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第四十三話  乱闘

「ちょっと待ってください。俺たちは別に怪しい者じゃないですよ」


 俺は用心棒の男たちに、満面の笑みとともに言った。


「いや~、さすがは彩花1と評判の翡翠館ですね。あまりの内装や女性たちの綺麗さに驚いて、こいつと一緒に戸惑っていたんです」


 俺はさり気なくアリシアの手を掴んだ。


「勘違いさせてしまったのなら申し訳ありません。これから遊ぼうと思っていたのですが……これ以上、ここにいると他のお客さんにも迷惑みたいですね」


 話しながら逃げる準備を整えると、俺は用心棒たちを見回した。


 もちろん、世間知らずな金持ちの息子たちを演じながらである。


「では、今日のところは帰ります。本当にお騒がせしてしまってすみません」


 こうなったからには長居は無理だった。


 次も来れるかどうか分からなかったが、とりあえず今はもう帰るしかない。


 俺はアリシアを連れて出入り口に向かおうとしたときだ。


「お前ら……ただのガキじゃねえな?」


 用心棒たちの中でも、頭領と思われる禿頭の男がキッと睨みつけてくる。


「見た目とは裏腹に相当の修羅場を経験してやがる。隠そうとしても分かるぜ。俺たちの殺気や剣を見ても全然ビビってねえのがその証拠よ……だとしたら、ますます怪しい」


 しまった、と俺は心中で舌打ちした。


 中途半端な演技が返って裏目に出たか。


 それでも俺は自分のしくじりを顔には出さず、これ以上の騒ぎを起こさずに退館しようとした。


 おそらく、もうこの翡翠館には真っ当な方法では入れないだろう。


 だが、それならそれで真っ当な手段以外に入れる方法を考えるだけだ。


「おい、待てって言ってんだろ!」


 そんな俺たちを逃がすまいと、用心棒の1人がアリシアの髪をがしりと掴んだ。


 そして、そのまま力任せに引き寄せる。


 次の瞬間、用心棒たちから「あっ!」と驚きの声が上がった。


 アリシアが被っていた黒髪の鬘が脱げ、その中に納まっていた金毛が露になったからだ。


「い、異国人だと……」


「しかも女じゃねえか!」 


「何で異国人の女が男装してやがるんだ?」


 男たちが唖然とした一方、禿頭の男は部下の男たちに叫んだ。


「こいつら、やっぱり普通の客じゃねえ! もしかすると、紅玉のことを嗅ぎ回っている役人か街卒(警察官)の間者かもしれん!」


 殺せ、と禿頭の男は部下たちに命じた。


 見たところ禿頭の男を始め、部下の男たちも相当な技量の持ち主ばかりだ。


 そこら辺の破落戸とはまるで違う。


 こうなったらやるしかない!


 俺は一瞬で覚悟を決めると、まずは身近にいた1人の腹部に前蹴りを放った。


「ぐえッ!」


 俺の前蹴りを食らった男は、腹を押さえて前のめりに倒れる。


 その男だけでは終わらせない。


 すかさず俺は近くにいた男たちに次々と攻撃を放っていく。


 顔面への掌底打ち。


 股間への金的蹴り。


 顔面側頭部への後ろ回し蹴り。


 あっという間に3人の男を倒した俺と同じく、アリシアも他の男たちの斬撃を上手く避けて反撃を繰り出す。


 さすがは元勇者とやらだ。


 剣術だけではなく、素手の闘技も修めていたのだろう。


 独特の拍子と運足を駆使して、刻み突きや直突きを放って2人の男たちを瞬く間に倒したのだ。


 これには残りの男たちも表情を歪めた。


 まさか、目の前の俺たちがここまで強いとは思わなかったのだろう。


 それは禿頭の男も同じだった。


「このガキども……」


 そして禿頭の男がぎりりと奥歯を噛み締めた直後だった。


 俺は禿頭の男の下丹田に力が集約していくのを感じた。


 これは、と俺も自分の下丹田で精気を練り上げる。


 それだけではない。


 俺は練り上げた精気を両目に集中させる〈龍眼〉を使った。


 するとどうだろう。


 禿頭の男の下丹田の位置に、目を眩ませるほどの黄金色の光球が出現していた。


 続いて光球からは火の粉を思わせる黄金色の燐光が噴出し、黄金色の燐光は螺旋を描きながら全身を覆い尽くしていく。


〈精気練武〉の〈周天〉だ。


 こいつ、道士か!


 間違いない。


 禿頭の男は意図的に〈周天〉を使っており、正式な道符を持っているか分からないが、おそらくは第1級の道士と遜色のない実力を持っている。


 などと思ったのだが、禿頭の男は俺の予想を覆すことをした。


 禿頭の男は左手に異常なまでの精気を集中させ、「〈縛妖縄〉ッ!」と高らかに叫んだのである。


 俺は目を疑った。


 禿頭の男がその名前を呼んだあと、何もなかった空間に取っ手のついた細長い1本の縄が現れたからだ。


宝貝パオペイ〉使い。


 それも仙道省に属しながら、仙道士として働いている〈宝貝〉使いではない。


〈宝貝〉という力を手に入れたものの、俺と同じく国に属さずに力を使っている野良の〈宝貝〉使いの道士だ。


 そんなことを考えていたのも束の間、禿頭の男の〈宝貝〉自身がまるで意思を持っているかのように動いた。


 獲物に襲い掛かる蛇のような動きを見せた〈宝貝〉――〈縛妖縄ばくようじょう〉で俺たちは捕縛される。


 捕獲系の〈宝貝〉か。


 俺も全身に〈周天〉を纏わせて抵抗したが、〈縛妖縄〉と呼ばれた縄はまったく引き千切れない。


「ほう……小僧、どうやらお前も〈精気練武〉が使える道士のようだが、〈宝貝〉を使えるほどの奴に会ったことはあるまい」


 勝ち誇った顔をする禿頭の男。


 一方のアリシアは「う、動けない」と悔しそうな顔をしている。


 確かに普通の縄とは違って、〈宝貝〉の縄は特別だ。


 おそらく、並みの剣で斬ろうとしても斬れないほどの強度と硬度があるだろう。


 だが、この〈宝貝〉の力は2つだけだ。


 並みの剣では斬れない強度と硬度。


 自由自在な操作性。


 もしもこの2つ以外に捕縛者の精気を奪うとか、瞬時に眠らせる棘が出るとかの危険な力が付与されていたら事だった。


 けれども、どうやらそれらの力は無いようである。


 だったら、まだこの状況は危険な内には入らない。


「破山剣ッ!」


 なので俺は高らかに自分の〈宝貝〉の名前を呼んだ。


 すると、出入り口から空中を飛行しながら1本の剣が飛んできた。


 破山剣の状態の〈七星剣〉である。 


「破山剣、俺たちの身体に巻きついている縄を斬れ!」


 俺の目の前の空中に浮かんでいた破山剣は、その言葉に呼応するように俺たちの身体に巻きついている縄だけをスパスパと斬っていく。


「なッ!」


 これには禿頭の男も目を見開いて驚愕した。


 落雷に直撃したかのように硬直している。


 もちろん、その隙を見逃すほど俺は甘くはない。


 俺は破山剣を手に取って逆手に持ち返ると、慌てふためいていた禿頭の男に疾駆した。


 一瞬で互いの距離が縮まる。


箭疾歩せんしつほ〉。


 精気を両足に集中させて高速移動できる特殊な歩法だ。


 そして〈箭疾歩〉で間合いを詰めた俺は、さすがに斬り殺すわけにはいかなかったので、禿頭の男の喉に剣の柄頭――【壱】と書かれた装飾品の部分で攻撃したのだ。


「ぐはッ!」


 と、禿頭の男は大量の唾を吐き出しながら気を失う。


 まさか頭領が俺のような少年に倒されるとは思わなかったのだろう。


 しん、と大広間の中が静まる。


 今だ、と俺はアリシアを連れて出入り口に向かった。


 そのまま門番の男たちも倒した俺たちは、アリシアの長剣も取り返して街中へと逃走していく。


 10代の黒髪の少年と、同じく10代の異国人の少女が翡翠館で暴れ回った。


 この一連の騒動は瞬く間に彩花中に広まった。


 それこそ、花街にまったく興味のない者たちの耳にも――。



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