3月21日 夕


「あの野郎、嫌がらせか」


 仰向けで灰色の天井を睨みながら、戸張は呟いた。彼は今、<宵月>の一室に押し込まれていた。オアフBMで救出された戸張のためにあてがわれた個室だった。個室と言えば聞こえがいいが、実態は倉庫の一角を無理矢理寝泊まりできるように改造したものだった。窓が無いため、昼にも関わらずに室内灯を照らさなければならなかった。かび臭い上に、辛気くさいことこの上なかった。彼はここに来て自分が軽度の閉所恐怖症であることに気づいた。


「ああ、<大鳳>へ戻りてえな」


 残念ながら、彼の要望が叶えられるのはかなり先になりそうだった。飛行士特有の鋭敏な三半規管が、外の天候を知らせてくれた。昨日から船体が激しい横揺れローリング上下動ピッチングに煽られている。恐らく外は大時化おおしけだろう。


 おかげで彼は<宵月>に軟禁される羽目になっている。本来なら三航艦の旗艦<大鳳>へ復帰するはずだったが、この時化のせいで戻ることができなくなった。


 彼が乗っていた烈風は、オアフBMの爆散に巻き込まれて、今頃は太平洋の漁礁となっている。彼は知らなかったが、<大鳳>へ戻ったところで閉塞感から解放されるわけでは無かった。補用機もなかったため、暫く空へあがることはできないのだ。


「秘匿兵器だかなんだか知らねえが、身体がなまって仕方がねえぜ」


 同じ帝国軍人とは言え、戸張にも見張りが付けられていた。そのため自由に艦内を歩き回ることすら出来ず、捕虜のごとく一室で食っては寝る毎日が続いている。


 <宵月>という艦の秘匿性が高かったからだが、今となっては意味があるのか疑問に思えて仕方が無かった。<宵月>の驚異的な飛行能力は、第三航空艦隊に所属する全艦が知るところとなっている。下手をしたら合衆国すら気づいているかもしれなかった。いったいこれ以上何を隠す必要があるのかと思った。


 戸張は大あくびをすると、寝返りをうった。次に儀堂が面会にやってきたときに文句の一つでも言ってやろうと固く誓っている。あとそうだ。小春にも告げ口をしてやろうか。いや、止めておこう。きっと不機嫌になって、オレが被害を被ることになるぞ。


「畜生めが」


 思わず呟くと、それに答えるようにがさりと片隅で音がした。


 ぎょっとして戸張は身を起こし、音源へ向けて目を凝らした。雑用品や食料の入った段ボール箱が積み上げられていた。どうやら、異変はその向こう側で起きたらしい。しばらくすると再びがさがさと蠢く音がする。


 ねずみか何かだろう。正直なところ、何だっていい。後で儀堂に叱られるかもしれないが、暇つぶしにこの艦を出るまで飼ってみてもいいだろう。だいたい、飛行士をこんな狭いところに閉じ込める方が悪いのだ。


 戸張は懐から乾パンを出し、立ち上がると段ボールの山へ向っていった。


「おーい、ネズ公でてこーい。いいものをやるぞ」


 数箱を脇へ避けると、簡易な暖房機ヒーターの近くで破れた段ボール箱が見えた。妙だなと思う。鼠が空けた穴にしては大きすぎた。訝かしながら、戸張は段ボール箱を開いた。積み荷は駆逐艦に似つかわしくないものだった。どうやら何かの陶器らしかったが、バラバラに砕けて破片になっていた。


 戸張は大きめな欠片をつまむと、すぐにうめき上げて手を離した。破片には、ぬめぬめとした液体がついている。戸張の手から落ちた破片は裏返しになった。そこで彼はようやく見覚えある模様が入っていることに気がついた。


 オアフBMで拾った彼の戦利品竜の卵と同じ模様だった。


 戸張のすぐ背後でがさりと音がした。



【北太平洋 駆逐艦<宵月>】

 1945年3月21日 夜


 ネシスの妹、シルクの臨終は15時42分と記録された。


 彼女が安置された一室へ案内された軍医は戸惑いを隠しきれなかった。無理も無いだろう。その遺体は、あまりにも無機質であり過ぎたからだった。シルクは全身が黒く変色し、結晶化していた。軍医は形式的な動作で脈を計った。瞳孔の確認は不可能だった。結晶化により、瞼は閉じられたまま硬直していたからだった。


 まるで彫像のようだったと彼は述懐することになる。



 航海日誌を書き終えた儀堂は、大きく背伸びをした。身体の節々から抗議の声が上がってくるのを感じた。彼は万年筆を置き、日誌を閉じると近くのマグカップへ手を伸ばしていた。


 カップに注がれたコーヒーはとっくの昔に冷め切っていたが、全く支障はなかった。今は頭の冴えを維持できれば、それで良い。


「……」


 無言で、ベッドの片隅へ目をやった。そこに背中を丸めた鬼の姿はなかった。今、彼女はシルクの側に居た。しばらくの間はそっとしておくように御調みつぎとキルケには、言い含めている。特にキルケには念を押した。彼女は自身の研究に対して率直すぎた。現にシルクの最期を話したときも、遺体ではなく、サンプルとして認識しているきらいが見てとれた。


「あと、4日か」


 誰にともなく呟いた。4日後、シアトルに入港する予定だった。恐らく、これ以上の戦闘は起こりえない。太平洋最大の脅威にして、魔獣の発生源のオアフBMが消滅したのだから。


 ハワイ諸島には、野生化した魔獣がいると聞くがそれらも数ヶ月後には姿を消しているだろう。合衆国の第三艦隊をはじめ、太平洋中に展開してる部隊が続々と西海岸へ集結中と報告があった。彼等は、この機会を逃すはずは無い。そう遠からずして、ハワイ奪還へ向けて行動を開始するだろう。


 太平洋における魔獣の活動も沈静化へ向う見込みだった。


 目出度めでたいことだった。喜ぶべき事態だが、儀堂は気分は晴れなかった。肩をふるわせるネシスの後ろ姿が彼の網膜に焼き付いて離れなかったからだ。それだけではない。あのオアフBMで見た光景が、彼の心に重くのしかかっていた。


 要するに巨大な揺籃器だったのだ。魔獣を飼育し、出荷するための工場。年端もいかぬ娘の精気―ネシスは魔力と言っていた―を原材料にして、この世界へ吐き出し続ける装置だった。


 そんなものがこの世界に散らばっている。当然、その中では同様の光景が広がり、ネシスやシルクのような鬼が拘束されているのだ。


 これから先、あの黒い月と対峙する度にオレは今日の光景を思い出すのだろう。


 あの月が、この世界から全て消え去るまでそれが続くのだ。


 胸くそが悪いことこの上なかった。


 そんなものをこの世界に送りつけた奴らに対して、抗しがたい怒りも湧いてきていた。


「決めた」


 全員、ぶち殺してやる。


 あれをここに送りつけた奴らを必ず突き止めるのだ。


 外道にも劣る装置で、オレたちの世界をぶちこわしやがった。相応の報いをくれてやる。


 儀堂はコーヒーを飲み干すと、叩きつけるようにデスクへ置いた。


 呼応するように、扉がノックされる。儀堂は訝かしげに時計を見た。


 21時近くを指していた。艦橋へ行くには数時間早かった。だとすれば、何か非常なことが起きたのだろう。


「入れ」


 怒りを治めた声で儀堂は言った。


「よう」


 扉から顔を覗かしたのは、全く意外な男だった。


「寛か、どうかし――」


 直ぐに気がついた。


 彼の友人は奇妙な生き物を腕に抱えていた。猫ほどのサイズだった。


「衛士、こいつ飼っても良いか?」


 戸張はいかにも困ったような顔で聞いてきた。


 彼の腕の中には、生まれたてと思しき竜の幼体が抱えられていた。


 真っ白な幼竜だった。


 こいつはいったい何を言っているのかと思った。魔獣を飼うなど、何を考えているのだ。犬猫とは違うのだぞ。だいたいシアトルへ入港したら、検疫に引っかか――いや、違う。今、そんなことはどうでもいい。


「君、それが何だかわかっているのかい?」


「見ればわかるだろう。飛竜のガキだ」


「そういうことじゃない……!」


 殺気だった儀堂の声に、幼竜は怯えた鳴き声をだすと、つぶらな赤い瞳で睨んできた。


「怖い声出すなよ。怖がっているじゃねえか」


「君は正気かい?」


「ひでえ言われようだ」


「魔獣だぞ。そんなもの飼えるわけがないだろう」


「じゃあ、太平洋のど真ん中捨てろってのか? まだ飛べねえんだぞ。たちまち鮫のエサだぜ」


「莫迦野郎。こっちがエサになるよりましだろう」


「はは、大げさだぜ。こんなちっこいのに、何ができる」


 戸張は失笑すると、幼竜は同意するように甘えた鳴き声を出し、小さな火球を放った。火球は寝台の枕を直撃した。たちまち小火ぼやが生じる。


「あ……」


 儀堂はすぐに高声電話を手に取ると、怒鳴るように命じた。


「消火班!! すぐに艦長室へ!!」



 その夜、<宵月>でちょっとした騒ぎが生じた。


 艦長室の小火を消火した後、儀堂は艦長権限で戸張と幼竜に謹慎を命じた。


 シアトルまでの4日間、飛行機乗りは閉所恐怖症に耐えながら幼竜と船旅を過ごす羽目となった。



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