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第5話 突然の来訪者と薄桃色の子羊

朝靄が牧場を包み込む静かな朝。白石悠真は小屋の前で伸びをしながら、牧場の様子を眺めていた。ルナが足元でくるりと体を丸め、尻尾を優雅に揺らしている。


「今日も良い天気になりそうだな」


悠真が空を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。トレジャーがその空を気持ちよさそうに旋回している。


「カァ!」


カラスの鳴き声に応えるように、悠真は手を振った。牧場に来てから二週間ほど経ち、すっかり日課も確立されつつあった。朝は動物たちに餌をやり、畑の手入れをし、温泉の掃除をする。たまに村人が温泉を利用しに来るので、その対応もある。


「ニャア」


ルナが悠真の足を軽く引っかく。


「お腹が空いたのか?」


悠真が小屋に戻り、昨日町で買った干し肉を少し取り出すと、ルナは上品に受け取って食べた。他の動物たちにも餌をやり終え、悠真は小屋の前に腰を下ろした。


「でもな、ベルとヘラクレスとトレジャーだけじゃ、牧場としては少し寂しいかもしれないな」


ルナを撫でながら、悠真は考え込んだ。確かに雷を放つ羊や、角から炎を出す牛、金塊を見つけてくるカラスは貴重だ。しかし、普通の家畜も必要かもしれない。卵を産む鶏や、牛乳を出す普通の牛がいれば、自給自足の幅も広がるだろう。


「次の市場の日に、普通の家畜も探してみようかな」


そう呟いた瞬間、ルナの耳がピクリと動いた。黒猫は突然立ち上がり、牧場の柵の方を見つめている。


「どうした?」


悠真もルナの視線の先を見た。柵の向こう、牧場に続く小道の先に何かがいる。


「あれは……」


目を凝らすと、ピンク色の小さな影が見えた。羊のようだが、その毛並みは見たこともない薄桃色だ。しかも、角のような突起が頭から生えている。


「また変わった動物か?」


悠真が立ち上がると、その生き物はびくりと震え、少し後ずさりした。怯えているようだ。


「大丈夫だよ。怖くないから」


悠真はゆっくりと柵に向かって歩き始めた。羊は逃げ出さずに、じっと悠真を見つめている。近づくと、確かに羊だった。しかし、その毛並みは淡いピンク色で、頭には小さな角が生えていた。怪我をしているようにも見える。


「怪我してるのか?」


羊の足元を見ると、前足に傷があり、少し血が滲んでいた。悠真は静かに手を差し伸べる。


「大丈夫、助けてあげるから」


羊は警戒しながらも、悠真の声に安心したのか、少しずつ近づいてきた。


「そうだ、そのまま……」


ついに羊が悠真の手に鼻先を触れた瞬間、不思議なことが起きた。羊の体から淡いピンク色の光が放たれ、悠真の手を包み込む。


「なっ!?」


驚いて手を引こうとしたが、光は悠真の手を優しく包み込むだけで、痛みはなかった。むしろ、温かく心地よい感覚が全身を包み込む。数秒後、光は消え、羊は疲れたように座り込んだ。


「今のは……何だ?」


不思議に思いながらも、悠真は羊を抱き上げた。思ったより軽く、その体は子羊のようだ。


「まずは怪我の手当てをしなきゃな」


悠真が小屋に羊を運ぶと、ルナがじっと見つめていた。


「新しい仲間かもしれないぞ、ルナ」


「ニャァ」


小屋の中で、ミリアムから教わった薬草を使って羊の傷を丁寧に洗い、軟膏を塗り、包帯を巻いた。羊は大人しく手当てを受けている。


「よし、これで大丈夫だ」


手当てを終えると、羊は安心したように悠真の手を舐めた。その瞬間、また淡いピンク色の光が羊から放たれる。今度は光が悠真の手を包み込み、その後、自分の傷にも光が回った。驚くことに、包帯の下から光が漏れ、その光が消えた後、羊は元気に立ち上がった。


「まさか……治ったのか?」


恐る恐る包帯を解くと、さっきまであった傷が完全に消えていた。


「治癒能力……?」


悠真は目を見開いた。この羊には傷を治す力があるのだろうか。そう考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。


「悠真さん、いますか?」


声の主はミリアムだった。


「入って良いよ」


ドアが開き、ミリアムが顔を覗かせる。彼女は悠真の隣にいる薄桃色の羊を見て、大きく目を見開いた。


「それって……ヒーリングシープ!?」


「ヒーリングシープ?」


「はい!治癒の力を持つ羊です!めったに見られないと言われていて……」


ミリアムは興奮した様子で小屋に入り、羊の前にしゃがみ込んだ。


「どこで見つけたんですか?」


「今朝、牧場の柵の近くにいたんだ。怪我をしていたから手当てをしようとしたら、急に光って……」


「それが癒しの光です!ヒーリングシープの力は触れた相手の傷を癒すだけでなく、自分自身も回復できるんです!」


ミリアムが説明する間、羊は悠真の足元に寄り添っていた。


「なんで怪我してたんだろう?」


「最近、森の奥で魔物の活動が活発になっているという話を聞きました。襲われたのかもしれません」


悠真は羊の頭を優しく撫でた。


「じゃあ、名前をつけないとな。治癒の力を持つなら……『サクラ』はどうだろう?桜の花びらみたいな色だし」


「素敵な名前です!」


羊は「メェ」と柔らかく鳴き、その声は風鈴のように澄んでいた。


「そういえば、ミリアム。今日はどうしたの?」


「ああ、そうでした!実はお願いがあって……」


ミリアムは恥ずかしそうに頬を赤らめた。


「村のお祭りの準備をしているんです。収穫祭って言って、毎年この時期に行われるんですけど、悠真さんも参加してくれませんか?」


「お祭り?」


「はい!食べ物の屋台や、ダンス、それに魔法の花火もあるんですよ!」


ミリアムの目は輝いていた。この異世界に来てから、村の行事に参加するのは初めてだ。少し緊張するが、断る理由も見当たらない。


「いいよ。参加するよ」


「本当ですか!嬉しいです!」


ミリアムが喜ぶ姿を見て、悠真も自然と微笑んだ。


「それと、もう一つお願いが……魔像結晶で祭りの様子を撮ってくれませんか?村の記録として残したいんです」


「魔像結晶?ああ、カメラね。もちろんいいよ」


「ありがとうございます!では、明後日の夕方に村の広場でお待ちしています!」


ミリアムは元気よく小屋を後にした。残された悠真はサクラの柔らかい毛を撫でながら、祭りのことを考えていた。


「お祭りか……楽しみだな」


窓の外では、ベルとヘラクレスが草を食んでいる。トレジャーは相変わらず空を旋回していた。ルナはサクラの周りをうろつき、警戒しているようでもあり、興味を持っているようでもあった。


「さて、みんなに紹介しよう」


悠真がサクラを抱えて外に出ると、他の動物たちが集まってきた。


「みんな、新しい仲間だ。サクラって言うんだ。仲良くしてやってくれ」


ベルが最初に近づいて来て、サクラの匂いを嗅いだ。


「メェ〜」


「メェ……」


二匹の羊は互いを見つめ、なにかを確かめ合うように鳴き交わした。次にヘラクレスが大きな体で近づき、優しく鼻を鳴らした。トレジャーは木の枝から見下ろし、特に興味を示さずにいた。最後にルナが恐る恐る近づき、サクラの足元を嗅いだ。


「ニャ?」


サクラはルナに向かって、小さく「メェ」と鳴いた。その後、驚くべきことに、サクラの角から淡いピンク色の光が放たれ、ルナを包み込んだ。光が消えると、ルナは不思議そうに体を震わせたが、特に嫌がる様子はなかった。


「仲良くなれそうだな」


悠真が微笑むと、サクラは彼の足元で横になり、休み始めた。長旅で疲れているのだろう。


――――――


夕暮れ時、悠真は魔像結晶を手に、牧場の風景を撮影していた。沈む夕日に照らされた温泉の湯気、草を食むベルとヘラクレス、枝に止まるトレジャー、そして新たな仲間サクラ。ルナは相変わらず悠真の足元でくつろいでいた。


「いい風景だ」


悠真が呟くと、サクラが近づいてきた。もう足を引きずる様子はなく、元気に歩いている。


「もう大丈夫そうだな」


サクラは「メェ」と鳴き、悠真の手に鼻先をつけた。温かいピンク色の光が悠真を包み込む。光が消えると、悠真は全身が軽くなったような感覚を覚えた。疲れがすっかり取れている。


「お礼をしてくれたのか?」


サクラは満足げに「メェ」と鳴いた。


「ありがとう」


悠真は柔らかな毛を撫で、小屋へと戻った。明後日のお祭りの準備もしないといけないし、新しい家族が増えたからには、小屋の中も少し整理する必要がある。


「なんだか、どんどん賑やかになってきたな」


最初は一人ぼっちだった牧場生活も、今では個性豊かな動物たちに囲まれている。戦うことはなくても、この平和な日々は悠真にとって十分に充実していた。


窓の外から差し込む月明かりの中、悠真は魔像結晶で撮った映像を眺めながら、この異世界での新しい生活に思いを馳せた。明後日のお祭りも楽しみだ。きっとまた新しい出会いがあるだろう。


「明日も良い日になりますように」


悠真がそう願いながら眠りについた夜、小屋の外では淡いピンク色の光が優しく牧場全体を包み込んでいた。

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