目を開いたら森の中だった。
気配が、知っている森と違う。
生き物や、それ以外の気配を雑多に感じる。
なのに何故が、生が息を潜めて静まり返っている。
「ここは、どこだ。俺は、何をしていた……」
手には小刀が握られていた。
(あぁ、そうだ。依頼をこなしていた。安土城から薬研藤四郎を盗み出す依頼だった)
獲物が手元にあるのなら、盗みは成功したのだろう。
草である自分は、依頼のたび、主が変わる。
仕事が終わり、次の仕事が入れば、昨日まで主だった相手が暗殺対象にもなる。
当然、草が命を狙われる危険もあるワケだ。
(殺されかけたのか? しかし、怪我はしていない。刀を手にしてからの記憶が曖昧だ)
そんなことを考えながら、周囲の気配を探る。
やけに禍々しく、だのに大きくない殺気を感じる。
(随分と注意深く探るのだな。これでは簡単に殺せてしまうが)
殺気に反して力が小さいせいか。
仕掛けてくる気があるのかないのか、わからない。
(依頼と保身以外の殺しはしない。故に、殺さない)
それが草としての矜持だ。
起き上がったら、何か飛んでいた。
持っていた小刀で撥ね退ける。
撥ね退けたつもりが、纏わりついた。
粘り気のある蔦のようなものが、手と刀に絡まっていた。
(初めて見る性状だ。こんな植物は見たことがない。それに、生気を帯びている)
纏わりついた蔦は生き物のように動いた。
次の瞬間、胸を貫いた。
(速い。しかし、痛みを感じない……!)
胸を貫いた蔦から、強い生気が流れ込んできた。
「あっ! ……ぅっ…」
体中が熱い。心臓がやけに揺れる。鼓動が速くなる。
「はっ、はっ、はっ」
息が上がって、立っていられない。
思わず、その場に膝を付いた。
「中々に自我の強い人間だ。脳を喰らって体を乗っ取ってやろうと思ったが、無理そうだな」
木陰から、人の形をした生き物が現れた。
(あれは、人ではない。何か違う生き物だ)
感じたことがない殺気と生気。
おおよそ、人のモノとは思えなかった。
持っていた小刀で、蔦を切る。
後ろに飛び退いて、距離を取った。
その姿を眺めた人ではない生き物が、感心した顔をした。
「ほぅ。吾に魔力を流されながら、自我を保ち、機敏に動くか。面白い」
人の男のような顔をした生き物が、ニタリと笑んだ。
伸縮性のある蔦が、襲い掛かる。
その男が操っているのだとわかった。
(小刀では分が悪いか)
背中の刀を腰に降ろす。
低く構えて、閃光を走らせた。
襲い掛かった蔦が総て、細切れになった。
「ふむ、曲芸として、悪くない。なれば、これはどうか」
ばさりと、木々の葉が揺れる音がした。
沢山の鳥が一直線に飛んでくる。
それもすべて切り刻んだ。
「躊躇がないな。良い動きだ。では、次だ」
男が手を翳すと、たくさんの兎が襲い掛かってきた。
それを刻んでいる間に、次は牛のような生き物が突進してきた。
知っている牛とは違う、もっと大きく、角が多い。
猪のように、見えなくもない。
(禍々しい気、妖怪の類か。アレも、あの男が操っているのか)
兎の首をはねて、飛び上がる。
頭上から回転し、牛の首をはねた。
「これを仕留めたら、認めてやるぞ、小僧」
大して年の違わなそうな男が、見下したように顎を上げる。
(不思議な妖術を使う。あの男は、やはり妖の類か)
男の後ろから、若い女が飛び出した。
「お願い、助けて! あの男は貴方を殺そうとしている。私と一緒に、ここから逃げて」
女が駆け寄り、縋ろうと手を伸ばす。
刀を横に一閃、振り薙いだ。
「助けて欲しくば、殺気を収めることだ。殺めようという相手を救う器量はない。すまんな」
抜刀した刀をかちり、と収める。
空気が揺れて、女の首が地面に落ちた。
体が草むらに倒れ込む。手には匕首のような短い刀が握られていた。
その体が黒い煙になって掻き消えた。
一通りを眺めていた男が、パチパチと拍手した。
「素晴らしい。期待以上に使えそうだな」
歩み寄ろうとする男を、刀の切っ先で制した。
「何のために俺を試した。俺の中に何を流した」
「流したのは吾の魔力。乗っ取るつもりで流したが、逆にお前に吸われた」
男が胸に手を当てる。
いつの間に、刀を飛び越して真ん前にいた。
(全く動きが見えなかった。飛んだ? いや、まるで、空間を切り取って移動したような)
男が服を捲って、勝手に胸を露にする。
「よせ、何を……。待て、これは、なんだ」
自分の胸に、さっきまでなかったものがある。
硬い鱗のようなそれは、胸に埋もれて外れそうにない。
「吾の一部だ。吾の力の一部が、お前のモノになった。奪うつもりが、奪われた」
何の悲壮感もなく、むしろ楽しそうに男が笑った。
「お前は、一体……」
もはや、人でないのは、わかった。
何者なのかを聞いて、理解できるかも微妙だが、聞かずにはいられなかった。
「吾は竜王。人の世では魔王と呼ばれ、勇者とかいう小賢しい人間に退治された」
「竜……。神の化身か?」
竜と言えば、水神の化身として神社などに祀られている。
そんな知識しかない。
「神も鬼も竜も、大差ないのだがな。神に喜んで贄を差し出す人間は、人を喰う生物を退治したがる。理解し難い思考だ」
言われてみれば、その通りだと思った。
生贄も食料も、命を落とす時点で大差ない。
「お前は人に負けたのか。殺されはしなかったんだな」
「殺されぬように心臓を隠した。だからこうして、生きている。お陰で魔力は弱くなったがな」
よくわからなくて、首を傾げた。
どこにどうやって心臓を隠して逃げたのだろうか。
そもそも心臓だけ隠せるものなのか。
「しかし、隠し場所に辿り着くのが難儀でな。使えそうな人の体を乗っ取って移動しているが、人間は脆い。すぐに壊れるから、すぐに次が必要になる」
「それで俺の体を乗っ取ろうとしたのか」
男が胸の鱗をトントンと指で突いた。
「魔力が弱ったとはいえ、並の人間より遥かに強い。だのに、お前は奪えなんだ。それどころか、竜の鱗を持っていかれた」
「これは、竜の鱗なのか」
硬い鱗を、すいとなぞる。
強い生気を感じた。これが魔力というやつなのだろう。
「お前、吾を守る気はないか?」
「守る? それは依頼か? 依頼であれば、受けてもいいが」
そこまで言って、懐の小刀を思い出した。
薬研藤四郎を依頼主に渡さなければ、今の仕事が終わらない。
「今はまだ、別の仕事を受けている。それを終えてからで良ければ、引き受ける」
男が小難しい顔をした。
「その任は、恐らく終えられぬぞ」
よくわからなくて、眉間に皺が寄った。
「この世界は、お前がいた場所ではない。お前の気配は別の場所から来た者どもと同じだ」
男が、クンクンと匂いを嗅ぐ。
「吾を退治した勇者とやらも、お前と同じ匂いがした」
「別の、世界……?」
理解が追い付かなくて、ただ言葉を反芻した。