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神の火(Prometheus)

【アメリカ合衆国 ユタ州南部 モニュメント・バレー】


 1945年2月17日 早朝



 目前には鮮やかな茶褐色の風景が広がってる。ロッキー山脈から運ばれた川の泥濘は鉄分を大量に含んでいた。それらが数万年かけて酸化した結果、かくも目の覚めるような彩色がほどこされたのだ。


――まさに駅馬車のようだ


 ユタの荒涼とした大地を見ながら、栗林忠道くりばやしただみち大将は思った。先日、ロサンゼルスで見た西部劇映画だった。ジョン・ウェインという年齢キャリアの割にはあまりに聞いたことがない俳優が主演をしていたが、中々に好評だったことは覚えている。


 彼は今、アリゾナ高原の一角、モニュメントバレーと呼ばれるエリアにいた。砂漠地帯で真っ平らのオレンジ色の土地に、浸食によって切り出された岩山が各所に立ち並んでいた。まさに記念碑モニュメントの谷だった。


「ジェネラル・クリバヤシ、さあ、こちらです」


 彼を案内してきた合衆国陸軍の士官が、行く手を示した。少し興が冷めた気持ちになったが、表情には出さなかった。その青年士官が示した先には、この地に全く似つかわしくないものが据えられていたのである。軍人ならば一度は目にしたことがあるものだ。可能ならば前線で対峙したくないものだった。


 分厚いコンクリートの構造物が、2~3個ほど地下へ埋没するように建設されている。


 敵の進撃を食い止めるための小さな近代城塞、トーチカだった。


 ここが対魔獣の最前戦線だったときの名残だろうかと思った。2年前まで、モニュメントバレーを舞台に、連合国軍は魔獣の掃討戦を繰り広げていた。しかし、それにしても妙だった。第一、ここが要地とも思えない。周辺に広がるのは茶褐色の大地ばかりで、油田や都市があるわけでもない。そんなところにわざわざコンクリートの城塞を築く意味がわからなかった。


 前を行く青年士官に栗林は尋ねた。


「なぜ、こんなところにトーチカがあるのかね?」


「サー。申しわけありません。その質問に答える許可をいただいていないのです」


 彼は続けて、「ただ、まもなくお分かりになるかと思います」と答えた。含み笑いをしていることから、この士官はトーチカの建設理由を知っているようだ。幾分か彼の表情と口調に優越感が含まれているようにも思えたが、栗林は気にもとめなかった。その昔、彼が騎兵将校だった頃に合衆国へ留学したときに似たような経験を何度もしている。その際、この手の人間よりも、隔たり無く敬意を持って接してくるアメリカ人の方が手強いことも学んでいた。偏見を持たない人間は、敵になったときこそ全く厄介な存在になるのだ。その手の人間は、自他の戦力を正しく評価し、適切な手段を容赦なく講じてくる。


 青年士官は栗林をトーチカへ案内すると、しばらく待つように言った。


 トーチカの中には、栗林以外に十数人いた。ロシアや独逸など諸外国の軍人もいたが、大半は白人で米英軍の軍服で占められていた。唯一、彼以外の日本人が一人いた。海軍士官だった。


 向こうは外の景色を見ており、栗林の存在に気がついていないようだった。栗林は自分から話しかけた。


「どうも」


 海軍士官は敬礼をして、答え。次に大変恐縮した様子で一礼した。


「ご挨拶が遅れてしまい、申しわけありません。自分は小鳥遊たかなしと申します」


 小鳥遊俊二たかなししゅんじは少佐の階級章を付けていた。


「君、ここに呼ばれた目的について何か聞いているかな?」


「いいえ、自分は何も存じません。ただ、何かの実験としか――」


「そうか。ところで君は技術士官かな?」


 小鳥遊は、どこか軍人らしからぬスマートな印象を覚えさせる士官だった。大学で講師でもやっていそうな雰囲気の持ち主だった。極たまに技術畑で、この種の空気を醸し出す士官が見かけられる。


 栗林の予想は半分あたり、半分外れたようだった。


「いいえ、自分は法務士官であります」


「法務? 技術では無く?」


 小鳥遊は帝大出の弁護士で予備役招集された。大学では国際法を専門に扱っていたらしく、海軍内でも数少ない法務職として重宝されていた。


 聞けば今回は合衆国軍より直々に指名され、召喚されたそうだ。これまた妙な話だった。栗林自身ならば遣米軍の司令官として来賓として呼ばれたと解釈できる。しかし、この法務士官の場合はどうやら理由は別の所にあるらしい。


「自分も閣下にお伺いしたいのですが――」


 小鳥遊は覗き窓の方へ目を向けた。分厚い壁に同等の厚みをもったガラスが嵌めこまれている。


「どうも自分が知るトーチカと、ここの内装は趣が異なるように思うのです」


「確かに――」


 栗林は周囲を見渡した。複数の計器が設置され、外へ向けてカメラが設置されている。恐らく実験とやらの結果を計測するためだろうが、それにしてもこんな分厚いコンクリ―トの施設に置かねばならない理由について検討がつきかねた。


 小鳥遊は続けた。


「それに、あそこにいる白人――」


 二人の白人が何かを話し合っている。二人とも、栗林たち黄色人種とは別の意味で少数派だった。その二人は軍服では無く、背広を着ていた。


「知っているのかね?」


 栗林は相手に気づかれないように様子を見ながら言った。


「ええ。彼はヴェルナー・ハイゼンベルクです。以前、欧州へ留学していたときにサロンであったことがあります。言葉もドイツ語訛りの英語ですから、恐らく間違いはないでしょう」


「どういう人物かね?」


「物理学の専門家です。ナチス時代はウラン・クラブという組織にいました」


「ウラン?」


「ええ、ある元素の名前なのですが――」


 小鳥遊の話を遮るように、室内にブザーが鳴った。同時に合衆国軍の兵士が室内の人間にゴーグルを配り始めた。手渡されたものは黒い塗料が塗られ、過剰なまでに遮光性能が高められたものだった。


 それから15分後、カウントダウンが始まった。


 30秒後、トーチカから遙か数十キロ離れたプラットフォームである装置が作動した。




 電気信号によって爆薬が作動し、信管内に収納された2つの元素の塊が激突、臨界に達する。次の瞬間、中性子とウラン原子がミクロの単位で踊り狂い、衝突し合い、原子の分裂を連続的に巻き起こした。それらの反応は莫大なエネルギーとなって膨張していった。


 エネルギーは太陽に等しい高熱となり、大気を白熱化し、正視に耐えられぬ巨大な光の球が地上に産み落とされる。光球を中心に輻射熱の波が周囲に放たれ、大地を剥がし、周囲にあるものを溶かし、気化させた。輻射熱に続いて衝撃波が数キロ圏内に渡って、覆い尽くしていく。空気の津波が地表にあるものを等しく吹き飛ばした。


 猛烈な衝撃波は急激な気圧の変化を引き起こし、中心部へ向けて容赦の無い大気の揺り戻しが起きた。それらは一度巻き上げた地表の埃を再び絡め取って空へ駆け上がり、毒々しいキノコ状の噴煙となって天を貫いた。


 遮光ゴーグルすら貫くような閃光、それから十数秒後に衝撃波が分厚いコンクリートで形成された観測所に到達した。衝撃波はモニュメントバレーの地表と岩山を削り取り、茶褐色の埃を周囲へまき散らした。まるで砂嵐に遭ったかのように窓の外が砂の煙に覆われ、一切の視界が効かなくなった。


 地鳴りと暴風、窓の外にたたきつけられる埃の音に包まれながら、室内は沈黙に包まれた。数名が呻きにも似た声をもらしたような気がする。


 キノコ雲が頂点に達し、外界が元の平穏を取り戻した後、栗林の後方で「ブラヴォー」という声が上がった。独逸訛りの言葉だった。つづいて、実験の成功が報告された。その一言を皮切りに、歓声と拍手で室内が満たされた。


 栗林は控えめな拍手をしながら、隣の海軍士官を見た。極めて不健康な顔色をしていた。彼にはその理由がわかっていた。なぜなら、栗林自身も同様の顔色していたからだった。爆発の瞬間から、血の気が引くのを感じていた。


 小鳥遊は栗林の視線に気がつくと、そっと小声で話しかけた。


「閣下、自分はここに呼ばれた理由を察しつつあります」


「奇遇だね、実は私もだよ」


 栗林は硬い表情で肯いた。




 数十分後、シャンパンが空けられ、室内に集まった高官に配られた。


 その中の一人に、今回の計画の責任者が含まれていた。合衆国陸軍のレズリー・グローヴス少将だった。彼は満面の笑みで二重顎を揺らしながら、背広を着た技術者を讃えた。


 その科学者は長身、短髪で特徴的な大きな目をしていた。


「オッペンハイマー博士、合衆国ステイツのみならず全世界は君の献身に心から感謝するだろう」


 グローヴスは室内全員に聞こえるような大仰な言い方を行った。


「ありがとうございます。グローヴス少将」


 オッペンハイマーと呼ばれた科学者は遠慮がちに肯いた。横にいるハイゼンベルグは満足げに笑っている。


「アナハイム計画は君のおかげで成功だ。皆さん、ご紹介しましょう。我が合衆国が誇る叡智、ロバート・オッペンハイマー博士です。先ほどご覧になった実験の成果・・は、彼のチームが開発した反応爆弾によるものです」


 あらかじめ仕込まれていたのか、室内の数名が拍手を行った。栗林と小鳥遊は、この起爆実験の意味を確信をもって理解していた。もちろん構造や理論的なレベルでは無く、政治的な次元での話だった。


 要するに、これは合衆国による一種のデモンストレーションなのだ。いや、はっきりと言ってしまえば第三国に対する合衆国の示威行為だった。その中でも最大のターゲットは日本だろう。





 BM出現以降、国土の被害を最小限に抑えられた列強国は日本だった。この五年間で極東の島国は、対BM戦争の軍時特需で一気に工業生産力の拡充に成功し、東洋の奇跡とまで呼ばれるようになった。本来的には合衆国との戦争に振り分けられるはずの物資と人員が魔獣との戦いに投入され、その原料と費用を不本意ながら合衆国が肩代わりしたからだ。皮肉なことに、合衆国はかつての仮想敵国を育てる羽目になった。その結果、日米において技術力と生産能力の差は5年前よりも縮まっている。今のところ合衆国の優位は保たれているが、この戦争が長引けば話は違ってくるだろう。


 ならば彼等が取るべき手段は一つだった。一日でも早く、北米を蝕む月を全て消失させ、魔獣を殲滅するのだ。そして力の均衡を取り戻さなければならない。


 彼等とて、二度目のパールハーバーは御免だった。1941年、あの黒い月がオアフに現われた日、たまたま近くで日本の艦隊が演習していたなど、二度とあってはならないことだった。


 合衆国が、日本の軍人をわざわざユタ州まで呼びつけた理由は、彼等なりの意思表示をおこなうためだった。遠くない未来に訪れる戦後、その時代の盟主が誰であるか知らしめるためだった。


「あんなものを艦隊のど真ん中に落とされたら、ただでは済みません」


 遠巻きにオッペンハイマーたちを見守りながら、小鳥遊は絞り出すように言った。


「きっと、そうだろう。だけど小鳥遊君、艦隊よりも狙いやすいものがあるだろう」


「……前線ですか? 要塞あるいは塹壕に立てこもった部隊?」


「違うよ。彼等は対BMのためにあれを造ったのだ。巨大な的を一気に消滅させるためにね。日本には数十万の目標・・が密集した、動かぬまとがたくさんあるじゃないか」


「まさか――」


 栗林は能面のような表情で、肯いた。


「相手が魔獣か否かなど彼等には関係ない。我が国が敵となれば、帝都にすらためらいなく使うだろうさ」


 法学者の小鳥遊の頭脳では理解しがたい状況だった。数十万の市民を目標とした殺戮劇を、いかなる法的根拠持って正当化するというのだ? だが、一方で軍人としての経験が告げていた。


――流血を厭う者はそれを厭わぬ者によって必ず征服される


 クラウゼヴィッツの言葉だったろうか。確か、そのはずだ。


 額から一筋の汗が流れ落ち、急に喉の渇きを覚えた。小鳥遊は手に持ったグラスを空けた。


 シャンパンはぬるくなっていた。




「どうやら彼等は我々のメッセージを正しく受け取ってくれたらしい」


 部屋の片隅で何事か話す二人組の日本人を、ウィリアム・ドノバン陸軍少将を見守っていた。彼は戦略諜報局《OSS》の局長だった。栗林と小鳥遊など諸外国の高官を招聘したのは、ドノバンの意向によるものだった。彼はグローヴスの自己顕示欲の強さを利用し、このデモンストレーションのセッティングを行った。


「満足か? ならば、ここから先は我々に任せてもらおう」


 憮然と隣で腕を組んでいたのは、カーチス・ルメイ陸軍少将だった。彼は陸軍航空隊の第20空軍隷下の第21爆撃集団司令官に就任したばかりだった。対BM反攻作戦においては、彼の部隊が反応爆弾の投下任務を実施する予定だった。


「何か懸念があるのかね? それとも含むところが?」


 ドノバンは相好を崩して言った。あえて怒らせるためだった。相手の本音を引き出すには、感情的にさせるほうが手っ取り早かった。ルメイは大きくかぶりを振った。


「君に限らず、誰も彼もが忘れているようだ」


「忘れている? 何をだね?」


「爆弾というものは、敵に落とさなければ意味が無い。実験が成功したのは大いに結構だ。君の任務も、あの日本人どもに見せつけたことで成功コンプリートだろう。しかし、あのクソッタレな黒い月ブラックボールにぶち込むまで、私の任務が成功したとは言えない」


「なるほど、君の言う通りだ。しかし、B-29ならば可能だろう?」


「防空に不安が残っている。オンタリオ上空におけるドラゴンとの遭遇頻度は高い。魔獣どもの航空戦力を甘く見ることはできん。何よりも反応爆弾の数には限りがある。可能ならば――」


 可能ならば、B-29すら凌ぐ防御力を持った爆撃機が欲しかった。しかし、それは無理な話だった。この地球上に、B-29以上の戦闘力を持った航空機など存在しない。日本は論外であり、英国ですら持ち合わせていないだろう。


 ドノバンはルメイの話を興味深く聞いていた。彼とて軍人であるからには、敵の撃滅を最終的な目標としていた。ルメイの懸念はもっともなことに感じた。


 ふと彼は極東支部が送ってきたレポートを思い返した。レポートでは、横須賀での戦闘について詳細な記載がなされていた。しかし、内容があまりにも荒唐無稽すぎて、まともに取り合う気にもならなかったものだった。


――飛行フライング駆逐艦デストロイヤー


 仮にそんなものがあるとすれば、それこそ反応爆弾の輸送にうってつけだろう。少なくともB-29よりも頑丈そうには思えた。



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