その慰霊塔は往時市の山裾にひっそりと佇んでいた。
ほんの一年前までは大きな武術道場を備えた少女坂邸が在った場所だ。
再建はされておらず、白いフェンスで囲まれた敷地は美しい庭園に生まれ変わっていた。
もちろん、ここは霊園ではなく、ここで亡くなった人たちの墓地は、それぞれの身内が管理している。
それでも真夏が訪れたのは、ここだった。
澄み渡った大気の中、夏の陽光を浴びて微笑む真夏は白いブラウスに紺のスカート、白い麦わら帽子というラフな格好だ。仮にここが墓地であったとしても、格式張った礼服などで故人に会いに行くつもりはなかった。
記憶の中のものとはなにもかもが変わってしまっていたが、瞼を閉じれば大切な人々の顔ぶれが自然と浮かび上がってくる。
真夏は忘れていない。
家族と、友と、仲間と過ごしたかけがえのない日々を。今も胸を熱くさせる数々の思い出を。
瞼を開いて慰霊塔を見上げると、山から吹く涼しげな風が頬を撫で、長い黒髪を躍らせた。
何気なくそちらに顔を向けると、あざやかな青の世界が悠久を感じさせる広がりを見せている。
真夏はくすりと笑うと、ここにはいない人々に語りかけた。
「大丈夫よ、涼香。わたしは変わらない。いつまでも、あなたが愛してくれたわたしのまま生きていく。あなたがくれた情熱が、みんながくれた情熱が、いつだってわたしを突き動かしているのだから」
あの日、血に濡れた庭園で、すべてを失った真夏は絶望して立ち尽くしていた。少なくとも、彼女自身はそう感じていた。
それでも千里を守るために身体が動いたのは、自分の中に宿った人々の想いに突き動かされたからだ。
他の誰を裏切れたとしても、愛する人々を裏切ることはできない。
その事実に気づいたとき、真夏は初めて理解した。
空っぽの手の平を見つめながら、今一度その時に感じた想いを口にする。
「――たとえ、手の中に残らなくても、すべてが消えてなくなったわけじゃない」
だから真夏は絶望しなかった。
消し去ることのできない寂寥と、止むことのない慟哭を抱えても、その程度のことで自分らしさをかなぐり捨てては、それこそ自分を愛してくれた人々に合わす顔がない。こうして、ここに来ることもできなかった。
しかし真夏は変わっていない。これからも変わることはないだろう。
肩には今も愛刀を収めたバッグを掛けていて、必要とあらばいつでもそれを抜いて戦う。やさしい誰かを守るために、あらゆる悪にとっての悪夢となる。
無理をしているわけではない。それは真夏にとって自然な生き方だった。
「それじゃあね、みんな。今度は千里も連れてくるわ」
簡単に別れを告げて慰霊塔に背を向けると、迷うことなく歩き始める。
庭園の脇には燃えるような赤い花が風に煽られて彼女に手を振るかのように揺れていた。