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第二十四話  薬士 其の一

 ここが例の妖魔とやらが住み着いている薬屋か……。


 俺は目の前にある大きな門の全体に顔を巡らせたあと、その門に掛けられていた横長の看板を見つめた。


 百草神農堂ひゃくそうしんのうどう


 百草はその名の通り数多の薬草を指しているのだろうが、そのあとに続く神農というのは華秦国に伝わる医薬の神の名だ。


 もしもこの名前が客寄せのために付けたものでないのなら、ここの主人はよほど薬草や薬の知識、それと製薬や調薬にも自信があるらしい。


 それはこの薬屋が建てられていた立地からも窺い知れる。


 わざと街の中心地から離れた場所に建てたということは、製薬や調薬に集中したいということ以上に、すぐに自分の手で薬草を採りに行けるからだろう。


 実際にそんな薬士がいるという薬屋は、中農の街外れにぽつんと建っていた。


 敷地面積はかなりのものだ。


 孫家の屋敷の規模には到底及ばないものの、数十人の家族と何人かの使用人が楽々と住めるぐらいの広さはある。


 以前はよほど儲かっていたに違いない。


 そんなことを考えていると、俺の隣にいたアリシアが「全体的にかなり傷んでいるね」と呟いた。


「看板も汚れているばかりか少しズレているし、門のいたるところや塀の壁にも穴やヒビがいくつも目立つ。掃除どころか修繕にもお金や人が行き届いていないのかも」


 無理もない、と俺は思った。


 もしもこの立派な外観の薬屋を一代で築き上げたとしたら、それこそずっと客が途切れることはなかったのだろう。


 だが、薬屋の敷地内に妖魔が住み始めたというのならば話は別だ。


 どれだけ効き目の高い薬を扱う薬士がいようと、第1級の道士でも歯が立たない妖魔がいる薬屋に足を運ぶ人間などいるはずがない。


 そして客が途切れれば、当然のことながら入ってくる金も途切れる。


 そうなると建物の維持費に金が使われなくなるのは自明の理だった。


 まあ、それはさておき。


「とにかく、まずは依頼人である薬士に会ってみるか」


 俺がそう言うと、アリシアは「大丈夫?」と不安な表情を見せる。


「その凶悪な妖魔はこの建物の敷地内にいるのよね? 不用意に入っていきなり襲われでもしたら……」


「とは言っても、こんな入り口で佇んでいても埒は明かないだろ?」


 それに、と俺は門の奥を覗き込みながら言葉を続けた。


「この敷地内からは、不思議なことに妖魔が発する妖気がまったく感じられないんだよな」


 嘘ではなかった。


 わざわざ〈精気練武〉の1つである〈聴剄〉を使わなくとも、それぐらいは軽く神経を研ぎ澄ませば感じ取れる。


 それどころか、この敷地内からはどこか懐かしい雰囲気が感じられたのだ。


 するとアリシアも俺と同じく門の奥を覗き込む。


「もしかして、その妖魔はもうここから逃げ去ってしまったとか?」


「あり得るな……ただ、せっかくこんな辺鄙へんぴな場所まで来たんだ。一応、敷地内を回って確認――」


 しようか、と二の句を紡ごうとしたときだ。


「辺鄙な場所に店を構えていて悪かったな……っていうか、あんたら誰やねん?」


 と、後方から声を掛けられた。


 俺とアリシアはほぼ同時に振り向く。


 いつの間にか、そこには13、4歳ぐらいの少年が立っていた。


 背丈は5尺(約150センチ)ほどだろうか。


 切り揃えた黒髪に、生意気そうで強気な目眉。


 顔立ちは普通よりも整っている反面、野性味あふれる勝気な子猫を想像させる少年だった。


 俺は少年の全身に視線を這わせる。


 山菜を採りに行った帰りなのだろうか。


 少年は背中に籠を背負っており、着ていた胡服のあちこちが土で汚れていた。


 そんな少年は俺たちをキッと睨みつけてくる。


「もう1度だけ訊いたるわ。あんたら何者やねん? さっきから人の家の前でウロウロとしくさってからに……物取りの下見やったらタダじゃ帰さへんで」


 このとき、俺は目の前の少年が少年じゃないことに気がついた。


 この子は男じゃなくて女だ。


 独特な言葉使いの少女は、腰帯に差していた短刀の柄に手を掛ける。


 返答次第では斬り掛かって来るつもりだろう。


 それほど今の少女の気は荒ぶっていた。


 だとすると言動や態度からして、この少女は薬屋の関係者なのだろうか。


 もしかすると、見習いの薬士なのかもしれない。


 などと少女の正体を見極めていた俺の代わりに、何とか少女の気を静めさそうとアリシアが慌てて事情を説明してくれた。


「ちょっと待って。私たちは怪しい者じゃない。道家行から妖魔討伐の依頼を請けてやってきた道士なの」


「道士? あんたらがか?」


 少女は怪訝な目で俺たちを交互に見てくる。


 同時に短刀の柄をしっかりと握る少女。


 そんな少女を見据えながら俺は思った。


 さて、どうするか。

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