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第104話 はじめまして

 暑い毎日が続いていた。見上げた空はどこまでも高く青い。思わず手をかざすと、そのまま小一時間は時を忘れそうなので、それはやめにした。

 千里は紙袋を手に歩き慣れてきた道を辿って商店街にある親友の家を目指す。

 小さな町だけあって夏休みともなると見知った顔に出会うこともあった。


「よう、転校生」


 などと気さくに声をかけられる度に、戸惑いながらも軽く手を挙げて返事をしてみせる。

 終業式に一度顔を合わせただけなのに、よく覚えているものだ――なんてことを千里は考えていたが、その容姿を思えば当然のことだろう。

 夏の太陽はこれでもかというほどに照りつけてきていたが、千里はこれをまるで苦にしない。それでもセミの鳴き声をエールにして頑張っている太陽の努力を認めて、一度だけ足を止めてそちらを見上げた。


「無駄だ。わたしには単機で大気圏に突入できる性能があるのだよ」


 もちろんアニメを元にしたネタだったが、たぶんやろうと思えば本当にできる。もちろん、そんなことをしなければならないような事態になど遭遇したくはないが。

 そんな感じで軽い一人遊びを交えつつ歩いていくと、目的の武蔵果実店が見えてきた。

 食欲を刺激するカラフルな果実を眺めながら店内を覗き込むと、すっかり顔なじみになった店主が声をかけてくる。


「いらっしゃい。娘なら上にいるから勝手に入って構わないよ」

「お邪魔します」


 礼儀正しく頭を下げると、一度裏口に回って、そこから家の中に入る。毎回、靴をきちんと揃えて上がるので、この家の人からは育ちの良い娘だと思われているようだった。

 他人の家というものは不思議と独特なニオイがするものだ。それはこの世界にやって来て初めて知った小さな驚きのひとつだった。思えば向こうの世界ではニオイなどあまり気にしたことがなかった。

 古いが手入れの良く行き届いた家の中を歩いて、二階へと続く階段を上る。

 幸美の部屋は冷房を入れているらしくドアが閉ざされていたが、千里はうっかり、ノックを忘れてそのまま開けてしまった。

 室内の住人達が驚いてこちらを見る。


「あら、秋塚さん。やっと帰ってきたのね」


 声をかけてきた人物の片割れ――武蔵幸美は、すぐに軽い驚きから立ち直ったが、もう一人はリンゴに齧り付いたまま凍りついたように固まっていた。


「ただいま。隣の駅でお土産買ってきた」


 千里が告げると、幸美は少しだけ眉根を寄せる。


「いや……それはまあ、そうなんだろうけど、そこは普通、誤魔化すものじゃないかしら?」


 少し考えて、千里は言い直す。


「異世界の月でお土産買ってきた」

「それだと正直と嘘が混ざって意味不明よ」

「月面都市で拾った石もある」

「月の石とはまた微妙に違うわけね」


 これには興味を惹かれたのか、幸美は素直に受け取って、色んな角度から眺め回している。


「ところで、そちらの人は?」


 千里はわざとらしく、隣の少女を指さした。

 白銀の髪とサファイアのような青い双眸。この世界の人間は色濃いアイテールの影響で、日本人であっても髪や瞳の色はカラフルだが、それでも人種的な特徴は存在する。そいつは見るからに白人だった。

 だが、幸美は日本名で紹介する。


「この娘は春守はるす愛綺あきさん」

「ほほう……ハルスアキね」


 流し目など送りつつ口にすると、そいつはリンゴを口から離して頭を下げた。


「は、初めまして、春守愛綺です」

「うん、初めまして」


 含みのある目で返すと、愛綺は傍らに置いてあったとんがり帽子を目深に被って顔を隠そうとする。


(いや、その帽子を被ったら、かえってバレバレだろ)


 とは思ったものの、面白いのでツッコミを入れるのはやめておいた。

 事情を知らない幸美は、ごく普通に説明してくる。


「この人、道端で力尽きて眠りこけてたのよ。それでとりあえず、連れて帰ってご飯を食べさせてあげたんだけど」

「家はどこなのかな?」


 意地悪く問うと、自称、春守愛綺は分かりやすく慌てふためいた。


「ダメよ、秋塚さん。こういう時は、なにか深い事情があるに決まっているんだから」


 理解のあることを口にする幸美。

 確かに深い事情ならありまくる気がするが、そんな不審人物を気軽に家に泊めてもいいものなのか。

 だが、そういうところが幸美らしいとも思えた。


「そういえば少女坂さんは一緒じゃないの?」

「真夏は里帰りしてるから」

「そう……」


 それだけで察したらしく、幸美はやや目を伏せた。


「ところで今回の事件の詳細を幸美にも語ろうと思う。とくに邪悪な魔女キーア・ハールスについて詳細に」


 宣言すると春守愛綺が怯えたように縮こまった。


「ひぃぃぃっ」


 情けなく悲鳴を漏らしていたりもする。


「べつにいいわよ。みんなで世界を守って帰ってきたっていうのなら、それ以上望むことなんてないもの。たぶん、誰かの傷に振れる話になりそうだしね」


 めずらしく物わかりの良いことを口にする幸美。


「じゃあ、バトルシーンだけでも。真夏対巨大怪獣とか、一見、燃える展開もあるよ」

「一見なんだ?」

「うん。真夏はぜんぜん本気を出してなかったし」

「え~~~~~~っ!?」


 声をあげたのはなぜか愛綺だった。いや、どう見てもキーア・ハールスその人なので、なぜかなどとは本当は毛ほども感じていないが。


「あれで本気じゃないってどういうことですか!?」


 正体を偽っていることも忘れて食いついてくる。


「真夏が本気になったのは人造人間達と戦ったときだけ。本気の時は髪が緋色になるから一目で判る」

「マジですか? 彼女って何者なんですか!?」

「そんなことは気にするだけ無駄よ」


 幸美が答える。愛綺と千里が顔を向けると、幸美は桃の皮など剥きつつ、何気ない調子で続けた。


「わたしみたいな一般人にとっては、人造人間も魔女も想像の埒外だったけど、出会って言葉を交わせば仲良くなれる。でも、仲良くなったところで、その存在については、いつまで経っても理解できないわ。だからって、そんなことを、いつまでも気にしたって始まらない。大事なのは、その人達がわたしにとって大切な友人だってことの方だもの」


 しばらく無言だった愛綺は、唐突に幸美の手を両手で包み込むと涙を流しながら告げた。


「心洗われました! わたしは生涯あなたにお仕えします!」

「居着くつもりか、宿無し」


 千里が言ってやったものの、愛綺は知らん顔をしている。

 幸美は助けを求めるように困り顔を向けてきたが、千里は首を横に振って応えた。この魔女が意外に本気だというのが、なんとなく解ったからだ。

 とりあえずお皿に手を伸ばすと幸美が皮を剥いていた桃を手にとって齧り付く。

 瑞々しい香りとともに甘みが口いっぱいに広がって、頬が落ちそうという表現を実感として感じる。

 命溢れる大地だからこそ、この果実を育んだのだと思うと実に感慨深かった。

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