どれくらいのひまわりを見ただろうか。
わたしの涙もとうに枯れ果てた。
あの鏡は、わたしに幸せな笑顔を見せてはくれなかった。
今日も太陽が照りつける。
弟の賢治にひまわりを見せてるさくらは、すっかりお姉ちゃんの顔をしてる。
「お母さん!ひまわりに届かないよ!」
さくらは毎年同じことを言う。
きっと賢治もさくらの真似をするのかもしれない。
時の流れが感じる。とても穏やかに。
「光子。客だよ」
縁側から顔を覗かせた健一さんが、少しだけ笑った。
「誰かしら」
「君の、昔の友達の友達らしい」
玄関に向かうと、痩せこけた軍服姿の男の人が立っていた。
「あなたは?」
「小笠原光子さんですね?」
わたしを旧姓で呼んだその声に、胸の奥が少しだけ震えた。
「田中一平とは戦友でした」
一平‥‥!?
名前を聞いただけで、張りつめていたものがほどけてしまいそうだった。
一平のことで、来てくれたの?
生きてるの?でも、どうして、わたしに?
パニックになるわたしに、その方は現実を突き出した。
「彼から生前、あなたとのことを伺ってました。生きて帰ったら、胸を張りたい、と」
‥‥生きてると勘違いした。
そんなわけないと分かってても、やっぱり生きててほしかった。
「‥‥遠い戦地でしたので、戻ってきたのは数日前です。これを、あなたにお渡しするのが1番良いかと思いまして」
渡されたハンカチを震える手で開くと、片割れの鏡だった。
「それでは、これで」
引き止める健一さんの声が聞こえる。
涙がポトポトと、頬をつたい、鏡に落ちていく。
汚れて血がついてしまってるけど、欠けてなどいないようだ。
「大事にしてくれてたんだ」
胸にしまっていたもう片方の鏡を取り出す。
戦地から帰ってきた鏡と、静かに向き合うように並べる。
ふたつがぴたりと合わさった瞬間、わたしの中の時もまた、音もなく重なった。
泣き顔のわたしが映ってる。
怒られるよね。「泣くな」って言うよね。
その時、隣に現れた健一さんが、無言でスッとセロハンテープを差し出した。
「一つにしたらどうだ」
それだけ言って健一さんは、さくらと賢治を呼ぶと、また庭へ戻っていく。
戦地から帰ってきてくれたんだね。
ねえ、泣いてないよ。知ってるでしょ?
鏡を通して、見てるって、言ってたものね。
あなたが戦地に行って、わたしは守られたよ、ありがとう。
「もう泣くことはないから、ずっと見ててよ。この鏡に笑顔をいっぱい届けるから」
セロハンテープで鏡を一つにすると、化粧台にしまった。
一つの思い出が、わたしの中で終わりを告げた。
でも、わたしの中で、とっくに終わらせなければならなかった。
あなたが結婚すると知った日。
さくらが生まれたあの朝。
それでも忘れられなかったんだ。
「一平。また会おうね」
鏡に映ることがない涙が溢れていく。
きっとこれが最後だと思うから。
最後だけ泣かせてね。
ごめんね、襖の向こうで見守ってくれてる健一さん。
本当にこれが最後だから。
もう、大丈夫だから。
もう少しだけ待っててください。
一平の笑顔が脳裏をかすみ、消えていく。
国のために消えていった命を、わたしは、忘れないから。
そしてわたしも健一さんと、この国のために、大切な我が子を育てていくから。