「よし倒したぞー、みんなもう大丈夫だー」
離れてこちらの様子を伺っていた領民たちに向かって、クワを手にしたままの手を大きく振った。足元の畑には、頭を落とされた大きなドラゴンの死体が横たわってる。
「さすがギリアムさま、あっという間じゃん!」
「この時期はいつもに増して魔物が増えますからなぁ、領主さまが畑仕事を手伝いながら倒してくださるお陰でわしらも安心できます」
「ギリアムさま、ばんざーい」
口々に俺を称えてくれる皆だが、正直ちょっとこそばゆい。
ドラゴンなんか、このライゼル領では数いる魔物の一匹に過ぎないのだから、このくらいサクッと狩れて当然だもんな。
などと苦笑しつつタオルで額の汗を拭いていると、我が家の執事が仏頂面で近づいてきた。
「ギリアムさま、またお一人で無茶をなさいましたな?」
「え、セバスがそれ言う?」
「ご自分の立場をお考えください。もし御身になにかあらば、ライゼル領は一気に立ち行かなくなってしまうのですから」
「わかったよごめんて。ところでドラゴンの後始末はセバスに任せていい?」
「かしこまりました」
言うと彼は巨体の尻尾を引きずって、一人で畑の外に引っ張り出した。
彼はセバス。長年我がライゼル領に支え続けてくれている老執事だ。
かれこれ60歳になろうという彼の肉体は、服の上からでもわかる筋肉に覆われている。
ムキムキだ。俺の細マッチョ程度とは比べ物にならない。いったいどんな訓練をしたらあんなに筋肉がつくんだ。
「まったくギリアムさまは規格外な自覚がなくて困ります」
「え、セバス、自分のこと言ってる? パンパンの燕尾服が悲鳴上げてるんだけど」
「違います、あなたのことです。単独でドラゴンを倒す領主など聞いたことありません!」
「倒したくて倒したわけじゃない。この種蒔きの季節に畑を荒らされたら、領民が飢えるだろ? 俺が頑張らないと、ライゼルは『破滅エンド』らしいからな」
セバスが呆れたように肩を竦める。いつも心配してくれるのはありがたいが、ドラゴンが悪いんだ。
――このライゼル領は、魔族の領域と隣り合っている上に魔物が跋扈する危険な土地だった。貴族連中の間では『不毛の大地』と呼ばれており、とにかく生きていくのに大変な土地として忌み名を轟かせている。
「お疲れっす、ギリアムさま! お水どうぞー!」
「ありが――」
声に振り向くと、キラキラした笑顔の女の子が水を差し出してくる。――待て、若い女の子!? しかもめっちゃ近い。
「ひえええっ!?」
俺はまるでドラゴンの火炎ブレスを避けるかの如く、三歩どころか五歩後ろに跳び退いた。心臓がバクバク、脂汗がダラダラ。だって女の子の笑顔は俺にとって、ドラゴンの牙より100倍怖いのだから。
女の子はそんな俺を見て、まるでいつもの光景とばかりに肩をすくめると、ニヤッと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「セバスさーん、今日もギリアムさま完全敗北でーす! 記録更新、0秒で逃亡!」
「ふむ、ご苦労さまです。ギリアムさまが女性を苦手なのは、もはやライゼル領の名物になりつつありますな」
セバスが「またか」とでも言うように、チラリ俺を睨む。
ああ、セバス。そのガッカリ顔、俺の心にグサグサ刺さるのだが。
いや、わかってる。俺、ギリアム・グイン、18歳、ライゼルの領主でありながら、女性を前にすると膝がガクガク、声が裏返るどうしようもないヤツなんだ。ドラゴンならクワで一撃なのに、女の子の笑顔には即死級のクリティカルヒット喰らってしまう。
「い、いや、違うんだ! ありがとう、めっちゃありがと! 喉カラカラだったから、マジ助かるよ! 飲む、飲むよ、ガブガブ飲むから!」
必死に取り繕う俺。うん、これは本心! 水、超欲しい! でも、女の子が、
「へー、そうですか? じゃ、はい、どうぞー!」
と、ニコニコしながら一歩近づいてくる。
うおお、待ってくれその無垢な笑顔が俺のHPをゴリゴリ削ってくる。
俺は反射的に一歩、いや二歩後ずさり。コップを受け取る手が、まるで魔物の森で鋼黒竜と対峙するみたいに震える。
ゴクゴクッ!
一気に水を飲み干した。喉の渇き? 癒えた? いや正直、俺の意識は「女の子が近い!」ってパニックで真っ白だ。 味? 知らない。多分、水だった。
「ふぅー……いやー、生き返ったよ、ははは」
なんとか誤魔化そうと笑ってみるけど、セバスが深いため息をつく。
「ふう、こんな状態では先が思いやられます。縁談だって来ているのに」
「縁談? おお、めでたいなセバス。幸せになってくれ式は盛大にいこうじゃないか」
なんだよ急に、そんな良い話を。
俺が幼い頃からずっと家に仕えていてくれた老執事に、俺は祝いの言葉を投げた。これまで色々と世話になっている彼だ、そんなセバスが、ついに結婚と。
ホロリと涙が流れてしまう。
するとセバスは頬を緩ませながら返した。
「私ではなく、ギリアムさまにですよ」
「ギリアムって……あ、俺?」
「はい、あなた様にです」
なにを言ってるのかわからない。
えんだん、エンダン……?
「えええ、縁談! 俺に!? てか、この土地に嫁ぐってのか!?」
「ギリアムさまも十八歳になられました。縁談が来ても不思議ではありますまい」
「いや、待てよ!」
このライゼル領に嫁ぐメリットなんかなにもないだろうに。なにせ『不毛の大地』だよ!?
「第一、俺が女性苦手なのはセバスだって百も承知だろ? 丁重にお断りしてくれよ!」
年頃の娘を前にすると、脂汗が止まらない。ドラゴンよりよっぽど怖い。
「それは致しかねます」
「なぜだ」
「相手がセルベール公爵家だからです」
「は!?」
思わずクワを落としそうになった。
「セルベールって、『あの』セルベール家か?」
「はい、『あの』でございます」
セルベール公爵家――国の権力中枢に君臨する名家。
社交界で恐れられ、教会にまで影響を及ぼす。「セルベールと書いて権力と読む」と言われるほどの存在だ。
「なんでそんな大物が、ウチみたいな貧乏男爵家に?」
格が違いすぎる。向こうの名に傷がつくだけだろ。
「聞き及ぶところによりますと、王都で揉め事があったとか。セルベール家が不利な立場に追い込まれたようです。ご令嬢を遠方に嫁がせることで影響力を下げるつもりかと」
「なるほど権力争いか。巻き込むなよ……」
中央のドロドロは、こんな辺境で四苦八苦してる俺には縁遠い話なはずだったのに。
――だが。
俺は少し考えて口を開く。
「セバス……、ウチはセルベール公爵家に助けられたことがあったよな」
「はい、ギリアムさまがまだ幼いころ。だいぶ昔になりますか、魔族との戦いにおいて資金や武具などを」
「公爵家の支援がなければ、今ごろ我が領地は存続しておるまい」
もう10年以上昔の話だ。
まだ存命だった父について交渉の場に俺も赴いた。
もっとも当時の俺は、遊び気分でついていっただけのクソガキだったんだけどな。
「借りは、返さねばなるまいな」
「はい、ギリアムさま」
「ん。ということは、もしかして縁談の相手ってのは」
「公爵家ご令嬢、ミューゼアさまにございます」
ひえっ、やっぱりそうなるか!
彼女は俺が女性を苦手になる切っ掛け。
片時たりとも忘れたことはない、父について交渉に赴いたあの日のことを。
――あの女の子の『予言』が、今でも耳にこびりついて離れない。
「や、やっぱり断れないかな!?」
セバスは無言で笑顔を向けるだけで沈黙した。
そうだよな、そうだ。わかってる、ここで俺がヘタレたら中央の不興を買ってしまうに違いない。それはきっと、領民たちのためにもならないだろう。
「くそ。俺も男だ、覚悟を決めたぞ」
「公爵家の支援を受け魔族王と戦ったときに比べたら、さしたる覚悟は必要なかろうかと」
いや、あの戦いのときより間違いなく怖い。
怖いけど、俺は領主だ。頑張るしかない。
「我が領地は貧しい。領主自ら領民の畑仕事を手伝うくらいにな。だがせめて精一杯のもてなしで、ミューゼア嬢をお迎えしよう」
◇◆◇◆
セルベール公爵家令嬢ミューゼアが領地に着く日がわかった。
我が町までは魔物が出る危険な森を通る必要があるので、その日、俺は森の前で出迎えることを使者に告げる。
当日は良い天気だった。空を見上げるとぽっかりと白い雲。
ミューゼア嬢を、うまくもてなせるかな?
空を見上げながら振り返る、この日のためにやってきた色々なことを。
領民が祝いにくれた野菜や肉を、ご馳走に仕立て上げた。
お人形さんに向かいながら、女性との会話の練習もした。
鏡に向かって笑顔の練習もしたぞ、おっと髪の毛は整っているだろうか。
うん、用意は万端……だよな?
都から追放され、きっと暗い気持ちでこの地へと赴いているだろうミューゼア嬢にとって、俺とかこの土地が明るい材料になれると良いんだけど。
「うん。頑張らなくちゃな」
両頬を軽く叩いて気合いを入れてると、しばらくしてボロ街道沿いに馬車の姿が見えてきた。
おお。きっとあれだ。待っていると、俺の前で馬車が止まる。
俺は練習した作り笑顔を浮かべながら出迎えた。
「ようこそ我が領、ライゼルに起こしくださいました。私が領主のギリアム・グインです」
「……初めましてギリアムさま。ミューゼア・セルベールです」
ゆっくりと馬車から降り立ったのは、大きなカバンを持った一人の女性だった。確か、十七歳だったか。
緑の瞳に、春の陽光をきらきらと反射する柔らかそうな金色の髪。
白と水色のドレスが、上品で清楚な雰囲気を醸し出している。
「これはこれは、遠いところをお疲れでしょう。ここから森を抜けるまで私が護衛させて頂きます。少し危険な森でして」
「は、はい。ありがとう……ございます」
あれ? なんだろう、ミューゼア嬢が俺と目を合わせようとしない。俯き加減でビクビクしているような。
正直俺も目を逸らし気味で内心はビクビクなので、ある意味で噛み合ってると言えば噛み合ってるのだが。
とはいえ彼女の態度が気になるので、俺は女性から距離を取りたい気持ちを抑えて一歩前に出てみた。
「ミューゼア嬢?」
「ひっ!?」
すると彼女は引きつった笑顔と共に一歩引いた。
「ひえっ!?」
俺もそれに驚き一歩引いてしまう。
そのままお互いが固まった。
あれれ? 女性恐怖症の俺はともかく、ミューゼア嬢も俺に怯えている?
これは想定外。というか昔と少し印象が違うな。
以前はもっとハキハキと自分の考えを述べる方だった気がする。
俺は困って深呼吸。馬車の中にいた侍女らしき女性に挨拶がてら助力を乞おうした。
――のだが。
「それではわたくしどもはこれで」
ミューゼア嬢を残して馬車は走り去ってしまった。残されたのは鞄一つと彼女のみ。
「へ?」
去ってしまった馬車を眺め、俺は目を丸くした。
公爵令嬢に侍女一人も付けず、魔物の森の手前で置き去りとか。まだ町には着いてないのに?
俺は横にいるミューゼア嬢の顔を見た。
「ええと……。これはいったい?」
「…………」
ミューゼア嬢はしばらく俯いていたが。
「私はセルベールの家からも疎まれているのです。厄介払いみたいなものなので、ここでほっぽり出したのでしょう。当然、侍女すらもつきません」
えええ? なんて言葉を掛ければいいんだ。
いや、俺がオロオロして彼女の不安を煽ったらいけない。大きく深呼吸、よし笑顔でいくぞ、女性恐怖症だなんて言ってられない。
「大丈夫ですよミューゼア嬢! この領地にも魔狼肉の串焼きやパパラ米って名物があるんです!」
「パパ、え?」
「パパラ米です! 痩せた土地でも育つ魔族領の人気者で、モチモチのパンが焼けるんです!」
「魔族りょ……?」
ミューゼア嬢が不思議そうな顔で俺を見る。キョトン、と彼女の動きが止まった。
女性に見つめられて目を泳がせてしまう俺。ススス、と視線を逸らしてしまった。
――のだが。
彼女は少しビックリしているようだった。
なんか目を丸くしている気がする。
「あ、あの……!」
「はい?」
「あなたは、本当にギリアムさまなのでしょうか?」
「それは、どういう……?」
どういう意味? 俺は今も昔もギリアム・グイン、それ以上でもそれ以下でもないですよ?
「あ、いえ。こちらの話です。ギリアムさまは怖い方とお聞きしていましたので」
ああ。昔の話だな。
確かに俺は意地の悪いガキだった。
だけど――。
「あ、あの……ミューゼア嬢。覚えて、おられないのですか?」