野狗子を倒したあと、俺とアリシアさんは村長から「どうか、この村に泊まっていってくだされ」と大いに感謝された。
村長は悩みの種だった野狗子を倒してくれた礼として、村を挙げて俺たちを労いたいのだと言う。
しかし、その村長の申し出を俺は丁重に断った。
アリシアさんは一刻も早く道士の資格が欲しかったようで、そのまま俺たちは村人たちの盛大な見送りを受けて村を出発したのだ。
それから数刻後――。
俺とアリシアさんは、焚火を囲いながら座っている。
これから西京の街へ戻るため、開けた森の中で野営をしている最中だった。
すでに日は落ちて、周囲は闇に包まれている。
焚火を起こしてから、どれぐらい経ったときだろうか。
「これで私は道士になれるのですよね?」
ずっと無言だったアリシアさんが尋ねてきた。
俺は焚火からアリシアさんに顔を向ける。
そうです、と笑顔で答えるのは簡単だった。
現にアリシアさんは標的の野狗子を倒したのだから、俺が道家行に詳細を報告すればアリシアさんは道士の資格を得られるだろう。
しかし――。
「今のあなたには無理です」
俺は建前とは裏腹に本音を口にした。
「なっ!」
アリシアさんはガバッと立ち上がり、信じられないといった表情を浮かべる。
「そ、それは一体どういうことですか! 私は試験の合否を決める魔物を1人で倒したのですよ!」
このとき、俺はアリシアさんが少し言い淀んだのを聞き逃さなかった。
正直なところ、アリシアさん自身も気づいていたのだろう。
野狗子を倒せたのは、完全に自分1人の力ではなかったことに。
とはいえ、俺のアリシアさんに対する意見は変わらない。
「そのままの意味です。アリシアさん、今のあなたの実力では道士としてやっていくのは無理です」
俺はアリシアさんの視線を受け止めながら言った。
「だから、それはどうしてだと訊いているんです!」
今にも飛び掛かってきそうな勢いのアリシアさんに対して、俺は冷静な口調で「今のあなたは弱いからです」と答える。
「……あなたも他の道士たちと同じだったのですね」
一拍の間を空けたあと、アリシアさんは俺を睨みつけながら呟いた。
「いいえ、急に本性を出すなんて他の道士たちよりも
「それは違います。道家行には、標的だった妖魔をあなたが倒したことはきちんと報告するつもりですよ」
嘘をつかないで下さい、とアリシアさんは高らかに吼えた。
「そう言いながら、実際は適当な嘘を並べ立てて私の試験を不合格にするつもりなんでしょう!」
アリシアさんは悔しそうに歯噛みする。
「あなたが道家行で私に協力してくれると言ってくれたとき、私は心の底から嬉しかったんですよ。私だって世間知らずの馬鹿じゃない。この国の人々が――特に道士と呼ばれる人たちが異国人を快く思っていないことは知っていました」
だからこそ、とアリシアさんは力強く言葉を続けた。
「あなたの優しさが本当に身に染みたんです。この人は他の道士たちのように、異国人だからといって差別したりしない真っ当な人だ、と……でも、それは間違いだったようですね」
そう言うとアリシアさんは、自身の長剣の柄にそっと手を添える。
「俺を斬るつもりですか?」
「それは、あなたの返答次第です」
アリシアさんはゆっくりと躊躇うように長剣を抜いた。
「私だってこんな真似はしたくありません。ですが、私はこの国でやらなければならないことがある。そして、その目的を果たすためには道士になるのが一番の近道なんです」
だから、とアリシアさんは長剣の切っ先を俺に突きつける。
「道家行には嘘偽りなく報告してください。異国人の私でも道士としてこの国でやっていけると正直にです……もし、それが約束できないのであれば、こちらとしても実力行使をせざるを得ません」
バチバチと生木が爆ぜる音が響く中、俺はアリシアさんの険しい顔から俺に切っ先を向けている長剣へと視線を移した。
長剣の切っ先が微妙に揺れ動いている。
それを確認するだけで十分だった。
アリシアさんは俺を斬るつもりなど毛頭ない。
だが、表向きでもこうしなければならないほど追い詰められているのだろう。
それほどアリシアさんは何か大きな目的のために動いているようだ。
だとすると、アリシアさんが道士の資格を強く欲する理由も分かる。
単なる腕を磨きたい武芸者ならば、わざわざ道士になる必要なんてない。
それこそ自分の命を担保に、道場破りや名の知れた武人に立ち合いを挑めばいいだけの話だった。
だが道家行に認められた正式な道士になりたいということは、日々の糧を得るための仕事の他に欲しいモノがあるのだろう。
すなわち情報だ。
それも一般人には知ることができない裏の情報に違いない。
このとき、俺の頭の中に怨恨や復讐といった言葉が浮かんだ。
アリシアさんがこの国に来た理由で妥当な線はこの2つだったが、もしかすると常人には理解できないもっと特別な理由があるかもしれない。
けれども、何にせよアリシアさんが道士になることは反対だった。
少なくとも肉体が壊れている、今のアリシアさんが道士になるのは無謀すぎる。
今の状態のアリシアさんならば、近い将来において妖魔に返り討ちに遭って殺されのがオチだからだ。
ただし、もしもアリシアさんの肉体が特別な事情で壊れているのなら話は別だ。
駄目元でアリシアさんにあの力を使ってみるか?
俺が精気を応用したあの力――〈
ただ、そのためにはアリシアさんの肉体を詳しく診る必要があった。
では、それを今のアリシアさんに伝えて受け入れてくれるだろうか?
俺は心中で頭を左右に振った。
答えは否である。
いきなり赤の他人から「今のあなたの身体は壊れています。なので俺が治るかどうか診てあげますよ」と言われ、「はい、お願いします」と当たり前のように承諾する人間などいない。
もしも承諾するのであれば、その診る人間の確固とした実力と説明がなければ無理だろう。
それに俺自身も、誰に対してでもそんな考えに至るわけではなかった。
大恩と興味があったアリシアさんだからである。
店の修理代に充てられた大金を貰った恩義と、どうして異国人である彼女がこの華秦国で道士になりたいのかという興味があった。
そんなことを考えていると、アリシアさんは「なぜ、ずっと黙っているのですか!」と声を荒げた。
「もしかして、私が斬らないと高を括っているつもりですか? だとしたら見当違いです! 私が斬ると言えば本当に斬りますよ!」
などと言い放ったアリシアさんを見て、ふと俺の脳裏に名案が浮かんだ。
同時に俺はゆっくりと立ち上がる。
そして――。
分かりました、と俺は落ち着いた声で伝えた。
「俺を斬れるのなら、どうぞ斬ってみてください。たとえ身体が無理でも服を斬ることができたならば、道家行には嘘偽りなくあなたの活躍を報告しますよ」