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遠すぎた月(A Moon Too Far):2

【北米大陸 中央部】

 1945年6月14日から29日


 ダベンポートでパットン、ブラッドレー、そして栗林の三大将が会合を行った後、各自が行動を開始した。


 十四日間かけて、栗林が率いる遣米軍三万人とパットンの合衆国第6軍、そしてブラッドレーの第7軍の各六万人、総計十五万人の将兵は後退を行った。その距離は数百キロに及んだ。


 どの軍も決して楽な道のりではなかった。遣米軍はシカゴ近郊に到達していたため、現位置の固守を求められた。第6軍は一部がインディアナポリスに突出し、魔獣の群体に包囲されかけた。第7軍にいたっては、無限にわき出してくる魔獣を退けながら、血みどろの遅滞戦闘を強いられていた。


 最終的にエクリプスの主戦力三軍はミシガン湖岸のシカゴからセントルイス、そしてメキシコ湾岸のニューオーリンズに至るまで千五百キロ近い戦線を構築することになった。もっとも、これも一時的な処置に過ぎなかった。わずか十五万人たらず、百キロあたり一万人の兵力で戦線を防衛し続けるのは困難だった。彼等十五万人の将兵は、デトロイトBMとアトランタBMからわき出てくる魔獣の攻勢を受け止め続ける必要があった。


 両BMとも戦線まで四百キロ程度しか離れていない。魔獣ならば三日ないし五日足らずで到達する距離だった。それに対し、連合国軍の主要策源地になっているデンバーからは最短でも千六百キロ離れている。単純計算で四倍近い補給線の距離だった。新たな戦力や物資を補充するのに、魔獣の四倍、人類側は時間が掛かる算段になる。実際のところ、デンバーから最前線まで道が整備されているわけでもなく撃ち漏らした魔獣による妨害も起こりうるので、より一層時間がかかることになる。いずれにしろ消耗戦になった場合、遠からずして戦線は崩壊するだろう。


 三人の将軍はデンバーの総司令部に対して、撤退ではなくあくまでも戦線の整理だと主張し、予備戦力の投入か、さらなる戦線の整理、つまりデンバーまでの後退を要請した。


 総司令官のマッカーサーはデンバーまでの後退については許可しなかったが、三将軍の戦術行動を渋々承知せざるをえなかった。彼とて無能ではなかった。現有戦力で大西洋まで打通するのは不可能だと理解していたが、五大湖全域の解放を諦めていない。もっとも、そのためにはデトロイトとトロントのBMを処理する必要があった。


 マッカーサーは再三にわたり、反応爆弾の追加投入を大統領府アルカトラズへ要請した。デトロイトとトロント、そしてアトランタのBMを排除するためだ。


 彼は反応爆弾を複数用いることで、BMを消滅させることができると信じていた。シカゴBMには一発しか用いなかったため、消滅させるどころか、月獣の出現を許してしまった。しかし連続して複数投下した場合、月獣の出現を許すことなく消滅させられると考えていたのだ。仮に月獣の出現を許しても、反応爆弾で焼いてしまえば良い。


 マッカーサーの解釈はあながち的外れではなかったが、証明する手立てがなかった。この時期の合衆国は反応爆弾の量産化に至っていない。仮に量産化できたとしても、実際に投下したかは疑問符の付くところだった。シカゴの爆心地グラウンド・ゼロへ派遣した調査団から、放射能汚染に関するレポートが上がってきていた。後年、合衆国首脳部は神の火を手にした代償を思い知ることになる。


 合衆国の大統領トルーマンはマッカーサーの要請を退け、最終的にマッカーサーは怒りと絶望に駆られながら司令官職の退任を申し出た。しかし、これも受け入れられなかった。もはやエクリプス作戦の結果は明らかであり、誰かが責任を取る必要があったのだ。



 デンバーからエクリプス作戦の完了・・が宣言されたのは、6月30日のことだった。


 連合国司令部は、作戦は七割成功したと発表した。


 しかし、その七割の内訳について説明できる者はどこにもいなかった。


【マディソン】

 1945年7月14日



 マディソンはミシガン湖西方、約百キロにある街だった。街を挟み込むように南北に小規模な湖が三つ点在している。その中でも、北部にあるメンドーダ湖が最大であった。ミシガン湖に比べれば、子供用のプールにみえるほどの広さだが、駆逐艦<宵月>を停泊させるには十分すぎるものだった。


「あれが海軍さんの秘匿兵器か……」


 今井彰いまいあきら陸軍少佐は<宵月>の艦影を眺めていた。噂には聞いていたが、実際に目にしてみると肩すかしを食らったような気分だ。彼に限らず、遠巻きに見ている周辺の将兵も同様の心境だった。無理からぬことかもしれない。秘匿兵器と呼ぶには<宵月>は凡庸な出で立ちだった。あくまでも<秋月>型駆逐艦を基本設計に船体を改良、拡大したものだから、見た目は他の艦船と何ら違いは無い。


 子どもの頃に呼んでいた冒険小説に出てくるような珍妙かつ物理法則を無視した形状の船を期待していたのだが、当てが外れてしまった。我ながら大人げない期待を持ったものだと、今井は苦笑いを浮かべた。だが仕方ないではないか。空飛ぶ軍艦と聞いて、胸躍らぬ男児がいるはずがない。いや、女児も大いに踊らすだろう。


 ふと今井の背後でどよめきが起こった。思わず振り向いた今井は呆気にとられた。


 旭日の紋章エンブレムが刻まれた戦車隊が此方に向ってきていた。見慣れた紋章だが、刻まれた戦車は全く異様で見慣れぬものだった。


「化け物……」


 部隊の先導する戦車が規格外に巨大だった。五式中戦車チリの二回り分はありそうな車体に、これまた戦車一台分はありそうな頑強な砲塔を載せている。まさに超弩級の重戦車だった。


 化け物戦車の展望塔キューポラから、指揮官らしい士官が上半身をのぞかせていた。今井はその顔に見覚えがあった。むこうもこちらに気づいたらしく、海軍式の敬礼を送ってきた。今井は会釈して応えた。


 化け物戦車に先導された部隊は、今井の部隊から少し離れた駐車場へ入った。そこで燃料補給を行うつもりらしい。今井は部隊に小休止を命じると、手土産とともにジープで駐車場へ向った。



 来客を予期していたのか、化け物の主は降車していた。


「やはり、あなたでしたか。本郷中佐、ご無事で何よりです」


 本郷史明は大きく肯くと、「君の方こそ」と言った。


「今井少佐・・、昇進したのだね。おめでとう」


「ありがとうございます」


 今井はやや照れたような困った顔で肯いた。


 四ヶ月ほど前、今井は本郷のおかげで窮地を脱することが出来た。緩衝地帯バッファゾーンと呼ばれる、北米大陸を縦断する幅広い戦域での話だ。今井の中隊は竜種魔獣の群れに包囲され、壊滅寸前だった。そこへ颯爽と騎兵隊のごとく現れたのが、本郷の戦車中隊だった。


 戦闘後、今井は内地へ送られ、短い休暇の後で部隊の再編と新兵の育成を行っていた。彼が再び北米の地を踏んだのは、エクリプス作戦の完了が宣言されたときだった。


「いやぁ、これと言って手柄を立てた覚えはないのですが……まあ人手不足ってやつですよ。階級の員数合わせに付き合わされたもんです」


 この頃では陸海問わず、日本軍では中級指揮官が不足していた。そのため、適正がありそうな士官は多少強引でも昇進させていたのだ。むろん指揮官不足の主要因は戦死あるいは傷病によるものである。


「わかっているよ。実のところ、僕も似たようなものなんだ」


「はは、海も陸も変わりませんね。それにしても、あなたが陸戦隊マリーンへ転属していたとは驚きましたよ。しかも、こんな化け物戦車と一緒だったなんて」


 今井はやや羨望めいた眼差しを本郷の背後へ送った。VIII号戦車マウスの威容がそこにあった。


化け物じゃないカイン モンスター……!』


 どこからともなく不服そうな女児の声が響き、今井は怪訝な顔を浮かべた。


「え……?」


「ん? どうかしたのかな」


「え、いや、どこからか女児の声が聞こえたような」


「おや、そうかい? 僕には聞こえなかったが……今井少佐、立ち話もなんだ。珈琲の一杯くらい淹れさせてもらうよ」


 今井は心底残念そうに首を振った。


「すみません。お付き合いしたいところですが、自分はすぐにここを発たなければいけないものでして――」


 今井は背後にいる兵士へ手を振ると、ジープから段ボールの箱を持ってこさせた。


「それは?」


緩衝地帯バッファで助けてもらった礼の一部だと思ってください。甘いものが好きだと仰っていたでしょう」


 箱の中には、北米では滅多に手に入らないものが入っていた。羊羹に、小豆饅頭、干し柿などの和菓子がぎっしりと詰め込まれている。


「これは……誠に有り難い」


 本郷は目頭が熱くなるのを感じた。


「喜んでいただけたようで何よりです。はるばる太平洋くんだり内地から持ってきた甲斐がありました。肩の荷が下りた気持ちですよ。心置きなく戦地へ向かえます」


 晴れ晴れとした顔の今井を、本郷はやりきれない表情で見た。


「どこへ行くのかね?」


「セントルイスです。合衆国軍と協同で野戦陣地を構築、そこでやれるだけやることになるでしょう」


「セントルイス……パットン閣下のお膝元か。なるほど大本営うちも退くつもりはないわけだね」


「ええ、そうみたいです。日本に限らず、英国も増援として豪州や印度から軍を送ってくるとか。えらく多国籍な戦線になりそうですよ。うちの部隊は新兵が大半なんで、英語を覚えさせるのに、ひと苦労ですよ。そのうち慣れるでしょうが――」


 それから五分ほど立ち話をした後で、今井は自分の部隊へ戻っていった。


 本郷は今井から受け取った箱から羊羹を取り出すと、マウスの操縦席に差し入れた。化け物呼ばわりされたのがよほどお気に召さなかったのか、操縦席の小鬼ユナモはご機嫌斜めだった。


「これ、なに?」


 ぶすっとした顔でユナモは直方体の菓子を受け取った。


「ようかんだよ。食べてごらん」


 慣れない手つきで包み紙を解くと、ユナモはひと囓りした。そのまま二口、三口と続けていく。どうやら気に入ったらしい。


 半分ほど平らげたところで、ユナモは包み紙を戻した。


「あのひとたちは、たたかいにいくの?」


「そうだね。あのお兄さんたちは、僕らと交代で戦場へ向うんだ」


 本郷は干し柿を囓っていた。甘みが口全体に染み渡っているはずだが、素直に味わうことができなかった。


 歳は聞かなかったが、見た目からして今井少佐は三十そこそこだった。若者である。少なくとも四十を迎える本郷にとって、前途のある青年と定義されている。


 恐らく今井が率いる兵士はもっと若いだろう。中には十代の少年がいるかもしれない。


――いつまで続くのだ? 続けられるのだ?


 暗澹たる気持ちがわき上がってくる。本郷には息子がいた。見た目はユナモと同じくらいで、まだ十にも達していない。その子が徴兵年齢を迎えるまでには、この戦いを終わらせる必要があった。


――早く終わらせて、ユナモを連れて帰らなければ……。


 ふとメンドーダ湖に浮かぶ艦影が目に入った。本郷が知る、もう一人の少佐のことを思い出した。


「そう言えば、彼も若かったな」


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