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純白の訪問者(Case of White):6


 厩舎へ向う道すがら、場内の道路を走る野戦車両が二人へ向ってくるのが見えた。帝国陸軍の九五式小型乗用車くろがね四起だった。北米最前線では滅多に見かけられない、年代物の乗用車だった。


 乗用車は二人の前で速度を落とすと、横並びに停車した。


 後部座席の窓が開くと、反射的に儀堂と戸張は敬礼を行った。座席に二人の将官の姿があった。それぞれカーキー色と草色の制服を身につけていた。


「よお、奇遇なこともあったものだな。ちょうどよかった」


 六反田はヤニ染まった歯を覗かせると、戸張へ眼を向けた。


「隣にいるお兄さんはどなたさまだい?」


 戸張は敬礼をしたまま答えた。


「航空隊の戸張寛大尉であります」


 六反田は軽く答礼すると、戸張の手を下ろさせた。


「海軍大学の六反田だ。なるほどねえ。君がドラゴンの拾い主か。聞けば、戦闘機乗りらしいな」


「はっ、<大鳳>の制空隊におります」


「<大鳳>か、あれはいいふねだ。おっと―」


 六反田は隣に座る土肥原へ顔を向けた。


「土肥原閣下、彼が先ほど話した儀堂君です。儀堂少佐、それに戸張大尉、こちらは陸軍大将の土肥原閣下だ」


 土肥原は垂れ目を細めると、二人に対して軽くうなずいた。


「ああ、二人とも敬礼はやらんでもいいよ。楽にしなさい」


 儀堂は恐縮した面持ちで、頭を下げた。


「ありがとうございます。ご挨拶が遅れて、申しわけございません」


 儀堂に続いて、戸張もやや浮き足だった様子で礼をする。


「うちのシロと小春が大変お世話になっております。いや、その、正直に申し上げて、本当に助かりました。何と礼を言えば良いのやら……」


「気にしなさんな。むしろ、こっちが助けてもらっているよ。君らのドラゴンに、うちの新兵は鍛えられている。ところで、儀堂少佐――」


 唐突に話しかけられ、儀堂は少し驚いた様子だった。


「君の御父上だが、陸軍にいたそうだね」


「はい、父は陸軍でした。満州撤退戦の際に亡くなっております」


「そうか。儀堂大佐も今の君を誇りに思っているだろう」


「父をご存知なのですか……?」


「ああ、私は関東軍にいたからね。御父上は惜しいことをした。葬儀に出られずに申し訳ない……」


 土肥原に深く頭を下げられ、儀堂は困惑した。戸張は珍しそうに、その様子を見ていた。こいつでも困ることがあるのだなと内心で呟いていた。


 六反田はしばらく口をつぐんでいたが、頃合を見て、その場を切り上げた。



 車中でおもむろに六反田は煙草を取り出した。


「よろしいですかな?」


 土肥原はこくりとうなずいた。


「ああ、かまわないよ」


「失礼」


 マッチを擦り、窓を開けて紫煙を吐き出す。


「儀堂君の御父上とお知り合いだったのですね」


 何の気に無し六反田は言った。


「おや、君には言ってなかったかな」


「ああ、お気になさらず。ただ、少し興味がわきましてね」


 土肥原は窓の外へ目を向けていた。


「儀堂大佐は優秀な士官だった。五年前、満州にBMが出現したとき、彼がいなければ多くの同胞は大陸に取り残されたまま魔物の餌食になっただろう」


「なるほど、忠君愛国の鏡ですな。我が国は儀堂君の父君に大恩があるわけだ」


「その通り」


「しかし、その大恩にじゅうぶん報いたとは言い難いようですな。それほどの活躍をしたのならば、英霊・・として祭り上げられてもおかしくはないでしょうに。新聞屋が喜びそうなネタだ」


「そうだね。彼は英霊として必要条件は満たしていた。だが、十分ではなかったんだよ」


 土肥原は、それ以上なにも言わなかった。


「なるほど、ますます興味がわいてきました」


 その日、矢澤中佐の仕事が一つ追加された。とある陸軍士官の経歴調査だった。



 六反田と土肥原を見送った後、儀堂と戸張は厩舎へ向った。初秋の夕刻で、あたりは黄昏色に包まれつつあった。


 道すがら無言の儀堂へ、戸張は遠慮無しに尋ねた。


「親父さんのこと、気になるのか」


「……まあな。まさか、土肥原大将と知り合いだったとは思わなかったよ」


「親父さん、優秀だったんだろ。お偉いさんと通じていてもおかしくはないだろう」


「ああ、そうだな。ただ、なんとも不可思議に思ったのさ」


「なにがだ?」


「オレは親父から軍の話を聞いたことがなかった。特に陸軍陸さんの話をしたがらなかったからな。だから、ひとから軍での親父の話を聞くと妙な気分になる」


 立ち止まった儀堂は射撃場の的へ目を向けた。


「まるで、オレの知らない誰かの話をされているようで、どう答えて良いのかわからなくなるんだ。妙な話だろう」


「そいつは、どうなんだろうなあ。オレには果たして妙なのかわからん。ただ、まあ、親父さんはいい人だったぜ。覚えているか。よくオレと小春に菓子をくれただろう。高い洋菓子だった」


「ああ、覚えているよ。ブランデーが入ったケーキを君がむさぼり食って、ぶっ倒れたことがあったね」


「そういや、そんなこともあったな」


「あのあと、親父は君のところのご両親に平謝りだった」


「おかげで、オレはしばらく菓子を一切禁止にされちまった。ひでえもんだ」


「食い意地を張りすぎたんだよ。だいたい、禁止にされても君はうちへ菓子をせびりに来ていたじゃないか」


「せびるとか言うなよ。おこぼれに預かっただけさ」


「胸を張って言うことかね」


 自然と笑いが漏れ、再び厩舎へ向けて、二人は歩き出した。


【駒沢練兵場 厩舎】


 厩舎に入った儀堂と戸張は、その場で立ち尽くすことになった。無理もない。シロの巨大な口蓋に女性の頭部が、すっぽりと収まっていた。


 数秒ほど絶句した後に、二人は頓狂な声を上げ、駆け寄ろうとした。


静かにセィ ライゼ!」


 くぐもったアルトの叱責が響き渡る。シロの口内から放たれたものだった。よく見れば、アルトの主は白い手術衣を着て、両腕をシロの口へ突っ込んだまま何か作業を行っていた。


「おい、こりゃいったい……」


 戸張は自身の妹へ尋ねた。小春はシロの首筋を撫でながら、人差し指を鼻先に立てた。


「いいから、静かにして。衛士さんも、そのままでもうすぐ終わるみたいだから」


 儀堂はうなずくと、壁にもたれかかったネシスの元へ歩み寄った。


「肝が冷えたぞ。あれは大丈夫なのか?」


 ネシスは大あくびをかきながら生返事でこたえた。


「まあ、問題なかろう。小春が制しておるし、あの女もなかなか肝が据わっておる」


 女の素性を尋ねようとした儀堂は、まもなく知ることになった。シロの口から舶来の淑女が顔を出した。


「おひさしぶりね、艦長ヘルカピタン


 淑女は手術帽とマスクをしていた。


「フロイライン・キールケ?」


 キールケは眉を潜ませた。


「そのフロイラインお嬢さんはやめてって言わなかったかしら?」


「失礼。しかし、なぜあなたがここに?」


「これよ」


 キールケは右手に持った注射器を掲げた。


「採血に来たの」


「採血? 血を採るために、口に顔を突っ込んだのか?」 


 戸張が目を丸くして言った。


「そうよ。ドラゴンの上皮は硬いけど、口内なら話は別でしょう。脊椎生物ならば内皮は無防備なものよ。麻酔をかけたうえなら、少量のサンプルは採れるだろうと思っていたの。結果的に私の仮説は正しかったようね」


「あんた、とんでもねえことを考えやがるな」


「あらそう。私からすれば、あなた達のほうがとんでもないわ。ドラゴンの飼育なんて、今までどこの国でも成功しなかったのに、いったいどんな魔法を使ったの?」


 キールケはネシスと小春を交互に見た。


「たいしたことはしておらん」


「普通に育てただけですけど……」


 キールケは肩をすくませると、マスクと手術帽を脱ぎ捨てた。ややカールの掛かった金髪が無造作に投げ出される。ほうと兄が呟くのを小春は聞き逃さなかった。


「そんなはずはないでしょう。まあ、いいわ。どのみち、この国に私は滞在しなければいけないし、その間にじっくりと検証させてもらうから」


 キールケが手術衣とサンプルの血液をカバンに収納すると、元のモガスタイルの貴婦人が現れた。その所作を戸張はしげしげと眺めていたが、小春にやめなさいと叱責される羽目になった。


「それでは皆さんご機嫌よう。御調少尉、送ってちょうだい」


「わかりました。帝国ホテルでよろしいですね」


 御調は儀堂に一礼すると、キールケを伴って出て行こうとした。思わず儀堂は呼び止めた。


「待て。キールケ、あなたがここに来た理由を聞いていないのだが」


「採血って言ったでしょう」


 キールケはからかうように言った。構わず儀堂は続けた。


「そうじゃない。独逸人のあなたが、日本にいる理由だ」


「あら、何も聞いていないのね。それについては、あなたの上官から話があるはずよ。ねえ、御調少尉?」


 御調少尉は渋々うなずいた。


「儀堂少佐、申しわけありません。六反田閣下から後ほど連絡があるかと思います」


 六反田の名前を出され、儀堂はその背後にあるものを察した。どうせ、碌でもない取引をしたのだろう。


「……承知した。閣下に至急説明を求めると、伝えておいてくれ。わかっていると思うが、シロはうち・・じゃなくて、戸張のものだ。本来ならば勝手なことはできないからね。なあ、寛、そうだろ。おい、寛?」


「ん? ああ、まあな」


 戸張の視線はキールケに釘付けになっていた。当のキールケは気づいた様子はない。そもそも全く興味を持っていないようだ。


「はい、心得ています。それでは……」


「では、ギドー。近いうちにまた会いましょう」


 御調と共にキールケは厩舎を去った。二人の姿が見えなくなったところで、おもむろに戸張が近づいて来た。小声で儀堂に話しかける。


「なあ、儀堂。あの金髪のご婦人は誰だ?」


「キールケ・フォン・リッテルハイム嬢だ。独逸の科学者だよ。前に<宵月>に乗せたことがある」


「そうか、キールケね。良い名前だ。なるほど独逸ね。畜生、独逸語はわからねえんだが……ま、いっか。日本語が達者なようだし。なあ儀堂、今度あのご婦人にオレを紹介してくれ」


「わけは聞かないが、その話はここでしない方が良いと思うよ」


 戸張の後方から氷点下の視線が送られていた。発信源は彼の妹である。


 背後でシロが大あくびしていた。

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