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第5話:日曜日のショッピング

日曜日の朝は、少しだけゆっくりと目が覚めた。


窓から差し込む光にまぶたを細めながら、布団の中で小さく伸びをする。気温はまだ穏やかで、薄手のパジャマ越しに感じる空気も、どこか心地よかった。


ベッドを出て、キッチンで簡単な朝食を作る。トーストとスクランブルエッグ、冷蔵庫に残っていた昨日のスープを温めたもの。それを静かに口に運びながら、スマートフォンを手に取った。


ツブヤイターの画面には、昨夜の投稿がそのままの姿で残っていた。いいねも、コメントも、通知はひとつもない。


(まあ、当然か)


俺はため息もつかず、何も感じないふりでスマホを伏せた。


気を取り直すように食器を片づけ、洗面所で顔を洗って着替える。今日は買い物に出かける予定がある。


親からの仕送りでどうにか生活は成り立っているが、無駄遣いはできない。基本は自炊で食費を抑え、そのぶんを必要なものにまわしている。夏休みのあいだは、服はなるべく手持ちのものでやりくりしていた。けれど最近、ふとした瞬間に「もう少し、自分で選んだ服も着てみたい」と思うようになった。


“綾”としての暮らしが日常になってきた今、外出時の服装にも、少しずつ関心が出てきたのかもしれない。今日の予定は、そんな新しい一着を見つけることと、食材の買い出し。どちらも、今の生活を整えるために必要なことだった。


選んだのは、ラベンダー色のリブニットとベージュのワイドパンツ。カフェに行ったときの白トップスと青のスカートは避けた。ファッションのことはまだ詳しくないけれど、せめて“同じ印象”にならないようには意識している。


10時過ぎ、ショルダーバッグを肩にかけ、保冷バッグを持って家を出た。自転車のペダルを踏みながら、晴れた空を一度見上げる。風は少しひんやりとしていて、季節が確かに移り変わっていることを知らせていた。


ショッピングモールに着くと、まずは服屋へと向かった。


このショッピングモールに来るのは、これが初めてではない。男の時にもここを利用していた。


けれども、レディースの売り場に立ち入ることなんてなかった。まるで自分とは別の世界のように思っていたし、足を踏み入れること自体に抵抗があった。でも今は、“綾”としてそこにいる。自然に、呼吸を合わせるように。


棚に並ぶ服の間をゆっくり歩く。選ぶ基準が、男のときとは変わっていることに気づく。動きやすさだけじゃなく、色味や形、自分に合うかどうか――そんな視点が、自分の中に育ちつつある。


ふと目にとまったのは、生成りのシャツワンピース。長すぎず短すぎず、袖のボタンがさりげなくかわいい。手に取って、生地の手触りを確かめた。


試着はせず、そのままレジに向かった。緊張はあったが、それ以上に、自分の手で「これが欲しい」と選べたことに、少しだけ胸が高鳴った。


服を買い終えたあとは、エスカレーターで下のスーパーへ向かう。


冷蔵庫はだいぶ空いていた。週末のうちに買いだめして、明日からに備えておきたい。


買い物リストはスマホのメモにあるが、ほとんどは頭に入っていた。ピーマン、なす、しめじ、鶏むね肉、卵、牛乳――週末の買い出しは自然とカゴが重くなる。だけど、この重さがなんだか“自分の生活”そのもののように感じる。


(これで、今週もちゃんと過ごせる)


エコバッグに分けて保冷バッグへ詰めると、手が少し冷たくなった。そのまま自転車のカゴに積み込み、帰路につく。空はすっかり明るくなり、昼に近づいていた。


今日も、自分の生活を、ひとつ分だけ更新できた気がした。


帰宅して、玄関の鍵を閉める。


「ただいま」


自分だけの部屋にそう言葉を落とすのは、もう自然になった。エコバッグをキッチンの作業台に並べ、手早く冷蔵品を冷蔵庫へ。生鮮品と常温保存のものをざっくり分けて収納していく。


新しく買ったワンピースは、クローゼットにかけておく。着る予定はない。でも、それがそこにあるだけで、どこか気持ちが整う気がした。


エプロンをかけて、夕食の準備に取りかかる。


今日は鶏むね肉が安く手に入ったので、それをメインに。ピーマン、にんじん、しめじを合わせて、塩だれでさっぱり炒める。副菜は豆腐の冷ややっこ、そして、たまごと長ねぎの味噌汁。ごはんは、朝のうちに炊いて冷凍しておいたものを解凍する。


包丁でピーマンを切るとき、トントンという音が台所に響く。この時間が好きだ。


(やっぱり、俺にはこれしかないな)


誰かに見せるためじゃない。食べるのは自分だけ。なのに、こうして手間をかけたくなる。食材を組み合わせ、器を選び、彩りを考える――それは“暮らすこと”そのものだった。


完成した料理をテーブルに並べる。いつもの木製のプレートに、ごはんとメイン、副菜、味噌汁。冷ややっこの上には白ごまと刻みねぎを添えた。


スマートフォンを取り出し、カメラを構える。角度を変えて、光の入り方を見ながら何枚か撮影。選んだのは、自然光がきれいに入った、少し斜めからの一枚だった。


ツブヤイターを開いて、ラギのごはんのアカウントで新規投稿を作成する。



今夜のごはん。

鶏むね肉と野菜の塩だれ炒め/冷ややっこ/たまごと長ねぎの味噌汁。

シンプルだけど、夏の疲れが取れるような献立にしてみました。


#一人暮らしごはん

#夜ごはん記録

#丁寧な暮らし

#台所のある生活

#ラギのごはん



「投稿する」を押すと、画面に自分の夕飯が並んだ。スマホをそっと伏せて、深呼吸をひとつ。


(今日もひとつ、記録が残った)


いいねはまだない。通知も静かなまま。でも、それでもいい。


誰にも知られなくても、自分の手で作ったごはんがそこにある。写真に残して、それを言葉にすることで、俺はようやく“今日”を形にできた気がした。


器を持って、ひと口。塩だれの香ばしさが口に広がる。


明日もまた、普通に学校に行って、普通に生活して――その中に、またひとつ、料理を加えていけたらいい。




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