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第六十五話  仙道使

 一体、これは何の冗談なんだ。


 普段着の長袍を着ていた孫龍信こと俺は、そんなことをこの部屋へ足を踏み入れてからずっと考えていた。


 悪い夢なら一刻も早く醒めて欲しかったが、案内された場所も場所だったので間違いなく現実のようである。


 いや、そもそもこの場所自体に案内されたことのほうが不思議だ。


 ここは華秦国の天子である、皇帝陛下が住まう宮廷の中である。


 しかも俺が屈強な衛士たちによって案内された部屋は、それこそ皇帝陛下に拝謁できる玉座の間だった。


 豪華絢爛を絵に描いたような玉座の間には、精緻な細工の工芸品や黒漆で統一された調度品が並んでいる。


 俺は先ほどから下げていた頭を少し上げ、3間(約5.5メートル)ほど前方にあった玉座を見る。


 だが、黄金で作られた玉座には誰も座っていなかった。


 この玉座の間に通されてから、かれこれ四半刻(約30分)は経っただろうか。


 依然として玉座の主――皇帝陛下は現れない。


 それでも「いつまで待たせるんだ」とは微塵も思わなかった。


 神仙界で修行していた半仙だったとはいえ、俺も元は華秦国の片田舎に住んでいた人間だ。


 なので皇帝陛下と謁見するとなると、多少なりとも緊張してしまう。


 そんなことを考えていた今の俺は、いつでも皇帝陛下が来てもいいように片膝をついている状態だった。


〈七星剣〉は持っていない。


 皇帝陛下の前に武器を携えていくのはご法度であり、ここに来るまでに宮廷内を守護する禁軍の衛士たちに取り上げられたのだ。


 ただ、破山剣の状態だから呼べば飛んで来るんだが……。


 もちろん、そんなことをする気はさらさらない。


 むしろ、やはり今はなぜこんなところに呼ばれたのかが気になる。


 事の発端は昨日のことだった。


 役所の牢屋にアリシアと一緒に幽閉されていた俺の元へ、皇帝陛下の使いと名乗る人間が現れたのである。


 俺も目覚めたときに驚いたのだが、どうやら俺は神火砲で魔王を倒したあとに精気を使い果たして気を失ってしまったらしい。


 そしてそれはどうやらアリシアも同じだったらしく、俺たち2人は気を失った状態で駆けつけてきた役人たちに捕まったというのだ。


 これは牢屋に面会に来た、景炎さんと春花に聞いたことだった。


 無理もない、と牢屋で俺とアリシアは思ったものである。


 俺たちを除いて事件の真相は誰1人として知らず、当事者の魔王はおろか魔王に憑依されていた紅玉や笑山もすでに死んでいるのだ。


 だとすれば妓主や役人たちは俺たちを捕まえるしかなかっただろう。


 現に俺とアリシアはあれこれと役人たちに尋問された。


 拷問まではされなかったのは俺たちが道符を持った正式な道士だったことに加えて、景炎さんや春花が真実と嘘を使い分けて俺たちが犯人ではないことを証言してくれたからだ。


 翡翠館での騒ぎを偶然にも表の通りにいた俺とアリシアが聞きつけ、義勇に駆られて大広間に乗り込み妖魔と闘ったと。


 当然のことだが、これらは景炎さんや春花がついた嘘だった。


 それでも俺たちの顔を知っていた門番や用心棒たちは魔王に殺されていたため、妓主や役人たちも何が真実なのか事情が把握できず、事件の渦中にいた俺たちはひとまず牢屋に入れられたというわけだ。


 そこへ現れたのが皇帝陛下の使いだった。


 どうやら皇帝陛下の使いは俺だけに用があったらしいが、それでも役人たちは皇帝陛下に名指しされた俺に驚愕してアリシアも一緒に釈放してくれた。


 俺がアリシアとは親しい関係だと尋問中に言ったため、アリシアだけを釈放しなかったときに皇帝の名のもとに処罰されるかもしれないと思ったのだろう。


 まあ、どちらにせよアリシアも釈放されたのは良かった。


 と、俺が今は紅花茶館の地下室に春花といるはずのアリシアのことを考えていたときだ。


 ふと部屋の外から2つの気配を感じた。


〈精気練武〉の1つ――〈聴勁〉を使わなくとも分かる。


 この玉座の間の近くは静寂に支配されていたため、気配とは別に少しの足音でも異様に聞こえてくるのだ。


 俺はさっと顔を下げた。


 直後、玉座の間の扉が開いて2人の人間が室内に入ってきた。


 1人が皇帝陛下なのは間違いない。


 許しもないままに直視するわけにはいかなかったので顔こそ見れないが、その優雅で落ち着いた歩みは人の上に立つ覇者の歩みだった。


 このとき、俺は床を見つめながらハッとした。


 皇帝陛下と一緒に室内に入ってきた、もう1人の人物の気配と歩みには覚えがあったのだ。


 やがて皇帝陛下と思われる人物は玉座に座り、もう1人の人物は皇帝陛下の近くで歩みをとめた。


 それぐらいは見なくても余裕で分かる。


「孫龍信とやら……面を上げろ」


 俺は「はっ」と答えるなり顔を上げ、両手を胸の前で組み合わせる敬礼――拱手を取る。


 初めて見る皇帝陛下は、俺と同じ年齢ぐらいだろうか。


 名前は秦劉翔さまと記憶している。


 先帝がご病気で崩御されたのち、10代の若さで即位された若い皇帝陛下だった。


 目鼻立ちが整った精悍な顔つきだ。


 頭には冕冠を被り、龍の刺繍が入った黄色の絹の黄袍を着ている。


 確か以前に仁翔さまから聞いたことがあった。


 皇帝陛下が着る絹の服は緻密な経糸に太い緯糸を通し、さらに経糸で紋様を描きだしている錦という技法と最高品質の絹で作られていると。


 加えて皇族は万物の中心を表す黄色を好んで使うという。


 続いて俺は皇帝陛下の隣に立っていた人物にちらりと視線を送る。


 皇帝陛下の隣にいるのは仁翔さまのご友人であり、仙道省の長官を務める陳烈膳さんだ。


 こうして顔を合わせるのは1、2年振りだろうか。


 久しぶりに会ったが彫りの深い鷹のような顔つきと、鉄棒でも仕込んでいそうなほど伸びた背筋がよく目立つ。


 やがて皇帝陛下はゆっくりと口を開いた。


「孫龍信よ。どうしてそなたがここに招かれたのか分かるか?」


 後ろめたいことなどないので、俺は皇帝陛下の目を見つめながら正直に答える。


「率直に申し上げます……分かりません」


 本当のことであった。


 こうして本物の皇帝陛下と顔を合わせている今でも、どうして自分がこんなところにいるのかずっと疑問符が浮かんでいるのだ。


 すると皇帝陛下は「数日前のことだが」と話し始める。


「この東安に黄金の龍が出現した。本物の龍だったかは分からぬ……だが、余もその黄金の龍が夜空を駆けて天に昇る姿を見た」


 皇帝陛下は若干の興奮を見せながら言葉を紡いでいく。


「そして市井の間ではこの黄金の龍のことで噂が持ち切りだという。龍はこの華秦国の瑞獣であり、黄金――つまり黄色は皇族の象徴。民たちはこの黄金の龍が東安に現れたのは、華秦国がこれから余の代で大いに栄えることを天が示しているのだと」


 このあと、皇帝陛下は色々と教えてくれた。


 民衆の噂はどうであれ、皇帝陛下はなぜ黄金の龍が東安に現れたのかすぐさま調べたらしい。


 やがて黄金の龍が出没した場所が花街の翡翠館という妓楼であり、黄金の龍が出没した同時刻に翡翠館では不可解な大惨事が起こっていたことを突き止めた。


 さらに調べを進めるうちに俺の名前が浮上したという。


 その後、俺は皇帝陛下から驚愕の事実を聞かされた。


 どうやら皇帝陛下はこの一件よりも前に俺と会いたかったらしく、孫家の現当主に手紙を送っていたというのだ。


 だが、それは笑山というよりも仁翔さまに対してだった。


 詳しく聞くと手紙を直接送ったのは烈膳さんであり、烈膳さんは仁翔さまが亡くなって笑山が当主になったことを知らなかったらしい。


 だとすると笑山も知らなかったのだろう。


 仁翔さまと烈膳さんが昵懇の仲だったことを。


 そして、これらの話を聞いているうちに俺はもしやと思った。


 あの黒装束の男――元盗賊団の頭目だった無明は、もしかすると笑山が俺に送った刺客だったのかもしれない。


 何せ笑山は仁翔さまと優炎坊ちゃんを事故に見せかけて殺したぐらいだ。


 あのまま俺や他の懐刀の人たちを屋敷に置いていたら、自分が事故に見せかけて殺したことが露見するかもしれないと思い、殺し屋を雇って俺たちを亡き者にしようとした。


 そう考えれば屋敷を追い出されたすぐあとに、街中で破落戸どもに命を狙われたことも納得できた。


 あれは無明の前に雇った最初の刺客たちだったのだろう。


 などと推測していると、皇帝陛下は「前置きが長くなったが」と真剣な眼差しを向けてくる。


「孫龍信、嘘偽りなく答えよ。あの黄金の龍とそなたは関係しているのか? あの黄金の龍が出現した日、そなたは翡翠館という妓楼で恐ろしい妖魔と闘ったと調べはついている。そして、まさにその翡翠館から天に黄金の龍が昇ったこともな」


 それに、と皇帝陛下はずいっと身を乗り出してくる。


「何ゆえ、そなたはそんなところにおったのだ? 烈膳が孫家の現当主に送った手紙を見たからではあるまい。しかもそなたは金毛の異国人を連れていたという」


 なるほど、と俺は思った。


 それが俺を宮廷に招いた理由だったのか。


 となると、下手に誤魔化すのは得策ではない。


 どのみち皇帝陛下の前で嘘をつくのは悪手になる可能性が高いため、俺はアリシアのことも含めて簡潔にこの東安に来た理由を説明した。


 現当主の笑山に孫家の屋敷から追放されたあと、西方で勇者だったアリシアと出会ったこと。


 アリシアの旅の目的に感銘を受けて一緒に同行するようになったこと。


 その後は紆余曲折を得て色々な人たちと出会い、この東安にアリシアの旅の目的である魔王がいるかもしれないという情報を聞いて来たこと。


 俺は淡々と落ち着いて話したつもりだったが、一方の皇帝陛下と烈膳さんはみるみるうちに驚きの表情になっていく。


 やがて俺はあることだけを隠してすべてを話し終えた。


 あることとは、俺が神仙界で修行していた半仙だということと記憶を取り戻していることだ。


 これだけはさすがに正直に答えるわけではない。


 信じてくれるとは思わないし、仮に信じられたとしても古来より皇族というのは不老不死などの神秘的な力を渇望するものだ。


 この人間界とは違う世界から来たなどと答えたら、どのような目に遭うか分からなかった。


 少なくともまともな目には遭わないだろう。


 加えてここにいる烈膳さんは、俺が孫家の屋敷にいたときに記憶を失っているということも知っている。


 だったらそれも継続させておいたほうがいい。


 俺は未だに記憶を失っている状態であるが、アリシアと魔王を倒す旅をしている途中に〈宝貝〉のことだけは思い出すことができたと。


 そして、その〈宝貝〉――〈七星剣〉の力を存分に使って魔王を倒したことも話した。


 これは事実だったこともあり、なおかつこの〈宝貝〉のことを誤魔化したら翡翠館での魔王との闘い――しいては黄金の龍の説明がつかなかくなってしまう。


「では、あの黄金の龍はお主の〈宝貝〉の力だったというのか!」


 そう言ったのは烈膳さんだ。


「はい……どうやら私の剣は〈宝貝〉だったようで、しかも〈七星剣〉という何やら特別な〈宝貝〉だったらしいのです」


 これには烈膳さんも激しく動揺していた。


 どうやら烈膳さんは〈七星剣〉の存在を知っていたようだ。


「まさか、お主が〈宝貝〉使いで……それも7つの武器に変化する〈七星剣〉の持ち主だったとは」


 主上、と烈膳さんは皇帝陛下に声をかける。


「先ほどの会議の件ですが、この孫龍信ならばいかがでしょう?」


「うむ、それは余も考えていた。まさに、この孫龍信ならば適任ではないかと。西方の国から流れてきた、魔王という妖魔を倒した実績もあるのだからな」


 何のことだ?


 俺が事情を飲み込めずにいると、皇帝陛下は「実はここに来る前にある会議が開かれていてな」と話し始めた。


「その会議の内容とは、近年この華秦国中で猛威を振るっている妖魔が絡んだ不可思議な事件をどう解決するかという議題だった。どうも各地の道家行に所属する道士では手に負えない事件が多く、けれどもこの宮廷と東安を守護する仙道士たちをおいそれと派遣するわけにはいかない」


 そこで、と皇帝陛下は力強く言い放った。


「会議の結果、その地方の不可解な怪事件を調査及び解決に導く新たな使職を設けることに決まった」


 皇帝陛下が説明するには、その使職というのは正しくは令外官といい、すでにある律令にとらわれない〝皇帝陛下直属〟の特別職だという。


「孫龍信」


 そして皇帝陛下は信じられないことを告げてきた。


「そなた、余の直属の令外官りょうげのかん――仙道使せんどうしになる気はないか?」

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