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第四十話   魔王の手掛かり

「それで、俺に何を都合して欲しい。金か? 物か? それとも――」


「女か、なんて言わないでくださいよ。見ての通り俺には女の連れがいますし、そもそも欲しくもありません」


 景炎さんは俺を見て、「若いのに珍しいな」とせせら笑う。


「それとも、お前さんは男色の気か女装の趣味でもあるのかな? 女の間で男装するのは結構流行っているが、たまに男の中でも女装する趣味に目覚める奴がいるからな。いいぜ、お望みならそっち関係の鬘や服も用意してやるよ」


 違います、と俺は強く否定した。


「俺たちが欲しいのは情報です。聞いたところによると、この東安では血生臭い事件が色々と起こっているそうですね? その事件について教えて欲しいんです」


「おいおい、嘘だろ。まさか、この東安で起こっている犯罪をすべて教えて欲しいなんて言い出すんじゃないだろうな? ここは何百万人も暮らしている王都の東安だぞ? 毎日、一体どれぐらいの犯罪が起こっていると思う」


「もちろん、それは重々承知しています。その中でも特に変わった猟奇的な事件について教えていただければ、と」


 景炎さんは卓子に片肘をついて「たとえば?」と訊いてくる。


 俺は隣に座っているアリシアへと顔を向けた。


 ここから先は、俺よりも事情をよく知るアリシアが適任だ。


 アリシアは俺を見て頷くと、そのまま景炎さんへと顔を向ける。


「殺人事件……それも、身体から血を吸われて殺された怪事件はありますか?」


 アリシアの問いに、ピクリと景炎さんの片眉が動いた。


 どうやら心当たりがありそうだ。


 ――体内から血を吸われて殺される。


 俺もアリシアから初めて聞いたときは耳を疑った。


 アリシアが倒すべき魔王という妖魔は、人間に憑依すると同じ人間の生き血を吸うという特徴があるらしい。


 しかも生き血を吸えば吸うほど力が増していき、そればかりか自分の血を武器とするほどの凄まじい力を発揮していたという。


 それゆえ、魔王がいる場所には血を吸われて殺される怪事件が起こる。


 アリシアは自分が知っていたその情報を頼りに、少しずつこの華秦国の言葉を覚えながら1年を掛けて旅をしていたというのだ。


 やがて景炎さんは大きなため息を吐いた。


「さっきも言ったが、ここは王都の東安だ。それこそ殺人事件なんて毎日のようにどこかで起こっている。些細な痴話喧嘩、痴情のもつれ、武術家同士の決闘、金の貸し借りなんかの色々な理由でな……ただ、1年前くらいからポツポツと奇妙な殺人事件がそれらに交じって表れてきた」


 景炎さんは複雑な顔で言葉を続ける。


「そこの異国人の嬢ちゃんが言ったような、身体から血を吸われて殺されるという異常な殺人事件だ……いや、あまりにも怪奇すぎるということで、犯人は人間じゃなくて妖魔の仕業だと噂されている。まあ、役人や街卒(警察官)が調べてないだけなんだがな」


「え? 役人や街卒(警察官)は調べてないんですか?」


 王都である東安は、言わずと知れた皇帝のお膝元である。


 当然ながら街の治安維持に努める、役人や街卒(警察官)の実力や行動力も他の街の連中とは雲泥の差のはずだ。


 そのような人間たちが、殺人事件の犯人を調べないことなどあるのだろうか。


「他の街では考えられないことだろうが、この東安に限ってはある。いや、厳密に言うと調べたくても深く調べられないといったところだ」


 俺たち3人は頭上に疑問符を浮かべた。


 景炎さんの言っている意味が分からない。


彩花さいかだ。この街の彩花で起こった事件で特に殺人なんかの重い事件ほど、役人や街卒(警察官)も深く調べられない」


「彩花というのは花街の名前ですよね?」


「何だ知っているのか。そうだ、この華秦国最大の男の楽園だよ」


 彩花の名前は俺も知っていた。


 水連さんから聞いていた東安で血生臭い事件が起きている場所というのが、その彩花という花街のことだったからだ。


 だが、その花街の詳しいことは水連さんも分からなかったので、こうして〈南華十四行〉の茶碗陣を教えてくれて、東安の裏事情に精通している人間と会えるような段取りをしてくれたのである。


 なので、その人間と会えばすぐに俺たちは事件について分かると思っていた。


 ところが話を聞くと、どうもそう簡単なことではなさそうだ。


「どうして花街で起こった殺人事件を、役人や街卒(警察官)は調べられないんですか?」


 景炎さんは周囲を警戒しながら小声で言った。


「彩花を取り仕切っているのが〈三猿衆〉だからだ」


「さんえんしゅう?」


「ああ、3匹の猿と書いて〈三猿衆〉という」


 そのとき、俺はハッと気づいた。


「見猿、言わ猿、聞か猿の三猿のことですか?」


「そうだ……本来の意味とは違うが、彩花の評判が落ちるような殺人事件なんかは「見るな・言うな・聞くな」と〈三猿衆〉が決めたことで、役人や街卒(警察官)なんかもそういった類の事件は花街の中では調べられない。まったく情報が手に入らないことに加え、それこそ〈三猿衆〉が犯人をすぐに見つけて自分たちで処罰するそうだ」


 ちなみに〈三猿衆〉とは、絶大な権力で彩花を取り仕切っている3人の妓主たちと、その子飼いの武装集団を指す言葉だという。


「でも、何でその〈三猿衆〉とやらはそんな変な取り決めをしたんやろうな。自分たちの縄張りで殺人事件なんて起きたら、普通は役人や街卒に任せるもんやろ」


 春花の疑問はもっともだった。


 普通ならば、専門である役人や街卒に事件の解決を任せるはずだ。


「この取り決めだって大昔からあったわけじゃない。それこそ、身体から血を吸われて殺される殺人事件が起こった辺りから、いきなり〈三猿衆〉が花街全体に裏で伝えたことらしい。しかもどうやら、その取り決めには1人の妓女が関係しているって裏の情報屋たちの間ではもっぱらの噂だ」


妓女ぎじょ?」


 俺たち3人はほぼ同時に声を上げた。


 途端に景炎さんは慌てふためき、「馬鹿、声が大きい」と立てた人差し指を自分の口に当てる。


「〈南華十四行〉の紹介だから教えてやるけどな、その〈三猿衆〉の1人が取り仕切る妓楼に紅玉という名前の妓女がいる。どうやら、この紅玉がこの取り決めに関係しているそうなんだ」


 景炎さんは話を続ける。


「それだけじゃない。実はこの紅玉こそ事件の犯人じゃないかという噂もある」


 俺たち――特にアリシアは大きく身を乗り出した。


「理由はこの紅玉という妓女が彩花に現れた1年前から、身体から血を吸われて殺される奇妙な殺人事件が起こり始めたことと、自分から身売りしてきたにもかかわらずあっという間に大口の顧客を多く抱えて、一気に彩花最大の妓楼――翡翠館の頂点に立ったことで〈三猿衆〉にも意見できる立場になったこと」


 そして、と景炎さんはごくりと生唾を飲み込んだ。


「実は……この紅玉が深夜に道端で、殺された人間の血をすすっていたのを見たって言う奴が結構いたんだ。ただしこれはまだ紅玉が名を上げる前だったときの噂でよ。今ではそんな噂を立てる奴は1人もいない。〈三猿衆〉にバレたら殺されるだけじゃ済まないからな」


 俺は話を聞くなり、再びアリシアに視線を向けた。


 アリシアは「もしかしたら」と表情で答えている。


 俺も同じことを考えた。


 その紅玉という妓女に魔王が憑依している可能性が高い。


 だとしたら、あとはやることは1つだ。


「よし、今から翡翠館に行ってみよう。そして紅玉という妓女に会って、その妓女が俺たちが探している奴かどうか確かめるんだ」


「そうね。それが確実だわ」


「よっしゃあ、何かよう分からんが善は急げっちゅうことやな」


 と、俺たちが立ち上がろうとしたときだ。


「待て、お前ら。いくら何でも、そんな簡単に紅玉に会えるわけないだろ。今の紅玉は花街の頂点に立っている妓女なんだ。それこそ、ただ会うだけでも目玉が飛び出るほどの金が要るんだぞ」


 確かに、そんな位の高い妓女に会うためにはとてつもない金が必要になってくるだろう。


「それに異国人の嬢ちゃんは当たり前だが、そっちの幼い嬢ちゃんも妓楼には入れず門前払いを食らうのがオチだ。妓楼は基本的に女の客などまったく受けつけないし、ましてや子供なんか相手にしない」


「うちはこれでも18やで」


 そうである。


 春花は最初こそ18歳とは思えない背丈と容姿をした少年に見えたが、今はどこからどう見ても少女に見える上衣と裳を穿いている。


 ただし、さすがに18歳には見えない。


 景炎さんもそうだったのだろう。


 食い入るように春花を見つめる。


「ほ、本当か……いやいや、どちらにせよ何か特別なことでもない限り、女たちが翡翠館に入るのは無理だ。入れるのはそこの兄ちゃんぐらいだよ。それも信じられない大金を持っていることが前提条件でな」


 う~ん、と俺は両腕を組んだ。


「金のことはおそらく何とかなる。俺たちには水連さんから貰った証文手形があるからな。その妓女に一度だけ会うぐらいの金はあるだろう。でも、問題なのはアリシアが妓楼に入れないことだ。アリシアに実際に見て確認して貰わないことには、その妓女が目的の魔王なのか分からない」


 さて、どうするか。


 俺とアリシアが困った顔をすると、「いい案があるで」と春花が言った。


「女がアカンのなら男になればええやないか」

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