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遠すぎた月(A Moon Too Far):3

【メンドーダ湖 <宵月>】

 1945年7月14日



 儀堂少佐は魔導機関室にいた。御調みつぎ少尉に呼び出されたのである。


「ネシスは?」


 あたりを見渡したところ、あの鬼子の姿が見当たらなかった。


「彼女は自室で休んでいます。ここ数日間の飛行で消耗したので……ちょうど良い機会だと思い、貴方にご足労をお願いました」


「どういう意味だ?」


 訝しがる儀堂に御調は手を差し出した。


「こちらをどうぞ」


 眼帯が握られていた。


「これは……?」


「私がこしらえたものです。艦長、あなたの右眼は二度と元に戻りません」


 儀堂は右眼を失明していた。


 数週間前、シカゴBMで死闘を繰り広げたとき、<宵月>は危機に陥っていた。魔導機関を制御していたネシスは反応爆弾の閃光で失明し、儀堂は月獣の攻撃で瀕死の重傷を負ったのだ。


 誰もが最期を覚悟する中で、鬼の少女は諦めなかった。彼女は誓約を果たすまで、儀堂の死を絶対に許さないつもりだった。絶命の瀬戸際にあって、ネシスは儀堂の身体を自身の元へ運び込ませた。そして、その首に牙を突き立てたのだ。儀堂とネシスは魔導の方陣に包まれ、魔導機関室は眩い光に覆われた。


 御調が覚えているのはそこまでだった。光が消えた後、完全に傷の癒えた儀堂と魔力と共に視力を回復させたネシスが立っていた。


「少尉、ありがとう。しかし、私としてはこのままで支障は無いのだが……」


 確かに死ぬ淵から舞い戻る代償として、右眼の光を失った。ただ、右眼そのものが無くなったわけではない。外見上の変化がなければ、眼帯はただの装飾ファッションに感じられた。


「余計な格好はしたくないんだ」


「いけません」


 有無を言わせぬ口調で御調は遮った。


「そのまま放置すると大変なことになります。既に自覚されているでしょう」


「自覚……?」


「あの日、あなたは生き返っただけではありません。右眼と引き替えに、ネシスとあなたは繋がった・・・・んです。彼女はあなたの魂を吸収して、それを糧として魔力を回復させました。この意味がわかりますか? あなたは彼女の一部になったんです。ですから、本来あなたには見えなかったはずのものが見えるようになったはずです」


「確かに見えるようになったが、それがどうかしたのか? 見えないものが見えたところで、何の支障が――」


 思い当たる節があった。


 シカゴの月獣を倒した後、反応爆弾で真っ赤に溶けた大地に揺らめく無数の影を儀堂は見ていた。それらはネシスの眼を通して、儀堂が視た月鬼の御霊の姿だった。


「誤魔化さないでください。このままでは、あなたの自我を彼女に奪われてしまいます」


ネシスあいつから聞いたのか」


 儀堂は不貞を指摘されたような顔を浮かべた。



 二週間ほど前に遡る。


 月獣を消滅させた後、しばらくの間、<宵月>はシカゴ周辺に展開する遣米軍の支援に当たっていた。さん将軍の会談を終えたもっとも<宵月>に可能な支援は限られたものだった。シカゴBMまでの道程での遭遇戦、そして月獣との戦闘で、弾薬の大半を消耗してしまったからだ。


 儀堂は六反田少将へ補充要請を出したが、返ってきたのは『不可。適当に切り上げて戻ってこい』という電文だった。無線機を破壊したい衝動に儀堂は駆られた。


 六反田とて、儀堂の要求を無碍にするつもりはなかった。単に<宵月>へ届けるべき補給物資の輸送手段を確保できなかったのだ。大半の車両が遣米軍に押さえられてしまっていた。


 別の理由もあった。六反田の解釈からすれば、北米における<宵月>の役割は終えていたのだ。壇之浦作戦はとっくの昔に目標を達成していた。これ以上、虎の子の駆逐艦を北米の大地に貼り付けておく利点を見いだせなかった。彼は補給の欠乏を理由に<宵月>を北米戦線から引き上げさせる算段でいた。


 結局のところ、<宵月>に出来たのは上空からの弾着観測と哨戒、そして偵察ぐらいだった。ようするに見ている・・・・だけだ。戦闘らしい戦闘と言えば、ただ一度だけだった。デトロイト方面から思い出したかのようにわき出た魔獣の群体セルに対して、なけなしの残弾を叩きつけて追い払ったくらいだ。


 <宵月>の支援任務は一ヶ月ほど続いた。その後、遣米軍がマディソンの野戦飛行場を拡張し、本格的な航空戦力を展開した時点で終わりを迎えた。


 儀堂の元をネシスが訪れたのは、北米における最後の哨戒任務を終えた日のことだった。


 七月七日、夜空を流れる星の川が一際輝いた晩のことだった。<宵月>はミシガン湖のシカゴ沿岸部に停泊していた。


 儀堂は後部甲板、第四砲塔の側で紫煙をくゆらせていた。その眼はシカゴへ向けられている。本物の月・・・・明かり・・・に照らし出された廃墟の山がそこにあった。


 夏期に関わらず、涼しげな風が吹きそよぎ、たばこの煙がすぐに掻き消えるほどだ。その風に乗って、遠くから砲声と思しき音が運ばれてきていた。波打つような断続的な音だった。やはり、ここは戦場なのだ。


 ふと儀堂は背後に立つ気配に気がついた。


「オレがここにいるとよくわかったな」


 ネシスは、さして迷ったそぶりも無く立っていた。いつもの儀堂ならば艦長室にいる頃合だった。


「今の妾には何でもわかる」


 ふっと口元に笑みを零した。何やら不穏なものを儀堂は感じた。


「お主がどこにいて、何を考えているのか。何をしようとしていることすらわかっておる」


「ほう……そうか」


 儀堂はネシスを正面から挑むように見据えた。


「お前の魔導はずいぶんと具合が良いらしいな。わざわざ、そんなことをオレに言いに来たのか」


 ネシスは呆けたような顔を浮かべると、次の瞬間、あからさまに憤った顔を浮かべた。


「お、お主は何ともないのか、何も感じぬのか。妾のせいで、片目は光を無くし、あまつさえ見なくてもよいものを見せられたのだぞ」


「そう言えばそうだな。確かに不自由だ。だが、それでもオレは生きている。重要なのは、その事実だろう。はっきりと言うが、オレはまだ死にたくない。絶対に死にたくない。あの魔獣とBM、そしてそれらを繰り込んだ天の民ラクサリアンとやらを、ぶち殺し果てるまでは絶対に死なん。そういう約束ではないかったか」


 ネシスは柳眉を逆立てながら、かぶりを振った。なにやら気に召さないことがあるらしいが、儀堂には見当が付かなかった。


「ギドー、お前は事の次第をわかっておらぬ。妾はお主の一部を食らったのじゃ。そのせいで、妾とお主は――」


「全ては済んだことだろう。聞くが、シカゴの戦闘でオレが死にかけたとき、他に道があったのかい?」


「それは……」


「前にも言っただろう。いくさは好き嫌いでやれないんだ。オレ達は、せいぜい足掻ける範囲で足掻くしかない。その意味では、お前はよくやってくれた。そうだ。お前はよくやったのだ。改めて、礼を言う。オレの命を引き留めたことを感謝するぞ」


 儀堂は煙草を消すと、ネシスに頭を下げた。完全な奇襲だった。鬼の少女は虚を突かれ、硬直し、次に瞬間、顔をうつむかせ、大きく息をはいた。


「ギドー、お主はやはりわかっていない」


「……何がだ? お前、さきほどからおかしいぞ。何を怒っている?」


「妾はお主の魂を食らってしまった。お主の一部は妾のものになったのじゃ。その気になれば、お主を意のままに妾は操ることができるのじゃぞ! それだけではない。お主が何を思っているのか。どこにいるのか、妾はたちどころにわかるのじゃ」


 儀堂はわずかに動きをとめたが、それ以上の変化は見せなかった。


「そうか。それで?」


「それで、だと!? お主は怖くないのか? 怒らぬか?」


 ネシスは非難するように言うが、儀堂は全く意に介していないようだった。それどころか口元に薄ら笑いすら浮かべていた。ネシスは完全に混乱していた。儀堂がなにを思っているのか、おおよそわかりはする。しかし、なぜ・・そう思えるのか。まったくわからなかった。ネシスの心を読んだかのように儀堂は答えを陳列し始めた。


「ネシス、お前はおれより長く生きているが、それでもオレがお前より長じていることがある。それは戦争という経験だ。オレはこの五年間、戦場に浸かっていた。頭の先までどっぷりと浸りきっていた。そこでわかったことが、ひとつだけある」


「なんじゃ?」


「この戦争では何でも起こりうるということさ。今度の戦いだってそうだった。月獣の出現を誰が予測できた? 答えはゼロだ。何度でも言う。ここでは何でもあり得るんだよ。鬼に魂を吸われた程度で驚いていたら、一服することすらおぼつかないことになる。起きてしまったこと、やってしまったことは仕方が無い。それを認めるしかないだろうさ。だいたい戻る道など、はなからオレ達にはないだろう。ならば進むしかあるまい。そこに何の迷いがある」


 ネシスは珍しく唖然と、全身を硬直していた。


 理由は簡潔なものだった。言葉だけならば、目の前の男は勇ましく積極的な戦士に聞こえただろう。しかし、内面は全く異なっている。彼女は、この男が世界そのものに全く希望を抱いていないと理解してしまったのだ。儀堂衛士という男は、この世界に信じていないのだ。この戦争を通して、彼は信じることをやめた。だから、どのような絶望的な事実も受け入れられる。なぜなら、とっくの昔に彼は、この世に絶望しているのだから、今さら裏切られたところで何の意外性があるのか。


 ネシスは、己が誓約を結んだ相手の深層に触れ、打ちのめされていた。


「お主は……真心からそう思っておるのじゃ。何というヤツじゃ。わざわざ来てやったのに、全く妾はとんだ道化じゃ」


 ネシスは肩をふるわせた。やがて堪えきれなくなったのか、背を向けて艦内へ戻っていた。


「おい、待て。お前は、なぜ――あいつは、どうしたのだ?」


 解せなかった。なぜ、あいつは泣いていたのだ?


 二本目の煙草に、火を点けた。


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