修練場になっていた道家行の中庭は、凄まじい熱気に包まれていた。
――異国人の女と阿門が修練場で比武をする。
そんな話を聞きつけた道士たちが、面白半分で一斉に詰めかけて来たからだ。
さて、どうなるかな。
俺は両腕を組みながら、見物人たちに混じって騒ぎの中心人物たちを見つめた。
騒ぎの中心人物ことアリシアさんと阿門は、修練場の中央で向かい合っている。
もちろん、素手ではない。
アリシアさんと阿門は、対練用の木剣を持っていた。
これはあくまでも比武であって殺し合いではない。
だが、木剣とはいえ当たる場所によっては致命傷になりかねない。
なので2人は寸止めという試合形式でなら、中庭で比武を認めると道家行から条件を出されていた。
「おい、金毛女。本当に俺と
阿門は手にしていた木剣で自分の肩を叩きながら、下卑た笑みを浮かべてアリシアさんに言う。
一方のアリシアさんは、表情を変えずに首を左右に振った。
「私は金毛女という名前ではありません。アリシア・ルーデンベルグという由緒正しい名前があります。これから試合をするのですから、相手の名前ぐらいは覚えてください。阿門さん」
「はっ、異国人の名前なんて知るか。てめえなんざ金毛女で十分なんだよ」
アリシアさんは遠目でも分かるぐらい、大きなため息を吐いた。
「どうやら、あなたには異国人がどうのと言う前に人としての常識がないようですね……分かりました。それならば、互いに名乗らずにとっとと始めましょう」
と、アリシアさんが毅然と言い放ったときだ。
ちょっと待て、と阿門は開いた右手をアリシアさんに突きつける。
「せっかくこれだけの見物人が集まったんだ。タダで闘るのは面白くねえ。どうだ? ここは1つ賭けをしようじゃねえか」
「賭け?」
「そうだ。てめえが俺に負けたら俺の弟子になれ。何でも俺の言うことを聞く忠実な弟子にな」
見物人たちからどよめきが走る。
俺は組んでいた手に強く力を込めた。
阿門はアリシアさんを本当に弟子に取るつもりはないだろう。
阿門は比武を利用して、異国人のアリシアさんを手籠めにしたいだけなのだ。
そして、それは当の本人であるアリシアさんもすぐに理解したらしい。
「いいでしょう。もしも私がこの試合に負けたら、あなたの言うことを何でも聞く弟子になります。それこそ、昼だろうと夜だろうと私をあなたの考える稽古で好きにしてくれて構いません」
ですが、とアリシアさんは木剣の切っ先を阿門に突きつける。
「私が勝った場合、あなたには一時的にではなく永久に道士を辞めていただきます。よろしいですね?」
おお~、と見物人たちからアリシアさんを称える歓声が起こった。
「がははははっ、言うじゃねえか。いいぜ、俺が負けたら道士でも何でもすぐに辞めてやるよ」
そう言うと阿門は、比武の立ち会い人として中庭に来ていた道家長に顔を向けた。
「道家長、そういうことに決まったから今回の比武をしっかりと見届けてくれよな?」
道家長は阿門から目線を外すと、どう考えても賭けの条件として分が悪いアリシアさんに尋ねる。
「本当にいいのですか? 先ほどの阿門さんではありませんが、ここまで騒ぎが大きくなってはもう無かったことには出来ませんよ?」
「はい、それは重々承知しています。けれども、それは私だけではなく阿門さんにも言えるということは忘れないでください」
こくりと道家長は頷いた。
「それは道家長として誓います。阿門さんがあなたに負けたときには、永久に道士の資格を剥奪します。それだけではなく、この華秦国にあるすべての道家行に阿門さんを道士に復帰させないよう通達しましょう」
もはや互いに言い訳は一切通用しなくなったとき、アリシアさんと阿門の間に大気を歪めるような緊迫感が流れた。
魔王とやらを倒した元勇者か……。
俺はふと半日前のことを思い出す。
どうやらアリシアさんは異国で魔王と呼ばれる、とてつもない力を持った妖魔を倒した人間なのだという。
しかし、その魔王を倒したときに悲劇が起こった。
魔王はアリシアさんに倒される寸前、渾身の力を振り絞ってアリシアさんに呪いを掛けたらしい。
その呪いと言うのが、アリシアさんの体内の奥底に潜んでいた黒い霧だ。
今思えば、あれは上位級の妖魔が放つ妖気の残留思念のようなものだった。
だが、その呪いはもうアリシアさんの体内には潜んでいない。
俺がこの世から完全に消したからである。
では、どうしてアリシアさんの体内に呪いが残っていたのか?
そして魔王と呼ばれる妖魔を倒したにもかかわらず、どうしてアリシアさんはこんな遠い異国である華秦国へとやってきたのか?
理由は1つ。
倒したと思っていた魔王の本体は生きており、しかもこの華秦国へと逃げてきた可能性が非常に高いのだという。
俺はアリシアさんから聞いた説明を思い出していると、闘いの機が熟したと判断した道家長が高らかに声を上げた。
「それでは始めてください」
俺を含めた見物人たちが見守る中、2人の比武の幕が上がった。