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第七話    妖魔討伐

 この試験はアリシアさんには少し荷が重いかもな。


 孫龍信こと俺は、妖魔と闘っている金毛剣女――アリシアさんを遠巻きに見つめながら思った。


「ハアアアアアアア――ッ!」


 そんなアリシアさんは腹の底から気合を発すると、妖魔に向かって大上段に構えた長剣を振り下ろす。


 だが、妖魔にはアリシアさんの斬撃は当たらない。


 妖魔はアリシアさんの斬撃を余裕で躱し、そのまま筋骨隆々とした肉体を最大限に活用した反撃を繰り出してくる。


 左右の手を交互に振り回すような挟撃だ。


「くッ!」


 アリシアさんは何とか紙一重で妖魔の挟撃を避け、一定の距離を保つために妖魔の脇をかいくぐって地面を転がった。


 直後、アリシアさんは立ち上がって妖魔と対峙する。


 先ほどからこんな攻防がずっと続いていた。


 アリシアさんが攻撃して妖魔が避ける。


 続いて妖魔が反撃してアリシアさんも避けるのだ。


 一見すると互角のような闘いに見えるが、俺の目からはとても互角とは言い切れなかった。


 九分九厘、アリシアさんのほうが不利だ。


 相手が見た目よりもすばしっこいこともあったが、それ以上にこのまま闘いが長引けばアリシアさんの体力が持たない。


 さて、どうなるかな。


 俺は両腕を緩く組んでアリシアさんを見守る。


 現在、俺たちは西京の街から離れた小さな村に来ていた。


 もちろん、アリシアさんの道士の資格を得る条件の妖魔討伐をするためだ。


 そして西京の街から道中で1泊だけ野宿してこの村に来た俺たちは、早速とばかりに最近になって村に出没するという妖魔を討伐するために動いた。


 その妖魔が出没するというのが、村の外れにあった墓地であるこの場所だ。


 妖魔の名前は野狗子やくし


 野狗とは野良犬のことで、アリシアさんと闘っている野狗子は犬の顔と額から1本の角を生やし、7尺(約2メートル強)の人型の肉体を持った妖魔だった。


 そんな野狗子は、死んだ人間の脳みそが好物だと言われている。


 なので死体が多くある戦場や墓場などに現れると言われていたが、中には生きた人間の脳みそも好物な野狗子もいるという。


 アリシアさんと闘っている野狗子がそうだ。


 生きた人間も容赦なく襲うため、道家行に討伐依頼があったのだろう。


 それにしても、と俺は思う。


 前もって聞いてはいたが、道士の資格試験で討伐するような妖魔ではない。


 もしかすると、最悪な場合もあり得るかもしれなかった。


 すなわち、アリシアさんが逆に野狗子に殺されることだ。


 まあ、そんなことは絶対にさせないんだが……。


 本来、目付け役の道士の仕事は査定だ。


 資格試験を受けた道士志望者が、たった1人でも凶悪な妖魔に立ち向かえる勇気と気概があるかどうか。


 それを見極めるために目付け役としての仕事がある。


 だが、目付け役には密かに道士志望者の援護をするという仕事もあった。


 けれども、目付け役の道士が妖魔と闘ったりするのは駄目だ。


 あくまでも道士志望者が妖魔と闘わないといけないため、目付け役は効率的な闘い方や妖魔の弱点を教えるなどして援護するのみ。


 そんなことを考えていると、野狗子は両目を血走らせて高らかに吼えた。


「ガアアアアアアアアアアアアア――――ッ!」


 野狗子は苛立ちが頂点に達したのか、肩で必死に息をしていたアリシアさんに怒涛のような猛撃を繰り出す。


 先ほどよりも数倍は力強く速い攻撃だ。


 俺は思わず身を乗り出した。


 やられる!


 と、俺がアリシアさんの最悪な状況を脳裏に思い浮かべたときだ。


 アリシアさんはカッと目を見開くと、長剣を瞬時に逆手に持ち替えて全身を脱力させた。


 攻撃よりも防御に専念する作戦に切り替えたのだろう。


 アリシアさんは強風に逆らわない柳の葉のように身体を柔らかく使い、野狗子の連打必倒の攻撃を次々と躱していく。


 だが、全部の連撃を綺麗に躱せたわけではない。


 何か所かは肉体に掠っていたものの、アリシアさんは顔色をまったく変えずに野狗子の攻撃を躱すことに全神経を集中させている。


 このとき、俺は奇妙な違和感を覚えた。


 違和感の原因はアリシアさんだ。


 アリシアさんが異国の剣士なのは見てよく分かる。


 我流ではなく、きちんとした師の元で修練を積んできたのだろう。


 だからこそ、俺はアリシアさんに違和感を覚えたのだ。


 1つ1つの技には剣の理に基づいた色が見えるのに、肉体のほうがその技にまったく追いついていない。


 普通ならばそんなことは絶対になかった。


 武術というのは白打はくだ(拳術)や器械きかい(武器術)に関係なく、技を身に付ける過程で自然と肉体も鍛えられるものだ。


 しかし、アリシアさんは技が身に付いているのに肉体が鍛えられていない。


 いや、鍛えられていないというのは語弊があった。


 どちらかと言えば、肉体に何かしらの制限が掛かっているような感じがする。


 なぜなら、今のアリシアさんが使っている体術は回避するだけの技ではない。


 西方ではどんな名前なのかは知らないが、あの技は華秦国に伝わる体術の1つで柳葉と呼ばれている。


 そして本来は相手の攻撃を躱してすぐに交差撃に転じる技なのだが、アリシアさんは交差撃に転じず回避行動に専念していた。


 間違いなく、交差撃カウンターに移れないほど身体を使えないのだ。


 だとすると、このままではアリシアさんの身が危うい。


 とはいえ、直接手を出すのは目付け役としてご法度である。


 だったら、手を出さずに手を出すしかないな。


 などと俺がその時期を慎重に見計らっていたときであった。


 バアンッ!


 何かが破裂するような衝撃音が周囲に響き渡った。


 野狗子の一打がアリシアさんに的中したのだ。


 アリシアさんは小さな悲鳴を上げて大きく吹き飛ばされる。


 何度も地面を転がった末に、アリシアさんの身体はようやく止まった。


「くっ……まだまだよ」


 致命傷だけは必死に避けたのだろう。


 アリシアさんは長剣を杖代わりに立ち上がると、身体を小刻みに震わせながら長剣を中段に構える。


 一方、余力が残っている野狗子はニヤリと笑った。


 弱った獲物を前にした、獰猛な野獣の笑みだ。


 野狗子は確信したに違いない。


 次の一撃で目の前の獲物を仕留められる、と。


 そして、それはアリシアさんにも分かったのだろう。


 ゆえにアリシアさんは余計な小細工を捨て、捨て身の一撃に賭けることにしたらしい。


 全身から凄まじい闘気を放出させたアリシアさんは、中段から下段に剣を構え直して疾駆する。


 すると野狗子も地面を蹴ってアリシアさんに襲い掛かっていく。


 ここだ、と俺は先ほどから窺っていた時機を得た。


 手を出さずに手を出す時機はここしかない。


 俺は瞬時に下丹田に力と意識を集中させ、練り上げた精気を全身へと一気に巡らせる。


 精気。


 それは人間の体内に循環している不可視の生命力のことだ。


 けれども、道士はこの不可視の精気を力として表に発揮できる。


 直後、俺は野狗子に向かって「動くな!」と精気の念を飛ばした。


 ビクンッ!


 次の瞬間、野狗子は一瞬だけ金縛りにあったように動きを止める。


 俺の精気の念を不意に受けて、あまりにも激しく動揺したのだ。


「セヤアアアアアアアアア――――ッ!」


 その一瞬をアリシアさんは見逃さなかった。


 アリシアさんは両手で握っていた長剣を、野狗子の上半身目掛けて斜め下から斬り上げた。


 それだけではない。


 アリシアさんはすぐにぎこちない動きで脇腹も斬り裂き、野狗子の反撃を食らわない場所まで走り抜ける。


 そして――。


 野狗子は鼓膜を刺激するほど絶叫すると、傷口から大量の鮮血と臓腑をまき散らせながら地面に崩れた。


 やがて闘いに何とか勝利したアリシアさんは、武人らしく残心を解かずに野狗子を見据える。


 そんなアリシアさんを見つめながら俺は思った。


 今のままでは道士としてこの国で生きていくのは無理だ、と。


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