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第十六話   新たなる旅路

「今日は本当に良い天気ですね。まるで心が洗われるようです」


 アリシアさんは、頭上に広がる大海原を見上げながら呟く。


「確かに……でも、こんな天気は今までもあったでしょう?」


 隣に座っていた俺がそう言うと、アリシアさんは首を左右に振った。


「これまではそう感じなかったんです。ですが、元の身体に戻った今は違います。これまでと同じ景色だったものが、まったく違うような景色に見えるんです」


 俺は人間ってそういうものだな、と思った。


 肉体の調子というものは、心の調子に繋がっている。


 どうやら今のアリシアさんは、身体だけではなく心も以前と同じ健常な状態に戻ったのだろう。


 俺もアリシアさんと同じく空を見上げた。


 頭上に広がる空はどこまでも青く澄み渡り、降り注ぐ太陽の日差しは目を覆うぐらいに眩しかった。


 今日はそこまで強い風は吹いていない。


 蒼天に浮かぶ無数の白雲は、どこまでも緩やかに穏やかに流れていく。


 おそらく今は未の刻(午後1時~午後3時)の中でも、ちょうど真ん中ほどの時刻だろうか。


 この調子だと、次の街に辿り着く頃には夜になるかもしれない。


 現在、俺とアリシアさんは馬車の荷台の端に座っていた。


 西京の街を出るとき、商品を仕入れに別の街へ行く行商人を見つけ、自分たちも一緒に連れて行って貰うように頼んだのだ。


 高額な運賃を払うことは当たり前だったが、それ以上に2人とも身分を保証する道士ということが一緒に連れて行って貰える要因だった。


「私の国元でもそうでしたが、この道符というものは冒険者証と同じくこういうときにも役立ちますね」


 アリシアさんは懐から小さな木札を取り出した。


 道士の証である道符だ。


 もちろんアリシアさんと旅に出るにあたって、孫龍信こと俺の道符も道家行からきちんと返して貰っていた。


 屋敷に籠もっている限りでは無用の長物だが、色々な街へ行くときや情報を入手する際には道符というものは強い威力を発揮する。


 今もそうだ。


 普通ならばどこの馬の骨かも分からない男女を、自分の馬車に乗せる行商人などいない。


 しかし、道士ならば話は別だという人間は意外に多くいる。


 道家行という巨大な組織から身分を保証されていること以上に、常人よりも武術の腕前に優れている道士ならば、道中に出くわすかもしれない野盗や妖魔から自分の身と荷物を守って貰えるからだ。


「龍信さん、本当に良かったのですか?」


 ほどしばらくすると、アリシアさんが訊いてくる。


「何がですか?」


「何がって……私の旅にあなたが同行することですよ」


 ああ、そのことか。


 俺は逆に「駄目でしたか?」と訊き返した。


「駄目ではありませんが、相手は私たちの大陸を支配していた魔王なんです。いくら龍信さんが凄まじく強くても、闘えばきっと無傷では済みませんよ」


 そんなに魔王と呼ばれる妖魔は強いのか?


 俺は両腕を組みながら「ふむ」と唸った。


 現在、俺とアリシアさんは西京の街を離れて東安へと向かっている。


 東安とは華秦国の王都の名前だ。


 では、どうして俺とアリシアさんは王都へと向かっているのか?


 それはアリシアさんが華秦国へと来た理由と直結する。


 アリシアさんがこの華秦国へと来たのは、かつて自分が倒しそこなった魔王と呼ばれる巨悪な妖魔を倒しに来たからだ。


 詳しく話を聞いたところによると、アリシアさんの祖国ではもう魔王は完全に滅んだということになっており、魔王が実は華秦国で生きているということは王族などの特権階級の人間は知っていても無視しているという。


 どうやら自分たちの領土以外はどうなってもいいと考えているらしく、アリシアさんの以前の仲間たちも王族に従って見て見ぬ振りをしたらしい。


 だが、勇者と呼ばれていたアリシアさんは違った。


 勇者とは人々の平和を守る使命を持った人間を指し、アリシアさんは魔王が異国である華秦国へ逃亡したことを知ると、異国の人々の平和を脅かしかねない魔王を追いかけて再び倒す決意をしたというのだ。


 たとえ魔王に、余命1年となるほどの呪いを掛けられてもである。


 そしてそれを聞いたとき、俺はあまりの感動に震えが止まらなかった。


 アリシアさんも他国のことなど関係ないと目を閉じてしまえば、表向き魔王を倒した英雄として相当な地位と名誉を手に入れられたはずだ。


 もしかするとその得ていたはずの地位と権力を駆使すれば、祖国でも呪いを解く方法を見つけられていたかもしれない。


 しかし、アリシアさんは目を閉じるどころか大きく見開いた。


 アリシアさんは地位も名誉も自分の命すらも半ば捨て去り、しかも王族から勇者の称号を剥奪されても、勇者の使命を胸にこの華秦国へと1人でやって来たのだ。


 正直なところ、この話を聞いた俺は恥ずかしくなった。


 主人であった仁翔さまと優炎ぼっちゃんを亡くし、孫家の屋敷から追い出されても、気楽に今後のことを考えていた自分自身にである。


 だからこそ、俺はアリシアさんの魔王を倒す旅に同行しようと決めた。


 当然ながら同行するだけではない。


 魔王と呼ばれる妖魔がどれほど強いのか分からないが、自分もアリシアさんの身体を治した手前、アリシアさんを守るために命を賭して協力するつもりだ。


 などと思ったときである。


 リイイイイイイイイイイン。


 どこからか鈴を鳴らしたような音が聞こえてきた。


 俺は慌てて音のしたほうへ顔を向ける。


 音を発していたのは〈無銘剣〉だった。


 俺は眉根をひそめる。


〈無銘剣〉がこんな音を発することなど今までなかったからだ。


 どうして、と俺は〈無銘剣〉の柄に手を当てた。


 直後、〈無銘剣〉を通して俺の頭の中に様々な光景が流れ込んでくる。


 同時に頭が割れんばかりの頭痛が襲ってきた。


 俺は思わず両手で頭を抱える。


「龍信さん、どうしました!」


 俺が急に頭を押さえたことを心配したのだろう。


 アリシアさんが俺の身体に触れてくる。


「だ、大丈夫です……」


 やがて頭痛が治まったあと、俺はアリシアさんに何とか笑みを向けた。


 そして――。


「それよりも思い出しました」


 俺はぽつりと呟いた。


「何をですか?」


「記憶です」


 俺は単刀直入に答えた。


「アリシアさんには断片的にしか伝えていませんでしたね……俺は今までずっと自分の名前と、身体にしみ込んでいた武術の技以外の記憶がありませんでした」


 けれど、と俺は言葉を続ける。


「今、ふと思い出したんです。全部ではありませんが、記憶を無くす以前の俺が何者だったのかは思い出しました」


 アリシアさんは小首を傾げた。


「記憶があろうと無かろうと、あなたは道士だったんじゃないですか?」


「違います」


 と、俺はきっぱりと否定した。


「俺は人間界の平和を守るため、神仙界しんせんかいからやってきた仙人です」


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