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第十話    保健功

「う~ん……」


 ほどしばらくすると、アリシアさんの両目がゆっくりと開かれた。


 目覚めたばかりのアリシアさんは、軽く混乱していたのだろう。


 焚火の横で仰向けに寝かせていたアリシアさんは、夜空を見上げながら目をパチパチとさせ、次に上半身を起こして軽く周囲を見渡す。


 一方の俺は、焚火を挟んだアリシアさんとは逆側で座っている。


「腹は痛くないですか? かなり手加減したので大丈夫だと思いますが、少しでも吐き気や頭痛があったら言ってください」


「りゅ、龍信さん?」


 俺は意識を取り戻したアリシアさんと目が合った。


「……はッ!」


 直後、アリシアさんは完全に目が覚めて思い出したのだろう。


 意識を無くすまでに自分が何をしようとして、そして何をされたのかを――。


「私はまったく歯が立たなかったのですね」


 アリシアさんは無傷の俺を見つめながら呟いた。


「そうでもありません。最後の攻撃は中々のものでした」


「お世辞はやめてください。そんなことを言われても、私が悲しくなるだけです」


「いいえ、俺は本当にそう思ったから言ったんです。それに、あなたの剣は俺の身体こそ傷つけられなかったものの、ちゃんと俺の衣服には傷をつけました」


 そう言うと、俺は斬撃を受け止めた左腕をアリシアさんに見せつけた。


 正確には、アリシアさんの剣を受け止めた部分の衣服をだ。


 左腕の部分の衣服には、斬られた証拠として縦筋が入っている。


「約束はしっかりと守ります。道家行には、アリシアさんの活躍と道士になる資格があると伝えますよ」


「それは目付け役の道士として、ですよね? でも、本音は真逆にある」


「……はい」


 こればかりは、嘘を言うわけにはいかなかった。


 確かに道家行にはきちんと報告はするが、それでも今のアリシアさんが道士としてやっていけるとは思わない。


 ただし、例外はあった。


 アリシアさんが最低等級の第5級から上を目指さないのなら話は別だ。


 それなら今のアリシアさんでも何とかやっていけるだろう。


 しかし、アリシアさんがその程度で満足するはずがないことも分かっていた。


 おそらく、アリシアさんはもっと上の等級を目指すはずだ。


 道士というものは、等級が上に行けば行くほど危険な仕事は多くなるが、それに比例して成功報酬も高くなる。


 それだけではない。


 同時に集められる情報も広く深くなっていく。


 そして、アリシアさんが欲しいのは上の等級の道士が得られる情報に違いない。


 だが、今のアリシアさんでは上の等級の道士になるのは無理だ。


 もしも本当にアリシアさんが上の等級の道士を目指したいのならば、まずは壊れている肉体を正常に戻す必要がある。


 一拍の間を開けたあと、俺はアリシアさんに尋ねた。


「アリシアさん、俺があなたの身体を元に戻すと言ったらどうしますか?」


「私の身体を元に戻す?」


 アリシアさんは頭上に疑問符を浮かべた。


「俺はあなたが異国人だから道士になることを否定したわけではありません。アリシアさん、あなたの肉体は何かが原因で壊れている……そうですね?」


 どきり、とアリシアさんから聞こえたような気がした。


 それほどアリシアさんの表情には、驚きの色が浮かんでいる。


「ですが、その原因がよく分からない。病気とも怪我とも違うような……もしかすると、誰かから〝呪い〟のようなものを受けたとか?」


 どちらにせよ、と俺は言葉を続けた。


「実際に肉体を診て見ないことには判断できません」


「み、診る? 私の身体を?」


 俺は真剣な顔で「そうです」と頷いた。


「絶対にとは言い切れませんが、もしかすると俺はアリシアさんの身体を元の健常な状態に戻せるかもしれない。そして、もしもアリシアさんの身体に本来の力が戻ったとしたら話は別です。そのときは道士でやっていくことは無理だなんて言いません。むしろ、アリシアさんはかなり上の等級の道士も目指せるでしょう」


 唖然としたアリシアさんは、やがて重く閉じていた口を開いた。


「龍信さん……あなたは一体何者なんですか?」


 どうして自分の身体のことを見抜かれたのだろう?


 この人は一度も正式な仕事を受けたことがない、最低等級の道士ではないのか?


 そんなことをアリシアさんは考えているんだろうな。


 まあ、無理もない。


 俺は数々の〈精気練武〉の技を使えるが、その中でも心身の不調を治す〈保健功ほけんこう〉をもっとも得意としていた。


 武術と養生は表裏一体であり、本物の武人というのは人を傷つける殺法の技と一緒に、自他の身体を治す活法も身に付けているものだ。


 そんな活法を会得している者は、常人よりも相手の心身の状態を見極められる。


 これはどこの国の生まれや、どんな人種かはまったく関係ない。


 それこそ西方の異国だろうと華秦国だろうと、武術を深く学んだ者なら行き着く先は一緒なはずだ。


 そうなると、アリシアさんはひたすら殺法の技のみを修練してきたに違いない。


 でなければ、肉体の不調のある程度は自分で何とかできるはず。


 もしくは人体の理に詳しい、異国の薬師や医術者に自分の身体を治して貰うという選択肢もあったはずだ。


 だが、もしも異国の1流の薬師や医術者が匙を投げたとしたら……。


 そんなことを考えながら、俺はアリシアさんの問いに答える。


「今の俺は、単なる主人と記憶を無くした野良道士ですよ。けれども、そんな俺でも多少なりの武術と養生の技には自信を持っています」


 どうしますか、と俺はアリシアさんに訊いた。


「俺を信じて、俺に身体を診せてくれますか?」


 普通の女性ならばいくら目付け役の道士と言えども、薬師や医術者でもない男に自分の身体を調べて貰うことなど承諾しないだろう。


 しかし――。


「分かりました。私の身体を調べてください」


 アリシアさんは大きく首を縦に振った。


「ただし、もしもあなたから少しでも欲情した気配を感じたときは覚悟してくださいね」


 ふっ、と俺は笑った。


「もちろんです。そのときは衣服とは言わず、黙って左腕を丸ごとあなたに差し出しますよ」


 こうして俺は、アリシアさんの身体を診ることになった。


 そして覚悟を決めたアリシアさんは、俺の指示に従って上半身の衣服を1枚ずつ脱いでいく。


 さて、どうなるかな。


 俺は久しぶりの施術に指の骨をボキボキと鳴らした。


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