商店街のアーケードを抜けて、駅前から徒歩五分ほど。
目当ての定食屋は、すぐに見つかった。
【定食屋 なるせ】
シンプルな木の看板。店先には本日の日替わりメニューの黒板が出ていた。
「鶏の照り焼き定食・おろし添え」
(……鶏肉か。ちょっと、うれしい)
少しだけ笑みを浮かべて、俺は深呼吸をひとつ。
(いこう。ここまできたんだから)
引き戸を開けると、ちょうどお昼時の賑わいだった。
カウンター席には近所の常連らしきおじさんたち、テーブル席では家族連れが談笑している。
「——ラギ?」
ふわっとした声に顔を上げると、奥からエプロン姿の女の子が顔を出していた。
「……なるみん?」
「や〜っと来てくれた〜! 今日の服装聞いてたから、すぐわかったよ〜」
「よかった……なんか、ちょっと緊張してた」
「うん、わかる〜。うちもちょっとドキドキしてた。
でも、ラギってば実物もちゃんと‘ラギ’だった〜。優しげな雰囲気!」
「……それって、褒めてる?」
「もちろん〜!」
俺が入り口に立ったまま気まずくならないように、なるみんは慣れた手つきで奥のテーブルに案内してくれる。
「とりあえず、お昼食べよ。今日はうちのおごり!」
「え、いいの?」
「会ってくれたお礼〜。ラギ、鶏好きでしょ? 鶏の照り焼き定食だから、ぴったりだよ」
「……ありがとう。いただきます」
テーブルに置かれた湯飲みがほんのり湯気を立てていて、
なんとなく、それだけで安心した。
* * *
「ごちそうさま。……ほんとに、美味しかった」
「えへへ〜、ありがと〜。
あれね、うちの店の中でもリピ率高いやつなの」
「そうなんだ……たしかに、照りが絶妙だった。
あと、味噌汁の出汁が、なんか……落ち着く」
「うちの母のこだわり〜。
出汁は毎朝ちゃんと取るの。めんどいけど、それが味になるんだって〜」
「……そういうの、ちょっと憧れる」
なるみんと並んで座るカウンター席。
気づけば、俺は自然に話していた。
いつもの“配信者ラギ”ではなく、ただの俺として。
「じゃあ、そろそろ行こっか。うち、2階が住居なんだよね〜。
部屋、ちょっと散らかってるかもだけど、ごめんね?」
「ううん、大丈夫。ありがと、お邪魔します」
エプロンを外したなるみんが「よいしょ」と立ち上がり、裏口から階段を上がるよう俺を誘導した。
こぢんまりとした階段を抜けて、木の扉を開けると、そこにはどこか“らしい”空間が広がっていた。
* * *
「わ〜、すごい……思ったより機材、揃ってる」
「そでしょ? 見た目よりやる子なの、うち〜」
壁際には撮影用のリングライト、配信画面を確認するためのタブレット、簡易デスク。
机の上には収録用マイクと、料理ノートらしきファイルも置かれている。
部屋の奥は女の子らしくはあるけれど、どこか気取らず、柔らかい空気に包まれていた。
「ラギは、普段スマホ撮影なんだよね?」
「うん。今日持ってきた三脚もこのサイズだし……。
ノートとかは全部紙でまとめてる。まだ慣れてなくて」
「でもさ、うち、ラギの動画、すごく丁寧だな〜って思ってたよ。
構成がしっかりしてるっていうか、ちゃんと考えて作ってるって伝わってくる」
「……ありがとう。嬉しい」
机の横に並んで、二人で座る。
なるみんが淹れてくれたハーブティーの香りがふわりと漂っていた。
* * *
「じゃあ、内容の確認しよっか。
予定通り、『好きな食材』と『最近作った料理』の話題が中心でいい?」
「うん。あとは、雑談で“おすすめの調味料”とか、
“今ちょっとハマってる料理ジャンル”みたいなの……。台本ってほどじゃないけど、軽く流れはある」
「了解〜。
あ、カメラの角度、このへんで大丈夫? ちゃんと顔映り込まないようになってる?反射とかも気をつけないとね」
「平気。……あとは、配信前のツブヤイターで告知するだけ」
「よし、それじゃラギ、スタンバイお願いしま〜す」
「うん」
(よし……あとはやるだけだ)
なるみんとこうして会って、部屋で一緒に配信する日が来るなんて、
少し前の俺には、想像もできなかった。
だけど今——
「準備、できた?」
「うん。配信開始まで、あと……十秒」
「ふふっ、がんばろーね、ラギ!」
俺は画面の録画ボタンに指をかけながら、深く息を吸い込んだ。
「……うん。よろしく、なるみん」
「——配信、開始したよ」
「おっけ〜。こんにちは〜! 聞こえてますか〜?」
なるみんの声が、明るく画面越しのリスナーたちに届く。
映っているのは、二人の手元とテーブルの上。
湯気を立てる紅茶のカップと、焼き菓子の入ったお皿。そこに俺たちの顔は映っていない。
《おお、なるみん今日は誰かと?》
《二人配信!?楽しみ!》
《手元だけでもかわいい……》
コメントが流れていく。
配信が始まったばかりなのに、すでに三桁近い同接がある。
「今日はちょっと特別で〜、ゲストの方に来てもらってます!
料理好きな方なら見たことあるかも? ツブヤイターでも投稿してる、ラギのごはんのラギちゃんです〜!」
「……こんにちは。ラギです。なるみんと同じく、料理の投稿をちまちまとしてます。今日はよろしくお願いします」
「声、やっぱ好きだわ〜ってなるやつじゃんこれ。みんなもそう思うでしょ?」
《ラギさんだ!》
《ほんとにいたんだこの人(失礼)》
《ラギさんの声、落ち着く……》
《配信で喋るの初めて?》
(初めてじゃないけど……コラボは、初めて)
「ラギ、緊張してない〜?」
「してるよ、わりと」
「え〜? 声ぜんぜんブレてないし、プロみたい〜」
「それは……落ち着こうとしてるだけだから」
「偉すぎ〜」
《2人のテンポいいな》
《この空気感、好きかも》
《雑談のくせに癒されるのズルい》
俺はこっそりマイクを見ながら、画面に流れるコメントの速度に目を丸くしていた。