ミューゼア嬢がライゼル領に来た。
婚約者の彼女とは、屋敷で一緒に暮らすこととなった。
それから数日、町はお祭り状態。畑仕事を休んでまでの大騒ぎだった。
今日も俺たち二人は、お披露目のために町の大通りを練り歩き、領民たちに手を振る。
「みんな、食べてるかー!?」
俺が声を上げると、と歓声が返ってくる。
『ドラゴンの肉、美味しく頂いてますぜ、領主さま!』
『いやいや、お二人こそが、お熱いご馳走だー』
『お幸せにー!』
ヒューヒューと冷やかされ、ミューゼア嬢は赤くなって俯く。俺も女性が苦手なものだから半歩離れてしまう。
俺の女性恐怖症を知ってる領民は、そんな俺を見て笑っていた。
「うるさい領民で申し訳ない」
「いえ、ギリアムさま、好かれてらっしゃいますね」
「そんなこと」
苦笑していると、おばちゃんに背を叩かれた。
「なんだい、この土地をここまで開拓したのはギリアムさまだろ!」
「そうだ、俺たちはギリアムさまを尊敬してんだ!」
「まさかねぇ、あのワルガキがこんな立派になるなんて」
はいそれ、ミューゼア嬢のお陰です。けど今は言わないでおこう、騒ぎが収まらなくなる。
「なーギリアムさまー、今度いつ剣を教えてくれるんだー?」
「最近畑に掛かりっきりじゃーん」
木剣を持った子供らが寄ってきた。
こいつらもドンドン強くなるから、相手するの最近大変なんだよな。
「仕方ないだろ田畑の整備は明日の食糧の為なんだ」
ウチは魔物が多くて他の町から商人があまり来てくれない。基本、自給自足。
このところは作物の出来が良いから平気だけど、ちょっと収穫量が減ればすぐに飢えてしまう。
もうちょっと交易しやすく整備したいんだけど、現状では四ヶ月ごとに冒険者の手を借りて魔物を間引くのが精いっぱいだ。
「ちぇー、奥方さまからもなんか言っておくれよー。子供の稽古だって明日のライゼルの為になるとかさー」
「うふふ、わかりました。私でよければ口添えさせて頂きますね」
「やったー! 話がわかるぅ!」
声を出して喜ぶと、子供たちは木剣を振り回しながら走っていった。
やれやれ忙しない。元気すぎるんだよおまえら。
俺が呆れていると、横でミューゼア嬢がクスクス笑っている。
「どうなさいました?」
「いえ……、良い町ですね」
「あはは、そう言ってもらえると嬉しいです」
よかった。ご機嫌ぽい。
(ほんと、ゲームでは荒れ果てた貧しい領地だったのに)
「はい? なにか仰いましたかミューゼア嬢?」
「いえ、ギリアムさまはお凄いな、と」
「そんなこと」
あるのかな? ちょっとテレてしまうじゃないか。
一歩近づいてきたミューゼア嬢から一歩離れて、俺は頭を掻いた。
町の大通りを何往復かしたあと、まだまだ続きそうな祭りの声を背にしつつ、俺たちは屋敷へと戻った。
夕方だ。玄関に入った俺は、軽くずっと手を振り続けて疲れた肩をほぐしながらミューゼア嬢の顔を見る。
「でも、いきなり『公爵家を叩き潰しましょう』なんて言われたときは腰抜かしそうになりましたよ」
「いえ、あの。……冗談です!」
ミューゼア嬢は笑って答えるけど、あれ? なんか目を斜め下に逸らしてる気が。
どうにも誤魔化しているっぽく見えるのは……いや、俺の女性恐怖症がそう思わせるんだな、うん。
「実家を潰そうなんて、ありませんよね、はは」
「はい、潰すまではいかなくとも――」
目を逸らしたまま、ボソりと呟く彼女。え、なに!?
「なんでもないです! 着替えてきますね!」
彼女はサッと笑顔を作って、めっちゃ足早に去っていった。公爵家の件は冗談……だったんだよね? ね?
まぁなんにせよ、今の我が領には公爵家と事を構える余裕なんて微塵もないけどさ。
ミューゼア嬢は褒めてくれたけど、まだまだ田んぼも畑も改良の最中だし流通も不便。どんどん領地開拓しなきゃならないとこだもの。
夕食の時間がきた。
祭りでも軽く食べたが、基本的には領民と喋るがメインだったのでまだまだお腹は空いている。
今日のためにこの間倒したドラゴンの肉の上等な部分をたっぷり用意した。
ドラゴン肉は魔物肉の中では筋が少なめで美味しい部類だ。領民が喜んでくれるこの肉を、今日はたっぷりとミューゼア嬢に食して頂きたい。
ドラゴン肉に合うハーブも、魔物の森から採取してきてある。
用意万端、仕上げを御覧じろ。この日のために熟成させたお肉です。
食事の下ごしらえは俺がやったが、仕上げはセバスに任せた。
今日の主役は、ミューゼア嬢だけでなく俺もだからね。
給仕られた肉を口に入れてみると、……よし美味しいじゃない?
「如何ですかミューゼア嬢、お味は。今日の肉は俺が下ごしらえをしたのですが」
テーブルの向こうで優雅にフォークとナイフを使っていたミューゼア嬢が、俺の顔を見る。おっと目が泳いでしまった。頑張って女性に慣れなきゃな。
と、俺が自分に言い聞かせていると、彼女は鈴のような声で感心したように笑った。
「ギリアムさまはご領主さまなのに、ご自分でお料理を?」
「は、はい。魔物狩りの後とか、領民と一緒に調理を始めたのが切っ掛けで」
あああ。声が上擦る。
早く慣れていかないとミューゼア嬢にも失礼だよなぁ。
「なんでも祭りにする街だから、俺もセバスも料理は得意なのです。食べたい物があれば遠慮なく言ってください、肉でも肉でも肉でも穀物でも、俺が美味しく仕上げて差し上げますので」
「うふふ、ありがとうございます。このお肉も実にダイナミックな大きさで」
ゴホン、とセバスが咳払い。
(ギリアムさま。ご婦人に肉ばかり薦めるのは如何かと……)
背中越しに、小声で言ってきた。
なぜだ、肉とても美味しいじゃないか。もりもり食べられる。
「ここは魔物が多いので、魔物肉だけはよく獲れるのですよ。今日のこの肉もそうです」
「道理で。これは初めてのお味だと思いました」
にっこりミューゼア嬢。気に入って貰えたのかな?
「お代わり要ります?」
「いえ、あの……、もうお腹いっぱいでして」
「遠慮は要りませんミューゼア嬢、この野菜をたっぷり薬味にすると、これまた違う味わいで――」
セバスに背中を小突かれた。痛い。
(ギリアムさま、空気読んでくださいませ。もうミューゼアさまはご満腹のようですよ!)
え! そうだったの!? まだ全然食べてないじゃない。
こ、これが女性……!
「失礼しました。たくさん食べて頂きたくて、つい多めにしてしまいました!」
「お気になさらぬようギリアムさま。美味しかったですよ?」
「あ、はい」
やってしまった、話題を変えよう。予定より早いけど、ここは贈り物作戦を決行する。女性への贈り物は男の甲斐性だと聞き及んだのである。俺が吟味したこの品物、きっと満足して頂けるに違いない。
「じ、実はミューゼア嬢にプレゼントしたき物があるのです」
「まあ嬉しい。いったいなにでございましょう」
「これです」
見よ、俺の甲斐性!
俺は用意しておいた一メートルほどの長箱を食卓の上に置いた。
「これは……随分と大きい。重さもかなり……。開けてみても?」
「もちろんです」
「では失礼して。――え? あの、これ?」
「剣です。ここは魔物が多い土地ですので」
ごふっ! またセバスの拳が背中に!
(ご令嬢に剣をお贈りする男がおりますか! まったく、なにをゴソゴソ選んでいたのかと思えば!)
ひえ。セバスの声に怒気と呆れが入り混じっている。
俺またなにかやっちゃいました!?
だってこの土地はどうしても魔物が多いのだ。剣は必要じゃないか。
「け、剣が苦手なら俺がお教えますよ?」
「そういう問題じゃありません坊ちゃん! ミューゼアさまが目を白黒させてます!」
坊ちゃん呼びはセバスの感情が昂った証拠だ。
え、それほど?
「セバスさま、それくらいで。ギリアムさまのお気持ちは頂きました」
彼女がクスクス笑う。庇ってくれるなんて優しいな。
「す、すみませんでしたミューゼア嬢。良い剣を選んだつもりだったのですが、剣なんか女性向けではなかったのですね」
「いえ、大丈夫ですよギリアムさま。私、剣を振るのは好きですから」
「え?」
「少し、中庭に出ませんか?」
促されて、俺たちは中庭へと移動した。
俺が贈った剣を、ミューゼア嬢は握っている。
「それでは失礼しまして」
彼女が剣を構えた。
おおお? これはだいぶ見事な構えなんじゃないか!?
あくまで俺の目から見ての話だけど、隙が見えない。
「はっ!」
気合と共に剣を振るい始めるミューゼア嬢だ。その動きは滑らかで、流れる水のよう。柔らかい剣技だった。それでいて、端々に鋭さもある。
「ふっ! やあっ!」
動きが激しくなってくる。流派などに詳しい俺ではないが、彼女の剣はきっと都の剣なのだろう。洗練されていると思った。それに、いや、あー、……なんかだんだん言葉が出なくなってきた。目を奪われてしまう。
綺麗だな彼女。
どれほど経ったろう、剣舞が終わりを告げた。
どうにも見とれてしまっていたようで、ぼんやりしてしまっていた俺は、ふと我に返る。
気がつくと、上気した顔でミューゼア嬢が俺の方を見ていた。
「どうでしょうか……?」
あんなに見事な剣を披露しておきながら、彼女はどことなく自信なさげな上目遣い。
「いや、凄いでしょ。なあセバス!?」
「はい。見事なものと感心致しました」
「ほ、本当ですか」
本当だ、見とれてしまった。
長い年月を費やしたことがすぐにわかる、立派な剣だった。
「そう言って頂けると嬉しいです。……いざと言う時には自分の身は自分で守れるように、と必死でしたので」
嬉しそうに微笑んでから、改めて彼女は俺の顔を見た。
「なので、剣をお贈り頂けたことは本当に嬉しいのですよ。お肉の話だって、ギリアムさまが一生懸命に私を持て成そうとしてくださってたことは伝わります。不器用ながらお優しい方だと、私、久しぶりに心が安らぎました」
「そ、そう? よかった」
俺はホッと胸を撫で下ろす。
これは一応、持て成すことに成功したと言っていいのではなかろうか。
頑張った、俺。よくやった俺。この調子で女性恐怖症も克服していきたいものだ。
「そうだミューゼア嬢、返礼代わりに俺も一つ剣を披露させて貰いますよ」
といって俺は、中庭に置いてあった木剣を手に取った。
俺も剣を振るのは大好きだ。
もちろん人が剣を振るのを見るのも気持ちがいい。特に今日は、彼女にとても良いものを見せて貰えた気がする。
だからこの人には、ぜひ俺の剣も見ておいて貰いたい。
なんだろうな、こんな気持ちになったのは初めてかも。きっとこれは、俺なりのお近づきの印、というものだ。
「セバス」
「はいギリアムさま、わかっております。ミューゼアさま、こちらへ。離れませんと、危のうございます」
「え、こんなに? もう相当離れましたが……」
「はい。そんなに、ですな。というかもっと離れませんと」
二人が離れていく。
さてこの中庭、今さらだが草も木も生えていない。
丸だしの土が地面となっている、景観もへったくれもない庭だった。
なぜか。
それは、時折俺が、ここで剣を振るうからだ。
「やりますよー」
二人に声を掛ける。俺は木剣を握りしめて跳躍した。
「必殺!」
木剣を振り上げる。
「
土が舞った。地面にまた大穴が開く。
衝撃波が中庭に面した窓という窓をビリビリと震わせた。魔法で強化された特注の窓ガラスだ、これで割れることはないだろうが思いっきり技を繰り出したら、それもどうだかわからない。
また中庭の整備が必要だ、当面使い物になるまい。
だけど返礼だからね。あくまで中庭で見せられる範囲の技だけど、しっかりとミューゼア嬢には見ておいて貰いたい。
「どうですか、俺の剣は?」
ニコニコと、振り向いてみると顔を真っ青にしたミューゼア嬢がいた。
あれれ? 笑顔で褒めて貰えるかと思ってたのに。
ちょっとがっかり気分を味わっていると、彼女が呟くように言った。
「その技……
「おや。なんで知ってるんですか、これ自己流の技なんですが」
「ゲームの主人公が、最終盤で覚える必殺技……ですよ?」
「はい?」
ミューゼア嬢はたまにわけのわからないことを言うよな。
「ゲーム世界の
「ああ、その破滅エンドっていうのが俺も昔から気になっていて」
そうなんだよな。
子供の頃にミューゼア嬢が俺に言った言葉は的確すぎた。
あのままだと俺は確かに、自分が背負わねばならない責任から目を逸らし続けただろう。魔族との戦いにも負け、田畑は育たず、不毛の大地の中で俺はジクジクと世を呪うだけの空しい人間になっていたに違いない。
そんなのはイヤだ、と俺は奮起した。
変わろうとしているうちに、領民たちの苦しみを知った。当時の彼らは、不毛のライゼル領の中で世を呪っていた。彼らと俺は同じだと思った、全てを諦め大変なことから目を逸らし、その日の快楽を求めて暮らす。
彼らを変えてやれるのは俺だけだ。そう思った。絶対に、俺は彼らと共に変わってみせる。あの日から、俺は領地の開拓を真剣に考えだしたのだ。
俺に、そこまでの決意をさせたミューゼア嬢。
「なぜあなたは、そんなに色々なことを知っているのですか?」
思わず俺は訊ねたのだった。