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第三十九話  茶碗陣

 俺たちは何人かの通行人に場所を訊きながら、四半刻(約30分)ほどで目的の紅花茶館へと辿り着いた。


 茶館の中に入ると、昼間にもかかわらず結構な賑わいを見せている。


 けれども、客のほとんどは男だった。


 小汚い格好をした青年から身なりの良い格好の中年まで様々であり、近くにある花街に通い詰めている男たちなのかもしれない。


 そんな男たちは俺たち――特に異国人であるアリシアを見てギョッとしたが、腰に差している剣を見て無視するのが無難だと判断したのだろう。


 さっと目線を外すなり、再び各々の談笑や茶飲みに戻っていく。


 やがて奥から若い給仕女が満面の笑みでやってきた。


「……い、いらっしゃいませ! ようこそ、紅花茶館こうかちゃかんへ!」


 さすが老舗の給仕女である。


 最初こそアリシアを見て驚いた顔をしたものの、それも一瞬のことですぐに営業笑顔を作って接客してきたのだ。


「3名さまですね。どうぞ、こちらへ」


 俺たちは奥の卓子へと案内された。


「お客さま、お茶はどういった種類のものに致しましょう? 異国の方もおられるのなら、紅茶のほうがよろしいでしょうか? もしも特にお決めになられていないのなら、今ですと主人が仕入れてきた珍しい黄茶などもありますが……」


 俺は小さく首を左右に振った。


「空の湯飲みを4つお願いします」


 これには給仕女も目を丸くさせた。


「え? お茶も何も入っていない空の湯飲みを……しかも4つですか?」


 給仕女が唖然とするのも無理はない。


 空の湯飲みだけを頼む客など普通はいないだろうし、しかも3人で来ているのに4つも用意しろとは頭のおかしい客だと思われても仕方がなかった。


 現に給仕女も明らかな苦笑いを浮かべている。


「お客さま、冗談を言われては困ります。空の湯飲みなど用意できません」


 それでも俺は頑なに「空の湯飲みを4つ」と注文した。


 すると表情から笑みが消えた給仕女は、俺の左肩をトントントンと右手の中指で3回軽く叩いてきた。


 そして――。


「汝、今どのように生きているか?」


 突如、雰囲気と口調がガラリと変わった給仕女が質問してくる。


 俺はあらかじめ知っていたその質問を受け、左手の中指でトントントンと卓子を3回だけ叩いて答える。


「偉大なる天に順じて生きている」


 問答はまだ続く。


「汝、どの季節を重んじるか?」


「ただ秋にあり」


 一拍の間を置いたあと、給仕女はパッと満面の笑みを浮かべた。


「ご注文、受け賜りました。少々、お待ちくださいませ」


 そう言うと給仕女は、厨房の奥へと消えていく。


「龍信、今のが茶碗陣という暗号なの?」


「いや、今のは俺たちが例の人物に会うために必要な符丁らしい。前もって水連さんから聞いていたんだ」


符丁ふちょう?」


「組織の仲間内で決めた暗号や問答なんかのことさ」


 俺は給仕女との問答の説明を2人にする。


 最初の問答は〈南華十四行〉の思想を現す、順天行商の最初の2字である順天のこと。


 2番目の問答は、残りの2字である行商についてだ。


 ただ秋にありとは、原始の商業である物々交換が収穫の時期である秋に行われていたことから「秋に行う」が「あきなう」になり、やがて「商い」である商人のことを示す言葉になっていた。


 要するに給仕女からの「あなたは〈南華十四行〉の関係者か?」という質問に対して、俺は「そうです」と大げさに答えたことになる。


 すると今度は春花が尋ねてきた。


「……っちゅうことは、龍信が頼んだ空の湯飲みを4ついうんが茶碗陣の暗号とやらなんやな?」


「そうだ。どういうものかというと……ちょうど来たから、自分の目で見たほうが早いだろうな」


 お待たせしました、と給仕女が空の湯飲みを4つ持ってきた。


 しかし、給仕女はその場から動こうとしない。


 じっと俺の様子を窺ってくる。


 ここからが本番だった。


 俺は紙片の中身と蒼玄さんの言葉を思い出しながら、4つの空の湯飲みを綺麗に横一列に並べた。


 そして左端と左端から2番目の湯飲みの位置を上にずらし、続いて残りの右端と右端から2番目の湯飲みを下へとずらす。


 茶碗陣。


 それは華秦国に存在する、様々な組織の中で使われる暗号や隠語のことだ。


 特に見知らぬ場所や土地勘の無い場所で、同じ組織の仲間に助力を頼むときに使われることが多い。


 そして茶碗陣という名前の通り、色々な茶器を使って仲間と伝言などをやりとりする場合が多く、水連さんの組織――〈南華十四行〉だと空の湯飲みを4つ使うと聞いていた。


 あとは符丁で決められたことと、組織が定めている湯飲みの数と配置を特定の場所ですれば終了だ。


 すべての手順や回答に誤りがなければ、組織の仲間と認められて色々な情報や物資を融通してくれる人間が現れるという。


 もちろん、その茶碗陣を行う場所は組織が完璧に息の掛かった場所である。


 つまりこの店で働いている人間は当然のこと、紅花茶館自体が〈南華十四行〉の店ということなのだろう。


「あらためてご注文をお伺いします。何をお望みでしょうか?」


「この東安の裏の事情に詳しい人をお願いします」


 給仕女はお盆に空の湯飲みを乗せると、「もうしばらくお待ちください」と再び厨房の奥へと消えていった。


 その後、どれぐらいの時間が経っただろうか。


 ふらりと俺たちの席に1人の人間が現れ、俺たちの許可もなしに相席してくる。


 俺と同じ長袍の格好をした、30代半ばほどの糸目の男だ。


「あんたらかい? 俺を探しているって連中は?」


 飄々とした印象がある糸目の男は、珍しい組み合わせの俺たちを見回して尋ねてくる。


「あなたが裏の東安について詳しい人ですか?」


 そうだ、と糸目の男は答える。


「調達屋の王景炎おう・けいえんだ。よろしくな」

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