目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

純白の訪問者(Case of White):3


【東京 上大崎 海軍大学校】

 昭和二十1945年九月二十五日


 海軍大学校の一室で黒電話が鳴った。そこは、表向き戦訓研究室となっている部屋だ。真実は宮内省直下の魔導研究組織、月読機関の根城だった。


「はい、こちらは北崎・・商会、総務の相馬そうまです」


 矢澤中佐は符牒代わりの偽名を口にした。彼が手にしている電話は、秘匿回線からかかってくるものだった。第三者に傍受される恐れは皆無に近いが、ゼロではない。殊にこの部屋の主は、味方の防諜意識に大いなる疑問を抱いているがゆえ、通信系統の暗号化を徹底させている。


『営業の遠藤えんどうです。先だって別部門で特価販売された北海道の物産に不備があったらしく、こちらで預かっております。保存に少々難がありまして……』


 電話口の相手は、経緯を簡略化し、最後に要求を端的に伝えた。


『ついては補填措置をお願いしたく』


「なるほど……承りました。上にかけあってみましょう。暫時お待ちください。折り返し、お電話致しますゆえ」


『承知しました。何卒よしなに……失礼致します』


 矢澤が受話器を置くと、部屋の主がのそりと執務机の紙の山から顔出した。


「何があった?」


「儀堂少佐からです。どういう因果かわかりませんが、例の竜種の幼体を預かっているらしく……」


 矢澤はかいつまんで報告を行った。六反田はわずかに眼を細めると、満面の笑みを浮かべた。ヤニで黄色く染められた歯がのぞく。


「好都合じゃないか。おい、あとで御調君を寄越してやれ。その他、不足があれば全面的に援助しろ。やれやれ……連合艦隊GFが横やりを入れてきたお陰で、回りくどい手を打たねばならんところだったが、その面倒がなくなるかもしれん。こいつは実にいい。ついているぞ」


 戸張大尉が捕獲した幼竜は霞ヶ関で一波乱を引き起こしていた。いわゆる管轄争いである。端的に言えば「誰のものか」という話だった。


 連合艦隊は竜の幼体、シロを捕獲兵器扱いとして管理しようとした。幼体の卵を確保したのは連合艦隊所属の飛行士であり、戦利品として既に登録済みと彼等は主張した。もっともらしく、正当性のあるものだった。


 一方、月読機関は魔導具扱いとして、自身の管轄であることを主張した。彼等にはネシスという前例があった。その前例をつくるために数年かかったのだが、そのような悠長を六反田が許すわけが無かった。彼は直接GFの山口長官の元へ直談判殴り込みをかける覚悟だった。


 ここまでならば、六反田と山口で手打ちをすれば良い話だった。これまで幾たびも口論を繰り広げ、ときには拳を交えた二人であったが、最終的には行きつけの料亭で飲み明かして和解に至っている。矢澤などの常識人には理解できない間柄であった。


 しかしながら、今回に関して酒精アルコールは解決策とはなら無かった。


 さらに輪をかけて、農林省が参戦してきたのである。彼等は魔獣とはいえ畜生の類いであるから、自分たちで管理すべきだと主張してきた。これはこれで一理あった。実際のところ、家畜類の飼育法や人材の管理を管轄しており、防疫という観点からも適当に思えた。また過去に魔獣の生態について研究を行った実績もある。


 ただでさえ泥沼の様相を呈した争いに、外務省が加わったことで混沌を極めることになった。彼等は非公式のルートで合衆国が所有権を主張してきていることを伝えてきた。いわく「オアフBMは合衆国領の一部で在り、そこで得たものは一切合衆国に帰属する」というものだった。これは完全に火を油を注ぐ行為にしかならなかった。各省庁の担当官は一斉に合衆国を非難し、外務省へ突っぱねろと言い張った。しかし、対米関係を良好に保ちたい外務省は難色を示した。


 霞ヶ関で幾たびも不毛な調整会議が開かれ、無数とも思える書簡のやりとりが行われた。


 誰もが解決の糸口を見つけられぬなかで、ついにGF長官の山口がしびれを切らした。彼は「それならば持ちこんだヤツに任せればよかろう」と言い、戸張大尉に管理を命じたのである。


「まったく霞ヶ関の莫迦どもめが。オレと多聞丸の親父山口多聞GF長官で話がつけられたものを……こじらせやがって。まあ、いい。向こうから転がり込んだのならば、山口さんも口を出すまい。おい矢澤君、儀堂君へ言ってやれ。委細承知した。一切任せろとな」


「わかりました」


 受話器を取った矢澤に六反田は付け加えた。


「ああ、矢澤君、もう一つ頼まれてくれ。その幼竜を押しつけられた大尉について調べてほしい。聞けば、あの荒唐無稽な命令を二つ返事で快諾したそうじゃないか。儀堂少佐の知古というのも、なかなか興味深い。こいつはえにしを感じるぞ」


 矢澤は肯くと交換手へ儀堂家へ繋ぐようにいった。縁とはよく言ったものだと思う。それを口にした六反田の顔つきは新しい玩具を手にした児童そのものだった。



【東京 世田谷 三宿】


 昭和二十1945年九月二十五日



 朝食を済ませた後、小春はネシスに連れ立って儀堂家の庭先に出た。後には、シロが続いてくる。まだ眠り足りないのか、長い首をしならせ、小さな頭が提灯のようにゆらゆらと揺れていた。 


「まず、お主は言葉を覚えなければならん」


「言葉?」


「聞くが、お主は念話はできるか?」


「ねんわ? ごめんなさい。わからないわ」


「言葉を発せず、思いをやりとりすることじゃ」


「ええ!? そんなことできるの?」


「妾達はできる」


「……西洋の人って、すごいのね」


「まあの」


 小春に著しい誤解を植え付けたネシスは、シロへ顔を向けた。シロは縁側の軒下で、身体を丸めて眠り欠けていた。


「ソルジェロ!」


 突然のことでネシスが何を言ったのか小春は聞き取れなかった。仮に聞き取れたとしても、理解できなかっただろう。それは異界の言葉だった。


 ネシスの一声を受けて、シロは雷を浴びたように飛び起きた。そして一声鳴くと、何かを待つように小春達を正視してきた。


「すごい……! どうしたの?」


 眼を丸くする小春に、ネシスは得意げな顔を浮かべた。


「起きろと言ったのじゃ」


「言葉が通じるってこと……?」


「左様じゃ。だから言ったであろう。まず言葉を覚えろと」


「そういうこと……今の英語じゃないみたいだけど、あなたはどこの国から来たの? だいたい、どうしてそんなに魔獣に詳しいの……?」


 改めて小春は訝しむようにネシスを見た。自分よりも二ないし三ほど下に見える少女は、銀色に輝く髪と燃えるような瞳を有している。どこかおとぎ話に出てくるような現実離れした存在だった。


 ネシスは少し曇った面持ちで応えた。


「妾は、この国の言葉で表すのが難しいところから来たのじゃ。まあ、今はどこか遠い国と思っておけば良かろうて。魔獣と妾の縁ついては、ゆえあって言えぬ。ギドーが言うところグンキというやつじゃ」


 小春は深く追求するのを止めた。直感的にネシスを困らせると、儀堂の迷惑になると思ったからだった。彼女は未熟だが愚かでは無かった。


「とにかく、こやつは――」


 ネシスはシロを指さした。


「妾達の言葉しか解せぬ。そのように造られて・・・・おる。まともに付き合いたければ、まずは話せるようにならねばな」


「そうなんだ。異国の言葉かぁ、なんだか大変そう。こういうのは兄貴が得意なんだけどなぁ」


「あのひろしとか言うヤツか? とてもそうは見えなんだ」


「……やっぱり、そう思う?」


 さすがに、あんまりだと思ったのか儀堂は居間から顔を出した。


「小春ちゃん、それは本当だよ」


「衛士さん、そうなの?」


「ああ、あいつは英語に関しては堪能な方さ。オレよりも上手いかもしれない。兵学校では英語も習うんだ。それに練習航海で世界各地を巡らなきゃ行けない。今となっては有り難く思っているよ。あのときは、よもや北米が戦場になるとは思っていなかったからね。現地の住民や兵士とやりとりするのに苦労せずに済んでいる」


「そっか。ちょっと見直しちゃった。兄貴ってやればできるのね」


 衛士は苦笑を浮かべながら、うなずいた。戸張家の長男の体面は保たれたようだ。寛の語学能力は確かなものだった。純然たる学習動機から寛は英語を熟達させた。彼は舶来の美女と懇ろねんごろになる夢を持っていた。その夢が叶うかどうか不明だが、儀堂は語らぬことにした。


 ネシスは初歩的な言葉から小春に覚えさせることにした。内容はどうということのないものだ。「おすわりコヅン」「ふせヒュウセンドット」「取ってこいタクプテクレム」など、犬と戯れるときに使う類いのものだった。もちろん、全てが同じというわけにはいかなった。翼が生えた犬は存在しない。


飛べヴィラン!」


 小春の声に応え、シロは背中の翼を展開した。白く透けるような膜を大きく広げ、数回羽ばたかせると徐々に身体が浮き上がっていく。小春の目の高さで、空中静止ホバリングすると、次の命令を促すようにシロは鳴いた。


「ねえ、この子、もっと飛びたいって言っているの?」


「良い感をしておるのう。そうじゃろうな。もともと地を這うようには出来ておらん」


「うーん、まいったなぁ。犬の散歩みたいにできないだろうし」


 羽ばたきを耳にしながら、小春は考え込んだ。自由に飛ばせてやりたい気もするが、野放しにするとどこへ行ったのかわからなくなってしまう。


「どこか広い場所があればいいんだけど――」


 ふと羽ばたきが弱々しくなったことに気づく。はっと顔を上げると、シロが苦しげに着地し、えづいていた。


「シロ! 大丈夫!?」


 シロは途切れ途切れに息を漏らしていた。近寄ろうとする小春の腕が引かれ、入れ替わるようにネシスが前に出た。


「下がっておれ! 妾としたことが忘れておった」


 ネシスはシロを抱きかかえると、頭部を天に向けた。


放てヒュラーソ!」


 儀堂家の庭から火炎の柱が屹立した。シロは咆哮するように火炎の渦を口腔部から吐き出し続けた。時間にしてわずか二、三秒だったが、小春の腰を抜かせるには十分じゅうぶんすぎる情景だった。


「なにがあった!?」


 居間から飛び出した儀堂の眼に映ったのは、へたり込んだ同期の妹と前髪を少し焦げさせた鬼子だった。唖然とする儀堂に対して、シロは満足そうに一声鳴いた。


 遠くから鐘の音が聞こえてくる。


 誰かが消防団に通報したらしい。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?