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第四十六話  魔王の居場所

 なんちゅう場所や……まるで小説に出てくる桃源郷やないか。


 李春花ことうちは、端っこの通路から大広間を見て仰天した。


 そこは別世界と思うほどの、豪華な装飾品に彩られた空間が存在していたのだ。


 吹き抜けの大広間の真ん中には、両の目に翡翠が埋め込まれている龍の形をした巨大な彫像が堂々と鎮座している。


 しかし、それ以外にも目を引くのは龍の形をした彫像の上にある天井だった。


 彫像の上にある天井の部分は高価な硝子製になっていて、おそらく昼間には太陽の光が、そして夜には月明かりが見えるような演出がされていたのだ。


 それにしても、これじゃあ誰が主役か分かったもんやないな。


 うちはざっと大広間の中を見回す。


 大広間の中には身なりの良い富裕層の男たちと、化粧や衣服に念を入れている妓女たちがいた。


 それこそ中農の花街にいる妓女たちなど比較にならない。


 天女と間違えそうなほど綺麗な妓女たちは色彩豊かな衣服を着ており、それぞれが自分を主張する色とりどりの扇子を持ち歩いていた。


 その中でも上級妓女たちは薄い裾物――羅裙を何枚も重ね着していて、艶やかな髪に長い簪を挿して男たちの気を引いている。


 だが、ここに目的の妓女はいないだろう。


 おそらく、現在は戌の刻になったばかり。


 今頃は建物内の宴会場で、身請けした男と一緒に祝われているはずだ。


 ましてや花街全体に影響を与えるほどの人物の宴会ともなれば、余興として曲芸師たちの興行や人形劇などが開かれているだろう。


 さすがにそんな場所を龍信たちに教えても無駄だった。


 龍信たちの目的を聞く限りでは、それこそ周囲に余計な人間がいない場所にいるときを教えたほうがいい。


 だとすると、確実なのはやっぱり本人の部屋を見つけることやな。


 うちは適当な妓女たちに紅玉の部屋を聞き出そうとしたが、その前に男衆の1人に「何してる? お前はこっちに来い」と裏方のほうへ連れていかれた。


 当然と言えば当然だ。


 うちは流れ者の薬士という立場で翡翠館に入れたのである。


 なので表向きはあくまでも薬士として、必要な人間に治療薬を処方したりしなければならない。


 しかし、うちの本当の役目はそれではなかった。


 紅玉という妓女のいる部屋を突き止め、それを中庭に隠れている龍信たちに知らせること。


 それがうちの役目であり本当の目的だ。


 さて、どないして部屋を探るか。


 男衆たちに裏方へ案内されている間、うちは内部の構造を把握しながら考えた。


 建物自体の規模や装飾品の数などは雲泥の差だったが、どうやらうちが知っていた中農の老舗の妓楼と構造的にはあまり変わらない。


 うちは大広間の構造を思い浮かべる。


 大広間の奥には2階へ続く階段があった。


 2階には客の男と妓女が1晩を過ごす個室があるのだろう。


 けれども、大広間の奥の階段はあくまでも客用である。


 妓楼には火災になった場合や、各個室に食料や酒を届けるための裏方の人間が使う階段もあるはず。


 そうであれば、2階へは裏方の人間が使う階段を使えばいい。


 しかも紅玉という妓女は、翡翠館の頂点に立つ売れっ子だと聞いている。


 どんな有名で老舗な妓楼とはいえ、会うだけで金貨が必要なほどの上級中の上級の妓女など3人か4人いるかどうかだ。


 必ず他の妓女たちは区別できる、特徴的なモノが部屋の扉にはあるはず。


 まさか、名前が紅玉やから宝飾品の紅玉が取りつけられていたりしてな。


 うちは世間話を装い、口の軽そうな男衆の1人に尋ねる。


「あのう……この賑やかさは凄い妓女はんの身請けが決まったからやと聞きましたけど、その妓女はんはそんなに別嬪さんなんでっか?」


「そりゃそうさ。うちの紅玉は今や彩花でも頂点に立つ妓女だからな」


「へえ~、せやったらさぞかし豪勢な個室を与えられているんでっしゃろ?」


「当たり前だ。他の妓女たちの部屋は2階にあるが、紅玉の部屋だけは3階にあるからな。しかも3階は紅玉のためだけに増設されたんだ。それだけうちの妓主に気に入られていたんだよ」


「え? たった1人の妓女のために建物を増やしたんでっか?」


「凄いだろ? しかも紅玉の部屋の扉には、本人の名前を表すような紅玉の宝石が散りばめられているんだぜ。初めて紅玉を指名した客の中には驚いて腰を抜かす奴もいたぐらいさ」


 それはとても良いことを聞いた。


 今の話が本当ならば、すぐにでも龍信に知らせなくてはならない。


 などと考えていると、うちは男衆たちの詰め所に案内された。


 景炎はんは妓女たちに衣服や装飾品を見せているが、薬士のうちはひとまず怪我をしているという用心棒のために薬を処方して欲しいと言われたからだ。


 そして案内された詰め所には、屈強な男たちが自分の身体のあちこちを押さえながら苦悶の表情を浮かべていた。


 こいつらが龍信とアリシアにやられた用心棒どもやな。


 話は龍信からすべて聞いていたので、男衆の1人が「こ、こいつらは建物の修繕のために雇った人足たちでな……」という誤魔化しは通用しない。


 だが、男衆たちが誤魔化したい気持ちも分かる。


 花街を代表する妓楼の用心棒たちが、たった2人の少年少女にやられたなどという噂が広まっては店の印象に大損害が発生する。


 大方、その日の店にいた客たちには大金で口を閉ざさせ、この用心棒たちには医術者や薬士からの噂を危惧してろくな治療をしていないのだろう。


 そこに現れたのが流れ者のうちやった。


 流れ者の薬士に事情を隠して治療させれば、変な噂も立たずに済むと思ったに違いない。


 それはうちとしても構わなかった。


 本職の医術者には及ばないものの、打撲などを治療できるだけの腕前はある。


 治療してくれと言われれば、怪しまれない範囲できちんと治療するつもりだ。


 う~ん、せやったら真種子を与えてみるか。


 見た目と症状の軽い人間には普通の薬を与えて、よっぽどひどいと思われた人間には真種子を与えてもいいかもしれない。


 龍信が言うには真種子しんしゅしを飲むと精気という力が勝手に高まり、たとえばその状態で他者に触れたりすると相手にもその精気の力が伝わるほどらしい。


 よく分からんが、要するにうちはそれほど効く薬が作れたってことやな。


 だとしたら、本当に薬士なのか疑われないように真種子を与えてみよう。


 ただし、とうちは思った。


 その前にやることはやらへんとな。


「すんまへん、その前に洗手間トイレを貸してくれまへんか? こんな場所に来たのは初めてやさかい、妙に緊張してしもうて」


 嘘だった。


 すでに紅玉という妓女の部屋の場所は特定しているので、それを中庭に隠れている龍信たちに知らせなければならない。


「まあ、ここはお前みたいなガキが来るところじゃねえからな……いいだろう、外の通路の一番奥にあるからさっさと行って来い」


「そうなんでっか。ほな、ちょっと行ってきますわ」


 うちは股間をモジモジさせながら詰め所を出る。


 直後、うちは急いで駆け出した。


 そして通路の奥に辿り着くと、そのまま洗手間を無視して壁に取りつけられていた窓を開けた。


 開けた窓を通して薄暗い中庭の様子が見える。


 よし、とうちは懐から小さな紙片と携帯用の筆を取り出した。


 そのまま紙片に紅玉の個人部屋の場所を書いていく。


 場所を書き終えたうちは、再び懐に隠していたモノを取り出す。


 何の変哲もない、手の中に納まるほどの小石と紐だ。


 うちは急いで小石に紙片メモを巻きつけ、その紙片を巻きつけた小石をさらに紐でぐるぐるに巻きつけて固定させる。


 そして、その紙片と紐を巻きつけた小石を中庭の遠くに放り投げたのだ。


 ホンマにこんなんでええんか?


 龍信曰く、あの小石には龍信の精気なる特別な力を込めているという。


 そのため、闇夜の中の茂みなどに投げても見分けがつくと言うのだ。


 簡単に言えば真っ暗な草原の中でも、龍信にとっては小さな焚火が見えるような感覚らしい。


 まあ、とにかくうちの仕事は済んだ。


 あとは龍信たちに任せよう。


 うちは窓を閉めて振り向くと、今度は薬士としての役目を果たすため詰め所へと戻った。


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