決戦の準備が整ったとの知らせを受けたとき、咲梨はホッと胸を撫で下ろさずにはいられなかった。
予想される敵の攻撃に対して取れる対応策はひとつしかなく、もしそれが間に合わなければ、少なくとも陽楠市は戦場となり、間違いなく焼け野原になっていただろう。
日頃から円卓や組織を嫌悪している咲梨だが、このときばかりは彼らの迅速な仕事に心から感謝していた。
早速仲間を招集して隣街にあるシティホテルに直行すると、屋上のヘリポートから円卓のヘリに乗って目的地へと飛んだ。
そこは周囲を海に囲まれた緑豊かな無人島だ。
日本はもともと無人島の多い国だが、その中でもここは航空機や船舶の航路から外れた場所で、地図にも載っていないとのことだ。
ヘリが着陸して、白い砂浜に降り立てば、眩い陽射しと潮の香りが一行を出迎える。ふり返れば絶えず打ち寄せるゆるやかな波が砂浜を濡らし、透きとおった水面はエメラルドの輝きを見せている。当然ながら大気も澄み渡っているらしく、彼方の水平線がくっきりと見えていた。
こんな美しい場所を戦場にするのは気が引けるが、今回は他に方法が思いつかない。そして、それ以上に気が引けるのは自分が立てた作戦だ。
この島の中央部には堅牢なシェルターが用意されていて、そこには陽楠市内から集められた神隠しの被害者達が運び込まれている。彼らはなんの説明も与えられぬまま、魔術によって眠らされていて、術を解除しない限りは、たとえ殺されても目覚めることはない。
当然ながら彼らは囮だ。
キーア・ハールスが神隠しの被害者を目印にしてゲートを開くことが判明した以上、これで敵はこの地にしか降り立てないはずだった。
さらには現れた敵がどこにも行けぬように、島の周囲には円卓お抱えの魔法使い三名と、世界各地からスカウトされた三名の魔法使いの計六名が力を合わせて、歴史上でも希な強度を持つ結界を張り巡らせている。
すべては最悪の事態を回避し、セレナイトに逆撃を加えるためだが、被害者を囮に使うのは咲梨の主義に反していた。
しかも、セラフが現れたならばシェルターを守り切れる保証はどこにもない。
決戦に参加する戦力は地球防衛部に加えて、アーサーを含む十二騎士が五名。選りすぐりの騎士が二百名、五十人の魔術師と前述した魔法使いが六名となっている。
アーサーが言うには、これは現状で望み得る最大の戦力とのことだ。
もちろん頭数だけならば、この十倍でも余裕で揃えられるのだが、生半可な実力の持ち主では
咲梨は仲間と共に、ひとまず自分たちのために用意された仮設テントに移動して一息つく。やるべきことはいろいろあったが、まずは装備の点検からだ。
全員がカバンを開いて荷物のチェックを始めていると、背後から聞き慣れない声が響いてきた。
「さあ、荷物を置いたなら、早速海に繰り出そうぜ! どこまでも広がる大空! 綿毛のような白い雲! キラキラと輝く青い海! これぞ青春だ!!」
一同がふり返って、そちらを見やると、どこか子供っぽい笑みを浮かべた海パン姿の男が立っていた。
咲梨は果てしなく脱力したが、たぶん仲間たちも同じような顔をしているはずだ。
そんな周囲の反応はどこ吹く風で海パン男は白い歯を輝かせる。
容姿だけ見るならば、躍るような銀髪と緑の双眸を備えたなかなかのハンサムだが、熱苦しい笑みを浮かべながら拳を天に向けて突き上げる姿が、すべてを台無しにしている。
「……誰?」
華実がつぶやく。
「たぶん、通りすがりのモブだ。名前はあるけど覚えなくていい」
淡々と千里が無情なことを言うが、それすら海パン男は気にしない。
「さあ、美しいお嬢さん達、俺と一夏のアバンチュールと洒落込もうじゃありませんか」
訳の分からない展開に咲梨は助けを求めるように仲間を見たが、華実と火惟も咲梨と同じようにゲンナリとしている。
真夏は最初から無視しており、希枝はいつもどおりの無表情だ。千里だけが注目していたが、おそらくあれは珍獣を見る目だろう。
頭を抱えている北斗はなにか知っていそうだが、咲梨が問い質す前に、別のところから助け船が出された。
「なにをしている?」
その不機嫌極まりない声は海パン男の背後から聞こえてきた。
円卓十二騎士のひとり、マーティンだ。
彼らしくもなく虫でも見るかのような形相だったが、海パン男は動じることなく気安く声をかける。
「よお、マーティン。お前もナンパか?」
「こんな所でナンパなどする奴があるか!!」
「場所なんて関係ないさ。そこに麗しい乙女がいれば、ひとまず声をかける。これは騎士以前に男としての礼儀なんだからさ」
「何が礼儀か! ただの煩悩だろうが!」
「だが良い煩悩だ」
「良い煩悩などあるか!」
「だとしても俺は清濁併せ飲む男なんだ」
「自己肯定に使う言葉ではないわ!」
怒鳴りつけて荒い息を吐くマーティン。
咲梨はとりあえず質問した。
「ねえ、マーティン。その人って……」
訊かれたのはマーティンだったが、彼が反応する前に海パン男が、くるりと振り向いて答えてくる。
「俺はカーライル・ライル! 円卓十二騎士の一人だ」
「十二騎士……?」
驚いたというよりは疑いの眼差しで華実が問い返す。
「すまん。否定したいが、否定しようのない事実だ」
苦々しげにマーティンが答えた。そこに向かって千里が告げる。
「いや、大丈夫だ、マーティン。お前ならきっと否定できる」
バカげたこの発言にマーティンは神妙な顔で答えた。
「そうか?」
「ああ」
「なるほど、それならば努力してみるか。この男は十二騎士などでは……」
「いやいやいやいや! いらん努力すんなよ!」
カーライルが焦ったように言う。
「俺は正真正銘十二騎士の一人――」
「その名も海パンのライライだ」
千里が勝手に付け足す。
「違う! 俺にはちゃんとカッコイイ二つ名が――」
「そう、海パンのライライだ」
冷たくマーティンにまで言われて、カーライルは裏切られたような顔で彼を見た。
「お、お前、なんか辛辣度が上がってないか?」
「とにかくテントに戻れ。我々は遊びに来たわけではない」
「戦士にも休息は必要だろ!」
「戦う前から休息を取ろうとするな」
「けど、見ろよ、マーティン。この美しい景色を」
カーライルは周囲を手で示して言い募る。
「戦いのあとじゃ、みんなメチャクチャになって、とても海水浴なんてできないぞ!」
「海水浴ができる場所など他にいくらでもあろう」
「そうじゃない。俺が言いたいのは、これから失われてしまう、この美しい景色のためにも、みんなで楽しい思い出のひとつも作るべきだってことなんだ!」
「なるほど」
意外なことにマーティンはあっさりうなずいた。
「よし分かった」
「分かってくれたか」
期待に満ちた目を向けるカーライル。
「では君たち、我々に代わって、ここはひとつ、この島で思い出作りをしてくれたまえ。残念だが、我々にはミーティングがある」
咲梨達に告げると、マーティンはカーライルの腕を乱暴につかんで、容赦なく引きずり出した。
「お、おいっ、そりゃねえだろ!?」
「黙れ。羽を伸ばすのは若者の特権だ」
「俺らも若いって!」
主張するカーライルだったが、マーティンは聞く耳持たず、そのままカーライルを引きずって遠ざかっていく。
「……大丈夫なのか、あの男?」
火惟は本気で心配そうな顔をしている。。
「御前試合でレジナルドを撃ち破ったほどの手練れです。性格はともかく戦いでは心強い味方ですよ」
北斗が答えた。円卓の構成員だけあって、さすがにその手のことには詳しいようだ。
「いちおうは僕も円卓の一員ですし、一度向こうに顔を出してきます。みなさんは自由に遊ぶなり泳ぐなりしておいて下さい」
笑顔で告げたあと北斗もマーティンの後を追いかけていった。
「海水浴か……」
嬉しそうな目を海に向ける火惟。
「遊びに来たわけじゃないわよ」
真夏が窘めるように言ったが、それに千里が異を唱えた。
「だが、水着回は重要だ」
「水着回?」
首を傾げる真夏に千里はとことん真顔で答える。
「いわゆるテコ入れだ。視聴率にも影響する」
「そうだぞ、少女坂。意味不明のことを言っている秋塚の言うとおりだ」
怪しい同意のしかたをする火惟。
「だいたい、部長も水着を持ってくるようにって言ってたじゃないか」
話をふられて咲梨は慌てたように説明する。。
「まあ、せっかく南の島だから、機会があればと思っただけで、決して軽い気分じゃ……」
「今がその機会です、部長」
拳を握りしめて主張する千里。表情は今ひとつ気が抜けているが、とりあえず力説のポーズだ。
「わたしはこの青い世界にダイブしたい。そしてみんなでワイワイはしゃいで思い出を作るのです。しかし、そんな中突然襲い来る敵の群れ。わたし達はなんとか着替えをすませるも、華実だけ間に合わずに水着のままバトルに」
「なんで、わたしだけ!?」
抗議する華実。その肩を真夏が軽く叩く。
「大丈夫よ、華実。あなたのことは、わたしが絶対に揉み揉みしたり、すりすりしたり、ペロペロしながら必ず守ってあげるわ」
「それってあなたが違う意味でわたしを襲ってるでしょ!?」
自分の身を庇うようにしながら抗議するが、真夏は遠慮なく華実に抱きついている。頬を赤らめつつ嫌そうにしている華実だが、それでいて振り解こうとはしていない。
希枝は先ほどから無言だが、その目がチラチラと海に向けられていることに咲梨は気づいていた。
(思い出作りか……それも悪くないわね)
苦笑しつつ咲梨は全員に告げる。。
「それじゃあ、みんな。マーティンもああ言ってくれたことだし、少しばかり遊ぶとしますか」
「おおっ!」
火惟が嬉しそうに声をあげ、千里が小さく微笑む。希枝はもちろん、華実と真夏からも反対意見は出なかった。
「ただし、疲れを残すほど、はしゃいじゃダメよ」
「りょーかい」
冗談めかして敬礼する火惟。他の面々も、それぞれにうなずいて着替えるためにテントへと足を向けた。