登校してすぐ、僕は立ち止まった。
校庭の地面に、巨大な鳥の絵が描かれていた。翼を広げ、嘴を鋭く伸ばしたその姿は、まるで空を目指して羽ばたく瞬間をとらえたようだ。ただし、それはチョークではなく、白線――つまり、体育で使うラインカーで描かれていたのだ。
誰かが、夜のうちに描いたのだろう。
教室に入ると、すでに話題はその話で持ちきりだった。
「絶対、宇宙人だって。人間じゃあんなきれいに描けないって!」「いや、美術部の誰かが夜にこっそりやったんだよ。でかいキャンバスが欲しかったんだろ?」「そもそも、あれ描く意味あんの?」
みんなが好き勝手に推理を語る中で、僕の隣の席に座る東雲は、机に教科書を広げながらもちらりと口を開いた。
「ねえ、真はどう思う?」
問いかけられて、僕は考えた。確かにあの絵は異様だった。ラインカーの白線で描くには手間がかかりすぎる。でも、ふと思いついた一つの可能性を言葉にした。
「今日は体育の授業がある。もし、白線が無くなってたら授業でラインが引けなくなる」
「つまり?」
「体育が嫌いな生徒が、授業を妨害するために描いた――とか?」
東雲は少しだけ目を細めて、うっすらと微笑んだ。
「なるほど。筋は通ってる。でも、もう一つ可能性があると思わない?」
「まだ何かあるの?」
東雲は頷いた。そして、小さな声で続けた。
「ラインカーの中に、何かを隠した人がいる……かもしれないって思ったの」
僕は目を見開いた。
「中に? 隠すって、どういうこと?」
「たとえば、誰かに見られたら困るもの。スマホとか、手紙とか、あるいは……盗んだ何か。そういうものを一時的に隠したいとき、あの中がちょうどいいかもしれない。でも、取り出す時に石灰をこぼしたら、変に目立ってしまう。だったら、どうする?」
僕は口をつぐみ、考えた。
「石灰を使い切ってしまえばいい……?」
「そう。自然な形で中を空にする。たとえば、絵を描くふりをして」
白線の鳥は、単なる落書きなんかじゃない。誰かが何かを隠して、それを回収するためのカモフラージュかもしれないというのだ。
僕は校庭の白い鳥の姿を思い出す。翼の先まで丁寧に描かれたライン。なるほど、確かに石灰をかなり使っているようだった。
でも、東雲の説を裏付ける証拠は何もない。体育の授業が始まる前に描いたかもしれないし、本当に単なるいたずらかもしれない。
「証拠がなければ、ただの妄想だよね」
そう言う僕に、東雲は肩をすくめた。
「もちろん。でも、そういう可能性を考えるのも面白いと思わない? “分からないまま”って、案外楽しいのよ」
たしかに――と思った。
宇宙人説でも、美術部説でも、白線消費説でも、真実は分からない。けれど、あれこれ想像することで、ただの朝が、少しだけ特別な朝になる。
僕はふたたび窓の外を見た。太陽の光が差し込む校庭には、もう少しで消えてしまいそうな白い鳥の姿。
それは、空へ飛び立つ準備をしているようにも、地上から何かを呼びかけているようにも見えた。
真相が闇の中にあっても、こうして少しだけ日常が輝いて見えるのなら、それでいい。東雲の言葉が、じんわりと胸の中であたたかくなった。
きっと、今日という一日は忘れない。