翌日になると、すでに「アイシャは嘘つきだ」という噂で持ちきりだった。カーミルかあるいは衛兵が昨日の出来事を言いふらしたに違いない。
「アイシャ様、いかがなさいますか?」
「決まっているでしょう? レイラ、もう一度現場に行くわよ」
「問題は『どうやって女が消失したか』ね」
顎に手をやり考え込む。
「あの……私たちが衛兵を呼びに行った間に、女が起き上がって立ち去ったという可能性があるのでは?」
レイラの推理にも一理ある。
「でもね、ここを見て」
部屋は砂漠に面している。そして、女が部屋を出た時の足跡がない。代わりに、カーミルのものと思われる足跡がある。あいつ、助けを呼ぶと言って何か細工をしたわね。
「なるほど」
「この足跡、隣のミイラ室に続いているわ。きっと、ここにヒントがあるはずよ。私を貶めた罠の」
その時、老人がよぼよぼと歩いてくると、胡散臭そうに見てくる。
「ミイラ職人のジャミルさんです」
レイラが耳打ちしてくる。
この態度からするに、噂を知っているに違いない。
「一つ聞きたいのだけど、このミイラ室に何か違和感はないかしら」
カーミルが何かを仕組んだのなら、ミイラ室に痕跡が残っているはず。
「違和感か。そうだな……。待てよ、これはおかしい!」
「何がですか?」
「ミイラが一つ増えている!」
ジャミルがミイラに近寄ると「これは素人が巻いたな。それに防腐処理がされていない!」とカンカンだ。
「巻き直さなきゃならん。いくら新入りとはいえ弟子なのだから、適当なのは許せん!」
どうやら、ジャミルには弟子がいるらしい。それも、新入りの。
ジャミルが包帯を解き終えると、そこに現れたのは、私が見た幻の女だった。そして、首には人の手の跡が残っている。殺されたのは明らかだった。
「さては、あんたが殺した上に、ミイラにしたな!」
「ちょっと、待って! それは誤解よ!」
「これはカーミル様の侍女だ。神官に報告だ」
事態は最悪。でも、私はやっていない。冤罪よ。おそらくカーミルが殺したのだろう。どうやって証拠を集める?
その時、カーミルの足跡を見ると不思議なことに気づいた。ミイラ室に出入りした時の足跡の深さが違う。行きは深く、帰りは浅い。
「なぜ? これはどういうこと?」
謎は深まるばかりだ。
「さて、アイシャよ。『裁きの間』に呼んだのは、カーミル様の侍女殺しの犯人としてだ。犯行は明らかだが、ファラオの意向に従って弁解の時間を与えよう」
「裁きの間」には、多くの民衆が押し寄せている。おそらく、令嬢である私が死刑になるのを楽しみにしているのだ。「他人の不幸は蜜の味」だから。
弁解の時間をうまく引き延ばせば、逆転できる。別行動をしているレイラを信じるしかない。
「では、いくつか述べさせてもらいます。まず、私は人殺しをしていません」
「嘘つき!」「往生際が悪いぞ!」
「そして、二つ目にミイラ室には足跡がありました。それも、カーミルの」
「アイシャ、貴様は俺が犯人だとでも言いたいのか?」
カーミルの冷たい視線が刺さる。
「ええ、そうよ。足跡は行きは深く、帰りは浅かった。おそらく、殺した侍女を運んだから、その分行きは足跡が深くなったのよ!」
「出鱈目だ! それだけで、犯人呼ばわりするのか? 嘘つき女め!」
大丈夫、落ち着いて。もう少しだけ、引き延ばせば勝てる。
「あなたは、なぜタイミングよく現れたのかしら? 私が侍女を見つけた時に」
カーミルは必死に言い訳を考えているらしい。反論しないのは、そういうことだ。
「私は噂を聞きました。カーミルが密会をしていると。その相手は侍女だったのでは?」
「カーミル様に限って、そんなことをするはずがない!」
野次が飛んでくる。
「静粛に。仮にそうだとして、殺すことはなかろう」
神官の口調は穏やかだが、呆れた様子だ。
その時、レイラが「裁きの間」に駆け込んでくる。
「アイシャ様、お持ちしました!」
彼女の手には砂と容器に入った水がある。この勝負、もらったわよ。
「先ほど、私は足跡からカーミルが犯人だと言いましたね? これから、あることをすれば、それが明白になります」
レイラは砂に多少の水をかけると、カーミルに差し出す。
「おい、奴隷から受け取れと? 冗談じゃない」
「あら、犯人だとバレるのが怖いのかしら?」
「そんなわけあるか! お前の自信をぶち壊してやる」
カーミルは湿った砂を握って受け取る。
「そこまでよ! 死体には首を絞められた跡があったわ。そして、今あなたが持っている砂。それについた手の跡を比べれば大きさが一致するはずよ」
古代エジプトでは指紋調査はできない。でも、手のひらの大きさから犯人を割り出すことはできる。誰一人として、同じ大きさの手のひらの持ち主はいないのだから。
カーミルの顔が歪む。
あとは、徹底的に叩きのめすのみ。ミステリー作家、なめるんじゃないわよ!
「事件の流れはこうです。まず、カーミルは密会しているという噂を流して、私を誘き出した。そして、倒れた侍女を見つけさせて、一時的に現場から離れさせた。その間に、侍女を持ち運んでミイラの中に混ぜた。だから、ミイラ室への行きの足跡は深かった。侍女の分、重かったからよ」
カーミルは無言を貫いている。
「どう? 何か異論はあるかしら?」
「……。じゃあ、俺が侍女を殺す理由はなんだ? わざわざ人殺しになる必要はない!」
「私を人殺しの罪で処刑に持ち込みたかったのよ。婚約破棄を正当化すると同時に、レイラの捜査を続行させないために。あなた、これまでもお金で悪事を揉み消してきたんじゃなくて? あの晩も衛兵にお金を渡して買収していたじゃない」
レイラは優秀だから、あと数日あればカーミルの悪事にたどり着いたに違いない。
「まさか、カーミル様が買収行為を!?」「そんな……信じていたのに」
カーミルを見ると、自分の地位が崩れるのを感じ取ったのか呆然としている。
その時、誰かが「裁きの間」に入ってきた。その人物は冠をしていて、コブラの飾り物がついている。間違いない、ファラオだ。
「不思議な事件の裁きをするからと来てみたら、犯人はカーミルだったとはな」
突然の登場にあたりがざわめく。
「カーミル、お前を砂地獄の刑に処する。これは決定事項だ!」
「お待ちください。それだけは、ご勘弁を。お願いいたします」
カーミルの額からは汗が流れ、顔は真っ青だ。
私を怒らせた報いを受けるがいいわ! ざまあみろ!
カーミルが連行されると、ファラオが私をじっと見つめてくる。
「アイシャよ、おまえの行動力は素晴らしい。そして、論理的な思考も。従って、お前を法を司る神官に任命する」
神官への任命!?
「精進するがいい」
ファラオはゆっくりと、「裁きの間」を立ち去る。
いいわ、私の推理力でエジプト中の事件を解いてみせる! それが、私の生きる道よ!